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今年度最後の学習会に28名

金曜日の夜は、浦安生活指導研究協議会・船橋教職員組合の共同主催の学習会でした。この日の学習会が今年度最後です。

内容は、ベテラン教師お二人に、指導のありかたについて語ってもらい、その提起に基づいて意見交換をするというもの。

大きくわけて、三つの話題にしぼられました。

一つは、指導のあり方として、集団的に評価する意味と方法について。

つまり、個々バラバラに評価するのではなくて集団的に評価することによって子どもたちの中に「つながる」力をつけるというもの。

たとえば、姿勢をほめるにしても、「○班さん、姿勢がいいねえ。」と集団的に評価することによって、子どもたちの中に「はたらきかけ」がうまれるということ。

その集団的な評価をするため…、そして子どもたち自身の要求実現のために学級の中に組織やシステムが必要なこと。

二つ目は、職場の人間関係について。

若い人たちは、先輩教師や管理職との関係の中で、自分の実践を規制してしまうことがあります。中には、パワハラに近いこともあります。そんな時にどうするのかという問題。

これはやはり、弱い立場の人同士がそういった理不尽な「力」に対抗できる連帯をつくるしかないのでは?ということ。

三つ目は、保護者の理不尽な要求や声をどうするのかということ。

まず、前提として、学級の様子や事実を、保護者に前向きに伝えることが大切。

私もそうなのですが、どうしても学級の様子をネガティブに伝えてしまう傾向があります。それほど子どもたちの状況が厳しくなっているということでもあるのですが、子どもたちの前向きな姿を大切にするという意味でも、学級の良い面を伝えて行きたいと思いました。

次に、自分の子どもを一番に考えることを否定しないこと。これはあたりまえのことなのです。それを「自分の子のことしか考えていない・見ていない」ととらえるのは間違いではないでしょうか。

最後の学習会に28名の参加がありました。平日の夜に、そして毎回20名~30名の参加がある学習会を展開しているのはめずらしいのです。

来年度も学習会のスタイルをいろいろ工夫しながら、たくさんの仲間を集めて展開していきたいと考えています。

のりトースト

かんぽの宿鴨川「喫茶まつぼっくり」の、のりトースト。

のりとかつおぶしがはさんであって。和風な味。

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4月に笑わず3月に笑え!(終)

教師が「子どもを知る」ことについてもう少し具体的に考えてみます。

教師が子どもを「知る」ためにはどうしたらよいのかの三つ目は、公的な取り組み(授業や教科外活動)を通して知るということです。

そういった意味で、昨日書いた、私的な対話と公的な取り組み・対話(話し合いや討議・討論)とは意図的に区別して取り組むべきです。

わかりにくいので、もう少し具体的に書きましょう。

(1) 授業中でのやりとり、個別の日記での対話・討論を通して知る。

(2) 学級で何かを決める時の討議・討論の中で知ること。

(3) 学級で決定したことについての行為・行動を通して知ること。

(4) そして上記のことをしかけるために、学級に組織・システムを構築すること。(この組織・システムはやがて子どもたちのためのものにしていかなければなりません)

上記の取り組みを通して教師は、子どもを
「イメージとして感じ、記録として知る」
のです。

「イメージとして感じる」ということは、「ああ、こういう子なんだな」と感じることです。抽象的・主観的なようですが、私はこういった【現場教師としての勘】を否定しません。

そして「記録として知る」ということは、その子についての記録を通して知るということ…、つまり記録を大切にするということです。

さて、ここで「記録」という新しいテーマが出てきてしまいました。この「記録」とは、週指導計画のようなアリバイ作り、言い訳・説明責任のための記録ではありません。

真に子どもたちの指導のための「記録」です。

この「記録」につきましては、また別の機会に書いてみようと思っています。

~4月に笑わず3月に笑え!(おわり)~

4月に笑わず3月に笑え!(4)

教師が「子どもを知る」ことについてもう少し具体的に考えてみます。

教師が子どもを「知る」ためにはどうしたらよいのでしょうか?

一つは、子どもが引き起こす否定的な行為・行動・言動について「なぜ?」と考えるスタンスが大切であるということです。

ついつい私たちは、子どもたちの引き起こしてしまった事について取り締まったり、決めつけたりしてコトを終わらせてしまいます。

あやまらせれば…、反省させれば話は終わり…。これでは「子どもを知ること」はできません。子どもたちが引き起こすトラブルには必ずその理由があるはずなのです。そして、「なぜそんなことをしたのだろう?」と考える教師のスタンスにこそ、子どもたちは信頼をよせてくれるということです。

二つ目は、私的な会話を意図的に持つこと。そのために、一緒に遊ぶこと、教師の方からはたらきかける(ちょっかいを出す)ことを大切にすることです。

教師にとって「遊び」が本来の仕事だと考えて良いと思います。教師にとっては遊びは単なる「遊び」ではなく、そこにこそ大切な意味があるということです。

三つ目は…、

(つづく)

4月に笑わず3月に笑え!(3)

「子ども同士が知り合う」ということについてもう少し考えてみます。以下、高学年以上をイメージしてください。

たとえば、「仲の良いクラス」を目標にすることが多いのですが……。

仲が良い事、それ自体はとても良いことだと思います。しかし、子どもにしてみたら、私的なことまで公的な目標にされたらたまらないと思うわけです。

つまり、人間ですので、どうしても気が合わない子もいるわけです。つまり、私たちの指導とは、そういった人(気の合わない人)ともどのように協働・共同していくのかの指導を大切にするのであって、仲良くすることそのものを目標にするのではないのです。

ただし、気が合わない人とでも、協働・共同していく中で、仲良くなる事はあります。しかしそれはあくまでも結果論であって、目標ではないのだと考えています。

このように考えていくと、「子ども同士が知り合う」とは、協働・共同の指導であって、その過程でどのような価値観を指導していくのか…、そのものであることがわかってきます。

(つづく)

4月に笑わず3月に笑え!(2)

「4月に笑わず3月に笑え!」というのは、学級づくりの見通しのテーマであるとも言えます。

4月、5月(場合によっては6,7月まで)は、私は「子どもを知る」「子ども同士が知り合う」期間だとしています。

子どもたちのことを知らずして、どう指導していくのか?……そして、お互いの事をしらずして、同じ教室で学習・生活できるのか?ということ。

さて、この時期に、なめられてはいけないと、教師の権威を見せつけようとする人が多いのですが、それでは逆に「子どもを知る」ことができません。

恐い人、自分の行為や言動を取り締まろうとする大人の前では、子どもは本当の自分を見せようとはしないからです。

また、子どもたちの行為・行動・言動を取り締まることからスタートする教室では、子ども同士が「知り合う」ことができないのです。

なぜなら、子どもたちは教師の管理要求に個々バラバラに従おうとするからです。

また、そういった教室では、できる・できない、良い・悪いが教師の価値観で決まってくるので、それ合わせられる子は「良い子」、合わせられない子は「悪い子」と決まってしまうので、そのことからもなかなか子ども同士が「知り合え」ないのです。

この時期に、「教師が子どもを知る」「子ども同士が知り合う」期間を経ない学級は、次第に不安と不信が広がってきます。

また、強い力には従うが、弱いけれど正しい声には従わないといった価値観も広がってくるのです。

(つづく)

4月に笑わず3月に笑え!(1)

ここに来て学級がなかなかうまくいかなくなってきたという声が多く聞かれます。

そんな学級に限って、4月の最初の時はピシッとしていた学級だったりします。つまり、最初にきちんとしていた学級に限って、この時期にきてうまくいかなくなってきていることが多いのです。

ちなみに「うまくいかなくなってきている」という中身は、

・私語が多くなってきている。
・時間が守られなくなってきている。
・教師の指導が入らない(言うことをきかない。または、いうことをきくふりはするが実際はやらない等々)。
・かげのいじめやいたずらが目についてくる。
・あからさまに教師に反抗する子が出てくる。
・エトセトラ

さて、現場では「最初が肝心」などということが当たり前のように語られます。

つまり、4月当初から、子どもになめられずに、ピシッとさせること、ルールをきちんと決めておくこと、教師の権威を示しておくことが大切だと言うことです。

しかし私はこのことには反対であることをずっと言ってきました。

理由は、この時期の現実が示しているように、上記のような指導は、やがて子どもたちに見切られ、さらにそれを取り締まろうとすることで、教師と子どもとの信頼関係が崩れていくと言った悪循環を起こすからです。

やがてその悪循環は、教師と子どもとの関係にとどまらず、教師と保護者との関係の崩れにまで広がり、学級は崩壊していくということです。

しかし、最初に力を入れないでどうしろというの?という声が聞こえてきそうです。

「4月に笑わず3月に笑え!」と私はよく言うのですが、これは具体的にどういうことなのかをこのブログで少しずつ問題提起をしていきたいと思います。

(つづく)

友人の墓参り

先週の土曜日、友人の墓参りに行ってきました。毎年行っていて、早いもので今年で7年目。

いつもは友人2人と私の3人で行っていたのですが、今年は何人かに呼びかけて、7人で行ってきました。

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7年もたっているのに、毎年墓参りをしてもらう友人は、ある意味うらやましい。勝手に先に死んだくせにズルイ、というのが私たちの思い。

私の結婚式で彼に友人代表で挨拶をお願いしたなのですが、勝手に感激してしまって、まともに話が出来なかった…、そんな奴でした。

彼のことは「人柄」という一言では表せないし、彼の生き方はけっして立派ではなかったかもしれないけど、それでも私たちの心にいつまでも居続けているのはなぜなんだろう?

彼の墓参りに行くたびに、生きることの意味を考えさせられるのです。

好きな給食アンケート

左サイドバーに、好きな(好きだった)給食のメニューについてのアンケートがあります。

どうぞ、ご利用、お楽しみ下さい。

落語を聴いている

常に手元に本がないと不安になるしおちゃんマンですが、最近なかなかおもしろい!と思える本に出会えていません。

まあ、そんな本に出会えるのは二ヶ月に一冊あるかないかなのですが、最近はさっぱりです。

東野作品は、最新刊まですべて読んでいますがいま一つ。警察もの、医療ものはちょっと飽きてきてます。

ということで最近は落語のCDを借りてきて聴いています。

これがけっこう面白い。

立川談志はやっぱりすごいです。別格という感じ。

上方では、桂文珍がわかりやすい。

落語は、話し方や間のとりかたなど、勉強になったりすることもあります。

しかし勉強のために聴いているわけではなくて、単に楽しんでいます。

以前から、教師は落語を聴いてしゃべり方を勉強するといい、と言われてきましたが、若い時はピンときませんでしたが、今になってその意味がわかり始めています。

感動探しの報道に疑問

冬季オリンピック。

どうも自分の中で盛り上がらないのはなぜなのでしょうか?

最初は、日本の選手が夏のオリンピックに比べて活躍しないからなのかな?と思っていましたが、どうやらそうではないのではないかと。

おそらく、「感動物語」をやたらと作りたがっている報道に対して、自分がひいてしまったからだ……、と思うようになりました。

国民としては、純粋にその競技や選手を応援したいのですが、その選手のプライベートな秘話や美談を押し付けられると逆にひいてしまうということです。

コクボ選手の話題にしても、最初はものすごいバッシング。それは、感動物語にあの着こなしがふさわしくなかったからだと思います。

しかし[ナントカ大臣]の国会答弁をきっかけに風向きが変わり、いっきに「コクボがんばれ!」のトーンに。

ここでメダルでもとれば、それこそ感動物語だったのでしょうが、なかなかそううまくはいきませんでした。

しかし、彼のチャレンジ精神に満ちたプレーは純粋にプレーとして賞賛されなければならないのではないでしょうか。

そういった意味で、あの競技の技術的な課題や日本の競技環境の問題など、もっともっと語られるべきなのだと思うわけです。

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小学校で37年間学級担任として勤務/現在大学で教師を目指す学生に指導。/最新著書『教師と子どものための働き方改革』(学事出版)//iPhone12 Pro/Surface Laptop3/黒猫大好き/手相は両手とも「ますかけ」。

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ヨシムネ&ねね

しおちゃんマンの飼い猫、黒猫ヨシムネと ねね

ヨシムネ
ヨシムネ ♂
2005年8月生まれ。2006年8月に動物病院からしおちゃんマン家にやってきた。

ねね
ねね ♀
2008年6月生まれ。教え子(当時小6)達が公園で保護。2008年6月よりしおちゃんマン家の家族に。2017年7月28日逝去。

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