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人の心を動かす言葉の発信力

樹木希林さんの娘さん、内田也哉子さんのスピーチを聞いたり、ネットで読み直してみたりしました。

内容についてどうこう述べる力は私にはありません。

ただ、聞いている私たちの心を動かす言葉のチョイスと表現力には感動しました。

ああいった「発信力」は、育ち、言語環境、仲間や自分との出会いと出会い直し、広義な意味での学び……、そういったあらゆる出会いから育った発信力だと思います。

しかし、自分の言葉を使つて表現し、自分の生き方ができる力は、国や外からあれこれ言われたり、忖度したり、といった中では育たないことは確かです。

また、特別の教科道徳をどうするかだとか、学校スタンダードの中で効率よく教育・調教を進めたいとか、小学校からの英語が大切だとか、上から外からの関係ばかり気にしていてはああいった言葉のチョイス、生き方のチョイスはできないのではないでしょうか。


内田也哉子さんのスピーチ----↓ここから↓----

 喪主に代わって、一言ごあいさつさせていただきます。

 本日は足元の悪い中、大変お忙しい中、母・内田啓子の本葬儀にご参列いただきまして、誠にありがとうございます。

 私にとって母を語るのに、父・内田裕也をなくして語れません。本来なら、このような場で語ることではないのかもしれないですが、思えば、内田家は数少ない互いへのメッセージ発信をいつも大勢の方々の承認のもとに行っていた“奇妙な家族”でした。

 また生前母は、恥ずかしいことこそ、人前でさらけ出すというやっかいな性分だったので、皆様が困らない程度に少しお話させてください。

 私が結婚するまでの19年間、うちは母と私の2人きりの家庭でした。

 そこにまるで、象徴としてのみ君臨する父でしたが、何をするにも私達にとって大きな存在だったことは確かです。

 幼かった私は不在の父の重すぎる存在に、押しつぶされそうになることもありました。

 ところが困った私が、なぜこのような関係を続けるのかと母を問い詰めると、平然と、だってお父さんにはひとかけら、純なものがあるからと私を黙らせるのです。

 自分の親とはいえ、人それぞれの選択があると、頭ではわかりつつも、やはり私の中では、永遠にわかりようもないミステリーでした。

 ほんの数日前、母の書庫で探しものをしていると、小さなアルバムを見つけました。母の友人や、私が子供の頃に外国から送った手紙が丁寧にはられたページをめくると、ロンドンのホテルの色あせた便せんに目が止まりました。それは母がまだ悠木千帆と名乗っていた頃に、父から届いたエアメールです。

 『今度は千帆と一緒に来たいです。結婚1周年は帰ってから二人きりで。蔵王とロサンゼルスというのも、世界中にあまりない記念日です。この1年、いろいろ迷惑をかけて反省しています。

 裕也に経済力があれば、もっとトラブルも少なくなるでしょう。

 俺の夢とギャンブルで高価な代償を払わせていることはよく自覚しています。突き詰めて考えると、自分自身の矛盾に大きくぶつかるのです。

 ロックをビジネスとして考えなければならないときが来たのでしょうか。最近、ことわざが自分に当てはまるような気がしてならないのです。早くジレンマの回答が得られるように祈ってください。落ち着きと、ずるさの共存にならないようにも。

 メシ、この野郎、てめぇ、でも、本当に心から愛しています。

 1974年10月19日 ロンドンにて 裕也』

 今まで想像すらしなかった、勝手だけれど、父から母への感謝と親密な思いが詰まった手紙に、私はしばし絶句してしまいました。

 普段は手に負えない父の、混沌と、苦悩と、純粋さが妙に腑に落ち、母が誰にも見せることなく、大切に自分の本棚にしまってあったことに納得してしまいました。

 そして、長年、心の何処かで許しがたかった父と母のあり方へのわだかまりがすーっと溶けていくのを感じたのです。

 こんな単純なことで、長年かけて形成されたわだかまりが溶け出すはずがないと自分に呆れつつも、母が時折、自虐的に笑って言いました。

 私が他所から内田家に嫁いで、本木さんにも内田家をついでもらって、みんなで一生懸命家を支えているけど、肝心の内田さんがいないのよねと。

 でも、私が唯一親孝行できたとすれば、本木さんと結婚したことかもしれません。

 時には本気で母の悪いところをダメ出しし、意を決して、暴れる父をなぐってくれ、そして、私以上に両親を面白がり、大切にしてくれました。

 何でもあけすけな母とは対照的に、少し体裁のすぎる家長不在だった内田家に、静かにずしりと存在してくれる光景は未だにシュール過ぎて、少し感動的ですらあります。

 けれども、絶妙なバランスが欠けてしまった今、新たな内田家の均衡を模索するときが来てしまいました。

 怖気づいている私はいつか言われた母の言葉を必死で記憶から手繰り寄せます。

 『おごらず、人と比べず、面白がって、平気に生きればいい』

 まだたくさんすべきことがありますが、ひとまず焦らず家族それぞれの日々を大切に歩めたらと願っております。

 生前母は、密葬でお願いと、私に言っておりましたが、結果的に光林寺でこのように親しかった皆さんとお別れができたこと、またそれに際し、たくさんの方々のご協力をいただく中で、皆さまと母との唯一無二が交流が垣間見えたことは残されたものとして、大きな心の支えになります。

 皆さま、お一人お一人からの生前の厚情に深く感謝しつつ、どうぞ、故人同様、お付き合いいただき、ご指導いただけますことをお願い申し上げます。

 本日は誠にありがとうございました。

----↑ここまで↑----

『道徳リテラシー』

『道徳リテラシー』とは、しおちゃんマン造語です。

昨日思いつきました。(塩崎造語 2018/10/1)。

こういった言葉を造ることが好きで、実は、『学校ブラック』や『縦の統廃合』、そして『嘘芝居』等々も、塩崎造語なのです。商標登録するつもりはないので、思いついたときに、ブログやTwitterに日にちを書くことにしています。

学校がブラック企業化している[ 2013/07/23 00:01 ]
https://shiozaki.blog.fc2.com/blog-entry-2006.html

『スクールブラック』の定義[ 2017/01/08 00:01 ]
https://shiozaki.blog.fc2.com/blog-entry-3285.html

教え込み丸め込む道徳は『嘘芝居』[ 2017/08/26 00:01 ]
https://shiozaki.blog.fc2.com/blog-entry-3519.html

縦の統廃合[ 2017/09/05 00:01 ]
https://shiozaki.blog.fc2.com/blog-entry-3529.html

さて、今回の『道徳リテラシー』ですが…、次のような意味です。

「仲間と生き方を語り合い、その価値と豊かに出会い直していくために、社会や生活、あふれる情報を正しく読み取り、時には批判的に介入していく力」。

今回の造語はあまり出来が良くないです。頭にくっつけるのは「道徳」でなくても良いからです。リテラシーそのものにそういった意味があるからです。しかし、国家が価値観を押し付け、国のために生きる道徳をこんなにも押し付けてくるのであれば、それに対峙する必要があるかな…、と。

しかし国民や子どもたち、教師をなめてはいけません。そんなふうには生きられないこと、そんな生き方は嘘であることをすでに見抜いています。

こうやっておけばいいんでしょ
こう応えておけばいいんでしょ

といったスタンスで対応しています。ある意味、それも「道徳リテラシー」な生き方かもしれません。

お互いに目配せしながらの「嘘芝居」……、それもいいけれど、大事なことはそのようにウマく生きられない人がほとんどであるし、嘘芝居ばかりしていては、いつの間にか自分を見失うことがあることです。だから「道徳リテラシー」を発揮して、上からの価値に批判的に介入していくことが大切だと考えています。

ちなみに、ズケズケと物申すタレントに対して、

共感できるか
意見が別れるか
不愉快になるだけなのか

の境界って何だろうか、と考えてみました。

それは、

1)感覚的に共感できることと
2)科学的な分析力


そして
3)自分の言葉を持った表現力

だと思うわけです。

どうして「特別な教科 道徳」じゃなくて「特別の教科 道徳」なの?(チコちゃんにきいてみた)

どうして…、「特別教科 道徳」じゃなくて、「特別教科 道徳」なの?

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「道徳」は、他の教科に比べて一番、偉いから~!……と文科省が考えたから~。
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ここの「の」という格助詞は、「特別という領域の」「特別という意味合いの」といった意味になり、「特別」であることをことさら強調する「の」。

「格別(の)」「とっておき(の)」の使い方の「の」と同じ使い方

(1) 教科の慣行的基準(教科の免許、教科書、数値評価の3つ)を満たしていないので、『例外的な教科』の意味。

そして、文科省が特に言いたかったのは。

(2)『殊の外(ことのほか)』(格別、とりわけ)という意味。

つまり、「道徳」は他教科よりも上位の(偉い)教科、という意味。

※諸説あり

#チコちゃんに叱られる!

教師自身も「道徳」の指導を楽しめるためのスタンス

なぜ文科省や教育委員会の言う通りに進める「道徳」が子どもたちや教師自身にとって面白くないのか?、深まらないのか?、というお話。

一つ目は、子どもがわかりきったことをしつこく聞く。教師も、子どもがこう答えるだろうなと思いながら聞く。つまり、お互いに了解済みの嘘芝居をしているのだから面白くないし深まらない。

二つ目が、価値そのものについて、批判的に検討しない。たとえば "「友情」は大切だ" と言われてしまえば、そこから一歩も進みようがない。

三つ目が、最後は、国や組織が決めた「ルールを守ること」が最優先される。「友情」は大切だけれど、ルールは破ってはいけない!!とくる。しかしよく考えてみよう。「友情」や「恋愛」のように心情に関わることは、時にはルールを破ることもあるのだ。そういった生活や人生ののリアルについて触れようとしない。

そこで、三つの対策。

一つ目は、既存の教材の正体を暴く。本当はどういうお話だったのかを「コナンする(推理する)」。

二つ目は、価値そのものについて一度疑ってみる。「友情」や「恋愛」はもっと "もろい" ものであるし、「家族愛」も虐待が広がる中で考え直す必要や事例もでてきている。

三つ目は、時事問題やリアルな学校生活の事例について子どもたちと大いに語る。今どきの子どもたちの考えを聞く。あくまでも意見を聞く。そして教師の考えを語り、それに批判的な検討を試みる。

具体的には、後日機会があれば。

道徳性の問題を社会的慣習の問題として教える道徳の問題

人間の価値観に優先順位をつけてそのように生きていくことを強要していくのが特別の教科道徳なんだと最近あらためて感じたというお話です。

優先順位はつけないけれど、大切にしたい価値観は、一人ひとりの人権と自由、平和と民主主義を求める声や要求です。しかし最近の教材は、その上に「ルールを守る」とか「組織や国のために我慢する」だとかの価値を優先的に置くように指導する傾向があります。

組織や国のために権利や自由を押し殺して我慢することを美談として受け入れるような流れのストリーが語られる道徳……。「友情」にしても、国や組織、ルールに従属しなければ成立させてはならないようなお話になっていることに気づくのです。

「友情」にも「~ねばならない」といった「道徳的友情ルール」決められています。友情は、時にはルールを破ったり、国や組織の決まり事を超えてしまったりするといった心情的なパワーと「もろさ」があるのですが、そういったことについては言及しないのです。

人と人との関係性のあり方についても、その上に「ルール」や「従属」を置こうとします。物語にしたり顔で「正義」を語る登場人物が現れ、その正義の意味は考えるのだけれど、その登場人物との関係性のあり方については考えさせようとしない特別の教科道徳の指導傾向。

日本福祉大学の藤井啓之氏は「広義の道徳には道徳性と社会的慣習と個人的なものが含まれているが、日本の道徳教育は道徳性の問題を社会的慣習の問題として教えている」と批判しています。まさにその通りだと思うわけです。

既存の教科書やその指導方法を解説したものを学んでいくと、個よりも国や組織、心情よりも上から決められたルール、人間の弱さを無視した嘘芝居な正義が語られる道徳が見えてくるのです。

法やルールは作り替えられる

なぜ特別の教科道徳の授業は、友情や心情よりも、ルールを上の価値として扱い、結局はルールを守らせようとするのだろう。

友情や恋愛は、時にはルールを超えてしまうことがあるほど危なっかしさがあるからこそ尊い。

また、ルールは、心情を要求として受け止めて改変していくことができるはず。

ルールは民主的な手順を踏んで作り替えられるし、それこそ子どもたちに教えたいことであるはず。

久保喬自選作品集第三巻

 

国会図書館から届いた、久保喬自選作品集第三巻。

ここに一年生道徳教材「二わのことり」が掲載されている。

 

道徳道徳と騒ぐ前に

【道徳】

道徳、道徳と騒ぐ前に、今話題になっているパワハラ問題や、大坂なおみ選手をめぐっての国籍のことなど、子どもたちに話してあげたり、子どもたちの意見を聞いてみたりしてはどうか?

▼日本の国籍法について調べてみた
https://ameblo.jp/shiozakiy/entry-12404805287.html

最近の教室ではそういったことがやらなくなったことが気になっている。


子どもたちには、国が決めた「良い子」になるより、国をつくる「主人公」になってほしい。


「学校現場のハラスメント」事例報告フォーム


スーダラ節と談志の「人間の業の肯定」から特別の教科道徳を批判する

【道徳】

1961年8月20日、植木等(クレージーキャッツ)の歌う「スーダラ節」(作詞:青島幸男 作曲:萩原哲晶)は、空前の大ヒット。

『わかっちゃいるけどやめられない』
は、当時の流行語になった。

植木等は当時、こんな変な歌…、不道徳な歌を歌うことを躊躇したそうだ。

そんな植木に対し植木の父は、
「『わかっちゃいるけどやめられない』は人間の矛盾をついた真理で、親鸞の教えに通じる。必ずヒットするぞ」
と励ましたそうである。そして父の予言通り、この曲は大ヒットした。

「特別の教科道徳」(以下「道徳」)を考えるにあたって、いつもこの歌詞とこのエピソードを思い出す。

歌詞はこちら
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=F02683

「道徳」は、子どもたち自身も「わかりきっていること」をああでもない、こうでもないと話し合わせている。

「わかりきっていること」をいろいろな切り口で意見することを多角的だの、多様的だのと評価するが、「わかりきっていること」そのものを疑うことはしない。

そして「わかりきっていること」ができないことを自分の心の弱さだから「がんばれ」と励ます。

さらに……、「自分を犠牲にして組織や国に忠誠的な尽くすことを賛美する。それが高次な「わかりきっていること」の達成だとして評価する。

子どもたちからしてみると、「それができれば苦労しない」のである。

いや、それを実行することに疑問を持っていても、「これは勉強だ、教科だ」と言われればば……、ましてや通知表で評価すると言われれば、わかりきった正解を探して『嘘芝居』を演じるしかないだろう。

子どもたちが求めているのは、そんな『嘘芝居』を演じなければ生きていけない「生きづらさ」であり、そんな苦悩に対する共感である。

そして『嘘芝居』の生きづらさを超えた生き方の発見であり、共に探してくれる仲間である。

「道徳」は、♪「わかっちゃいるけど、やめられない」のが人間らしさであり、「可笑しみ」であることに触れようとしない。


立川談志も、『人生成り行き -談志一代記-』で次のように述べている。

「立川流創設の頃まで、あたしは〈人間の業の肯定〉ということを言っていました。最初は思いつきで言い始めたようなものですが、要は、世間で是とされている親孝行だの勤勉だの夫婦仲良くだの、努力すれば報われるだのってものは嘘じゃないか、そういった世間の通念の嘘を落語の登場人物たちは知っているんじゃないか。人間は弱いもので、働きたくないし、酒呑んで寝ていたいし、勉強しろったってやりたくなければやらない、むしゃくしゃしたら親も蹴飛ばしたい、努力したって無駄なものは無駄--所詮そういうものじゃないのか、そういう弱い人間の業を落語は肯定してくれてるんじゃないか、と。」

さらに、

「寄ってたかって『人間を一人前にする』という理由で教育され、社会に組み込まれるが、当然それを嫌がる奴も出てくる。曰ク、不良だ、親不孝だ、世間知らずだ、立川談志だ、とこうなる。それらを落語は見事に認めている。それどころか、常識とも非常識ともつかない、それ以前の人間の心の奥の、ドロドロした、まるでまとまらないモノまで、時には肯定している。それが談志のいう『落語』であり、『落語とは、人間の業の肯定である』ということであります。『なら、いいこと、立派なことをするのも業ですネ』と言われれば、『そうだろう』ではあるものの、そっちの業は、どっかで胡散臭い。」

私たちは、この「胡散臭さ」に、そろそろ本気で向き合う必要がある。

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「二わの小とり」(一年生道徳教材)を読む まとめ

【道徳】

「二わの小とり」(一年生道徳教材)を扱ったブログのまとめました。


「二わの小とり」(1年生道徳教材)を考える(1)
2018-08-19 00:01:00
https://ameblo.jp/shiozakiy/entry-12398634284.html

「二わの小とり」(1年生道徳教材)を考える(2)
2018-08-20 00:01:00
https://ameblo.jp/shiozakiy/entry-12398634792.html

道徳:既存の教材にこだわる(1)
2018-08-31 10:12:58
https://ameblo.jp/shiozakiy/entry-12401605355.html

小1道徳教材「二わのことり」教科書の違い
2018-09-05 00:01:00
https://ameblo.jp/shiozakiy/entry-12402510508.html

「二わの小とり」の原作が届いた
2018-09-08 07:38:15
https://ameblo.jp/shiozakiy/entry-12403421716.html

国会図書館から届きました
2018-09-08 11:27:15
https://ameblo.jp/shiozakiy/entry-12403461456.html

道徳教材の原作と出会う
2018-09-08 14:24:18
https://ameblo.jp/shiozakiy/entry-12403491365.html

原稿終わったけど……
2018-09-09 19:54:32
https://ameblo.jp/shiozakiy/entry-12403783350.html

「二わのことり」を授業で扱うとしたら
2018-09-12 00:01:00
https://ameblo.jp/shiozakiy/entry-12403812951.html


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塩崎義明(しおちゃんマン)の『公式メインブログ』です。教育問題について語ります。⇒ 管理画面

雑誌『生活指導』(高文研)編集長/全国生活指導研究協議会常任委員/最新著書『教師と子どものための働き方改革』(学事出版)/小学校で37年間学級担任として勤務/現在某私立大学文学部教育学科特任教授/iPhone12 Pro/Surface Laptop3/黒猫大好き/手相は両手とも「ますかけ」。

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ヨシムネ&ねね

しおちゃんマンの飼い猫、黒猫ヨシムネと ねね

ヨシムネ
ヨシムネ ♂
2005年8月生まれ。2006年8月に動物病院からしおちゃんマン家にやってきた。

ねね
ねね ♀
2008年6月生まれ。教え子(当時小6)達が公園で保護。2008年6月よりしおちゃんマン家の家族に。2017年7月28日逝去。

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