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雑談:運動会

今年度から本校も春の運動会。運動会の話題を思いつくままに。運動会には、なくなっていく競技があるようです。危険、衛生面等々、学校というのは地域の催し物に比べて、配慮しなければならないことが多いから?

手をつないでゴール、というのが一時期批判的に話題になりました。私はそういった種目?をやったことも見たこともないのでまさかそんなことは…、と思っていたのですが、実際に今でもあるようで学校批判の材料になってしまいました。

パン食い競争やアメ玉競争は、衛生面からなくしていく方向の学校が増えてきたようです。それが原因で食に関わる病気に感染したら、学校の責任になる、ということです。

小学校での棒倒しも、私の周辺ではなくなりましたねぇ。どこかの県で、棒の下敷きになり大けがをしてしまったことがきっかけ。騎馬戦は本校でもやっていますが、危険であることを理由にヤメロという声も他校ではあるようです。

「障がい物競走」という言い方もなくなっています。ちなみに「障害」はかつては「障礙」とか「障碍」と表記。しかし戦後の漢字制限で「礙」「碍」の漢字が表外漢字になり「害」という漢字を宛てて「障害」と書くことが広まったそうです。

つまり、電柱の「碍子(がいし)」(陶製の電気絶縁物)という語から見てわかるように、元々の字である「礙」も「碍」も「妨げる」という意味。「害」と違って、誰かを傷つける、害するという意味はないそうです。

お弁当を、子どもと保護者が別々に食べる学校が一時期増えました。場所取りの問題が保護者間のトラブルの元になったり、保護者の喫煙飲酒の問題が話題になったりした時期です。今は一緒に食べることの意義を重視して、様々な工夫がなされているようです。

逆に増えてきたのが、親子競技。親子で走ったり、玉入れをしたりといった競技が増えているような気がするのですが、いかがでしょうか?

大切なことは、運動会はそもそも「地域にある学校」としての行事であるということ。国や文科省がサービスとして学校を使ってやっているということではないということだと思います。その地域みんなで盛り上げられる運動会になるといいですね。

学校周辺が子どもたちの変化に追いついていない件

運動会の練習が本格的に始まり、毎日続いています。本校は今年度から春に運動会をやることになりました。つまり昨年の9月にやったばかりなので、つい最近終えたばかりの感覚。

昨年度は6年生だったので、組体操の指導で大変でした。でも、できた時の達成感を子どもたちと味わうことができて、とても良かった。今年は2年生です。妖怪ウォッチの曲のかわいらしいダンスを練習しています。

途中ラップになっているのですが、最近の子どもたちは見事にリズムをとります。低学年の頃からラップのリズムがきざめることにびっくりです。

子どもたちは「今」を生きています。私たちも同じ時代を生きているはずなのに、同じ空気をすえていないような気がします。あいかわらず、学校的価値、道徳を子どもたちや保護者のみなさんに押し付け、追いつめている。

子どもたちは低学年からラップがきざめる変化をしているのに、学校周辺はその変化に追いついていない。そんなことを、悲しい気分で感じている今日この頃。


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学校との出会い直しを『学校珍百景』

「学校珍百景」。なぜかまた売れ始めた。何かあったのかなあ??

学校珍百景

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学年始めに子どもにかけていた調教の「おまじない」がそろそろ崩れてくる頃。だからその真逆な本が再度売れてきた?

言うことを効いてくれるうちに教えてしまうという発想は言うことを効かなくなったらその反動で「荒れる」ということ。そもそも調教は指導ではないのだから。

そう言えば「学校珍百景」の中に、
『休んではいけない「休め」』
『「おしゃべりをしている人が3人いました」という脅し』
『なぜ体育座り?』
等々、集団行動指導を風刺する項目をいれておいたのですが、運動会の季節になって、そのことが注目されたからかな?

「学校珍百景」で自分が書いた原稿の中で何が一番お気に入り?と聞かれるのですが、『歴代校長の写真』です。あの写真はなぜあるのか?を考えていくと、地域の学校から、支配の学校への変化が見えてきた、というお話。

いずれにしろ、

排除の不安を煽る競争と差別の学校から、子どもたちの自由と権利を保障する学校へ

と、学校との出会い直しが必要です。そのきっかけに「学校珍百景」がなればと思っています。

学校づくりを前面に立てて

子どもたちに良かれと思ってやろうとする実践は、あらゆる形でストップがかかるのが(自主規制することも含む)今の学校現場。

上から決められた指導方法で指導することが強要される雰囲気。それが子どもたちのためになるのなら従うが、残念ながらそのほとんどが、実践する前から、うまくいかないことが予想される方法。

上からの方法ができないときは、やらないことで足並みをそろえることが協調性ある教師の姿らしい。これでは子どもたちがついてくるはずがない。

戦後、民主的民間教育団体で研究されてきた実践を引き継ぎ、深め、子どもたちに示していく為には、その前に(または同時に)、職員室の合意づくり、学校づくりを前面にたてて実践しなければならない時代。

かなりのエネルギーと、闘うスタンスが必要であることもまた事実。

みんな同じ悩みを抱えている

先週までの家庭訪問……、私自身が学んだことについて書いてみます。それは、

どのご家庭も同じ悩みをもっている

ということ。そして、

こんなことで悩んでいるのはウチだけじゃないか…、と、どのご家庭でも不安に思っている。

ということです。

昔は(昔と言っても、私が子どもの頃を指しているので「大昔」)、近所づきあいが日常的にあり、井戸端会議でそういったことは、「ウチも同じ」「気にしない、気にしない」で解消されていたのですが、最近は、お仕事を持っているご家庭が増えたり、時間や場所がなかったりで、そういった日常的なお付き合いの範囲が以前に比べてせまくなっているのは事実。

さらに、学校でも、クラス替えが毎年あって(以前は2年間持ち上がりクラスが多かった)、知り合いになれる期間が短くなったりしていることもひとつの原因。

だとしたら、ご近所で…、または、同じクラスで子どもがお友達になったことをきっかけにして、意図的にどんどんコミュニケーションをとっていくことで、今、持っている不安の80%は解決できるような気がしました。

さて、残りの20%はどうするのかについては、またの機会に。

新自由主義的な教育改革から抜け出す

戦後日本の教育史の中で、今ほど教師の実践の自由や権利が失われている時代はありません。

昭和30年代には取り締まり的な支配管理がありましたが、今は、自ら自由・権利を手放しているように見えるところに特徴があります。実はこれが新自由主義的教育改革の仕組み。

現在の新自由主義的な教育改革は、子どもも巻き込んだ、いわば適応競争です。また、市場原理(お金を使うこと)をうちに含みつつ、適応できない者は排除されるといった不安を与える競争です。

私たち教師はまず、不安をかきたてるだけの幻想の適応競争から抜け出し、自由と共同の教育を創造しなければなりません。

具体的には、教師が子どもに受け入れられるための出会い直しをすることだと思っています。

研究し子どもたちと話し合う

大人や学校・教師が言うことが絶対だという価値観はすでに子どもたちの中で、いや、社会全体の中で壊れているのではないでしょうか。

そういった意味で、子どもと大人学校教師、子ども同士の中で、一つひとつの価値について批判的に検討されるべきだと思います。なんと言っても、子どもにはその権利があります。

たとえば、学校はがんばること、努力すること、継続することを大切にした共同体であるといえます。だとしたら、なぜ、がんばり、努力し、それを継続しなければならないのか、その先に何を見ているのかについてもっと研究されなければなりません。

さらには、学校は「良い子」でいること、「仲良し」でいることをテーマにした共同体であるともいえます。だとしたら、良い子ってどんな子なのか、仲良しってどういう行動をとることなのかをもっと研究され、もっと子どもたちと話し合われるべきだと思うわけです。

現場の仲間みんなで子どもたちを育てたい

学級崩壊っていうのは、子どもたちと教師の関係の崩壊です。子どもたちがなんらかの理由で荒れていても、担任との関係は良好!という事例は、学級崩壊とは言いません。

さらに間違えては困るのは、「子どもたちと教師の関係の崩壊」といった時の「教師」というのは、直接は担任ではありますが、広くはその学校の教員全てを指すということです。他の学級や学年の教員の言うこともきかなくなりますので。

同じ学校にいて、私が担任になって学級崩壊を立て直した、などと自慢する人がよくいますが、わたし的には、崩壊した時にあなたは何してたの?と聞きたいわけです。自慢する前にまずその反省をしてほしい。

学級崩壊を立て直した、などと言っている人は、結局うまくいかなくなることを教師個々の責任にしているだけです。指導は共同作業のはず。つらい思いで一年間をすごしてきた同僚の思いをどう受け止めたのか?と言いたい。

現場に一人のスーパースターがいたところで何もならない。それよりも、子どもたちに受け入れてもらうためにはどうしたらいいのか……、そんな悩める教員がたくさんいた方がずっとずっと子どもたちのためになるということです。

[結] 学校づくりの三つの扉の鍵

私たちは、子どもの権利を中心に据えた実践を保障する学校づくりをしたいと願っている。いや、学校そのものが子どもたちの権利を守り、民主的な人格や生き方ができる子どもたちを育てる機関として再生されることを願っている。その扉をこじあける鍵をこの分科会でみつけてみたい。

(1) 子どもや保護者、そして同僚は、共に生きる権利を求める声をどのような形で表出しているのかをみつける扉の鍵。

(2) 子どもや保護者、そして同僚が、仲間と共に生きる権利を保障する実践の切り口と構想をみつける扉の鍵。

(3) 組織やシステムを生かしたハードな学校づくりと、ロビー活動や私的な関係に依拠したソフトな学校づくりをどう組み合わせるのかがわかる扉の鍵。

<下記四本の記事の参考文献>
[起] 競争と差別による教員支配
[承] 思想・精神・信条、行動を統制する第二次管理主義教育
[転] 共に生きる権利を求める声は発信されている
[結] 学校づくりの三つの扉の鍵

管理主義教育 城丸章夫/学校珍百景 塩崎義明

[転] 共に生きる権利を求める声は発信されている

競争と差別による教員支配は、一見うまく言っているように見えるが、あらゆるところで矛盾が噴出し、そういった管理・支配に対する異議申し立ては、言葉にならない『言葉』としてすでに発信しされているのではないだろうか。そして、そういった声は、差別され、蔑まれている仲間……、つらい思いをしている仲間からこそ発信されていることに私たちは注意をはらわなければならない。一方で、逆に自分がつらい立場に立ったならば、多くの仲間に心を開き、その思いや管理・支配に対する異議申し立てを言葉にして届けてみよう。それは、公的な場だけでなく私的な関係にまで視野を広げて。

※大丈夫…、必ず『言葉』は届きます。

一方、子どもたちからもすでに異議申し立ては発信されているはず。たとえば、私が「第三次」と数えている最近の「学級崩壊」もその一つ。

※1980年代に最初の学級崩壊問題があった。バブルの時代にあって、国民の中に公立学校そのものの価値が下がってしまった時代…。ゆとり教育が叫ばれ、低学年の社会科と理科が廃止され、生活科が始まった。小学校で「受験熱」という言葉が新聞で取り上げられる。この時代にまず第一次学級崩壊があった。

※第二次は、2000年前後。これは、学校五日制が完全実施されていく過程で学級崩壊が広がっていった。つまり、現場に異常な多忙化が広がった時代。そんな学級崩壊に対して、現場は子どもたちを管理しようという風潮が強くなっていく。さらに、教育基本法が改悪され、教師もまた管理されていく。結果、いじめ問題が深刻さを増し、教師の精神的疾患が広がっていった時代。

最近の「学級崩壊」は子どもたち同士の関係、保護者同士の関係がまず崩壊し、それを、管理的に押さえようとする教師のやり方について不信感が広がる、といった形で発生することが多いのが特徴。危機管理意識の高まり、経済再生優先の気運の中で、自己責任論が定着し、子ども間の学力・生活格差や、弱い者への差別感が強く出てきてしまっている中、子どもたちや保護者は、たとえばトラブルを力でねじ伏せられることに異議申し立てをし、仲間と共に生きる権利について学校に問うているのではないだろうか。

子どもたちの「荒れ」や「トラブル」は、共に生きる権利を問うメッセージであるととらえた時、我々は子どもたちや保護者とあらためて出会い直しができるのではないだろうか。学校づくりの一つのキーワードがここにある。

[承] 思想・精神・信条、行動を統制する第二次管理主義教育

「道徳」の教科化の問題に代表されるように、国のために奉仕できる子ども、体制に従順な子どもづくりが、より具体的に強く打ち出されてくる時代である。こうした、教育基本法の改悪が現場に具体的な形で降ろされ、それが広がってきている時代を「第二次管理主義教育」の時代であるととらえる。

こういった動きは、戦後、保守の側からずっと打ち出されてきたものであるが、今回は、よりいっそう管理・支配された教員のもと、子ども一人ひとりの思想・精神・信条、行動を徹底的に統制・操作しようとするであろう。

※学級定数を少なくして教員の数を増やすことさえも子ども一人ひとりを監視するテーマにすり替えていく危険性もある。

さて、思想・精神・信条、行動を統制・操作する「管理主義教育」とは、きまりごとや禁止事項をより細かく決め、それが守られているかを取り締まり、場合によっては処分をもちらつかせる「取り締まり型」の管理主義教育だけではない。いわゆる「上手な授業・指導」の背景にも管理主義がしのびよっていることに注意をはらわなければならない。

それは、教材研究が行き届き、授業の展開手順も無駄なく整えられている……、授業外の子どもたちの行動についても細部にわたって標準行動と手順とが決められている……、子どもたちはその路線にのっかっていれば自動的に「できあがる」教育……。こういった教育は子どもの「品質管理」もなかなか行き届いており、その工程の各段階でチェックされ、仕分けされていく……。そして「品質」?の悪いものは、「忙しさ」を理由に切り捨てられていく。こうした管理主義教育を城丸章夫氏にならって、「事務主義的管理主義教育」と呼ぶことにする。

こういった、子どもたちを管理していこうとする一方で、理想とされる人間像を具体的に打ち出し、それに向かってどれだけできているのかを評価し、その評価はその子の進路にまで反映されるようにしていくだろう。さらには、組織や国のために自らを犠牲的に捧げる生き方が美化された「操作的感動物語」が、もて囃されることも考えられる。

[起] 競争と差別による教員支配

『子どもに「寛容」であることは「いけないこと」である』といった価値観が広がる今日の学校現場。「忙しくて、仕事をする時間がない」とまで言わせる異常で理不尽な忙しさ。その背景には、国・文科省の政策・方針に無批判に従わせる為の競争と差別による教員支配体制がある。

ずは、「競争の原理」による教員支配。

誰が子どもたちに言うことを効かせることができるのかの競争、誰の教室がきれいに「飾られているか」の競争、職員室の誰の机の上がきれいで、誰が事務仕事を早く終わらせることができるのかの競争。

それらは順位を決める競争ではない。そして誰もその競争に参加して勝利しようとは考えていないはず。にもかかわらず私たちはいつのまにかそういった競争的な目で仲間を見、仕事を価値付け、さらにはその競争に負けて自分が低く評価されることにどこかで怯えている……。実はそれが支配しようとする側のねらい。

そしてそれらの競争は、「子どもたちのこと」とは離れたところで行われている競争であり、その競争に勝つためには、時には子どもたちが「邪魔」になり、その「指導」は二の次にしなければならないことがあることに注意を払う必要がある。

※「子どもに(一方的に)言うことを効かせる」ことは、私たちが進める「指導」とは別物であるといった前提に立つ。

※これらの競争は、たとえば「職員室の机の上をきれいにする為の競争」ではなく、教員支配を目的とした競争であることを再度確認したい。

員支配のもう一つの重要な原理として「差別の原理」がある。

教室環境や指導方法について、足並みを揃えようとしない者、揃えることができない者に対して、時には「人格的に問題あり」とまで評価しながら差別することもその一つである。

差別政策は、表向きは、外からの管理体制が問われることに対しての防衛策であり、一方では「上」からの方針に対して従わないものを少数派として屈辱を与えながらその本人や他者を支配する手段であると言える。

※学力向上問題も、競争と差別を利用した教員管理支配政策という面があることに気づく必要がある。驚くべきは、校長自身がそのことに気づかず、理不尽な補習を大真面目に指示している学校が多いことである。

競争と差別による教員管理・支配体制は、教員個々をバラバラにしながら、競争に勝てず、集団からも差別されていくのは自分のせいであるかのように仕向ける。また実際にも、その責任と身の振り方(説明・言い訳も含む)を個々にせまる。その結果、教員の精神的疾患が広がることになる。

※これからは、そういった「追いつめられ」が、内側だけでなく、外に、攻撃的に向かう危険性があることを心配している。傷害事件等、教師間のトラブルが多発する心配がある。子どもたちと教師のトラブルは過去にたくさんあったが、教師間のトラブルはあまり注目されてこなかった。しかしそれが多発する予感があるということ。

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雑誌『生活指導』(高文研)編集長/全国生活指導研究協議会常任委員/最新著書『教師と子どものための働き方改革』(学事出版)/小学校で37年間学級担任として勤務/現在某私立大学文学部教育学科特任教授/iPhone12 Pro/Surface Laptop3/黒猫大好き/手相は両手とも「ますかけ」。

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ヨシムネ&ねね

しおちゃんマンの飼い猫、黒猫ヨシムネと ねね

ヨシムネ
ヨシムネ ♂
2005年8月生まれ。2006年8月に動物病院からしおちゃんマン家にやってきた。

ねね
ねね ♀
2008年6月生まれ。教え子(当時小6)達が公園で保護。2008年6月よりしおちゃんマン家の家族に。2017年7月28日逝去。

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