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なぜ今頃異動のことを?

土曜日は市内小学校陸上大会でした。

市内の全小学校が集まって学校対抗で行われます。

トラックのまわりに、各学校の応援席があります。そんなまわりをグルグルまわりながら考えていたのは、"次はどの学校に異動しようかな" ということ。

子どもたちの応援に来たのにそんなことを考えるのは不謹慎だったかも。
(もちろん応援もしっかりしてきました)

でも今度の学校が私にとっておそらく最後の学校になります。今までの異動とはちょっと意味が違ってくるような気がしているのでそんなことを考えてしまったのかもしれません。

本市の場合、同じ学校に勤務するのは長くても7年。もちろんそれ以前に異動を希望すれば異動できます。

私の場合、9年いたこともあるし、3年で異動したこともあります。必要とされていればその学校に残るし、必要とされていないと感じたなら異動することを考えます。

まだ夏にもなっていない今の時期、どうしてこんなことを考えていたのでしょうね。

※ちなみに、異動を考えているわけではありません。次に行くとしたらどこに行こうかな?と、ふと考えたということです。月曜日はきついけど(笑)、毎日楽しいです。念のために。

教師の情熱や愛はウザイか?

「教師の勘違い15」で紹介した「教師の情熱や愛はウザイ」ということについて、先日の浦安の勉強会で軽く反対意見が。

愛はともかく、教師の教育に対しての情熱というか、執念というか、そういったことは、結果的に子どもたちを成長させることにつながるのではないか!ということ。

まあ、確かにそうですが、その一生懸命さに自分で酔っていたり、自分だけで満足したりしていてはいけないわけで…、そういったことに(自分たちのために情熱をそそいでいるのではないことに)関して子どもたちはすぐに見抜いたり拒否したりします。

つまり、どういったことに一生懸命になり、その結果をどのようなスタンスで子どもに伝えていくかという問題。

また、子どものためだと思っていても、実はそうでなかったり、すれちがっていたりすることが多いのが私たちの仕事で難しいところ。つまりそのことに気がついているのか?という二つ目の問題。

城丸章夫先生を悼む

全国生活指導の研究運動をリードし、日本の戦後教育についてするどく、そしてやさしい視点で論及されてきた、城丸章夫先生が先日亡くなられました。

若い時には定期的に城丸先生のご自宅におじゃまして直接お話をきく機会が得られました。自分が教師としてそういった機会に恵まれたことの幸運に感謝しています。

学校の管理主義を、教師が「働く」といった視点から論じた著書「管理主義教育」。そして今でも時々ページをめくる、天皇と宗教について城丸先生独特の言い回しで楽しく論じられている「星とさくらと天皇と」の二冊は、今でも机の目の前に置いてある本です。

城丸先生から学んだことは山のようにあるのですが、中でも一番心に残っていることは、

"学級や班は、仲良くなるためにつくるんんじゃないよ"

"考え方が違う人、仲の悪い人とでも、一緒になって、その生活を向上させていくためにはどのようなことが大切なのかを学級や班で指導するのが集団づくり"

つまり、集団づくりというのは、集団をつくっているようで、実は一人ひとりの自由と権利を保障し、平和と民主主義実現のための指導であるということです。

城丸先生はおっしゃっていました。

"戦争の時代ほど、一人ひとりの自由が奪われたことはない"

"自由が奪われたときこそ、平和の危機である"

城丸先生…、学校現場は、ずいぶんと不自由になってしまいました。子どもたちも、我々教師もその行動や口をふさがれ、自由が奪われています。

まだまだご指導いただきたいことがたくさんあったのですが…、残念でなりません。

心からご冥福をお祈りいたします。そして……、ありがとうございました。

教師の15の勘違い

「遊び心」が、かなり入ってます。(^o^)

(誤)子どもはみな、こちらを向いて話を聞くものである。
(正)つまらなければ聞かないし、しゃべりたくなったらしゃべる。

(誤)係活動は、決めたらやるものである。
(正)教師や子どもたち同士が評価しない限りやらない、続かない。

(誤)一人ぼっちはかわいそう。
(正)一人になりたいこともある。(高学年以上)

(誤)みんなの前でほめると子どもはみんな喜ぶ。
(正)みんなの前ではほめられたくない子もいる。

(誤)リーダーになる機会は平等に。
(正)子どもによって個性があるので、無理に全員やらせるから逆に不平等に。

(誤)ルールを守らず、授業を中断させる子が問題児。
(正)その子を支持したり、注意できない子たちこそ指導対象に!

(誤)運動会や修学旅行を子どもたちは楽しみにしている。
(正)嫌いな子がいて当然。

(誤)職員室に入る時には「ノック、失礼します。○年○組の○○です。○○先生に用事があってきました」(たとえば)と丁寧に言ってから入る。
(正)後ろがつっかえている。"ノック&失礼します" で十分。

(誤)教師は教育・子育てについてのプロである。
(正)保護者の方が持っている。教師は勉強しない限り身につかない。

(誤)教師の情熱や愛は子どもに必ず伝わる。
(正)うざい。<笑>

(誤)あいさつができる子は、非行にはしらない。
(正)暴力団ややくざはあいさつが基本。

(誤)「上」の言うことには従うものである。
(正)正しいことには従うが、間違ったことには従ってはいけない。やらざるをえない場合はやるが、魂は売らない。

(誤)学校・教師批判をする親は「危険な親」。
(正)困っている、悩んでいるからこそ意見してくる。

(誤)仕事が遅かったり机の上が汚くても子どものことを思っていれば良い。
(正)実務仕事がスマートにできない人は、子どもにも目がゆき届かない。ただし、「スマート」とは、早い・遅い、きれい・きたない、等々とは別問題。

(誤)通知票は出すのが当然。
(正)法律的には学校にまかされている。ない学校もある。

「集中させる」と「集中をつくる」

一般的には、子どもたちを「集中させる」と言いますが、私は「子どもたちの中に『集中をつくる』」と言います。

日本語的にはおかしいのですが、言いたいところはわかってもらえると思います。

つまり、教師主導で集中させるのではなく、子どもたち自身の中に集中する力を育てるという意味があります。

その前に、「集中する」ということについてもう少し考え直さなければならないのかもしれません。

「集中する」とは、"教師の話をジッと黙って聞いている" ことだけではないということです。

たとえば、班でワイワイガヤガヤ、ひとつのことについて話し合いながら活動している…。これも私たちは「集中している」ととらえています。

だとしたらば、「集中する」とは、"集団に共通した具体的な行動目標があり、それに向かって行動する力" ではないか?ということです。

そして、その行動目標はみんなで決めていくこと。つまり、みんなで決めてみんなで守る力こそ、集中力を生み出すのだと考えています。

子どもたちに、こっちを向かせることなど、単なるその場しのぎの技にすぎないのです。それだけでは子どもたちを育てることにはなりません。

岡田武史監督の世代

サッカーの岡田武史監督は1956年生まれですから、しおちゃんマンより一つ上の学年。まあ、同世代と言ってよいと思います。もしかしたら、一緒のインターハイや国体にいたのかもしれない。

※ちなみにジャイアンツの原監督は1958年生まれで私より一つ下の学年。オリックスの岡田監督は私と同学年です。

さて、この私たちの世代は、国のどういった教育方針で教育されてきた世代なのか、というお話。

当時の学習指導要領のテーマは「期待される人間像」。

つまり、国の発展のために期待される人間として教育するための学習指導要領。当時は高度経済成長の時代が始まった時代で、それに続く子どもたちをさらに育てていこうとした時代。

そんな時代に育ったわれわれ世代は、まわりの期待に応えるためにがんばり続けることを教育されてきたわけです。

学生運動には間に合わず、「シラケ世代」と呼ばれ…、しかし外に向けてはシラケていても、まわりの期待に応えるために内面的には必死にがんばる世代。

そんな岡田監督が、ワールドカップベスト4、という目標を掲げる気持ちがなんとなくわかるような気がするのです。

一昨日の韓国戦で岡田監督は進退伺いを出したとのこと。期待に応えられているかどうかに敏感な私たち世代として、その行動は理解ができます。

国民の期待に応えなければならない職業、特にそれが結果として出てしまう監督という仕事。これはわれわれ世代としてはかなりきつい職業なのかもしれません。

しかし私たち世代は挫折を教訓にすることが得意です。(二度と同じ過ちをしたくないという思いが強いため)

巨人の原監督やオリックスの岡田監督も大きな挫折の後、すばらしい仕事をしています。岡田武史監督も、必ず今の失敗を教訓として大きな仕事をなしとげると思っています。ただそれは、今度のワールドカップではないかもしれませんが。

大きな行事の後

運動会のような大きな行事の後に学級が荒れてしまうことがあります。私語が増え、時間が守られず、ルールが平気で破られる。そんな状況になりがちです。陰湿ないじめが起きるのもこの時期。

理由は、

○次の目標がみえなくなること。
○子どもたちが強い指示に慣れてしまうこと。
○子どもたちの力関係(できる・できない)がはっきりしてくること。
○運動会の練習などで授業が遅れがちになり、授業進度を上げなければならなくなり、子ども一人ひとりについて目が行き届かなくなりがちになること。

もちろん運動会などの大きな行事には、こういった課題がうまれることを超えたメリット(良いこと)があるわけですが、課題についても十分に注意しなければなりません。

そして教師は、子どもが自分の思い通りにいかないからといって、子どもたちや保護者のせいにしてはいけないと考えています。

子どもたちが思うように動いてくれなくなった時にこそ、知恵とアイデアを出して、そして子どもたちとたくさん話し合っていく必要があります。

声をはること

運動会の練習などでは、教師は「声をはる」ことが大切です。特に号令などでは「声をはること」は基本だと思います。

「声をはる」とは、大きな声を出すこと(だけ)ではありません。間をとったり短くビシッと言ったり、そういったことも含みます。たとえば "マエヘー…ナラエ!"。大きな声で、どこで間をとって、どこを短くビシッと言うかという問題です。

また、声をはる時に、お腹から声を出さないとのどを痛めます。お腹から声を出していても声がかれることはありますが、のどからだけで出していると、すぐに声はかれます。

ちなみに、お腹から声を出し、声をはるには、心をひらく必要があります。照れていたり、かっこつけたりしているとこれができません。

技術の問題だけではなくて、実は職場の雰囲気にも関係しているということなのです。

運動会好きじゃなかったような…

運動会…、私自身、そんなに好きじゃなかったような気がするのです。

長距離は速かったけど短距離はそうでもなくて一等をとったことがない。いや3等以内に入るのがやっとだったような。もちろんリレーの選手になんかなったことがない。

また、体が大きかったので、組体操や騎馬戦ではいつも土台。

フォークダンスとか、当時やっていたけど、並び順が一番後ろだったので人数調整で女子役をやらされたし。

親もほとんど観に来たことがなかったんじゃないかなあ。

でも、運動会のことはけっこう覚えているんですよね。つまり好きじゃなかったから記憶には残らない、意味がない、ということではないと思っています。

子どもはみんな運動会を楽しみにしているといった錯覚を教師はまずもたないこと。そしてそんな子に対してどうやって声かけをするのかこそが大切だということだと思います。

昔は運動会は年に二度あった?

本日運動会です。

さて…、私自身が小学生の時も、教師になってからの数年間も、私がいた小学校には年間2回の運動会がありました。

1学期には「小運動会」。
2学期には「大運動会」です。

それがいつからか秋だけになり、最近では春にやるところが半数以上です。

春の開催が増えた理由のひとつは、行事の分散化。

秋はほかにも学校行事が多く、さらに週5日制の導入で授業時間が減り、行事の指導にあてる時間の確保が難しくなったため、練習に多くの時間を使う運動会が2学期から1学期に追い出された形です。

運動会などの大きな行事を経験するたびに子どもたちは目に見えて成長してくれます。逆に言うと、こういった行事を軽視することは子どもたちの発達を遅らせる一つの原因にもなっているということです。

このことは日本の子どもたちが年々幼くなってきていることと無関係ではないと、大胆な意見を私は持っています。

続・市の教研総会で発言

あんなにたくさんの人がいたのになんの反応もなく、答弁も、私の発言は流されてしまったような気がしていて少し落ち込んでいたのですが、下記のようなメールが届きました。本人了解のうえ、名前をふせて掲載します。

-----↓ここから↓-----
 はじめまして。市内に勤める○年目の小学校教員です。お名前は存じていたましたが、お顔を見たのは初めてでした。塩崎先生、総会での発言ご苦労様でした。
 まず、あんなに明確に、さわやかにご発言されていたので余裕だったのかと思ったら、今日のブログを読んだら手が震えていたとのこと。そこまでしなければならないほどの大切なことだったのだとあらためてわかりました。
 私も昨年度、U教研の部会を決める時に、自分が選んだ部会について変更するように何度も校長室に呼ばれました。また、学年主任にまで個別に呼ばれて変更をせまられました。こんな実態が市内中にあるのだと思いました。
 私のまわりにいた先輩先生たちは「アドバイスするときはあるよねえ」などと言っていましたが、あれはアドバイスをこえています。
 先生のような方が発言してくれてうれしいです。一言お礼を言いたくて思いきってメールさせていただきました。ありがとうございました。
-----↑ここまで↑-----

うれしいです。

私自身も元気が出ました。

市の教研総会で発言

昨日は、市の教研でした。市の小中学校の職員全員が集まっての総会です。

その中で、どうしても言っておかなければならないことがあったので発言しました。

あんなにたくさんの人数の前で、しかもほとんどが面識がない人たちばかりの中で、しかもしかも…、会の運営に批判的な意見を言うことは、とてもとても勇気がいることです。さすがに直前にはのどがからからになり、手が震えました。

しかし、若い人たちがどんどん増えていく中で私たち世代が意見を言っておかないと、後に続く人がいなくなってしまうと考え、勇気を出して発言しました。

内容は以下の通りです。(自分の発言メモより)

-----↓ここから↓-----
M小の塩崎です。

若い人たちがどんとん採用される時代になってきたので、再度確認したいことがありますので質問させてください。

それは、部会の選択方法についてです。

部会は会員個人に選択権があると思うのですが違うのでしょうか?

ここ数年、若い人たちに対して、管理職の先生や主任の先生から、
"若いうちは教科の部会に入りなさい"
だとか、
"あそこは勉強にならないから入らない方がいい"
だとかの指示があり、自分の入りたい部会に入れないといった声をよく聞くようになりました。

また、それぞれの学校の校務分掌等によって、自動的に入る部会が決められてしまう学校もあったようです。

これらは明らかに、U教研の主旨に反する流れではないでしょうか。

もう一度確認します。

部会は会員個人に選択権があるのではないでしょうか?
-----↑ここまで↑-----

背景や事情がわからない人にはなんのことだかわからないと思いますが、ようするに、部会を選ぶ権利は会員個人にあるのに、管理職やら主任やらが指示・命令としてその権利を奪ってしまっていることを問題にしたかったわけです。ここ数年、目に余る状況なので。

指示・命令ではなくて、"アドバイスだ!" という人がいるかもしれません。しかし、同僚にすすめられる時と、主任や管理職の先生にすすめられるときではその性格が違ってくるのは当然です。

また、百歩譲って、アドバイスなのであれば、複数の選択師を示すべきです。また、最後は自分で決めることができることもきちんと伝えるべきです。そのくらいの配慮が必要な重要な問題だということを再度確認したかったのです。

答弁は、いわゆる "その通りである" ということでしたが、来年度以降、引きつづきこの問題はチェックしていこうと考えています。

ただ、一人で浮いていることのむなしさと寂しさは感じています。

話が聞けない等々の問題

3年生の子どもたちは素直で一生懸命で、とてもいい子たちばかりです。

しかし一方で当然課題もあるわけで、そういった課題について学校と家庭が一緒になってのりこえていかなければならないと考えています。ということで、時には子どもたちの課題についても学級通信に書かなければなりません。

日刊学級通信NO.27 20日(木)発行予定記事より。

-----↓ここから↓-----
3組だけの問題ではないのですが、学年全体として三つの課題があると思いました。

一つは、話が聞けない、という問題。
二つ目が、自分の行動がコントロールできないという問題。
三つ目が、友達の心を平気で傷つけるようなことを言ったりやったりする問題。

個人的にこの三つがすごく気になっているので、先日、運動会の練習で学年全体が集まった時に話をしました。1回話をしただけで、すぐに解決する問題ではないことは承知していますが、一度言っておかなければならないと思ったので話しました。

さて、この三つの課題に共通していることは、幼児性です。

発達段階的には、とっくに乗り越えておかなければならないことをまだ多くの子どもたちが引きずっているような気がします。

たとえば、小さい子は、行動する時にいちいち言葉で解説しますよね。「食べようっと」とか、「外に行こうっと」とかです。行動を通して言葉を獲得したり、言葉と行動を一致させたりする行為なのですが、これを3年生になってもまだやっているということです。ゆえに教師が話したことについて独り言を言ったり、友達に話しかけたりして確認しているということ。それで結果的にうるさくなって話が聞けない、ということになっているようです。

自分の行動がコントロールできないことについても同様です。出歩いてしまう、一つの場所にじっとしていられないのは、小さい子の特徴ですね。

友達を傷つけることになることがわからないことも同じです。

では、こういったことはどうすれば解決できるのでしょうか。

一つは、大人が話をじっくり聞いてあげることができているかという問題。
二つ目は、家庭で一緒に仕事をしたり、会話をたくさんしているかの問題。
三つ目は、学校で私たち教師が仲間づくり、友達づくりができているかという問題。
四つ目が、学校で集団的な行動を丁寧に教えているかの問題。
そして五つ目が、以上のことついて家庭と学校(教師)とが連絡が取り合えているかどうかの問題。

いずれも厳しい課題ですが、まずは私たち大人がふんばらないといけませんね。
-----↑ここまで↑-----

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ヨシムネ&ねね

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ヨシムネ
ヨシムネ ♂
2005年8月生まれ。2006年8月に動物病院からしおちゃんマン家にやってきた。

ねね
ねね ♀
2008年6月生まれ。教え子(当時小6)達が公園で保護。2008年6月よりしおちゃんマン家の家族に。2017年7月28日逝去。

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