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明日:センたまNET☆「秋の学習会」

明日、センたまNET☆「秋の学習会」です。

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とき:9月1日(日)13:30〜16:00
ところ:豊島区民センター第1会議室(池袋東口徒歩5分)
しゅさい:全教青年部
さんかひ:無料
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このブログの左サイドバーで紹介している4冊の本を、当日に限り安く購入できるようにします。

また、内容については、以下のように考えています。若い人たちのみなさんには、気軽に立ち寄っていただければと思っています。

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1.現場からのメッセージ

2.授業あそびのミニミニワークショップ
読めなくてもいい漢字クイズ大会/国の動物クイズ/早押し!それっぽい国/ゆるキャラの故郷/川柳ゲーム/道徳:女子問題を考える 他

3.しおちゃんマンと、トークトークトーク!
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学校珍百景:席替えはいらない?

(未完原稿)

●席替え

 子どもたちは「席替え」が大好きです。
「席替えをすると、教室の風景が変わる感じがする」
といった名言をはいた子もいました。
 子どもたちにとって席替えは、とても刺激的な一大行事なのかもしれません。
 席替えの方法は、担任が決める場合、くじ引きで決める場合、子どもたちで話し合って決める場合と、様々ですが……、さてこの席替え、本当に必要なのでしょうか?いや、席を変えることに疑問を持っているのではなく、時々席を変えることの意味について、もう一度考え直してみたいと思ったわけです。

●机の隊形

 席替えについて考えてみる前に、今日本の教室は、どんな机の隊形になっているのかについて考えてみたいと思います。

[二人組前向き型]……一般的な形だと思います。二人組は男女で座る場合が多いです。また、この応用編として、三人組前向き型というのもあります。

[コの字型]……全体を手前を開けた「コの字」型にして座る形。子どもたちは、仲間の顔が見えるので、話し合いに適していると言われています。

[グループ型]……いわゆる給食を食べるときの座り方。この形で授業も受けるというもの。

 ちなみに私の学級は[グループ型]です。この形をベースにしながら、時々、前向き型や、コの字型になったのりします。また、席を決めるというよりも「グループ」(班)を決めることがそのまま席になるので、「席替え」とは呼ばず、「班替え」と呼んでいます。

●席替えの意味をもっと広く考えると……

 さて、日本の教師は、どんな意識で席替えをしているのでしょうか?
 おそらく多くの教師は、「子どもたちの人間関係を広げる」という意義と目的を持って、この席替えをしているのではないでしょうか? 特に今の子どもたちは、仲間とコミュニケーションをとることが苦手です。大人が背中を押してあげないと、なかなか仲間関係が広がらないのです。席替えがその背中を押すことにひと役かうことになることは事実だと思います。
 また「ウルサクならないように」といった目的を持っている教師もいるようです。そのために、 "仲の良い関係の子は遠くに座らせる。絶対に隣に座らせない" 、といった方法にこだわっている教師も少なくありません。気持ちはわかりますが、個人的には、こういった考え方には賛成できません。なぜなら、教室の「座席」というのは、子どもたちにとって「居場所としての空間」という意味もあるからです。、
 「居場所」というのは、 "安心できる場所" であり、 "必要とされている場所" です。そのために、仲の良い友達がそばにいることは必要な条件です。授業中の私語が多いという課題については、別に考えるべきだと思います。

●こんな教室がいいな

 座席について、ここで過激な問題提起を二つしてみましょう。
 一つは、子どもたちにとって「座席」というのは固定する必要があるのか(固定する必要はないのではないか?)ということです。日によって自分の意志で座る場所は決めても問題はないのではないか?ということです。
 私は、学期末の一週間は、そのようにしています。子どもたちはこれを「自由席」と呼んでいます。その時期、座席によって自動的に分担されている当番や清掃場所、係活動については、座席や班とは別に組んでいます。なんの問題もありません。これを学期末だけでなく、普段も実践してもよいのではないか?という提起です。
 二つ目は、授業の目的や、子どもたちの意志によって、授業中座席を移動してもよいのではないか?ということ。
 実はこれは一部の教科で多くの教師が無意識にやっています。たとえば絵画指導。スケッチをするのに、自分の描きやすい場所に移動したり、時には外に行く場合だってあります。これを国語や算数でもあってもいいということです。
 私は算数の時に、席を移動して、教えあったり、答合わせをしたり、グループごとに違うテーマをもって学習したりする場面を意図的につくっています。
 このように、教室の座席というのは、 "生活する意味での座席" そして、 "授業を受ける権利・学びとしての座席" の両面から考える必要があるのではないかと思うわけです。

学校珍百景、原稿順調

来年の2月の発行を目指している「学校珍百景」。このブログでも、予告編として時々原稿を流しています。

この本は、私だけでなく、若い人たちにも原稿をお願いして、幅広い世代から学校というものを、楽しみながらとらえなおしたいと思っています。

つまり、日本の学校の「あれっ?」と思うことをとりあげて、その、"そもそもの意味" を考えたり、「もしかしたらいらないのではないか?」とつっこみをいれる本です。そのことによって、真に子どもたちのための学校、子どもたちが主人公の学校のイメージを発見していきたいと思っています。

50本の原稿を集める予定ですが、原稿の集まりは、まあまあというところ。現在20本ほどです。

若い人たちにはぜひがんばってもらいたいです。そして、書くことによって、教育現場を相対化し、子どもたちの目線に立った教育実践をたくさん提起してほしいと思っています。

子どもと同じ風景を見てみたい

この夏休みで学んだこと

もっともっと子どもたちの話を聞いて

もっともっと子どもたちの生きづらさに参加して

子どもたちと同じ風景を見てみること

大人の事情や、勝手な正義・正論を振りかざして

子どもたちの前に立ちはだかるのはもうよそう

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でも実は……、生きづらいのは教師も同じ

子どもたちのストーリーに参加しようとしても

強引にその足を反対側に向けられて

それを横で見ていた自分も、自分から向きを変え、

そんな弱い自分にあきれはてて

そんな自分を責めるしかなくて

でも…、そんな弱い自分もさらけだし、

そんな弱い自分をたまには許してみたとき

同じ仲間がたくさんいることに気づくことがある

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そして、子どもたちと同じ風景を見ることができたとき、

きっとその風景の中に、

新しい自分が立っているのだと思う。

学校珍百景:歴代校長の写真

●校長室は恐い

 一年生が言います。
「校長室って恐いよね」
「どうして?」
「だって、死んだ人の写真がいっぱい飾ってあるんだもん」
 確かに、どの学校の校長室にも飾っている歴代校長の写真は、見ようによっては恐い写真に見えないこともありません。
 あのように、歴代の校長の写真を掲示する風習はいつから、どういう理由で始まったのか、調べてみたのですが、あらためてそれを論及したものは見つかりませんでした。
"どうしてあんなことをする風習があるんだろう?"
 学校の変質が、そんなところからも見えてくるかもしれないと思い、考えてみました。

●校長は地域の名士だった

 自分の写真が、その学校が存在する限り、ずっと校長室に飾られている……。
 日本の社会の中で、自分の写真が部屋に飾られる人ってどれくらいいるのでしょうか?
 おそらく、ほとんどの人はそんな経験はすることはないのではないでしょうか?
 それほど名誉なことであるし、まわりもそれだけの「職」であると認めていたからこそこの風習は続いているのだと思います。
 昔から「校長」は、学校だけでなく、地域の「名士」でもあったはずです。代々の写真が飾られていくのは、そういった意味があったのではないかと思われます。
 さて、今の学校現場ではどうでしょうか?
 写真が飾られるほど、「あの時の校長先生の学校」と、記憶に残るほど、その校長の個性が発揮され、独自の学校づくりができる立場にあるのでしょうか?
 答えは「否」。
 教育委員会からの指示を、いかに忠実に守って実行できるかが問われるだけの職になっていないでしょうか?そんな中で、「上には弱く下には強い」、まさに中間管理職としての立場の中で苦しんでいるのが「校長」という「職」のような気がします。失礼を承知で書けば、校長という職は、写真が飾られるほど名誉な職ではなくなってしまったということです。
 もちろん、そんな立場を超え、地域に根ざし、職員と一緒になって子どもたちのために汗をかく……。時には、教育委員会にももの申す……、そんな校長先生もいることも事実です。しかし、そんな人は確実に減っていますし、そんな人は校長にはなれない仕組みになっているのが今の教育行政です。

●地域の「学校」ではなくなってしまったこと

 学校は、国が決めた価値や基準を地域に降ろしていくことばかりの "装置" となり、国が降ろしたものをどれくらいできるかどうかで子どもたちが評価されていく……。そんな中、学区が自由化され、私立への受験も増えていき、地域の人たちや子どもたちの「地元学校離れ」が進んでいます。
 親と同じ小中学校に通っている家族も減り、いわゆる「オラが村の学校」ではなくなってしまいました。地域のものであったはずの学校が、国の「支配装置」になってしまいました。
 そんな中、教員は、子どもたちを取り締まる「スクールポリス」化され、校長はそれを管理する役になりました。地域の名士であった校長職は、国の中間管理職になってしまったのです。

●国の「支配装置」から「地域の学び舎」へ

 学校が、子どもたちを国の基準で評価し、取り締まろうとすればするほど、地域との関係は悪化していくでしょう。国の基準で評価するのであればそれだけのサービスを提供するべきであるといった保護者の要望はますます強くなり、理不尽な批判(あくまでも教職員の側から見た場合)がさらに強くなっていくことも考えられます。
 私たちは、国の「支配装置」としての学校を、「地域の学び舎」としての「学校」に再生していかなければなりません。
 そのためには、学校と地域の人たちとの関係を修復しつつ、地域内の関係をも再生し、その中での学校の役割を再発見していかなければなりません。
 校長にはぜひ、そんな学校再生の先頭にたってほしいものです。
 校長室の写真を眺めた時、「あの時の校長先生だ!」と誰もが思えるリーダーとして一緒になって汗を流してほしいと思っています。

身に覚えのない痣(あざ)

数日前から、両腕に、身に覚えのないアザが数カ所できているのに気づきました。最初は小さいものだったのですぐに消えると思っていたのですが、三カ所目のアザは、10cmm四方の大きなものになってしまったので、すぐに病院に行ってきました。

原因は二つ。一つは、高血圧による皮下出血。薬を増やさなければなりませんでした。

そして二つ目。実はこれが直接の原因らしいのですが、血液サラサラにする薬のせい。

心筋梗塞をやってから、8種類の薬を飲んでいるのですが、その中に、バイアスピリンというのがあるのですが、これが血の流れをよくする薬なのです。これが、普通はすぐに血がかたまって出血状態にならないようなことも、今回のように皮下出血を広げてしまうことにもなるらしいのです。この薬を飲むのを止められました。

しかし、2008年からずっと飲んでいるのにならないで、最近になってこのようなことになったのは、やはり高血圧のせいらしいです。最近、いろいろなことでストレスがかかることが多いです。夏休みだったのですが、振り返ってみると、子どもたちが来ている時よりも忙しい。もうちょっと自分の生活を振り返る必要があるようです。

でも、なかなかなあ……。

センたまNET☆「秋の学習会」(9/1)

千葉県・浦安市は、9月2日が2学期始業式。

夏休み最後の1日を若者他たちとすごしてみたいと思います。

センたまNET☆「秋の学習会」(9/1)

とき:9月1日(日)13:30〜16:00

ところ:豊島区民センター第1会議室(池袋東口徒歩5分)

しゅさい:全教青年部

さんかひ:無料

ないよう:簡単な授業あそびのワークショップのあと、『現場は実際どうなの?-先生って何を大切に授業をしているの?-』というテーマでトークをしていきたいと思っています。

参加費は無料だそうです。

どうぞ、お気軽にご参加下さい。

学力テスト、おかしくないか?

学力テストの点数を上げるために朝食を食べろといい、家の手伝いをしろと言う。おかしくないか?

学力テストの点数を上げるために、静かな集中力のある学級を目指せという。おかしくないか?

学力テストの点数を上げるために、読書をさせろと言う。おかしくないか?

学力テストの点数を上げるために、文字を早く書く訓練をさせろと言う。おかしくないか?

学力テストの点数が、都道府県対抗になってる。おかしくないか?

すべて、学力テストの点数を上げるために学校生活がおくられるべきだと、大真面目に言い聞かされる教師。おかしくないか?

やられたらやり返す…

(起)σ やられたらやり返す、倍返し、10倍返し、等々が流行っているようです。暴力を容認する保護者の方も多いです。しかも今までは暴力に対して暴力で、といった反撃の形だったのですが、最近では、"暴力でない不利益に対しても暴力で返して良い"、という価値観にも出会います。

(承)σ 暴力容認が広がったのは子どもたちや保護者の責任ではありません。"自分の身は自分で守れ!" "守り方については自己責任でいかなる方法をとってもよい"、といった社会の価値観や実際にそうするしかない状況……。

(転)σ 一方で、学校内での暴力事件について、大ごとにならないようにおさめようという風潮があります。これは大ごとになって、学校が責任を負いたくないという発想です。なんということでしょう…。私も含めて大いに反省です。

(結)σ 子どもたちによる暴力が広がっています。暴力は、いじめであろうがなんだろうが絶対に許さないといった学校の毅然とした態度が必要です。そして、起こしてしまった側の社会的責任のとり方についても、指導のテーマとは別に考えなければならない時代になってしまったのかもしれません。

都道府県と文化圏は一致するのか?

なんの根拠もありません。都道府県対抗で行われている高校野球を観ていて、ふと思ったことです。つまり、

「都道府県と文化圏は一致するのか?」

という疑問です。たとえば、麺類のスープが薄くなるのは、○○県からです、と都道府県で区切れるのか?ということでもあり、方言も、都道府県別に区切って良いのか?ということです。

昔千葉県の高校野球は、銚子商業が強かった時代があります。しかしこのチームのほとんどの子が茨城から来ている子だったそうです。これは今のような野球の越境入学ということではありません。単純に近かったからです。ということで、銚子商業は、茨城県の人たちが応援していたということ。しかし、だんだんとマスコミやらなんやらが、都道府県対抗をあおるものですから、そういったことがなくなっていきました。県民気質というのもあやしい。その地方圏、文化圏の気質というのが正しいのではないでしょうか?

考えてみたら、都道府県というのは、明治政府が、きっと上の都合の良いように区切ったのでしょうね。道州制という話もありますが、もう一度、なんのための行政区分なのか、あらためて考える時代なのかも知れません。

逆に子どもを追いつめているということ

全生研大会、授業づくりネットワーク帯広集会、組合教研と、3週連続の二泊三日の旅は、さすがのしおちゃんマンも少し疲れたかな?という感じです。おまけに、最後の名古屋からの新幹線ではずっと立ちっぱなしでした。さらに、予定通りであれば、今日の午後、明星学園にて講座をします。

しかしこれらは、普段の現場の理不尽な疲れとは違います。新しい出会いと発見のある、心地よい疲れです。ただ、この歳になるとさすがに体に響くということかも。

さて、これらの集会で、多くの若者達に出会うことができました。まだまだ日本の教育は大丈夫だと心強かったです。若者達は、"真摯に現場主義" です。我々ベテランがごちゃごちゃと複雑にしてしまっているのかもしれない教育問題をもっとリアルに、そして素直に受け取り、向き合っています。そしてそれなりの答えを出そうと努力しています。

しかし、真摯に、素直であるがゆえに苦しんでしまう傾向もあります。子どもの荒れに向き合いすぎというか、共感・寄り添おうとするあまりに逆に子どもたちを追いつめてしまっている傾向がありました。よかれと思って実践していることが逆に子どもを追いつめ、自分を苦しめている……、そんな辛いことはありません。

また一方で、「ちゃんとやらなければ…」という思いが強すぎて子どもたちとすれ違い、強く出なければならなくなっている事例も。しかし、なかなか言うことをきいてくれないことに関して、もっと恐く・強くならなければという思い、そして恐く・強くなれない自分を責める傾向も見受けられました。

自分が恐くないと子どもが言うことを効いてくれないというのは幻想です。そんなブラックな魔法を、同僚と一緒に解いていこうではありませんか。

夏休みも残りわずか。まだまだ新しい出会いを求めて、あと一踏ん張りです。

椎名誠さんのお話

椎名誠さんの講演を聴く機会がありました。もう、69歳、まもなく70歳になるということですが、若くてかっこいい!という第一印象。

さて、いつも教育関係の方の話ばかり聞いているので、文化人と言われている人たちはどんな話と、話し方をするんだろうととても興味がありました。

教師などは、話をする時には、構成を考えたり、時には声の出し方まで工夫したりするのですが、椎名さんの場合、出てくる話題を、本当に自然にたんたんと話していく、という感じでした。それでいて、一つひとつの話題がおもしろかったり、深い意味があったりするので、たんたんとした話し方でもずっと集中して聞くことができるのです。

ということで、講演の内容は多岐にわたっていたので、まとめてお伝えすることはむずかしいのですが、強引にまとめてみると…、

私たちの生活や文化を、地球規模、宇宙規模で眺めてみると、いかにおろかであるか、ということ。やってはならないことをやってしまっていたり、やらなければならないことをやっていなかったり…。

自分たちの生活や生き方を、ちょっと離れたところで眺めなおして見た時に、真実が見えたり、勇気が湧いてきたりするんだと、あらためて思いました。

「学校珍百景」が本になる!

このブログでもシリーズ化している「学校珍百景」が本になります。

執筆は、地元の仲間と、全生研の仲間のコラボ。10名を超える仲間たちと一緒に執筆しています。

タイトル:学校珍百景 ~常識やぶりの教育技術~

「学校」で当たり前と思っていることが世間ではなかなか通用しなかったり、子どもたちにダサい、うざいと拒否されたりすることがあります。そんな今の時代であるからこそ、学校文化を批判的に見直す本を出してみたいと思います。またそれは、指導そのものについての「そもそも論」を展開し直すということでもあります。

さらには、われわれ教師自身も疑問に思ったり、ストレスに感じたりしていることが多々あることも事実。そのことについて、「いらない」と否定することで、真に子どもたちのための学校改革のきっかけになることを願いつつ、この本を発行します。

発行予定は、来年の2月。

どうぞ、お楽しみに!

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小学校で37年間学級担任として勤務/現在大学で教師を目指す学生に指導。/最新著書『教師と子どものための働き方改革』(学事出版)//iPhone12 Pro/Surface Laptop3/黒猫大好き/手相は両手とも「ますかけ」。

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ヨシムネ&ねね

しおちゃんマンの飼い猫、黒猫ヨシムネと ねね

ヨシムネ
ヨシムネ ♂
2005年8月生まれ。2006年8月に動物病院からしおちゃんマン家にやってきた。

ねね
ねね ♀
2008年6月生まれ。教え子(当時小6)達が公園で保護。2008年6月よりしおちゃんマン家の家族に。2017年7月28日逝去。

【しおちゃんマンの本!】
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