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できないこともわかり合えること

教師は、子どもをたくさんホメろだの、いつも笑顔でいろだのと、いろいろウルサイ。

私たちは人と人との関係の中で子どもたちを育てているわけです。だからこそ "笑顔でいられない時もある" という、教師と子ども、お互いの「わかりあい」が大切ではないでしょうか。

教師は、いつも笑顔も大切だとは思いますが、もっともっといろいろな感情や表情を子どもたちに見せることにも臆病であってはならないと思うわけです。

それが信頼関係ができる大切な一歩だと思います。

私たちは、形だけの笑顔で、形だけの「良い子」を製造しているわけではないはずです。

成績を見合う習慣がない

たとえば、学年内で子どもたちの成績(通知票)を見合い、確認し合うことをなんと呼んでいますか?という質問をされて、私の地域では、そういった習慣がないことに気がつきました。

やっている地域では、「読み合い」「互審会」等々の名前があるそうです。またそこには、「誤記入防止チェックシート」というものがある学校もあるようです。

ちなみに、学年内で確認し合う習慣がない私の地域では、下書き(補助簿)の段階で、教務⇒教頭⇒校長の順でチェックして、OKがもらえたら、清書の印刷をする、といった流れです。

そろそろそういった話題が出てくる時期。

考えたくないけど、向き合わなければならない学期末がやってきます。

きちんとさせようとすればするほど

クラスをきちんとさせようとすればするほど子どもたちとすれちがっていく。

説教が多くなり、その説教が子どもたちに伝わらないと、またその伝わらないことについての説教が始まってしまう。授業は遅れ、さらに教師のストレスはたまり……。

きちんとした学級って、どういう学級なんだろう?

だまーって、教師の話を聞いている教室だろうか?教師の指示に対して、何の疑問も意見も持つことなく、その指示に従うだけの教室なのだろうか?

黙らせるだけ黙らせといて、自分の意見を出し合って活発に話し合いなさい!では子どもたちにとってあまりに理不尽でないだろうか?

しかし、そんな理不尽を子どもたちに押し付ける教師を一概に責めることはできない。その背景には、その教師をそうさせている何かの力が働いているからである。

その力に気づかない人は、できない子どもたちを責め、させることができない教師を責めるだけであろう。

闘わなければならないのは、背中にいる、なんらかの力である。

トルコで…、ブラジルで

オリンピック招致を進めているトルコ、そしてオリンピック・ワールドカップをひかえたブラジルで、反政府デモが広がっています。

国をあげての取り組みに対して、そうではなく国民の生活を向上させてほしいと願う人々の抗議デモであると言えます。

国のための国民か、それとも、国民のための国なのかが、世界レベルで問われています。

そんな中、「国のための国民であれ」といったスタンスの自民党憲法改正草案が準備されています。

すでに教育基本法は、「国のための国民づくり」に舵を取ってしまっています。

その時の首相も安倍首相であったことを忘れてはいけません。

よくならねーな…

糖尿病の血糖値の検査。毎月毎月たくさん血をとられて検査が続いている。でも、さっぱりよくならない。

暴飲暴食をしているつもりはない。運動も適度にしているつもり。でも、血糖値は下がらないし、体重も減らない。さらに最近は血圧も上がってきている。医者には血圧測定器を購入するように言われている。心筋梗塞経験者は、特に朝の血圧が大切とのこと。もっともっとストイックに節制しなければならないのだと思う。しかしその気持ちの余裕がない。

そうか。がんばるためには、時間と気持ちの余裕が必要なのである。

子どもたちを時間的にも内容的にも次々と追いつめておいて、がんばれ、がんばれはないのだと思う。子どもたちも、がんばるためには時間と気持ちの余裕が必要なのである。それがあって、"さてもうひとふんばりしてみるか…"、そんな気持ちになれるのではないだろうか。

現場の共同力

\( 起 )/
授業の善し悪しを教師個々の評価に結びつけようと言う動きがあります。しかし残念ながらこういったことを言う人は、授業とはなんなのかがまったくわかっていないと言わざるを得ません。

\( 承 )/
同じ授業者・指導案でも、子どもたちが変わればまったく別な授業になる場合もあるし、学年の教師集団によって同じ授業ができない(反対される・遠慮する)場合もあります。(そうであってはいけないとは思うのですがそういったこともあるという意味で)。つまり授業というのは生き物であるし共同的なものなのです。

\( 転 )/
したがって、評価されるのは "授業" そのものであって、"教師個々" ではないということ。そして授業評価においても、その背景にある子どもたちのこと、学校運営や指導体制にまで言及されなければならないということ。

\( 結 )/
教師の質を上げるためには、上からの評価ではなく、私たち自身がそれを問い直し、見通しをもって向上させていくことだと思います。それを私は『現場の共同力』と呼びたいと思います。

外遊び?

子どもたちは長い休み時間が大好きです。ただ、何をして遊んでいるのかを観察してみたら、ほとんどがボール遊びと、鬼ごっこです。ゆえに、ボール遊びが苦手な子と、走るのが好きでない子はなかなか外に出て行かないことになります。

昔の外遊びは、もっといろいろなことをしていたような気がします。ただ、なぜか記憶がない。

昔の学校と決定的に違うのは、遊具の種類です。ブランコをはじめ、もっと色々な遊具がありました。そしてそれらの遊具は、いい意味で「危険」でした。だから、そのハラハラドキドキ感が子どもたちの興味関心を高めました。しかしそういった遊具は、安全と責任の問題で、次々と無くなっていきました。

週に1回、クラス遊びを企画している学級がよくあります。しかしその内容を考えるのに苦労しているようです。結局、ドロケイやドッジボールになってしまうことが多いと聞いています。また、他の遊びを考えだしても、一年間、毎週○曜日はクラス遊びと決めてしまうと、ネタがきれてしまいます。また、担当する児童も、他から内容について文句を言われるのが嫌でなかなかやりたがらなくなります。

ちなみに私は、全員参加の「クラス遊び」(または班あそび)というのをやったことがありません。遊びは子どもたちの自由なはずだという思いがあるからです。ただ、決める過程に指導の価値を見いだすのであれば、そして、子どもたちからの要望が強ければ、一ヶ月に1回くらいはやってみようかなと思っています。

脳ドック

共済組合から、脳ドックの案内がきました。年齢指定のようです。

心筋梗塞の経験者です。さらには、高血圧、糖尿病、肥満…、危険因子たっぷりなしおちゃんマンです。これは受けなければならないと思いつつ、たくさんの病巣が見つかった場合の面倒臭さというか、その病気に関わっていくことのしんどさを考えると、気づかないで自然にまかせてしまった方が効率的ではないかと思ったりしてしまいます。

さてさて、どうしようかな……。


一人で悩まない?

「一人で悩まないで」などと、したり顔で言っている人を見ると腹が立ちます。実はかつては私もそうでした。

「一人で悩まないで」が、ポスターなんかになっていたら、はがしたくなります。一人で悩まなければならなくしたのはあなたたちでしょ、と言いたい!

だれにも相談できないから一人で悩んでいるわけで、相談できない環境にしてしまったことについての反省もなく、「一人で悩まないで」はないでしょ、ということです。

逆に、大いに悩んでみましょう!とか、悩みグランプリを開いて、悩み比べをするとかして、悩むことそのものの方向を変えてみたらどうでしょうか?悩むことはけっして悪いことではないことをアピールしてみるべきではないかと最近思うのです。

あなたが抱えていることは、けっしていけないことでも、恥ずかしいことでもないこと、逆に次へのステップの大きなエネルギーに変換できることをアピールしたいです。

どんな個性でも尊重されるはず

「一人ひとりの子どもたちを大切に」などと言っているくせに、今の日本の学校はけっして、子どもたち一人ひとりの個性が尊重されているとは言えないのではないか?

子どもたちの行動をがんじがらめに縛り、それに適応できない子や、適応しようとしない子は、支援が必要だの、課題のある子だのとレッテルを貼る。

生活は上が決めた通りに、他者と違うことなく横並びに生活する子が良い子であるとし、一方で、自己負担による学力競争を強いる学校現場。

個性が尊重されない子どもたちは、当然、家族内で、教室内で、そして地域でトラブルを繰り返すことになる。大人たちは、トラブルの原因をつくっているのが自分たちであるにも関わらず、それを子どもたち自身の「問題」、保護者の「問題」、そして学校の「問題」であると、責任を押し付け合っている。

この悪循環を断ち切るためにはどうしたら良いのか……。

簡単なことだ。耳をすませて、子どもたちの声を聞いてみようではないか。大人が気に入らない行動をとりつづけるのであれば、その事情を聞く耳を持とうではないか。

近頃の子どもたちは…、と批判する前に、私たち大人はまず自分たちの襟を正そうではありませんか。

カメ物語

クラス(6年生)の2人の男の子が、道ばたでカメを拾ってきました。放課後そのカメを持ってきて、"教室で飼っていいか?" と聞くので、"いいよ"、と答えました。

ちょっと大きめな水槽をさがしてきて、石を入れて、エサをやって……。翌日クラスの子どもたちに紹介したのですが、何人かの子から「逃がすべきだ」「かわいそうだ」という声があがりました。

DSC_0246.jpg
(写真はまだ小さな水槽に入っている時)

安易にOKを出してしまったことを反省しつつ、"今更逃がすわけにはいかないだろ…"、と言ったのですが、なかなか聞き入れてくれません。

そこで、かめに詳しいとなりのクラスの講師の先生に来てもらって、どうしたらいいのかの意見を述べてもらいました。その先生曰く、
「確かに自然に返すのは理想ですが、何も学ばないで捨てると生態系が変わることもあるし、何よりも無責任であると思ういます。このカメにとって一番いいのは元の飼い主に戻ることかもしれません、しかし、今の環境もカメにとっては悪いとは思えません。」
ということでした。

そこで、とりあえず飼い主が見つかるまで教室で飼うことにしました。そして、飼い主を見つけるために駅前や拾った場所の近くにポスターを貼ろうという子も何人か出てきました。

するとカメを拾った2日後、なんと飼い主さんから学校に電話がきたのです。すぐに引き取りたいと言ってきたのですが、月曜日に子どもたちとお別れをしてからにしてほしいとお願いしました。

そして月曜日、カメは無事飼い主さんのところに帰っていきました。

漢字を使うということ

先日、20問漢字予告テストで全員合格(90点以上)を達成しました。そのために、漢字のグループ学習をとりいれてみました。それはそれとして……。

子どもたちは、漢字を覚えることはできても、なかなか利用してくれません。日記や作文には、「漢字で書きなさい」といった赤ペンのメッセージが増えることになります。

日本語に漢字を利用することの意味を教えるのはなかなか難しいです。子どもたちにとっては面倒臭さが先に立つからです。

日本語にもし漢字がなかったらどうでしょうか。実は日本語には、同音異義語が多い言語のようなのです。従って、ひらがなだけでは意味が伝わらないことが多いです。

また、ひらがなは、表音文字(音で表す文字)なので、ひらがなだけで書くと、アクセントや、言葉と言葉の間をうまく表現できないのです。

「にわにはにわ」には、

庭には2羽
庭に埴輪

の二つの意味が出てきてしまうわけです。

つまり、漢字は、読み手が読みやすいように、意味が読み取れるようにといった、読み手に対しての思いやりの文字だと言えるのかもしれません。

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ヨシムネ&ねね

しおちゃんマンの飼い猫、黒猫ヨシムネと ねね

ヨシムネ
ヨシムネ ♂
2005年8月生まれ。2006年8月に動物病院からしおちゃんマン家にやってきた。

ねね
ねね ♀
2008年6月生まれ。教え子(当時小6)達が公園で保護。2008年6月よりしおちゃんマン家の家族に。2017年7月28日逝去。

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