2013/09/30
忙しさを考える
忙しさというのは、まさに心を失うこと。まわりがみんな自分を批判しているように見えてくる。まわりがみんな楽をしているように見えてくる。自分ばかり嫌な思いをしているように見えてくる。そして時にはだれかにキレることも。忙しさは、個人だけに負わされるものではなく集団的に発生してくるもの。自分の忙しさの原因を考えるということは、集団の分析が必要だということ。忙しさを発生させていることをシステムとして分析してみること。自分の忙しさは仲間の忙しさでもあるということ。
個人としては、今やらなければならないことはなんなのか、やりたいことはなんなのかを整理してみたい。できれば「やりたいこと」と「やらなければならないこと」は一致させたい。ここで言う「やりたいこと」とは、もちろん仕事の中での話。
次に、やりたいことをこばんでいるものを具体的な事象として整理。そしてその事象はどういったシステム的欠陥から発生しているのかを考える。できれば、その欠陥を修正し、乗りこえるためにはどのような行動、発言が必要なのかも考える。
一方、やりたくなくてもやらなければならないこと、やってはいけない判断してもやらなければそこで生きていけないことも存在する。そういったことについては、とりあえず時間をつぶしてやることも大切。「仲間づくり」の一つとして割り切ることも大切。
しかししかし、ここだけは譲れないことがあること、譲れないものを持つことはもっと大切。そしてそれをまわりに理解してもらうためにどうしたらいいのか、または理解してもらえなくても強引に突き通すのがいいのか……、そういったことをじっくり考えてみることこそ大切。
忙しさの発生は自分の生き方を考える宿題かもしれません。