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"雨ニモマケズ"の境地に(連続ツイート)

雨ニモマケズ(1) 今週から3月。学年末の仕事量を考えると気が重い。
posted at 10:59:12

雨ニモマケズ(2) 今年度の実践を振り返るとやはり満足できるものではなかった。子どもたちが笑顔でついてきてくれただけによけいに申し訳ない気持ち。
posted at 10:59:33

雨ニモマケズ(3) 毎年毎年反省の繰り返し。教訓を生かして修正しても、また新たな課題が重くのしかかってくる。これは教師を辞めるまでついてくるのだろう。
posted at 10:59:48

雨ニモマケズ(4) 今の教育現場をやりがいと感じるのか、苦痛に感じて"もう逃げ出したい"と感じるのかの境界線の歳になってきたのだろうと思う。
posted at 11:00:04

雨ニモマケズ(5) ミンナニデクノボートヨバレ/ホメラレモセズ/クニモサレズ.サウイフモノニワタシハナリタイ……宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の大好きな箇所。
posted at 11:00:16

雨ニモマケズ(終) 自分は、まだまわりからの評価を気にしているから苦しいのだと思う。「雨ニモマケズ」の境地になれるのはいつのことなんだろう?
posted at 11:00:33

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ごんぎつね(鈴木三重吉おそるべし)

6年生を送る会での4年生の演技「ごんぎつね」に感動しました。
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ごんがうたれて死んでしまう場面では涙が出そうになったほど上手でした。子どもたちの演技力と合唱の力はすごかったです。
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さて、この「ごんぎつね」は4年生の教科書に出てきます。最近4年生を担任していないので、今時の子どもたちの反応はどうなのかよくわからないのですが、大人でも論議になる箇所がたくさん出てきます。それだけすぐれた作品だということ。

たとえば、
「おれがくりや松たけを持っていってやるのに、そのおれにはお礼を言わないで、神様にお礼を言うんじゃあ、おれは引き合わないなあ。」
というごんのせりふ。この時、ごんはどんな表情で言ったのか?という問題。以前4年生を担任した時、子どもたちの多くが、ごんは悔しい顔をしているという中、"ごんは絶対に笑っている!"と言って引き下がらなかった子がいたことを思い出しました。これはおもしろい話し合いでした。

そしてあのラストシーン。

「ごん、おまい(おまえ)だったのか、いつも、くりをくれたのは。」
ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました。
 兵十は、ひなわじゅうをばたりと取り落としました。青いけむりが、まだつつ口から細く出ていました。


しかし、新美南吉のこの作品は、鈴木三重吉により添削されていることはあまりにも有名。原文は下記のとおりだったとか。

「権、お前だったのか・・・。いつも栗をくれたのは・・・・。」
権狐はぐったりなったまま、うれしくなりました。
兵十は、火縄銃をばったり落しました。
まだ青い煙が、銃口から細く出ていました。


「うなずきました」と「うれしくなりました」ではあまりにも読後感が違います。そしてこの物語の悲しい印象は、「うなずきました」から伝わってきます。鈴木三重吉おそるべし……です。

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歌川国芳「東都三つ股の図」

歌川国芳の「東都三つ股の図」にスカイツリーがすでに描かれていたことが話題になっています。場所もほぼ同じ場所であるとか…。

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興味をもって歌川国芳について調べてみたら、猫の作品でも有名であることを後になって知りました。そう言えば、こんな作品を見たことがある。

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これは本も購入するしかないと思い、下記の本を購入。(表紙画像をクリックすることでセブンネットショッピングを開けます)


自分的には、エッシャーやら、マグリットやらの、ちょっと変わった個性のある作品が好きなことをあらためてわかりました。

エッシャー
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マグリット
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人事異動の季節

そろそろ、"来年度、だれだれがどこどこに行く"…、といった話が出てくるようになりました。つまり「人事異動の季節」が始まりました。

本市の場合、現実的には市内の異動です。つまり、小学校であれば市内の18校の中を異動します。

異動方針としては、"同一校7年で強力に異動の対象とする"、ということになっています。しかし私は以前、異動を希望しながら9年間同じ学校にいたこともありますし、逆に3年で異動したこともあります。また、県の職員でありながら、他市に異動する「広域人事」はほとんどありませんでした。

ところが数年前から県教育委員会は、"採用されてからその市町村に5年勤務したら、他の市町村に(強制的に)異動しなければならない"、といった方針を出してきました。(人事交流・交換という形。3年で戻ってこられる)

しかしその方針の受け止め方はそれぞれの出張所(各市町村のブロックみたいなもの)によって温度差があり、本市ではそれをまともに受けてしまいました。(最初から、"無理だ"と受け止めて、積極的に取り組んでいない出張所もあった)

それで本市では、5年で強制的に他市に異動させられてしまった若い人たちが数多くいます。(もちろん希望者もいました)

しかし当時から私たちは、それは"、現実的ではない"、"無理が生じる"と主張してきました。なぜなら、それぞれの市町村によって学校数、児童数に大きな違いがあり、交換?という形での異動は無理だからです。

案の定、無理が生じてきたのか、最近になって、「強制ではない。もともと強制ではなかった」などと言い始めました。だったら、強制的に異動させられてしまった人たちをどうするの?と言いたいです。

教育の仕事は人間同士のかかわり合いの仕事ですから、とてもデリケートな職種です。誤解を恐れずに書けば、やる気がなくなってしまったり傷ついてしまったりしたら、いくらエンジンをかけようとしても、まともな仕事ができなくなることもある…、ということ。ゆえに、教師の異動は民間とは違い、本人との話し合いを重視してきたはずです。

しかし時代の流れで、そういったデリケートな面を無視して、あるいは、"甘い!"と切り捨てて、強制的に広域人事を進める地域が増えてきたようです。それがよかったのかどうなのかは、それぞれの現場でそろそろ答えが出ているはずです。("結果オーライ"という答えもあることを承知しつつ)

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悩みを一人で抱え込まない

悩みを一人で抱え込んではいけない!、と言い続けていたら、いつのまにか自分自身が相談できる仲間がいなくなっていた。きっと、いつのまにか上からの目線になっていたのだろう。大いに反省。

ある程度の経験をつんだ者ほど、うまくいかない悩みを語るのはむずかしい。それなりのプライドを持ってしまっているからだ。そして、自分はうまくいっていると錯覚を起こしてしまうからだ。

*   *   *    *

私もみなさんと同じように、いつも大きな実践の悩みを抱えています。頭を抱えて、眠れない日々が続くこともあります。同じ時代に現場にいるのですから当然です。だからわかるのです。

実践がうまくいかない時の苦しさを。

相談しろと言われても、どこから話したらいいのかわからない…、といった思いを。

それでも、私たちには話ができる仲間が必要です。

それでも、一人で悩みを抱え込んではいけないのです。

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ダメな奴は消えろ…の論理

教師の精神的疾患の広がりの原因について、それは個々の教師の問題だとする意見が多い。さらには、そういった"ダメな""弱い"教師を養成してしまうシステムが問題だというふうに論理が展開する。

さらには、"優秀な者"が生き残り、"ダメな者"が淘汰されていくのが今の世の中のしくみであって、そういった競争社会についていけない教育の世界がダメな世界…、その中でヌクヌクとえらそうに生きている教師こそが問題…、というふうになっていくようである。

この"ダメな奴は消えろ"の論理の中で教育が展開されていいのか?という根本的な疑問がある。つまり、自分が"ダメな奴は消えろ"の論理の中で生きていて、子どもたちに"思いやり"が語れるのか?ということである。

競争は否定しない。高め合う競争は大いにあっていいと考えている。しかしその競争に勝った者が優秀で、負けた者がダメであるなどとまったく考えない。

両者とも同じように大切にされなければならないし、その権利は保障されなければならないのだと思う。

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また教師の質の問題にしようとしている

教員養成にかける時間を6年にする方針だとか。学歴をあげれば教師としての力量が上がると本気で考えているのだろうか?それともいつもの、説明責任のための政策なのだろうか?

それよりも問題なのは、教育問題を、また教師の質の問題にしようとしていることである。

今の教育の問題が教師の質の問題であるならば、今までがんばっていた教師がここ数年で次々と倒れていく理由の説明がつかない。

学級崩壊が広がり、教師が休職・退職していくのは、子どものせいでも保護者のせいでもない。あきらかに、ここ数年の教育現場の変化によるものであるということを、しつこく言い続けたい。

学校間競争、そのための成果主義(部活動、学力・体力テスト、進学先、公開授業等々)の広がり、評価制度による教師個々の競争的な空気(その競争は実は幻想)、教育サービスの強化による学校に対する要望の多様化、上の責任のがれのためにしか思えない研修漬けの日々、エトセトラ。

教育は人間的な営みである。そこには数値や成果・効果といった「実績主義」とは距離をおかなければならないのではないだろうか。

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職員室の人間関係

教師の精神的疾患による休職・退職が急激に増えている原因の一つとして、"職員室(職場)の人間関係"を文科省はあげています。

以前に比べて、同僚同士の関係が稀薄になったばかりでなく、誰かを批判すること、ダメ教師にすることで他がまとまるといった"いじめの構造"と同じ状況まで生まれているようです。

こういったことは、私が想像した以上に深刻な状況であることを先日の浦生研大会の基調提案の学習で知りました。

自分のことで精一杯、仲間を気にかけている余裕がない。さらに、自分がやっていることに自信が持てないので、自分を守るために他を批判してしまう。

まずそのことに気がついた人から、その悪循環を断ち切らなければなりません。そのためにはどうしたらよいのか……。

まずは私たちベテラン世代から、実践の悩みをどんどんオープンにしていくことが大切かもしれません。まずはそのことからはじめてみようと思っています。

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個人戦から団体戦への発想の転換

昨日の浦生研大会。若い人たちを中心に、30名以上の参加で盛況でした。

学級集団づくりの学習でしたが、この日のテーマを
「個人戦から団体戦への発想の転換」
としてみました。

たとえば、班をつくって学級での授業をはじめ、いろいろな活動に取り組めば、そこでは、

・助け合い、励まし合い、学び合いが生まれます。
・いじめや様々な問題を解決する力を育てることができます。
・人と人とのつながりの感動を生み出すことができます。


その具体的な実践例を実際に体験しながら学ぶことができました。

リアルな学びを!

本日、浦生研(浦安生活指導研究協議会)大会。

今回は若い人たちに特化した学習会を企画してみました。

詳しくはこちらです。

私は基調の最後にこう書きました。

実は、若い教師たちはすでに気がついています。

"偽りの教育サービス/偽りの研修/偽りの教師評価"

そしてこんな「偽り」をまとった体では、子どもたちはついてきてくれないことを。


今こそ、子どもたちの側に立った、リアルな学びが求められています。

今日一日が、 浦安の、千葉県の、そして日本の教育が「偽り」から抜け出す第一歩になることを願いつつ、会場に向かいます。

浦安市の"学級"

浦安市には、どれだけの小中学校があるかご存知ですか?

浦安市の小学校の数は18校、中学校は8校、合計26校の小中学校があります。

さて、浦安市の小中学校26校には、特別支援学級も含めて、合計844の学級があります。つまり、844の子どもたちのドラマがあると言って良いと思います。

そうです。"学級"というのは、子どもたちが成長していく舞台であると思います。そして一方で、実は大人(保護者)にとっても、大人同士のつながりを持つ大切な場となることを忘れてはなりません。

地域ではなかなか横のつながりが持てない時代・社会になってしまいました。しかし、子どもが同じ"学級"にいるということは、子育ての共通の話題や課題、そして悩みをもった保護者同士の共同の場となることを忘れてはなりません。

そういった意味で、"学級"というのは、新しい価値(子育て共同の手がかり)を生み出す可能性があると言っても良いと思います。

その可能性が、浦安市には、844もあるということですね。

こんな状況でさらに英語?

小学校で英語が必修になります。

小学校教育で英語を指導することについてはまだ意見が割れていて、国民の合意を得るまで十分論議がされないまま導入されました。

さらに今度はその英語の指導を学級担任がやれという……。(おそらく専門の教師を雇用するお金がないというのが本音)

「それは無理だ」というと、教師の質が低いだの、やる気がないだの、どうせ組合がイデオロギー的に反対しているんだろ…、だの、まったく的外れな批判がわきあがるばかり。

それに対応するのが最近は面倒なので、黙っていようと思ったのですが、やはりこのブログは現場の悲鳴を代弁しなければならないと思っているので書くことにしました。

なぜ書くことにしたかというと、今度は、担任ができないのなら、研修を増やすべきだという声が当たり前の声のようにわきあがってきたからです。我々からすれば、いつやるんだ?ということです。

教師が、精神的な疾患が広がるほど多忙化しているのは文科省も認めているはず。その上にさらに研修を増やすことについてなぜ当の文科省が疑問を持たないのか?

どうしても英語を必修化するならば、専門の教師を各学校に複数配置するしかないでしょう。どうしても必修化するならばですが。

話を最後まで聞く

14日夜から15日早朝にかけて関東地方は雪でした。早朝の雪かきをしながら、手伝ってくれた6年生と話をしました。昨年度担任した子です。

進学先やら、バレンタインデーの翌日ということもあり、誰と誰がつきあったという話だの……。

今の子どもたちは、話を聞いてくれる大人ってあまりいないような気がするのです。子どもたちの話を「ふ~ん」「へ~」と、話を聞くことって、大人にとって大切なことであるはずなのに、ついつい最後まで聞かずに、それはダメだ、とか、それは間違っているとか、否定したり注意したりしてしまう……。

間違っていても、注意をしたくなる話でも、まずは最後まで、「ふ~ん」「へ~」と聞いてあげることが大切なんだと、昨日はあらためて感じた次第です。

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塩崎義明(しおちゃんマン)の『公式メインブログ』です。教育問題について語ります。⇒ 管理画面

37年間千葉県の小学校で学級担任として勤務。退職後2つの大学で非常勤講師。生活指導・進路生徒指導、特別活動、発達障害と学級づくり等の講義を担当。2月、3月には小学校現場にも臨時講師として勤務。全国生活指導研究協議会常任委員。著書『教師と子どものための働き方改革』『学校珍百景』 他。黒猫大好き。

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ヨシムネ&ねね

しおちゃんマンの飼い猫、黒猫ヨシムネと ねね

ヨシムネ
ヨシムネ ♂
2005年8月生まれ。2006年8月に動物病院からしおちゃんマン家にやってきた。

ねね
ねね ♀
2008年6月生まれ。教え子(当時小6)達が公園で保護。2008年6月よりしおちゃんマン家の家族に。2017年7月28日逝去。

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