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初校が届いた!

「学校珍百景」の第二弾、「学校珍百景2」の初校が届きました。

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発刊は、来月後半の予定です。よろしくお願いします。

なお、第一弾の「学校珍百景」の購入はこちらです。



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がんばれない「がんばりカード」

いわゆる「がんばりカード」というのは、そもそも体育の器械運動などで、子ども自身が自分の技を高めるため、仲間との学び合いをスタートさせるためのものではなかったのか?いや、それ自体、批判的に検討されるべきものではなかったのか?

この「がんばりカード」。最近では、生活管理にまでこの「がんばりカード」を "教師が"子どもに使用させる傾向がある…。つまり……、忘れ物や、遅刻、挨拶や、給食完食にまで「がんばりカード」を使うのはおかしくないか。

いかにも子ども自身が努力しているように見せて、実は、教師が管理するためのカード。それが今どきの「がんばりカード」。

子どもたちが、自分自身の力に合わせて技を磨くのではなく、カードの進度を競争させ、子ども個々に不安と抑圧を与えるのが、今どきの「がんばりカード」。

こういった「がんばりカード」は、早急に無くしていくべきでしょう。

学校珍百景2!来春発刊予定!!

ご好評いただいている「学校珍百景」の第二弾を、来春にお届けいたします。

一巻は、 “学校あるある” を取り上げて、その意味を雑談的に(気軽に)考えてみることで、本来の学校のあるべき姿を模索したものでした。

第二弾は、少し視点を広げてみました。

つまり、もともとあった「学校あるある文化」を「珍百景」としてとらえるだけなく、現在の教育体制が生み出してしまったものも「学校珍百景」としてとらえて考えてみよう、ということです。

日本の教育は、国(社会)をつくる子どもたちを育てるのではなく、国のための子どもづくりに舵を取りました。「義務教育」を「権利・義務」の教育から「強制・義務」の教育に変えてしまったとも言えます。

その結果、現場には三つの「珍百景」が見られるようになってしまいました。

一つ目は、見た目や形ばかりの「良い子モデル」「良い教育」が前面に出されるようになったこと。そしてそれは、わざとらしさく見え、誰もが「意味がない」とわかっていてもそれを推し進めざるを得ない現実が「珍百景」になっているケース。

二つ目は、「お上」が決めたことを、子どもたちや地域のリアルな現実を無視して強引に現場に降ろし、しかもそれを、どの教師にも統一してやらせようとするので、そこに無理が生じて発生する「珍百景」やハラスメント。

三つ目は、学力テストに代表される“競争の土俵”に、学校丸ごと乗っかり、そこで発生する、様々な、笑えない「珍百景」。

お気づきにように、こういったことはもはや「珍百景」などとのんきなことを言っていられない非常事態であるとも言えます。現場には、教師にとっても、子どもたちにとっても、理不尽な嵐が吹き荒れているのではないでしょうか。

外国の人たちはいいます。日本の教師ほど、教育の仕事をがんばっている国は他にはない。そして、けっして良いとは言えない教育環境でこれだけの教育水準を維持しているのは奇跡に近いと。しかし一方で、にもかかわらず日本の教師ほどバッシングを受けている例も他の国にはないとも言っています。この矛盾は、外国の人たちにとっては、不思議でしょうがないようなのです。

日本の教師は健気(けなげ)です。どんなに指導が難しい子どもたちにも真摯に向き合い、理不尽な要求にもけっしてコトを荒立てることなく受け入れ、自分の力のなさを責めながら、今日も教室に向かいます。しかし最近ではそれもいよいよ限界のようで、精神的疾患で悩む教師、中には命を落とす仲間も出てきています。

実は、そんな教師たちを応援する声は、けっして多くはありません。

だからこの本は、そんな教師たち、仲間たちへの応援歌です。

この『学校珍百景2』が、子どもたちの前で……、保護者のみなさんの前で、そして同僚の中で立ちつくしている仲間たちの応援歌になる一冊になればと思っています。

春をお楽しみに!

新刊「学校珍百景2」の原稿

「学校珍百景2」の『はじめに』の文章で、超悩む。

なにしろ、第一弾「学校珍百景」のAMAZONレビューでは『ヘドが出る』といった書評を書かれたシリーズ。教育書でここまで書かれる例は少ない。ある意味、自慢。www

その第二弾の『はじめに』なので、けっこう悩む。

最近の学校での「珍百景」は笑えない笑い話が多すぎる。そういった意味で、第二弾はかなりメッセージ性の強いものになっている。

最近の学校珍百景の特徴は、なんでもかんでもトップダウンで足並みをそろえようとして変なことになっていること。

それは、子どもを同じようにしようとする試みと、教師の教育方法を一致させようとする動きの二つあり。

さらには、学テに代表される、上からのむなしい競争が生み出す珍百景。学力テストについては、緊急提言として、特別に章立てをしてみた。

結局は、そういった上からの管理支配が、たくさんのハラスメントを生んでいることも書いてあります。

来春発行予定です。

職員室の "窓"

職員室の私の席の後ろは、 "窓" になっています。窓の外は、子どもたちが昇降口に歩いていくメイン通路。全校児童全員がそこを歩いて登下校することになります。

気候が良くなってきて、職員室のエアコンが消され、ここ数週間、私の席の後ろの窓が開いていました。(開けておきました)

すると、登下校する子どもたちが、低学年、高学年問わず、「しおちゃんマ〜ン」と声をかけてくれるようになり、その窓が子どもたちとのおしゃべりの窓になっています。

最近の学校は、子どもたちにとってとても敷居が高いですね。本校も同様で、用がなければ入ってはいけないことになっています。

そして入る時には、みなさんの学校と同じように、『失礼します。○年○組の○○です。○○先生に用事があってきました。○○先生はいらっしゃいますか?』等々のきまり文句があって、それが職員室のドアに貼ってあったりします。

先日も私の学級の子(2年生)が、よっぽどあわてていたのでしょう、「失礼します!ここに、しおざきよしあきという方はいらっしゃいますか?」などと、おかしな "せりふ" を言って職員室に入ろうとしたので、みんなで大笑いしてしまったことがありました。

昔は、夏の暑い日、子どもたちに団扇であおらせながら丸つけをしていた先生がいたような気がするのです。そんな教師と子どもたちの関係がなくなってしまったのはいつ頃からなのでしょうか?

そういった子どもたちとの交流が、職員室の "窓" という、ある意味 "非公然" な形でしか実現できないというところに、今の日本の学校の課題があるような気がします。

ブラックな学校、見っけ!

先日、最近の学校現場の得体の知れない「恐怖」という記事を書きました。ああいった話は最近どこにでもあるようで、身近でもこんな話を聞きました。

先日の台風休校の時に、出勤できないので年休をとろうとした新採教員に対して、その学校の教頭が、
「年休?おまえは、這ってでも来い!」
と電話で話していたとのこと。

その学校は、今どき、給食完食デー、というのがあって、全員完食できたクラスには賞状が出るとか……。当然、食べられない子は責められることになります。給食完食デーの日は、どのクラスでも、昼休みまで給食を食べている風景があちこちで見られるとか……。

教師の権利を認めないような学校は、子どもの人権も、目を向けられていないという典型的な例です。

最近の学校現場の得体の知れない「恐怖」

年休をとることを、他の職員に対して「失礼だ」と主張する管理職……、子どもの指導で5分遅刻したことで "正座"させて説教する新採教員指導員……、体調を崩して入院している病院に来て「毎日学校に電話して学級の様子を少しは心配したらどうか」と説教する学年主任……、学力テストの順位が上がったら自分を胴上げしてビールかけをしろと命令する校長……、子どもたちに「先生のいやなところはどこですか?」とアンケートをとる教育委員会……、あきれや怒りを通り越して、日本の学校の行く末に得体の知れない「恐怖」を感じるのは自分だけでしょうか。

そして重要なことは、こうした学校において、子どもはどのように教育されているのか……、ということです。暴力的な「恐怖」で管理された教師は、暴力的な「恐怖」で子どもたちを管理していくことは間違いないのです。

私たちは、こうした学校現場の現状を、単に、管理職と教員との問題ではないことに気付く必要があります。

時代が学校をどこに連れていこうとするのかをしっかりと見極め、私たちは学びと実践で抗(あらが)う覚悟を持っています。そして必ず、その時代を修正できる確信も失ってはいけないのだと思っています。

○○スタンダードの落とし穴

最近、○○小スタンダード といった言い方で、指導の基準……、最低限これだけは合わせましょうとか、共通理解の基準とかの言い方で、指導の方針を決めようとしている学校が増えています。

まず問題なのは、その内容。たとえばこんなのがあります。

1.元気のよいあいさつをします。
2.気持ちのよい言葉遣いをします。
3.ルールを守って学習します。
4.当番活動を必ずします。

当番活動をさせます、ではなく、します といった、あたかも子ども自身が宣言しているような文体がまずおかしい。無理矢理当番活動をさせたいのは教師なのだからww、ここは「当番活動をさせます」「当番活動をする子を育てます」にしたらどうでしょうか?語尾を「します」にしているところがまず胡散臭いし、いかにも日本の学校臭い。

この学校としたら、子どもが自ら、上記4項目について自ら「します!」と宣言できるような子どもを育てたいのでしょう。そしてそれをこの学校の、最低限の指導の足並みとして(最低限、これだけはやらせましょう)といったことなのだと思います。

ちなみに子どもの実態や声、そして要求を無視して、あいさつをするだの、仕事をするだのの、とにかく結果や成果だけを評価するといった考え方は、おそらく1960年代の、労務管理、アメリカ型ガイダンス指導として日本に入ってきた考え方だと思います、今風に言えば、ブラック企業型労務管理のハシリだと言えるのではないでしょうか。

こうして子どもたちを事務的に処理していく「事務処理的管理主義教育」はそこに何らかの事情や言い分でそのベルトコンベアーに乗れ(ら)ない子どもたちを排除していることに気付かなければなりません。

子どもの人口

各都道府県の子どもの人口を調べて思ったことです。

そもそも条件が大きく違う都道府県を、学力テスト競争の同じスタートラインに立たせようとすること自体がおかしな話だとは思いませんか?というお話。

子どもの人口は各都道府県によって大きく異なります。総務省資料で、平成25年10月1日現在の子どもの数(15歳未満人口)について調べてみると、一番多いのが東京都の、150万3千人。一番少ないのは鳥取県の、 7万6千人。このように、子どもの数がひどく違っている都道府県で競わせることが果たして競争として成り立つのか?ということです。

ちなみに『子どもの割合』が一番高いのは沖縄県で、17.6%。
逆に一番低いのが、秋田県で、10.9%。
お気づきのように学力テストと全く逆の順位になっています。
このことの意味はなんなのでしょうか?
どなたか、調べてほしいものです。

遊具が無くなっていく

●マンションのロビーでゲームをする子どもたち

 子どもたちの放課後のあそび場が無くなったと言われて久しいのですが、今ではもはや場所だけではなく、時間も無くなりました。習い事をしないと友達ができない……、いじわるな言い方をすれば、友達づくりまでお金をはらわなければならなくなったと言っても過言ではありません。
 家庭訪問で地域を歩いていると、マンションのロビーやホールでゲームをしている子どもたちにたくさん出会います。しかし、「もっと楽しいことがあるのに……」と思うのは大人だけで、子どもたちにとってはこれ以上の楽しいことはないのです。一緒に画面を眺めているだけの子どもたちは群れていても孤独です。
 しかし、子どもたちから多くの「楽しいこと」を奪い、孤独に見えるようにしたのは、そんな子どもたちを見て眉をしかめている私たち大人自身だということに気がつかなければなりません。

●遊具が無くなった校庭
 最近の小学校は遊具が少なくなりました。
 私の勤務校でも、鉄棒、ろくぼく、うんてい、のぼり棒しかありません。ブランコはもちろん、小学校の定番だった、タイヤ跳びも、ジャングルジムもありません。
 昔は、もっといろいろな遊具があったような気がします。ブランコ、タイヤ、ジャングルジムの他にも、回転ジャングルジム、シーソー、ぶらさがり式シーソー、すべり台、丸太橋、エトセトラ……。
 校庭は子どもたちにとって、運動をする場だけではなく、あそびの場でもあったのです。
 そんな子どもたちから遊具を奪っておいて、教師は外であそべ!とウルサク言います。しかたなく子どもたちは、ボールであそぶか、鬼ごっこをするしかありません。
 ところが教師は、ボールは蹴るな、投げていい場所はここだけ……、と、さらにいろいろな条件をつけていきます。いったい子どもはどうやってあそべばよいのでしょうか?

●遊具を無くしていったのは "責任社会"
 遊具がなくなっていった理由は「責任をとらなければならない社会」の仕組みが、遊具による事故に対応できなくなったからです。子どもの事故は「自己責任」は通用しません。学校や教育委員会の責任が厳しく問われるし、そうでなくてはならないと考えています。
 ところが学校は教育委員会は、遊具による事故を、それを無くすことで対応しました。
  "これで自分たちが責任をとることから回避できる" と考えたのかもしれません。
 しかしこれでは、交通事故を無くすために車を無くすのと同じです。
 子どもたちの安全を守るとは、危険な環境を取り除くこともありますが、一方で、子どもたち自身に危険を回避する力を育てることをしなくてはなりません。そのためには、時には "危険な物" と向き合うことも大切です。(遊具が「危険な物」としして存在しているのではないことはもちろんです)
 今の子どもたちが、「こんなことで怪我をするの?」といった事故を起こしてしまうのは、こういったことと無関係ではありません。
 さらには、本当に危険な物、危険なこと、やってはいけないこと、とはどういったことなのかを見抜く力、判断する力も育っていません。

●遊具の遊び方はあいまいな方がいい
 一方で、体育の研究校などでは、アスレチック型の運動器具(あえて遊具とは呼ばない)が設置されている場合があります。しかしそういった運動器具は、利用方法がきっちり決まっていて、子どもたちがそれを使ってあそびを生み出すことができません。
 遊具は、あそび方が「あいまい」な方が良いのです。どんなルールでどう使うかは子どもたちが決められるものでなければ「遊具」とは言えないのではないかと思っています。
 タイヤやジャングルジム、うんていのような遊具は、子どもたち自身があそび方やルールをつくってあそべる要素があるという意味で、優れた遊具だと思っています。
 子どもたちのあそびが「大人の都合で奪われるか」「大人が勝手に使い方を決めてしまうか」のどちらかになってしまっています。そこには、子どもたち自身が利用方法やルールを決める、といった「自治」の考え方がありません。
 子どもの「あそび」とは、仲間と交わっていることそのものだと言えます。心のどこかで仲間を意識し、はたらきかけ合っている、そのこと自体があそびなのです。そして遊具は、そういった関係を仲立ちするものであって、切り裂いたり、凍りつかせたり物であってはならないのです。

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小学校で37年間学級担任として勤務/現在大学で教師を目指す学生に指導。/最新著書『教師と子どものための働き方改革』(学事出版)//iPhone12 Pro/Surface Laptop3/黒猫大好き/手相は両手とも「ますかけ」。

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ヨシムネ&ねね

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ヨシムネ
ヨシムネ ♂
2005年8月生まれ。2006年8月に動物病院からしおちゃんマン家にやってきた。

ねね
ねね ♀
2008年6月生まれ。教え子(当時小6)達が公園で保護。2008年6月よりしおちゃんマン家の家族に。2017年7月28日逝去。

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