同じであることは安心を生む。
個性を出すことには勇気がいる。
安心を得るためにきまりやマニュアルを求める。
「そんなもの必要ない」と主張することには、さらに勇気がいる。
それでも、教育においてみんな同じ方法をとること…、
とっているふりをすることについては批判的に考えている。
それを主張するのには、勇気がいるのだけれど。
「普通じゃないよね」は悪口になる。
「みんなやってないから」は、やらない言い訳になる。
「普通」は誰が決めたのか、
「みんな」とは一体誰なのかと思う。
教師にカリスマや名人先生はいらないけれど、
教師には個性あふれる名物先生は必要だ。
昔は、日本には個性ある教師であふれていた。
期末テストの問題づくりが間に合わなくて校内放送で問題を出していた美術の先生、
いつも教卓の上にあぐらをかいて授業をしていた歴史の先生、
子どもがひろってきた子犬をヒミツに教室で2,3日飼っていた先生、
みんな個性があり,みんなが大好きだった先生だ。
そして全員、授業が上手でわかりやすく、面白くてたまらなかった先生だ。
そんな先生たちが活躍できる学校現場でありたい。
脱線して授業とは関係ない話題になってしまう先生が好きだった。
子どもたちはそんな先生が困っている時には協力して助けた。
しかし最近ではそういった先生は保護者からも子どもたちからも批判されがちだ。
授業を遅れずに隣のクラスと足並みをそろえて教えるのが第一の任務になった。
せちがらい世の中になってしまった。
みんな同じことをやっていては逆に教育の質は下がる。
もともと世代も経験も、そして力量がちがうところに同じことをしようとすると
差がつくのはあたり前だからだ。
同じであることを批判するのは勇気がいる。
若い人たちに、個性ある素敵な教師になってほしいので、
勇気をふりしぼって主張する。
(*ᴗˬᴗ)⁾⁾
----------
☆
教育論・教育問題(ブログ村人気ランキング)はこちら(^-^☆★
教育問題・教育論(人気ブログランキング)はこちら(^-^☆2つのバナーを1日1回ポチッとヨロシク!