学力向上、学力向上と最近またうるさくなってきました。
期待している「学力」とはいったいなんなのかを何も明らかにせずに、希望する地域・学校だけで行われる学力テストの結果だけを参考にして、うちの学校は学力が高いだの低いだのを言っています。どうやら学力向上というのは、他の地域や学校よりも学力テストの点数を高くとることらしいです。
百歩譲って、学力テストで点数をとることを「学力」だとしましょう。
だとしたら、地域や学校によってこんなに大きく格差があるのはなぜなのでしょうか?そのことについて誰も詳しく触れていません。教師の質や力量の問題ではありません。多少あるかもしれませんが教師は数年で異動してします。教師の質以外に地域によって「学力」に差がつく原因があるのです。
塾に行く余裕があるかないか?これも違います。なぜなら、塾内部でも格差が大きくなってきていて、塾に行けば「学力」がつくという状況ではなくなってきています。
ではいったい、学力に地域・学校間格差がつくのはなぜなのでしょうか?
たとえば、漢字の練習を一行書いてすぐにあきてしまう子と、数行終わるまでずっと集中が続く子がいます。この集中力の差は、漢字を覚える量の差となって表れてしまいます。
また、六個のおはじきを、二個ずつ分けられる子と分けられない子がいます。このスタート時点での差は、ずっと後まで引きずり、その差はどんどん大きくなっていく……。
つまり、集中力がある・ない、物を分けられる・分けられないといったスタート時点での差はどうして生まれるのか……、それも個別ではなく地域ごとに差が出てくるのはなぜか……、さらには、その差がどんどん大きくなってしまうのはなぜなのか……。
実は私なりの答えは出しているのですが、推測の域を超えないので、ここでは書きません。
それよりも、実は「学力」というのは陸上でいえば短距離走で、そもそも短い期間で差が出ることが前提なのではないか?ということをここではとりあげておきたいと思います。そして長い人生の中で、つまり長距離走では、いくらでも人生の逆転ができるということだと思っています。