2013年11月26日(火)6年1組日刊通信 NO.129より
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好き・嫌い
漢字の成り立ちを考えるのが好きです。今の日本の子どもたちの考え方について、漢字を使って話をすることがあります。今回は、好き・嫌いについて。
日本人は、好き嫌いがあることを、昔から、”卑しいこと、いけないこと、不健康なこと”、として考えてきました。これは食べ物だけの話ではありません。人間関係においてもそうです。ゆえに、人間関係において自分と話が合わない、好きになれない人に対しても、お互いに気遣いし、一緒にやる時は一緒にやり、意見が対立した時は、お互いに譲り合いながら合意できる点をさがす、という付き合い方をしてきたわけです。そしてそんな中でも、苦手だった人でも、いつのまにか話が合うようになったり、今までのことが信じられないくらい仲が良くなったりするケースもあったりするわけです。
しかし最近の日本人の傾向として、好きなものは好き、嫌いなものは嫌いと、きっちりわけることが、”自分の意見を持ったしっかりとした人”、という風潮があります。
さらに、子どもにおいては、中学年のギャングエイジの時代が喪失していて、人と人との交わり方が十分に育っていない面があり、好きな友達には必要以上に執着し、嫌いだと判断した仲間には意図的に遠ざけたり、批判したり、ひどいときには、いじめをしたりする傾向があります。意見をはっきり持つことは大切なことですが、そういった好き嫌いのあり方は考え直してほしいと思っています。
さて、漢字の話ですが、「好」という感じは、女へんに子ですから、おそらく母親が子どもを愛することの意味ではないかと思うわけです。調べてみてもこれで正解。
では、「嫌」という漢字はなんなのでしょうか。「兼」は、見た目は角の生えた鬼のように見えます。鬼の子が生まれてしまった意味なのでしょうか?それはそれで、おもしろいストーリーができます。つまり、自分の思うような子でなくても、母親の愛として包み込んでいること。それが「嫌い」の意味であるということ。
※しかし実は「兼」というのは、日本の稲を束ねて持つ、という意味。本来は一本だけ持つ稲を日本束ねていることで、不自然、不十分、不満足という意味になったということでした。
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