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「学校珍百景」の第二弾を、来春にお届けいたします。
一巻は、 “学校あるある” を取り上げて、その意味を雑談的に(気軽に)考えてみることで、本来の学校のあるべき姿を模索したものでした。
第二弾は、少し視点を広げてみました。
つまり、もともとあった「学校あるある文化」を「珍百景」としてとらえるだけなく、現在の教育体制が生み出してしまったものも「学校珍百景」としてとらえて考えてみよう、ということです。
日本の教育は、国(社会)をつくる子どもたちを育てるのではなく、国のための子どもづくりに舵を取りました。「義務教育」を「権利・義務」の教育から「強制・義務」の教育に変えてしまったとも言えます。
その結果、現場には三つの「珍百景」が見られるようになってしまいました。
一つ目は、見た目や形ばかりの「良い子モデル」「良い教育」が前面に出されるようになったこと。そしてそれは、わざとらしさく見え、誰もが「意味がない」とわかっていてもそれを推し進めざるを得ない現実が「珍百景」になっているケース。
二つ目は、「お上」が決めたことを、子どもたちや地域のリアルな現実を無視して強引に現場に降ろし、しかもそれを、どの教師にも統一してやらせようとするので、そこに無理が生じて発生する「珍百景」やハラスメント。
三つ目は、学力テストに代表される“競争の土俵”に、学校丸ごと乗っかり、そこで発生する、様々な、笑えない「珍百景」。
お気づきにように、こういったことはもはや「珍百景」などとのんきなことを言っていられない非常事態であるとも言えます。現場には、教師にとっても、子どもたちにとっても、理不尽な嵐が吹き荒れているのではないでしょうか。
外国の人たちはいいます。日本の教師ほど、教育の仕事をがんばっている国は他にはない。そして、けっして良いとは言えない教育環境でこれだけの教育水準を維持しているのは奇跡に近いと。しかし一方で、にもかかわらず日本の教師ほどバッシングを受けている例も他の国にはないとも言っています。この矛盾は、外国の人たちにとっては、不思議でしょうがないようなのです。
日本の教師は健気(けなげ)です。どんなに指導が難しい子どもたちにも真摯に向き合い、理不尽な要求にもけっしてコトを荒立てることなく受け入れ、自分の力のなさを責めながら、今日も教室に向かいます。しかし最近ではそれもいよいよ限界のようで、精神的疾患で悩む教師、中には命を落とす仲間も出てきています。
実は、そんな教師たちを応援する声は、けっして多くはありません。
だからこの本は、そんな教師たち、仲間たちへの応援歌です。
この『学校珍百景2』が、子どもたちの前で……、保護者のみなさんの前で、そして同僚の中で立ちつくしている仲間たちの応援歌になる一冊になればと思っています。
春をお楽しみに!