本校には初任者が2人います。その2人が一昨日体育の授業を公開・展開しました。最近の初任の先生は、研修研修で本当に大変です。一昨日のように、指導教官や自校の職員の前で何度も授業を公開して指導を受けなければなりません。
初任の頃は授業が未熟なのは当たり前。しかしその分、子どもたちに全力で、まっすぐにぶつかっていく良さがあったはず。ところがその良さは今の研修制度の中、否定され、生かされなくなってしまいました。
さて一昨日の授業は、2年生がボール投げ、3年生が跳び箱の台上前転でした。
ここ数年の初任者のみなさんの授業を見ていて感じることは、
1.専門的・科学的な研究が弱い。
・たとえば一昨日の授業の場合、ボールを上手に投げるためにはどうしたら良いか、跳び箱の上で前転ができるようになるためにはどうしたら良いのかの研究が弱いように思いました。ボールを上手に投げるためには、投げない方の腕や足でどうバランスをとったり、勢いをつけたりするのかが大切なはず。台上前転は、両足踏切をいかにタイミングよくできるかが大切なはず。そしてそれらの指導の筋道があるはずです。
2.授業全体のイメージがない。ゆえに組織化されていない。
・授業のめあてを達成させるために子どもたちがどう動き、最後にはこうなる、といった授業のイメージが持てないでいる。ゆえに、そのための子どもたちを組織し、活動方針をたてることができないでいる。
3.そして何よりも、若いという良さが生かされた子どもとの関係が生かされていない。
・若い時は、子どもたちが先生を助けてくれている、子どもたちがフォローしてくれるあったかい雰囲気が授業に生まれる、というのは今はもうなくなってしまったのでしょうか?(ちなみに今回の2人にはありました!)
以上は、初任の先生たちのせいではありません。
ただいたずらに多忙化だけを推進する初任者研修制度の責任です。このままでは、若い人たちは、育てるどころかつぶれてしまいます。