●校長室は恐い
一年生が言います。
「校長室って恐いよね」
「どうして?」
「だって、死んだ人の写真がいっぱい飾ってあるんだもん」
確かに、どの学校の校長室にも飾っている歴代校長の写真は、見ようによっては恐い写真に見えないこともありません。
あのように、歴代の校長の写真を掲示する風習はいつから、どういう理由で始まったのか、調べてみたのですが、あらためてそれを論及したものは見つかりませんでした。
"どうしてあんなことをする風習があるんだろう?"
学校の変質が、そんなところからも見えてくるかもしれないと思い、考えてみました。
●校長は地域の名士だった
自分の写真が、その学校が存在する限り、ずっと校長室に飾られている……。
日本の社会の中で、自分の写真が部屋に飾られる人ってどれくらいいるのでしょうか?
おそらく、ほとんどの人はそんな経験はすることはないのではないでしょうか?
それほど名誉なことであるし、まわりもそれだけの「職」であると認めていたからこそこの風習は続いているのだと思います。
昔から「校長」は、学校だけでなく、地域の「名士」でもあったはずです。代々の写真が飾られていくのは、そういった意味があったのではないかと思われます。
さて、今の学校現場ではどうでしょうか?
写真が飾られるほど、「あの時の校長先生の学校」と、記憶に残るほど、その校長の個性が発揮され、独自の学校づくりができる立場にあるのでしょうか?
答えは「否」。
教育委員会からの指示を、いかに忠実に守って実行できるかが問われるだけの職になっていないでしょうか?そんな中で、「上には弱く下には強い」、まさに中間管理職としての立場の中で苦しんでいるのが「校長」という「職」のような気がします。失礼を承知で書けば、校長という職は、写真が飾られるほど名誉な職ではなくなってしまったということです。
もちろん、そんな立場を超え、地域に根ざし、職員と一緒になって子どもたちのために汗をかく……。時には、教育委員会にももの申す……、そんな校長先生もいることも事実です。しかし、そんな人は確実に減っていますし、そんな人は校長にはなれない仕組みになっているのが今の教育行政です。
●地域の「学校」ではなくなってしまったこと
学校は、国が決めた価値や基準を地域に降ろしていくことばかりの "装置" となり、国が降ろしたものをどれくらいできるかどうかで子どもたちが評価されていく……。そんな中、学区が自由化され、私立への受験も増えていき、地域の人たちや子どもたちの「地元学校離れ」が進んでいます。
親と同じ小中学校に通っている家族も減り、いわゆる「オラが村の学校」ではなくなってしまいました。地域のものであったはずの学校が、国の「支配装置」になってしまいました。
そんな中、教員は、子どもたちを取り締まる「スクールポリス」化され、校長はそれを管理する役になりました。地域の名士であった校長職は、国の中間管理職になってしまったのです。
●国の「支配装置」から「地域の学び舎」へ
学校が、子どもたちを国の基準で評価し、取り締まろうとすればするほど、地域との関係は悪化していくでしょう。国の基準で評価するのであればそれだけのサービスを提供するべきであるといった保護者の要望はますます強くなり、理不尽な批判(あくまでも教職員の側から見た場合)がさらに強くなっていくことも考えられます。
私たちは、国の「支配装置」としての学校を、「地域の学び舎」としての「学校」に再生していかなければなりません。
そのためには、学校と地域の人たちとの関係を修復しつつ、地域内の関係をも再生し、その中での学校の役割を再発見していかなければなりません。
校長にはぜひ、そんな学校再生の先頭にたってほしいものです。
校長室の写真を眺めた時、「あの時の校長先生だ!」と誰もが思えるリーダーとして一緒になって汗を流してほしいと思っています。