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この時期の子ども集団

高学年以上の子ども集団でイメージしてください。

この時期、子どもたちの "関係" が決まってきます。

具体的には、「あの子はああいう感じだからこういうふうに接しよう」とか、「あの子は私と気が合いそうだから、仲良くしたいな」とか、逆に「ちょっとあの子とはつきあいにくいので、このくらいの距離はとっておいた方がいいかな」とか、子どもたちなりにわかってくるということ。

ただし、子どもなので、それを自覚的に感じるのではなくて、無自覚で感じて、行為行動・言動に表れてくるということです。

一方、こういった力関係が自覚できてしまう子もいます。そういった子は自分のキャラをたてるようになります。(女子にこういった傾向が強いです。)

つまり、本当の自分と、もう一人の自分を使い分けるということ。その中で、そういったキャラだてに疲れてしまう子や、逆に、キャラだてそのものに生きがいを感じたり、自らを縛ったりする子も出てきます。

大人でもそうですが、コミュニケーションをとる時に、本音で話ができるのはほんの一部です。その他には、もう一人の自分で話したり、様々なマスクをしてコミュニケーションをとるわけですが、けっしてそれは(マスクをつけることは)悪いことではないです。

それは、その中には、大切な気遣いや、前向きな見通しが含まれていることがあるからです。つまり、本音で語り合うことが必ずしも正しいわけではないということ。

子どもたちにも、今の時代に合ったコミュニケーションのあり方を一緒になって考えていきたいものです。

子どもたちのストレス

人間にとってある程度のストレスは必要だと言います。

ただ、イライラしたり、やけになったり、誰かを困らせてやろうと思ったり、自分のせいでまわりが騒ぎになるのをおもしろく感じたりというような行為行動・言動につながるストレスはマズイと思うわけです。

ただ、日本の多くの子どもたちは、こういった「悪玉ストレス」(しおちゃんマン造語)を抱えているようです。

原因は学校にあったり、家庭にあったり、両方であったり、他にもあったりで様々ですが、学校はそういった子どもたちのストレスに対応していないばかりか、それを増幅させる装置としてはたらいている疑いがあります。

にもかかわらず、ストレスからくる子どもたちの行為行動・言動について、子どもが悪い、家庭が悪いと、責任を押し付けていて、一緒に考えましょう!といったスタンスに、私も含めてなかなかたてないています。

こういった状況を打破するためにはどうしたらいいのか、教員生活あと5年の大きなテーマにしていこうかと思っています。

子どもたちが平和的に生きる権利

子どもたちが平和的に生きる権利を学校が奪っている…、という見方をした時に、様々な教育問題が解けていくような気がする。

たとえば、学級崩壊の問題は教師と子どもたちとの関係の崩壊であるが、子どもたちの意見表明権を封じ、何かあるたびに子どもたちの責任にしたり、加害者扱いをしたり、犯人探しをしたりする中で起きてきていないか?ということ。

いじめの問題にしても、子どもたちを保護し、一方でトラブル解決能力を育てる指導を怠っていないか?ということ。いや、それができるための教師の仕事環境やシステムが確立されていない。

学力向上の問題も、子どもたちの学力を保障する環境ができていないのでは?ということ。たとえば、学級定数の問題。

子どもたちの過度なストレスに対応できていないことも問題。

エトセトラ。

子どもたちが平和的に生きる権利について、もう少し整理してみよう。

家族のカタチ

家族のカタチは多様であっていいし、その多様さを尊重しなければなりません。

大切なことは、どのようなカタチであっても、その家族や地域によって、子どもが保護され、子どもの権利が保障されているかだと思います。

ちなみに「地域」というのは、学校も含まれているのですが、えてしてこの学校が、子どもたちの権利を奪っていることが多いことに注意をはらわなければなりません。

話を戻します。

家族のカタチは多様であっていいと思うのですが、この多様さをなかなか認めようとしないのが日本の学校であり、教師であるようか気がします。

家族のカタチに「標準」を設けて、その標準にそっていないと、愛情不足だのなんだのと言い始める。それが私も含めた日本の教師のいけないところであり、そういった見方の修正をしなければ、地域での共同的な子育て・教育は進まないと思います。

何度裏切られても…

子どもって、そもそも親との約束を守れないものなんです。

いや、最初から破るつもりではないんです。

こんどこそ、がんばろうと思う事は思うのですが、それがなかなか出来ないのが子どもでして…、いや、すぐにできるなら、そんな失敗はしないということで。

親はそんな時、裏切られたと感じてしまうものです。「裏切る」なんて言葉を使うなんてひどいなと思いつつ、やはり、裏切られたと表現するしかない感情がわいてくるものなんです。

でも、逆に考えれば、何度も何度も裏切られても、それでも子どものことを信じることができるのは親だけなのです。特権と言ってもいいと思います。

だから、何度でも裏切られましょう。

そして、何度でも信じてあげようではありませんか。

地域の空気や風

家庭訪問が続いています。

マンション群の地域なので、そんなに遠くまで出かけなくて良いのですが、それでも初めての土地なので、いろいろ戸惑うことばかりです。

しかし、途中出会った他学年の子どもたちが道を教えてくれたり、「あっ!しおちゃんマンだ!!」と、早くもニックネームで呼んでくれたりで、感謝感動感激です。

おかげさまで、子どもたちが生活している風景や空気、そして受けている「風」を感じることができています。うまく表現することができないのですが、まさに空気と風なんです。それを感じることで、子どもたちへの共感的イメージがふくらむのです。

今日と明日で家庭訪問は全て終わり。

実践は、2段目のロケットで加速していくことになります。

仕事の軽重を決めるのは思想性です

この仕事は重く、この仕事は軽く、といったチョイスは、結局はその教師の思想性(考え方)の問題です。

こんな仕事を教師にさせるのはおかしいじゃないか!この仕事は子どもにとって逆にマイナスなのでは?といった考え方が、仕事の軽重を見極めることになるのです。

しかし、その判断は、職員集団が納得できるものでなければなりません。個々で判断していると、文句ばかり言って何もしないといった批判を受けたり、職員間がぎくしゃくしたりして、子どもたちにとってけっして良い結果にならない場合があるからです。

私の場合、こんな仕事はおかしいと思う仕事は、まわりに迷惑をかけない程度に、軽く済ませてしまうことにしています。そして、"こんな仕事はおかしい" と、常に呼びかけることにしています。

ただ、それでも、まわりからの批判を覚悟で、個人で闘わなければならないこともあります。それがどんなことなのかも、それこそその教師の思想性の問題だと思うわけです。

仕事の軽重を見極める訓練

仕事の軽重を見極めることができるようになるためには……。

(1) 付箋にやらなければならない仕事項目を書く。ひと仕事一枚とする。

(2) 優先順位をつけて並べる。

(3) 優先順位が高いものから順に仕事を進めていく。

そうすると、優先順位が低い仕事は、いつまでたっても、手つかずになる仕事が出てきます。つまり、その仕事こそ、40〜60%の完成度で完了として良い仕事なのです。

ここで問題になるのが、優先順位はどうやって決めるかということ。

はい、それを考えることも仕事に軽重をつけることの訓練になります。

私の場合は、好きなこと、じっくりやりたいことを後に残すクセがあります。好きな食べ物間は後から食べる派です。その仕事をやりたいから、簡単に済ませてしまえる仕事を先にちゃちゃっとやってしまうことがあります。

それこそ個性なので、各自でいろいろ考えてみましょう。

子どもとの時間をつくるために(1)

子どもとの時間がほしい、自身が学ぶ時間がほしいといった、悲鳴に近い現場の教師たちの声をききました。実は私自身も同じ。

それでも日刊通信を書いたり、研究会に出かけたり、毎日ブログを更新したりといった時間はどうやってつくっているのか?ということ。

いくつか答えはあるのですが、今回はそのうちの一つ目。

それは、仕事には、100%の力をかけなくてもよい仕事があるということ。60%程度の完成度であればよい仕事があり、私から見ると、学校の雑務は、ほとんどがこれ。

逆に同じ学校の仕事でも、150%仕上げなくてはならないものもあるということ。

この軽重の見極めが出来ることが大切。

みんながみんな、100%やろうとすると到底無理。結果的に、どれも40%……、ということも出てきてしまいます。

次回は、この軽重を見極めることができるためにはどうするのか?ということ。

運動会は春か秋か

市内の多くの小学校で、来週や再来週に運動会があります。

しかし本校では秋(9月)です。久しぶりに秋に運動会を行う学校に赴任しました。でもその時期には(9月〜10月には)、修学旅行や小中音楽会が続けて行われるので、教師にとって地獄のような忙しさになることが予想されます。市内の多くの学校が運動会を春にもってきたのはそれが大きな理由です。

私が若い頃には、春と秋と2回運動会をやっていました。1回になっても、運動会の名前が「大運動会」になっているのは、もう一つ「小運動会」があったという名残です。

今は2回行うなどと言うのは、まったく現実的ではありません。それほど現場は変わってしまった……。学力向上主義・授業確保主義、そして、行事軽視主義になってしまった。

運動会は、風物詩としては秋だと思います。学校現場の異常な多忙化は、そういった日本の文化も崩してしまったということなのかもしれません。

気遣いと気働きとパワハラと

学校現場には、「成果や見栄え、そして指導方法については、足並みをそろえなければならない」という思い込みがあるような気がします。それがチームワークであり、そのために過剰な気遣いや気働きをするのが協同だと思っているふしもある。

また、気遣いや気働きは、他者に対してだけではなく "自分はまわりに合わせることができています" といったアピールするためにも発動しなければならないことの方が多いようです。そうでないと、「できない教師」「残念な人」といった烙印を陰で押される恐怖があるし、弱い立場の職員に対してパワハラ問題が広がってきていることも事実でです。

最近また、職場の異常な多忙化が広がっていますが、それは仕事量や提出物が増えたということだけでなく、こういった「気遣い・気働き」のための多忙化、といった面があることにも注意をはらいたいものです。

三つの思い込み

学校現場には、三つの思い込みがあるような気がする。

一つは、足並みをそろえ、周りへの気遣いと、仕事の先を読んだ気働きが大切であるという思い込みである。周りへの気遣いは確かに大切である。しかしそれが、教師個々の個性を殺したり、アイデアや工夫を押さえるものとして働いてはいけない。形だけのチームワークは、「やらないこと・ふれないこと」で足並みをそろえることになりがちなので注意。
 
二つ目が、上からの理不尽な要求や指示に対しては、異議申し立てをせず、我慢することがいさぎよい、という思い込みである。上からだけではない。担当の同僚からの提案についても、大変な中準備してくれた提案なんだから意見を言っては失礼だとい雰囲気が広がる学校が多い。意見交換のない集団の質が落ちていくのは当たり前である。また、そういった集団は、職員個々の悩みや苦悩についても無関心である。

三つ目が、子どもたちに対しては、ダメなことはダメといった毅然とした態度が大切であるといった思い込みである。一見、どうしていけないの?と思うかもしれない。しかし、教育・指導というのは、子どもたちの行為行動の背景や事情を考えることからスタートするべき。毅然とした態度は必要だが、その背景や事情も考えずに、ダメなものはダメと切り捨てるのは指導ではない。

現場の人間関係維持やトラブル?回避願望が、教育の質を落としているのではないかと心配している。

正義を振りかざすことは指導ではありません

「正義」は正しいことなのだと思います。

しかし、その「正義」を振りかざして、子どもたちに押し付けることが指導ではありません。

子どもたちはまだ未熟です。正義的に生きられないのが子どもです。

そんな正義的に生きられない子どもたちを否定的に見て、"ダメ"の烙印を押すことが評価ではありません。

また、子どもたちに「正義」が伝わらないことを子どもたちのせいにしてはいけません。

子どもたちのせいにする前に、その「正義」が本当に子どもたちにとって「正義」であるのか、検討していく必要があるのです。

そういった意味で、"正義" は子どもたちの中で検討され、生みだされるのだと思います。それを導いていくのが "指導" だと思います。

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塩崎義明(しおちゃんマン)の『公式メインブログ』です。教育問題について語ります。⇒ 管理画面

雑誌『生活指導』(高文研)編集長/全国生活指導研究協議会常任委員/最新著書『教師と子どものための働き方改革』(学事出版)/小学校で37年間学級担任として勤務/現在某私立大学文学部教育学科特任教授/iPhone12 Pro/Surface Laptop3/黒猫大好き/手相は両手とも「ますかけ」。

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ヨシムネ&ねね

しおちゃんマンの飼い猫、黒猫ヨシムネと ねね

ヨシムネ
ヨシムネ ♂
2005年8月生まれ。2006年8月に動物病院からしおちゃんマン家にやってきた。

ねね
ねね ♀
2008年6月生まれ。教え子(当時小6)達が公園で保護。2008年6月よりしおちゃんマン家の家族に。2017年7月28日逝去。

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