FC2ブログ

教育のサービス化は関係を冷たくする

数年前に、ついに教師の年賀状までチェックする学校が表れたことを聞いて、"日本の教育現場はもうダメだ" と思ったものだが、最近では聞かないなあ。もうそういうことはないのかな?

そもそもきっかけは、年賀状の誤字に対する保護者からの批判らしい。教師がこんな年賀状を子どもたちに出してもいいのか?という批判。そんなこと言ってたら、私の日刊通信は誤字だらけ。ほぼ毎日謝ったり、修正したり。

人間関係というのは、謝ったり、修正したり、水に流したり…、そういったことがお互いに生きていくといったことじゃないのか?などと言い訳してみるけど、まったく説得力がないのは本人が一番承知していること。(笑)

日本人が、教育の現場において他者の失敗や間違いに対して冷たくなってきた。苦笑いで許してくれることがなくなってきた。教育がサービスを提供するだけの機関になってしまったことが原因。サービスは、その質で評価されるのだから、失敗が許されるわけがない。

教育は、人と人とが協同していくことそのもの。主体となって参加することなく、どこかが一方的に与えるものであると考えていると、人はみな冷たくなってくる。教育の現場ほど、教師や子どもたちの失敗が大切にされなければならないことをいつのまにか忘れている。

教師の「雑談力」?

斉藤孝先生の本などで「雑談力」という言葉が話題になっています。私的なコミュニケーションが希薄になった時代において「雑談」についてあらためて考えなければならないのかな?と感じています。では教師にとってはどうでしょうか?ここでは教師間ではなく、教師と子どもとの「雑談」について書いてみます。

教師にとって子どもとの「雑談」は重要です。いや……、「雑談」とは、目的やねらい、そして中身がないおしゃべりを「雑談」と言うので、「重要です」と言ったとたん「雑談」は「雑談」でなくなってしまうのかもしれません。

そう考えると、「雑談」を語るのに、それを「雑談力」としてその意味や方法を語ることに矛盾があるのではないかと思うわけです。「相手の好きなものについて話す」などと考えたとたん、それは本来の意味での「雑談」ではなくなってしまうのですから。

教師と子どもとの関係においても、「雑談」ができる関係があることが大切であり、そんな子どもとの関係こそが「雑談」を生むのではないでしょうか。

ということで、教師と子どもとの「雑談」において、"雑談をするためには"、と方法論を論じるのは矛盾してしまうので、"雑談における留意点" としておいた方が良いようです。

さて、そんな子どもとの「雑談」における留意点は?と考えた時に、

(1) 発達段階において留意点に違いがあるのでは?ただ、基本的には、どんな話でも聞き役にまわること。
(2) 「雑談」ができない子との関係・距離にこそ留意・分析する必要がある。いつもまわりに来てくれる子は安心。
(3) しゃべり合うことだけが「雑談」ではない。日常的には距離をおいて時々 "どう?" と尋ね、それに対しての反応がなくても立派な「雑談」では?

そんなことがまず浮かびました。

そう考えていくと、「雑談」を考えるということは、教師と子どもとの関係と距離・はたらきかけかた、子ども集団の分析、発達段階や子ども個々の分析といった、集団づくりのベースと深く結びついているのかと思うわけです。

この話題については、まだまだ整理しなければならないことがたくさんあるのですが、私としては、"子どもが雑談をしてくれる教師になりたい" と思っているわけです。そして、「雑談」することが物理的に保障されていない今の学校現場をまずなんとかする必要があるのでは?と思っているわけです。

続・忘年会

以前、忘年会について書いたことがありました。教師だって忘年会くらいやる権利はあるのだから、こそこそやらないで、もっと堂々とやればよいということを。もちろん気遣いと配慮、マナーを守って。今回はその続編。

私の地域ではどの学校にも「親和会」なるものがあって、冠婚葬祭に関することや忘年会等々、職員間の交流・親睦をはかるための活動をしています。ところが最近では、こういった会の取り組みに参加しない職員が増えてきているというお話です。

たとえば忘年会などにも参加しない人が増えてきているわけですが、会費を払って参加しないのだからから別に良いのではないか?という意見がある一方で、参加できなかった(しなかった)人にはその取り組み分のお金を返金している学校もあります。

私の世代は、忘年会などは半分仕事みたいなものだから特別な事情がない限り参加するのが当たり前と教えられてきました。嫌でも面倒でも参加するのが社会人としてのそれこそ配慮とマナーであると。それはどうかな?と疑問に思いながらも、一方で参加が少ない学校は残念だなと感じます。

一緒に仕事をする仲間を理解するのは公的なつきあいだけでは無理。特に教師の仕事は、教師個々のメンタルな部分やプライベートな事情が仕事ぶりに出てしまう面があって(そういった面が逆に大切だと思っています)、そういった仲間を理解しながら一緒に仕事をしていく必要のある職種です。

親和会なるものの取り組みには参加するべきだと言っているのではなく、親和会のような組織として担ってきた教師間の交流・親睦について、時代に合ったあらたな形を模索していく時代ではないかと思っているというお話でした。

新刊「学校珍百景」"はじめに"の下書き

来年2月刊行予定の「学校珍百景」の、"はじめに" の文章の下書きを公開します。最初の校正を終えました。みなさんのお手元に届くのが楽しみです。

-----↓ここから↓-----
●学校は「あるある」が共有できる珍百景の宝庫

 学校は、なぜかそこでしか通用しない価値観があり、そこに居たときには自然に受け入れていたことも、あとから振りかえると、突っ込みどこ満載な「珍百景」の宝庫です。また、「あるある」な話で誰でもすぐに盛り上がることができます。本書では、そういった、学校の珍百景な「あるある」の話を、教師の目線で……、しかも批判的に雑談したものを集めた「雑談文集」です。たかが雑談、されど雑談……。私は現場の「雑談」を軽視しません。公的な会議で生まれない「気づき」が、雑談であるからこそ生まれることが多いからです。
 また、本書は「雑談文集」ですので一貫した教育論があるわけではありません。中には首をかしげたくなるような内容もあるかもしれません。しかしそこは「雑談文集」であることを理解していただき、お許しいただければと思います。
 この本を手にされたみなさんにお願いしたいことは、雑談であるがゆえの「気づき」に共感していただき、この本をきっかけにしてさらに雑談を広げ、新たな「気づき」をみつけてほしいということです。

●本書の三つの意味
 どうして今、このような本をつくったのかを述べなければなりません。
 一つは、形骸化し、子どもたちからすれば「適当に合わせておけばよい」とさえ考えられている教師の指導や学校文化について、そのとらえ方・考え方をひっくり返し、そもそもなんだったのか?を考えるきっかけにしたかったということです。
 二つ目は、子どもたちとの見せかけの「信頼関係」の上にあぐらをかいて、実は子どもたちが私たち教師に合わせてくれていることに気づかず、思い上がった指導をしている私も含めた日本の教師に自戒の思いを込めた、ということ。
 三つ目は、子どもたちの心の底まで管理・支配しようとしている今日の教育政策について、それを笑いとばす力量がほしいと思ったからです。

●子どもは「裏文化」で育つ
 さて、子どもたちは、学校のルールを守りながらも、その裏で教師批判・学校批判をしたり、やってはいけないことを見つからないようにやったりしています。実は、子どもたちにはそういった「裏文化」の中でこそ育つ、という面があるのです。
 子どもの「裏文化」はそもそも健全なものでした。教師の口癖を真似したり、「表」では笑ってはいけない教師の失敗を笑ったり、教師を愛すべき一人のおとなとして「裏文化」の中で前向きに受け入れていたわけです。そんな「表」と「裏」の境界を破ったのは学校であり教師です。あれもいけないこれもいけないと子どもたちの成長の場である裏文化に介入していきました。「道徳」の教科化などもそのうちの一つ。
 そして今、おとなたちによって破られた境界を超えて子どもたちからの「仕返し」が始まっています。裏文化を表に持ち込み、学校を教師を徹底的に批判し、壊し始めています。それに対しておとなは力でねじ伏せたり、優しさで包み込んでごまかそうとしたり、理解したふりをして上から説得しようとしたりしています。そうではなく、大切なのは、子どもたちの「裏文化」を保障し、励ましていくということではないでしょうか。
 本書では、教師の指導や学校文化について批判的に見ることで、、実は子どもたちのこういった「裏文化」を肯定し、励ましている面があることについて述べておかなければなりません。それは、今日の超支配的な教育行政・学校体制、そして教師個々の支配的なスタンスによって介入され、ゆがめられてしまった、子どもたちの健全な「裏文化」への応援歌だといえるのかもしれません。(塩崎 義明)
-----↑ここまで↑-----

長い目で見た時

たとえば高学年女の子のグループ内のトラブルがあったとします。私たち教師はそのグループメンバーの個々の子どもを指導します。しかし実は指導対象はそこだけではないことに気がつかなければなりません。

女子グループの指導は、実はそのグループをグループ化しらしめた、まわりの集団の力関係の問題であるということに目を向けなければなりません。つまり重要な指導対象はまわりの集団であるということだつたということです。

トラブルについてはとりあえずそのグループ個々の子どもにたいして指導することは当然。しかし長い目で見た時、まわりの集団の問題を指導対象にしない限り、トラブルを抱える女子のグループ化の問題はのりこえることができないということです。

多忙化により、なかなか子どもたちを長い目で見ることが困難になってきた学校現場。どうしても目の前の子どもたちの問題を追うことの繰り返しになりがち。「長い目で見た時」をキーワードにして実践構想を構築することが求められているように思います。

子どもたちも今年を漢字一文字で

子どもたち(6年生)も今年一年を漢字一文字で書いてみました。文章は、この漢字にした理由です。200文字以内という条件をつけました。

【仲】…今年はたくさんの仲の良い友達ができたから、この漢字にしました。たくさんの行事で、いろんな人と仲良くなれたし、たくさんの友達と仲良くできたからです。特に修学旅行で、全然しゃべれなかった友達と、同じ部屋で仲良くなれたから、この漢字にしました。今年は、仲良くなれた友達がいっぱいできました。

【思】…今年はたくさんの「思い出」が出来たからこの「思」という漢字にしました。例えば、「修学旅行」は、初めての世界遺産の「東照宮」をグループで見たり、雨だったけど戦場ヶ原のハイキングをしたり、部屋ではたくさん遊んだり、お話したりして、「思いやり」の「思」でもありました。今年は「思」がたくさん出来た年でした。

【嬉】…この一年は嬉しいことがたくさんありました。例えば、運動会の組体操は一つもミスをしないで成功させたこと、小学校サッカー大会では準優勝でしたけれど、みんな力を合わせて戦ったことなど、チーム一丸となれたことがすごく嬉しかったです。小学校生活もあともう少しですが、悔いの残らないよう、楽しくすごしたいです。

【協】…今年は、組体操や小中音楽会、修学旅行、そしてフェスティバルと、クラスをこえて、みんなで心を合わせて成功させた行事がたくさんありました。たとえば組体操では、たとえつらくても、「みんなで成功させたい!」と思って、一生懸命に取り組みました。また、フェスティバルでは、クラスのわくをこえて、自分たちで工夫しながらお客さんを楽しませることができました。このように『協力』することが多かったからです。

【笑】…いつも笑顔で明るく楽しくすごせたから。運動会では、私は興味走で初3位をとって、私達の赤組も勝って、笑いました。そして、修学旅行では、友達とトランプをしたり、しゃべったりして、笑って、小中音楽会では、無事に歌い終えて、笑って、フェスティバルでは、お客さんがいっぱいきたし、影絵も無事成功して、笑って、教室でも、授業や休み時間も友達と笑って、とにかくいろんな行事の中でいっぱい笑ったからです。

【心】…運動会の組体操や小中音楽会、修学旅行やフェスティバルなどすべての行事に、学年全員で心を一つにして取り組み、いい思い出を作ることができたかな、と思うからです。運動会の組体操では、フィナーレの技が練習では失敗もあったけど、すべての技を心を一つにし、成功することができました。小中音楽会も練習していくうちに声がそろってきたのがわかりました。すべて心を一つにすることができたと思い、「心」という字にしました。

【幸】…六年間の中ですごく楽しく毎日、学校にくることが楽しみです。そして「幸せ」という字はじゅうぶん満足している状態という意味なので、私はこの漢字一文字にしました。また、友達と遊ぶことなどもみんなと楽しく充実していて、すごく幸せです。勉強の面では塾などに行かせてもらえることを幸せに思って一年間をすごしました。これから中学生になるので、この幸せな気持ちを思いながら生活し、また楽しい毎日をおくっていきたいなと思います。

【成】…この漢字の意味は、みんなが知っているように「成長する」という意味です。また、成し遂げるという意味もあります。例えば成長した面では、逆上がりができるようになったことや家庭科の手提げバックを作るときに前まではミシンがうまく使えなかったけど今は準備片づけ、使い方がうまくできるようになりました。成し遂げたことは、小中音楽会や運動会でしっかりと成功させたことです。今年はも、成長したことがたくさんあったからこの漢字にしました。

教師の忘年会

意見表明権をはじめ、人としての様々な権利を奪われている(さらに奪われようとしている)、公務員、教職員にも、まだお酒を飲む権利くらいはあるわけでして……、忘年会をする権利くらいはあるわけです。

しかし、例えばホテル等の宴会場で看板を出す時に、教師ではない偽りの団体名を名のったり、司会が校長先生の挨拶をしてもらう時に「"社長の" ○○様」などと、教師であることを隠して紹介する風習が日本の学校現場にはあります。

どうしてこんなにコソコソしてお酒を飲まなければならないんだ?と若い時からずっと思ってきました。それにはそれなりの言い分があるのは承知しています。なにしろ私たちはたくさんの個人情報を抱えているのですから。誰がどこで聞いているのかわからない。そういった配慮なんだと思います。

しかし……、だったらその情報は本気で守ろうよ!って言いたい。「社長」だなんてちゃかして、ごまかすのはやめようよ!と。団体名を変えたところで、お店にはバレバレでしょ。そして、バレてしまっていることを承知で利用しているわけでしょ。

別に隠すことはない。ただし配慮が必要。これは教師だけの問題ではない。社会人として当たり前のマナー。ただしこれからは、マナーの問題ではなくなってくることを承知しておく必要があるということです。

今年一年を漢字一文字で表すと

2013年12月10日(火)6年1組日刊通信NO.139より
-----↓ここから↓-----
今年一年を漢字一文字で表すと

昨日に続き、今年を振り返ることを書いてみます。

今年を漢字一文字で表すと…、といった行事・企画がありますが、しおちゃんマンも、一足先にやってみましょう。学級ではありません。しおちゃんマン個人としてです。いろいろ候補はあります。どれにするのかを決めることは個人としてはあまり意味がないのかも。紹介してみます。

継……前任校から引き続き6年1組といった「継続」(引き続き6年生)の担任をしたこと。また、孫が生まれたことも、この漢字につながるかも。

壊……この漢字は、「壊す」ですので、あまりいい意味はないのですが、新しい学校に来て、自分の中のものを一度壊さなければ新しいものが生まれてこないのではないかという思いがあったこと。つまり、いい意味でこの漢字を使ってみました。

遣……この漢字は、前任校の6年生から何度も使いました。「気遣い」の「遣」ですね。本来の意味ではないのですが、「遣」は、[はたらきかける]という意味で使いたいです。

拓……「開拓」の「拓」で、拓いていくという意味で、オープンの意味の「開く」ではなく、未来に向かって改革していく、みたいな意味があります。こういったスタンスは、夢に向かって歩んでいく子どもたちにも具体的な場面で教えていきたいことですね。
-----↑ここまで↑-----

たくさんの感動をありがとう

2013年12月9日(月)6年1組日刊通信NO.138より
-----↓ここから↓-----
たくさんの感動をありがとう

2学期も来週でおしまい。この2学期をしおちゃんマン側から振り返りました。

2学期は、しおちゃんマン的には、みんなからたくさんの感動をもらったと思っています。本当にありがとう!!

感動第三位!!
 ミニバス、サッカー、吹奏楽の試合や発表

ミニバスやサッカーは、決勝トーナメントの応援に行きました。どちらも、残念ながら決勝で敗れてしまったのですが、ふだん教室でみられないみんなのもう一つの面を見ることができて感動しました。吹奏楽も、公民館での合奏がすばらしかったです。

感動第二位!!
 小中音楽会の文化会館での歌声

学年はじめの歌声を聴いたときには、もう今年は音楽発表会に出るのはやめようかと、先生方で半分本気で話し合ったものです。それがあれだけのすばらしい合唱ができました。みんなの底力に感動です。

感動第一位!!
 組体操のフィナーレ

“みんな”というのは、一人ひとりちがった人たち。そんなみんなで一つのものをつくりあげることのすばらし………。技が成功した時の、みんなの顔。大きな大きな感動でした。

こう考えていくと、しおちゃんマンが直接指導したものはないですねぇ(笑)

本校には、指導力のある先生方がたくさんいらっしゃる!!ということなんだと思うわけです。
-----↑ここまで↑-----

[図工]箱の中に夢の世界を

自由の女神の肩に乗って…
DSC_0546_7.jpg

大好きな本に囲まれて…
DSC_0550_6.jpg

大好きなフルーツに囲まれて…
DSC_0551_5.jpg

月の上に座って…
DSC_0542_4.jpg

おもちゃの箱からとびだして…
DSC_0544_3.jpg

扉を開けてみると…
DSC_0541_2.jpg

大好きな餃子の家で…
DSC_0549_1.jpg

泣きながら叱れる教師

学校現場において、子どもに優しくすること、子どもを信用することが、悪いことのように語られるようになってしまったのはいつ頃からでしょうか?

子どもに甘すぎる、指導してない、できる教師じゃない、などと言われても、それでも子ども側にたつためには、膨大なエネルギーが必要な時代になってしまいました。

いけないことはいけないと言う!それは当たり前。言いたいことはそうではなく、いけないことをしてしまうその子の事情を考える必要は無いのか?ということ。その事情がわかってくると、単純に「いけない!」などと言っていられないことがわかってきます。

子どもたちに、泣きながら叱れる教師が少なくなってきたような気がします。これは泣き虫教師が良いということではなくて、子どもの事情がわかっていながら、それでも「ダメだ!」と言わなければならないことのつらいストーリーが今の教師に描けるのか!ということです。

おどろいた!!

おどろいた!職員室で、そこにいない担任の批判をしている管理職がいるらしい。いや、こういった管理職は、最近けっこう多いのかもしれない……。

おどろいた!他の学年の子どもや教師の批判を、その学年の同僚に直接言わずに、週案等で、管理職に報告している学校があるらしい。いや、最近はこういった学校が多いのかもしれない。

おどろいた!会議の時に、平気で赤ペンの音を出してマルつけをしているのに、誰も止めない学校があるらしい。いや、最近はこういった学校が多いのかもしれない。

おどろいた!年休や出張などで学級をあけることが恐い学校があるらしい。担任がいない時の子どもたちの様子について、かげで批判されるかららしい。

おどろいた!子どもに優しくすること、子どもを信用することが、「指導が甘い!」と、悪いことのように語られるような学校があるらしい。いや、最近はこういった学校が多いのかもしれない。

そんな最近の学校に、おどろいている……。

なんでも自分の(     )。

2013年12月4日(水)6年1組日刊通信 NO.135より
-----↓ここから↓-----
なんでも自分の(     )。

道徳の授業で、
なんでも自分の(     )。
の( )内に入れたい文を子どもたちに聞いてみました。

子どもたちから出てきた文は、
なんでも自分の(ものになる)。
なんでも自分の(思い通りになる)。
なんでも自分の(ものにはならない)。
なんでも自分の(思い通りになるものではない)。
その他いろいろ……。

次に、出てきた文の中で、自分の考えにいちばん近い考えに挙手。すると、
なんでも自分の(思い通りにはなるものではない)。
が、一番多かったです。

そして、確かに、人生というのは確かになかなか自分の思い通りになるものではないこと。自分の思いを実現するためには、努力と運が必要かもしれないということ。ただ、運がなければ実現しないからといって努力しなければ何も実現しないこと。そんなことを話しました。

この授業では言いませんでしたが、生きていくということは、思い通りにならないから面白いとも言えるかもしれません。だから、思い通りにいかないからといって、まわりのせいにしたり、自分を責めたりするのはつまらないということ。

うまくいかないからこそ、うまくいかせるためにいろいろな方法を模索するのだと思いました。だからこそ、生きていくことはおもしろい。

※だんだん大人に近づいていく子どもたちに、こういった話も少しずつしていきたいと思います。かといって押し付けにならないように…、あくまでも、しおちゃんマン個人はこう考えている。あとは自分でも考えてみよう、というふうにしていきます。
-----↑ここまで↑-----

ブログ内検索

1日1回ポチッとよろしく(*ᴗˬᴗ)⁾⁾

にほんブログ村 教育ブログへ 

しおちゃんマン★ブログ

shiochanman_2.png

塩崎義明(しおちゃんマン)の『公式メインブログ』です。教育問題について語ります。⇒ 管理画面

雑誌『生活指導』(高文研)編集長/全国生活指導研究協議会常任委員/最新著書『教師と子どものための働き方改革』(学事出版)/小学校で37年間学級担任として勤務/現在某私立大学文学部教育学科特任教授/iPhone12 Pro/Surface Laptop3/黒猫大好き/手相は両手とも「ますかけ」。

さらに詳しいProfile……

にほんブログ村
人気ブログランキング

公式サイト 塩崎義明OnlineOffice



塩崎宛メールフォーム
e-mail-send_icon_1150-80.png

全生研
しおちゃんマンツイッター
Facebook 塩崎義明
しおちゃんマン Facebookページ
Instagram YoshiakiShiozaki
しおちゃんマン YouTubeチャンネル

oshio412b9c9f-s_2.jpg

このblogのカテゴリー

月別アーカイブ

05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  04  03  02  01  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09 

ヨシムネ&ねね

しおちゃんマンの飼い猫、黒猫ヨシムネと ねね

ヨシムネ
ヨシムネ ♂
2005年8月生まれ。2006年8月に動物病院からしおちゃんマン家にやってきた。

ねね
ねね ♀
2008年6月生まれ。教え子(当時小6)達が公園で保護。2008年6月よりしおちゃんマン家の家族に。2017年7月28日逝去。

【しおちゃんマンの本!】
【最新本】






PVポイントランキングバナー

PVアクセスランキング にほんブログ村

カウンター