今、注目している絵本。
ヨシタケシンスケさんの『おしっこちょっぴりもれたろう』(PHP研究所)
●「仲間探しの旅」での出会いは自分とは違った悩みを抱えていた人たちおしっこをしたあとに、いつもちょっぴりもれてしまう「ぼく」は、いつもおかあさんにおこられている。しかし自分では、ちょっぴりだし、ズボンをはいたらわからないのだからいいじゃないか、と考える。
そして、外から見たらわからないのだから、実は "もれたろう" は、ほかにもいるのではないかとも考えるのである。
ある日、通りすがりのおじさんに「もれたろうなんじゃないですか?」といきなり尋ねて叱られる。それでも、パンツを見せられないのは "もれたろう" にちがいないと考える。そして「みんなこっそりかくしているだけで、きっとこのせかいには、ぼくみたいなもれたろうがいっぱいいるにちがいない」と「もれたろうさがしの旅」に出かけるのである。
しかし出会ったのは、服のタグが気になっている女の子、くつしたがずれて気持ち悪がっている男の子、ほうれんそうが歯に挟まって困っている男の子。下着のそでがクチャクチャになることが気になっている女の子には、その気持ちはわかるわかると思いながらも、もれたろうではなかった。はなくそが出てこない男の子も、もれたろうではなかった。
そこで「ぼく」は、自分と同じ悩みを抱えている人は少ないかもしれないけれど、みんなそれぞれ、その人にしかわからないこまったことがあることに気がつくのである。
★今の子どもたちの「生きづらさ」は、個々の違った悩みを「ズボン」で見えないようにして、あたかも悩みが無いように一斉に一律に生きなければならないことであると言える。
そこで「ぼく」
まず、「自分と同じ悩みを持った人」がいるのではないかと考える。同じ悩みにこそ「共感」できると考えたからである。
しかし、
出会い・対話を重ねていくうちに、同じ悩みに共感するのではなく、悩んでいることそのものに共感し、連帯できることに気づくのである。
仲間探しは自分と同じ仲間を探すのではなく、自分とは違った仲間と出会う旅であるともいえるのである。
●悩み?の共有は世代や立場を超えて楽しいもの「ぼく」は、自分と同じ悩みをもった「けっこうもれたろうくん」と親密な友達であった。しかし、けっこうもれたろうくんは、引っ越してしまい、もれたろうはさみしい思いをする。
親しい友達との別れ、あいかわらずのもれたろう状態に「ぼく」は落ち込む。
するとおじいちゃんが話しかけてくる。
もれたろうは、ぼくはいつまでもれたろうなんだろう、とおじいちゃんに悩みを打ち明ける。
するとおじいちゃんは、ちょっぴりだし、ズボンをはいたらわからないこと、そしてすぐにかわく、と励ましてくれる。
そして…、
実は、「ワシもちょっぴりもれたろうなんじゃ!」とカミングアウトしてくるのである。
その時の「ぼく」のうれしそうな顔と、洗濯物を持って「えっ!」という呆然とした顔で立ちすくむお母さんの顔が楽しい。
★
悩みはいくらでも抱えていてもいいこと、なぜならそれを語り合うことで、その悩みを(悩んでいることそのものにも)共有できる仲間と、世代を超えて手をつなげるからである。
裏表紙の絵は、「ぼく」とおじいちゃんがそれぞれのズボンの中をのぞいている絵であり、裏表紙の裏の絵は、「ぼく」とおじいちゃんが笑顔で手をつないで歩いている。この絵に、後半のメッセージが表現されていると考える。

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