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"オンライン授業について" 書き続けた記事一覧(5/8現在)

▼自宅で会議するスキル
https://shiozaki.blog.fc2.com/blog-entry-4748.html

▼顔が見えればいいのか?という問題
https://shiozaki.blog.fc2.com/blog-entry-4749.html

▼カメラに向かって話すこと
https://shiozaki.blog.fc2.com/blog-entry-4752.html

▼メディア授業の問題点
https://shiozaki.blog.fc2.com/blog-entry-4753.html

▼マイクに向かって一人でしゃべる
https://shiozaki.blog.fc2.com/blog-entry-4756.html

▼学習的交わりの軽視&放棄
https://shiozaki.blog.fc2.com/blog-entry-4758.html

▼on-line授業における微妙なタイムラグと指導について
https://shiozaki.blog.fc2.com/blog-entry-4765.html

▼on-line授業をすれば学力が保障できるという錯覚
https://shiozaki.blog.fc2.com/blog-entry-4766.html

▼相変わらずの "やってます" ポーズを乗り越える
https://shiozaki.blog.fc2.com/blog-entry-4769.html

▼休校時代の権利ある学びと生活
https://shiozaki.blog.fc2.com/blog-entry-4770.html

▼成立しているように見えて成立していない
https://shiozaki.blog.fc2.com/blog-entry-4771.html

▼まだリアル授業には及ばない
https://shiozaki.blog.fc2.com/blog-entry-4772.html

▼双方向型オンライン授業の課題~「集団の教育力」が発生しづらい~
https://shiozaki.blog.fc2.com/blog-entry-4773.html

▼明日から、いよいよ第一回目の「遠隔授業」
https://shiozaki.blog.fc2.com/blog-entry-4774.html

▼タイムラグに慣れてきた "やりとり"
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▼zoom会議(授業)はホストの役割が重要
https://shiozaki.blog.fc2.com/blog-entry-4779.html

▼「ステイホーム学習」で浮かび上がってきたもの
https://shiozaki.blog.fc2.com/blog-entry-4780.html

▼初めての遠隔授業
https://shiozaki.blog.fc2.com/blog-entry-4783.html

▼ステイホーム学習(動画編)
https://youtu.be/OcIquHfX9l8

▼リアル感が持てるのか……
https://shiozaki.blog.fc2.com/blog-entry-4790.html




教師の仕事とテレワーク

医療従事者の方たちを始め、テレワークができない職種の方たちが多いことを承知しています。そういった職種は、日本社会にとって欠かせない職種の方たちばかりです。つまり社会的にリアルな職種で、自宅で出来る仕事ではないということです。

教師の仕事は、テレワークが話題になった後半に導入されました。すぐに導入されなかった理由は、臨時休校下でも学校で子どもを預かる地域が多かったことです。学童保育との連携が遅れて、学童と学校がそれぞれで負担を負ってしまい、効率的な取り組みができなかったことは今後の教訓にするべきです。

二つ目の理由は、授業で使う教材は、リアルな物がほとんどでパソコンを使って遠隔で作れない物が多いことです。つまり "教師の仕事内容は実はテレワーク向きではない" ことです。今でもテレワークで進めている教材はプリント作成メインですが、学習はプリントだけでは進められません。

また、プリント作成にしても、それを何枚も印刷する機器は学校にしかありません。PC、プリンターはあっても、印刷機はないのです。いや…、PC、プリンターもない教員もいると思います。

因みに、授業動画やWeb会議型の授業に取り組んでいるのは、ほんの一握りの学校です。多くの学校には、その環境もスキルもないのが現状ですし、家庭側にもその準備が平等にありません。教育分野の予算配分は後回しにしてきた日本の政治の問題がここにきて出てきています。

ここにきて、教師もテレワークするように指示が出る地域が増えてきました。ただし、正規採用だけであったりの問題が出ています。市町村採用の講師は認められるのが遅く、未だに認められていない地域もあります。

また、自宅で仕事をしろと指示が出るだけで、自宅でかかったお金はどうするのか、等々、周辺問題が決まっていません。教師が出勤していると地域住民から苦情が出るといった理由だけでテレワークを指示している残念な地域もあります。

今教師は自宅で何をするべきなのか、そのためにどんな環境整備と補償・保障が必要なのか、一体だれが考えているのでしょうか?




9月スタート案は慎重に

新型コロナ問題で、学校の学年スタートを9月にするといった案が出てきています。

なるほど、その手があったか、という感じです。

4月に入学式ができなかった孫のことを考えると、学ぶ権利や学習保障、そして様々な安心感を得る面でも、おもしろい案だと思います。

ただこれは、様々な課題があることも事実です。

一つは、学校だけ9月にすれば良い、ということではないことです。社会全体が4月スタートなので、これをどう変えていくのかということです。会計年度の問題や、移行の年の採用試験や就職活動にも影響するでしょう。

二つ目は、移行時の学校に膨大な事務負担がかかること。それでなくても、異常な忙しさの今の現場で……、さらには、今の現場大混乱のこの時期に、移行処置を捌けるのか?という問題です。

三つ目は、9月が「世界基準」だという言い方に "うさん臭さ" を感じることです。世界がみんな9月スタートのように宣伝していますが、実はそうでもない。

1月…シンガポール
1月末~2月初め…オーストラリア、ニュージーランド、ブラジル
3月…韓国、アルゼンチン
4月…パナマ
5月…タイ
6月…フィリピン
9月…アメリカ、カナダ、スペイン、イタリア、イギリス、フランス、ベルギー、トルコ、モンゴル、ロシア、中国、台湾、ベトナム、イラン
10月…ナイジェリア、カンボジア、セネガル

等々、9月スタートが多数派であることは事実ですが実は多様なのです。

同じ国でも地域によって違うところもあります。多数派を「基準」にするのではなく、それぞれの国民の権利、そして歴史や文化や事情を優先して考えるべきです。

つまり、この問題は、日本が今後どのようなスタンスで世界の中で生きていくのかの問題にリンクしているのではないでしょうか。多数派の中でさらに発展を目指すのか、それとも多様な文化を持った少数派の国々と連携していくのか………。

学校制度は、その国の歴史や事情、文化によって多様であってよいし、お互いの制度をリスペクトする事が大切です。そもそも教育というのはそういうものです。

同じでなければ連携できないというのは間違いです。

ただ、確かに、違いがあると効率的でないことは確かであるし事実でもあります。そういった意味で、9月スタート案は魅力的ですが、何よりも、今の日本のリーダーたちに、この大混乱の中、子どもたちの権利優先の改革をリードできるのかが疑問です。

今話し合うべきは、9月スタート論ではなく、授業料の減免やアルバイトができない学生に対する支援についてであって、そういったことを大学任せにするのではなくどう国として対応するべきかだと思う。

9月スタート案に、右も左も前向き意見が多いようだ。私のような慎重論は(反対ではない)少数派。学校五日制の時を思い出す。あの時も私は慎重派。理由は平日に一気にしわ寄せがくることと教育産業が広がり格差が広がること。その通りになった。あの時も右からも左からも叩かれた。




初めての遠隔授業

4月27日の午後、都留文科大学の学生さんたちに、初めての遠隔授業を行いました。

生活指導進路生徒指導論(121名)と、教育実践学概論(53名)です。

方法は、

テキスト資料提示⇒掲示板で質疑応答⇒コメント提出

の流れです。これを大学のサーバー内のStepというシステムの中で進めました。

メインは、掲示板での質疑応答です。まず驚いたのは、学生さんたちの発言量(書き込み量)の多さです。90分間、私は応答し続けることになりました。リアル授業の時は、発言してもらうことに苦労するのですが、全く逆な現象が起こったということです。

これは…、オンライン授業というのは、集団を形成しているように見えて、実はそこに発生する「力関係」や「空気」というものが存在しないことを意味します。ゆえに気兼ねなく発言(書き込み)できるということです。これは、私の想定していた通りでした。

▼双方向型オンライン授業の課題~「集団の教育力」が発生しづらい~
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⇒ まだそう結論付けるのは早いというご意見もいただいています。初日ということや資料の内容にもよるかもしれないという意見です。もう少し様子を見ていきたいと思います。

次に感じたのは、90分間の授業は、最初の資料提示にかかっている、ということです。この資料の出来によって90分間が決まる、といっても過言ではないということです。

リアル授業の時は、講義の参考資料…、といったイメージでしたが、オンライン授業では、かなりの重要な役割を果たします。それは、導入要素であり、さらに学ぶ意欲を湧き立たせる要素であり、次への意欲の要素でもあります。

次回の授業(5/4)では、ここの資料提示に、パワポ声解説付き動画を混ぜてみようかなと思っています。

因みに、5月7日からスタートする千葉大学の遠隔授業の資料提示は、全て声入りのパワポ動画(30分間)になっています。これもまた、全く新しい反応が生まれることが予想されます。どうなることやらと不安でもあり、楽しみでもあります。




"オンライン授業について" 書き続けた記事一覧

このブログで "オンライン授業について" 書き続けた記事一覧

課題が次第に明らかになっていくのがわかって、一覧にするとおもしろい。

▼自宅で会議するスキル
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▼on-line授業における微妙なタイムラグと指導について
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▼on-line授業をすれば学力が保障できるという錯覚
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▼相変わらずの "やってます" ポーズを乗り越える
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▼休校時代の権利ある学びと生活
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▼成立しているように見えて成立していない
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▼まだリアル授業には及ばない
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▼双方向型オンライン授業の課題~「集団の教育力」が発生しづらい~
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双方向型オンライン授業の課題~「集団の教育力」が発生しづらい~

 私も大学の講義で遠隔授業としてオンラインを利用し、テキスト資料を提起したり、動画視聴をお願いしたりしています。また新型コロナ問題が沈静化した後でも "学びにオンラインをどう利用していくのか" は、大切なテーマだと考えています。

 私がオンライン授業に対して批判的な記事を書き続けているのは、今後大切なツールになると考えているからです。「オンライン授業はする必要がない」という主張ではありません。誤解のないようにお願いしたいと思います。


 さて…、教育関連企業の発信する動画は "楽しい「番組」ではあるけれど『授業ではない』" と主張してきました。それは、「間」を大切にした視聴者(子どもたち)との "やりとり" を想定していないからです。

 Web会議ツールを利用した。双方向型の授業であれば "やりとり" メインなので、動画配信型の授業の課題をクリアーできるのではないかという意見があります。しかし、オンライン授業は、双方向型であっても「集団の教育力」が発生しづらいので課題が多いと考えています。

 ではここでいう "「集団の教育力」が発生しづらい" とはどういったことでしょう。そのことにかかわって三点、問題提起をしておきたいと考えています。


 一つ目は、オンラインは「教師や成員が感じる力関係」や、そこから生まれるいわゆる「空気」とよばれているものを感じにくい、ということです。(それが発生しているのかもわからない。発生していてもわかりにくい。)

 リアル授業では口数が少なかった学生が、オンライン授業で急に饒舌になったという話をききました。これは逆に言えば、リアルでは感じられていた「空気」をオンライン上では感じていないということだと思います。

 私たちは、学級集団づくりにおいても授業においても、集団のトーンや影響力、力関係に視点をあてて、それを組み替えたり、支援したりケアーしたり……、いわゆる「指導」してきました。

 授業でも同じで、そういった教育活動の中で、子どもたちは教師の「指導」やその背景にある社会に批判的に介入し、さらに学びを要求したり広げたり、自分で切り拓く力を持つようになることを見通していました。オンラインでは、そのとっかかりとしての集団のトーンや影響力、力関係が見えてこないということです。


 二つ目が、オンラインでの教育活動は、関係性の発展が薄い、ということです。

 たとえば……、私たちが、働きかけるものが働きかけられる、という時に、それは一対一だけの関係だけでなく、極めて集団的に成立するものだと考えています。

 教師がAさんに働きかける行為が、集団にとって何らかの影響を広げて、それが教師に返ってくるということが、私の場合は多かったです。そしてそれは、そもそもAさんに働きかけたことで集団からも働きかけられたのだと考えています。

 オンラインの教育活動は、双方向型であっても、そういった広がりや発展性が薄いと考えます。理由は、オンラインはシステム的に一本釣りの竿がホストから複数投げ入れられているだけで、竿と竿の関係性が薄いということです。

( ̄‐ ̄)。oO(竿と竿の関係性があるのかもしれないけれどそれは海の中で見えない。)


 三つ目は極めて、具体的なことですが、オンラインでは「独り言が拾えない」という面があり、リアルな授業が展開できないということです。しおちゃんマン流に言えば、『嘘芝居』的な授業になる、ということです。

 オンライン授業は、わかっているふり、良い子のふり……、そういった教育活動が展開される危険性があるということです。それは「独り言が拾えない」からだと表現しました。


 このように考えてみると、双方向型の "やりとり" での留意点として、「○○さんらしい見方・考え方だが、これに対してわたしは~」といった、成員同士の関係をつくる応答に心がけることが大切になってくることがわかります。

 また、成員同士の関係をつくりやすいように、グループ会議を多用したり、子どもたちの側からのプレゼンテーションを共同で作成する、といったことも考えられます。


 オンライン教育は "教室を超える" といった強みがあります。場合によっては、世界に拓かれます。学ぶ権利と自由、平和をベースにした、世界に広がる(つながる)「学び」をつくっていくチャンスであるとも言えるのです。




まだリアル授業には及ばない

ベネッセは、全学年、全教科、全単元についての動画を本気で作るつもりのようです。
https://benesse.jp/

どの動画授業も楽しいのですが、あれは "「番組」であって『授業』ではない" と思いました。

『授業』(指導)というのは、子どもとの "やりとり" があって成立するものだからです。

その "やりとり" を成立させるためのリアル授業を超える(並ぶ)機能を、まだオンライン授業は手にしていません。

▼成立しているように見えて成立していない
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私も、大学の授業を遠隔で進めるように指示されて、テキスト資料を提起ししたり、パワーポイントで動画を作って視聴をしてもらったりする授業を準備しました。

( ̄‐ ̄)。oO(私の授業は100人レベルなのでWeb会議型は無理だと判断しました。しかしそれもいずれできるようになるでしょう。)

テキスト資料にしても、動画視聴型にしても、学生さんたちとの "やりとり" を取り入れるようにしています。

しかし、まだ機能的に、私との一対一のコミュニケーションになりがちになることが予想されます。また、リアル授業がもっている、集団の教育力(それが何かについては今回は詳しく触れません)をまだオンライン授業は手にしていないと思っています。

いや、もしかしたら、子どもたち(人間)の方がオンライン授業に合わせて思考するようになるのかもしれません。学びが、極めて個的になっていくことは間違いないです。

個的な学びが存在するのか?という問いは残しつつ。




成立しているように見えて成立していない

大学でも、小中高の学校でも、遠隔で授業を進めたり動画を配信したりする試みが進められています。(「なんでもいいから動画をつくれ」と "内容軽視・作っておけば良い" といった授業動画作成を、教育委員会から強要されている地域もあります)

私も、大学の授業では、テキスト資料提起⇒質疑応答といった遠隔授業をしたり、動画配信の授業にチャレンジしたりしています。また、研究会では、月に2~3回のオンライン会議(テレビ会議)が開かれています。この2カ月、一気にオンライン活動をすることが求められ、いろいろ考えさせられることが多いです。

その中で考えていることは、オンラインを利用した「教育」は、授業として……、指導として成立しているのか?という問題です。そういった意味で、「学びとは何か」「指導とは何か」という問題をここにきて、あらためて突き付けられているような気がします。

とりあえず言えることは "オンライン授業ができていれば学力保障ができている" と考えるのは間違いだということです。オンライン指導は “成立しているように見えて成立していない”という危険性を持つので注意が必要なのです。

( ̄‐ ̄)。oO(オンライン授業を進める必要がないと主張しているのではありません。注意深く、研究的に取り組む必要があると考えています。)

動画は "視聴者を見ることができない" といった決定的な問題があることを忘れてはなりません。視聴者がやる気がなくても、居眠りをしていても、席を立っても、平気で話し続けなければなりません。

( ̄‐ ̄)。oO(動画作成の時に、声のトーンを変えたり、表情を作ったりしていて、むなしくなることもあります。)

Web会議でも、顔が見えているからリアルな話し合いができている…、と安易に考えてはなりません。顔が見えないメール会議の方が、場合によってはリアルな話し合いができる場合もあります。そして、Web会議の宿命的な “微妙なタイムラグ” は、話題を深め、相互の信頼関係をつくることを邪魔します。

さらには、画面を通しては空気(トーン、雰囲気)が読み取れません。そんな中で、一人ひとりを配慮するアンテナが働かないことが多いのです。

亡くなられた、志村けんさんは、舞台では本番同様の “力が入った稽古”はしないそうです。稽古ではすべてのチェックはするが所詮は稽古。本番の舞台とは、観客との「間」があって初めて完成するものだからだそうです。

授業や指導もそういった面があります。教師だけの一方的な情報伝達、子ども同士の交わらない意見発表、それでは授業は完成しません。教師と子ども、子ども同士の「間」があって、初めて完成するものではないでしょうか。

生活指導では事実をベースにしたリアルさが求められます。相互の信頼関係をベースにして、子どもに寄り添い、心をひらき合い、そこに "働きかけるものが働きかけられるといった関係" も生まれ、そしてその指導が、周囲(集団)へのメッセージにもなっていることがあります。

「オンライン指導」の反対語は「対面指導」ではなく、「リアル指導」だと思っています。一気に広がっている教育のオンライン化について、その指導を成立させるために、批判的に検討し、研究を深めていく必要がある時代です。




休校時代の権利ある学びと生活

臨時休校時代……、いや、もはや「臨時」ではない『休校時代』に直面するとは考えてもいませんでした。

今回の件で、学びの意味はもちろん、学校と子どもたちとの関係、子ども同士の関係も大きく変わる気がしてなりません。

国は、学校を通した "教育管理" ができなくなりました。あわてて、遠隔で授業をしなさいとか動画を配信しなさいとか言っていますが、想定外の事態に、その方針が定まっていません。

その間に、学校は相対化され、情報発信機関の単なる一つになりました。場合によっては学校からの情報(授業)は生活・進路には必要ないと判断する子どもも増えてくるかもしれません。

今後、国が教育による管理・支配をどのように手を変えていくのかに注意深く見ながら、休校時代の権利ある学びと生活について考えていきたいと思います。




国・自治体、世間は、教育・学校にどんな「顔」を向けたのか

 新型コロナウィルス問題が発生してから今まで、国や自治体、そして世間は、教育・学校にどんな「顔」を向けたのか、そして私たちはそれに対してどんな「表情」で返したのかを丁寧に記録しておかなければなりません。

 それは、この件がおさまり、新たな学校を起ち上げようとするときに、必ず必要になってくることだからです。
 
 要請された臨時休校は保護者の仕事を奪うことにつながることに気づきました。そして世間は子どもを預ける場所の保障を学校に求めました。その結果、臨時休校しながら、何十人の子どもたちを学校で預かるといった矛盾が生まれました。
 
 休校が長引き、学力低下の責任を負うことを恐れた国・文科省は、遠隔授業(主にオンライン授業)をすることを求めました。ところが、今まで、学校のネット環境整備を怠ったきた結果として、それが可能な学校はほんの一部だけでした。そしてオンライン授業さえしておけば責任を果たせたという錯覚も生まれています。
 
 教師のテレワークは、なかなか認められませんでした。不眠不休で頑張る医療関係者に対して申し訳ない気持ちと、家庭で進める課題づくりやオンライン授業動画づくり等々、何だかんだで忙しいからです。

⇒ 本当に忙しかったのだろうか。「忙しさが必要」だったのではないだろうか。

⇒ ここにきてやっと正規採用者から "順に" テレワークが認められてきました。
 
 教師たちは、国や自治体首長の指示にした従うことだけで精いっぱいで、非常時の学校の在り方について声を出す者は少なかったです。そして多くの教師はどんなに振り回されても、理不尽な働き方を強いられても、国や自治体の要求に必死に応えようと努力していました。

 学校に…、教師や子どもたちに、自由と自治はありませんでした。学ぶ権利も、それを指導する自由は存在したのでしょうか。「うちの学校(地域)から、新しいことを発信しよう」といったエネルギーはあったのでしょうか。
 
 いつのまにか私たちは、魂を抜かれていたのではないかと心配しています。
 



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 塩崎義明(しおちゃんマン)の公式メインブログです。教育問題について語ります。

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ヨシムネ
ヨシムネ ♂
2005年8月生まれ。2006年8月に動物病院からしおちゃんマン家にやってきた。

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2008年6月生まれ。教え子(当時小6)達が公園で保護。2008年6月よりしおちゃんマン家の家族に。2017年7月28日逝去。

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