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高い、タカ〜い!

ふと…、右手首が痛いことに気付く。原因を考えてみて…、子どもたち(2年生)を、高い高いしてあげたり、肩車やグルグル回してあげたりしていることが原因。子どもたちは大喜びだが、老体なのであちこちにガタがきている。

今の子どもたちは、大人がこういったことをしてくれることを、昔の子どもたちよりも喜ぶ。6年生の女子でも、膝の上にのってきたりする。しかしさすがに、それは「やめなさい」と注意する。

一方、学校現場では、高い高いしてあげることも含めて、子どもたちの体は触ってはいけないという指導が入っている、らしい。「らしい」と書いたのは、指導されたという声は聞いたことがあるが、私自身は言われたことがないからだ。

体に接触するだけでなく、写真を撮ることも禁止している学校もある。個人情報保護と、セクハラ防止的な意味があるらしい。

これらの傾向は、それぞれ、納得しなければならないことで、そういった時代になってしまったのかもしれない。しかし、寂しさと、子どもとの関係を結ぶことの難しさを感じている。若い先生たちは大変だと……。

運動会予行が無くなったこと

明日が運動会。

さて、最近の運動会は、予行をやらなくなりました。私の周辺だけかな?まずは、授業時数の関係。授業時数を増やせば学力が上がると思い込んでいる人たちの考え方で、予行がなくなったということでしょうか?

予行がなくなる傾向にある二つ目の理由は、スポーツ競技に予行がなじまないこと。本番一発こそスポーツの良さだという考え方があること。初めて行う予行での競技の方がもりあがってしまってはかっこ悪いし……。

ただ、リハーサルというのは実は裏方さんのためにある、という考え方があります。運動会で言えば用具係やライン係、出発係や決勝、アナウンスや得点係……。しかしこういった係は最近では教師がほとんど準備してしまう。

運動会が教育委員会や学校が提供するものになり、子どもたちや地域のものでなくなってしまった時点で、子どもの裏方さんのための予行は必要なくなったということかもしれません。

理不尽に目をつぶらずに

怒鳴る管理職や主任が、全国的に増えているということ。しかも、子どもの前で教員を怒鳴るのでたちが悪い。それらは、パワハラなので問題にしなければなりません。

「上」もまた追いつめられているということでしょうか?いや、結局つらい思いをするのは、権力を持たない我々現場の教員と子どもたちだということを考えると、「上」も大変だ、なんて言っていられない。問題にしなければなりません。

職員会議で意見を述べることを、職場の雰囲気を壊すからダメという校長がいます。そんな学校は会議はいらないでしょ。伝えるだけの集まりならいらない。貼り紙でもしておけばいい。

民主的な筋を通せと言うこと。つまり当たり前のこと。そんな当たり前が軽視されて、なんでもかんでも上からの独裁教育になっていることに、そろそろ気付かなければなりません。

意見が出しづらい、上からの命令には理不尽であっても拒否できない。そんな学校の教師が、子どもたちに何を教えられるというのでしょう?

運動会の保護者のみなさんのマナー

本校では問題になったことはないようですが、ここ数年、運動会の保護者のみなさんのマナーについて、テレビで特集が組まれるほど、全国的に話題になっています。

場所取りによるトラブル。飲酒。喫煙。ゴミの始末。応援の仕方。エトセトラ……。

私自身も、砂場に刺さったタバコの始末や、酔っ払ってしまった保護者の方への対応、ビール缶の後始末の経験が、もう何年も前ですが、経験したことがあります。つまり、こういったことが起きるのは、身近な事実だということです。

こういったことが起きる原因は、どうやら次の二つのようなのです。

一つは、学校と保護者のみなさんとの距離がありすぎること。つまり、運動会という行事は学校が一方的に提供するものというとらえかたをしていて、当事者意識が薄くなっている地域。

もう一つは、保護者のみなさん同士の関係が弱く、注意しあえる関係がない地域。

私たち大人は、子どもたちの安全、学ぶ権利、楽しむ権利を守り、保障しなければなりません。義務教育の「義務」とは、そういったことなのだと思っています。

そのために(子どもたちのために)、学校や他の保護者の方々と連絡をとりあいながら、ぜひ一緒になって運動会を成功させていきたいものです。


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ごねんね⇒いいよ

低学年の帰りの会などでよく見る場面。誰かに嫌なことをされて、相手が「ごめんね」謝ると即座に「いいよ」と応える儀式。

今までは、どうしてすぐに許してしまうの?いいよじゃないでしょ!と思っていたのですが、久しぶりに低学年を担任してみて、子どもたちの発達にとって、ごめんね⇒いいよ、の時期を "くぐること" が大切なんだとわかってきました。

つまりトラブルを平和的に解決するためのワンクッションだということです。暴力的なトラブルや陰でのいじめに発展しないように、この「儀式」は子どもたちにとって大切だったのです。

ごめんね⇒いいよは、マニュアル的には指導しませんが、とりあえず冷静に次の話し合いに持っていく指導はします。そして、ごめんね⇒いいよ⇒でもね〜、というふうに話し合いができるようにしていけばよいことがわかってきました。

子どもたちが子どもたち同士でいろいろな話し合いができるようになっていくための筋道と言うのがあるようです。その筋道の入口は、"安心と「あそび」" です。

「あそび」というのは、何かをする時にもリズムあそび的な言葉をつけてやり始めることもその一つ。

似たようなことで、「あくしゅでバイバイバイ」というのがあります。保育園にあずけて、子どもと別れる時に親子でよくやる儀式?の一つですが、言葉にすることで生活の切り替えを自分に言い聞かせるのだと理解しています。

逆に、高学年で健康観察で「はい、元気です」はいらないだろうと……。具合が悪い子のチェックだけすればよいだろうと。

子どもたちの外遊びがなくなっています。公園で一言も話さないでゲームの画面を覗き込んでいる子どもたちが多いです。子どもたちの交わりについて、もっと研究されなければなりません。

都合のいい教育方法

教育関連書籍でよく売れているのは、学級統率力、学級経営、学級マネジメント……。どれも、 "教師が子どもをどう動かすか" ばかり。

特に「マネジメント」なんていう言葉は、教育の市場化の臭いがして、さらに具体的に批判していきたい内容。

それらはいずれも、子どもがどう学級をつくっていくのかの視点がない。子どもたちの権利を保障し、自治していく力をどうつけるのかの視点がない。それらは、"子どもの自主性"という言葉で矮小化されてしまってる。

国・文科省の独裁教育の中で支配されている私たち教員が、子どもたちの権利と自治をどれだけ保障し、指導できるのかを考えていかなければなりません。

子どもたちの権利、自治を保障したくても、足並み揃えや、排除・差別の恐怖から、私も含めて揺れています。

そこに、子どもを動かす都合のいい教育方法が出てくることの危険性を、もっと自覚しなければならないと思いました。

水面下のトラブルを見る手だてと対応

子どもたちの関係の中には、表には出てこないトラブルがあります。しつこい陰口や仲間外しが、重大ないじめ問題に発展することも少なくありません。そういったトラブルを「見る」ための手だてと指導の切り口を考えてみます。

教師が水面下のトラブルを見るための基本的なスタンスは、水面下の問題を安易に「表(おもて)」で解決しようとしないこと。"水面下の問題は水面下で解決!" が基本。それが子どもたちに信頼を得るための第一歩だと思います。

一方、矛盾するようですが、水面下の問題を「表(おもて)」に出してみんなで話し合うことも視野に入れること。ただこれは「表」で話し合わなければならないしっかりとした理由と当事者や保護者の同意か必要。視野には入れるが必要がなければやらない。

次に、具体的な三つの実践方法三つあげてみます。

まず「ロビー活動」と呼んでいる休み時間などでの子どもたちとのプライベートトーク。子どもとのおしゃべりは、授業と同じレベルの重要な実践場面。ここを軽視していると、見える場面も見えてこなくなります。

次に、子ども一人ひとりと担任とをつなぐパイプがあること。たとえば、相談ノート、個人ノート等々、呼び方は様々ですが、いわゆる子ども一人ひとりとつながるコミュニケーションノートを活用すること。低学年の場合は、日記やスーパー連絡帳←(一行日記を書かせます)からスタート。

そして、定期的に教師自身が学級地図を描いて子どもたちの関係を分析してみること。学級地図は一人ひとりの心理状況を把握するのではなくあくまでも教師の目から見た子どもたちの関係の分析。
http://shiozaki.info/mt/archives/2007/05/post_956.html

さらには、保護者との連携。保護者一人ひとりから信頼を得ることや、パイプを持つことは子どもたちと同様です。そのさい、すぐに解決でなく、一緒になって頭を抱えられる教師のスタンスが大切です。

最後に、子どもたちの水面下の生活を大切にすること。なんでもかんでも学校・教師が介入し、管理しようとするのでは子どもたちは育たないということです。わたしはそれを「学校裏文化」と呼んでいます。
http://shiozaki.blog48.fc2.com/blog-entry-2125.html

教育ファシズムの時代に…

わけのわからん朝礼(朝の会)を賛美する教員がいたり、大阪市でゼロトレが具体化されたり、言いがかりの教員批判が展開されていたり……、日本の教育をこのまま崩壊に追い込むわけにはいかないと思うけど……。

朝礼動画問題については、朝礼そのものよりも、それを、感動した、子どもたちが生き生きとしている、といった賛美する教師が多かったことがショック!世間の批判をあびて、やっとそのおかしさに気付くといった感じ。

教訓は二つ。

一つは、学校というのは世間に公開すると、おかしなことばかりやっているのかもしれないということ。教師自身がその振り返りがないと、その「おかしさ」に歯止めが効かなくなるということ。

二つ目は、おかしいと思ったらおかしいと言わなければならないということ。今回の動画問題についても、多くの教師が賛美する中、おかしい!と言うことにとても勇気が必要でした。勇気がいること自体がおかしい。

教育ファシズムの時代に入っています。

声を出していかないと、人としてのあらゆるものを奪われます。

運動会のダンス様変わり

2014年5月22日(木)2年1組日刊通信 NO.30
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運動会の練習、と言っても、その時間のほとんどは、団体演技(ダンスや踊り、組体操)の練習に使われます。

今は、ラップ系のダンスや、エグザイル系、「嵐」系のダンスが流行のようです。

一方、「和」の踊りは、よさこい系が多いです。千葉の地元の踊りがないなぁと思っていたら、数年前から「浦安舞」という踊りが市内の小学校で踊られるようになりました。今年度、本校の4年生が踊ってくれます。

衣装も様変わりです。私が教師になった一年目は(入船北小)、実は2年生の担任でした。その時のダンスは「南の国のハメハメハ」でした。男の子が、上半身裸で踊ったのを覚えています。今では、裸は許されないかもしれません。今年度は、カラー軍手に、妖怪を表現する「目玉」を、保護者のみなさんにつけていただくことになりました。申し訳ありません。よろしくお願いいたします。

さて、私自身が小学生の頃……、実はダンスの記憶がないのです。50年前の千葉市の小学校ではやってなかったのだと思います。一方、フォークダンスをやった記憶はあります。見せる演技ではなく、参加型のダンスだったということです。

その代わり、いろいろなレースがあったような気がします。同じ学年で、徒競走と障がい走があったし、団体競技も2種目くらい出たような気がします。地区対抗のリレーもありました。

今の運動会は、ダンスメインで練習が行われ、レースの種目はシンプルに、という形になっているということですね。
-----↑ここまで↑-----

誰も幸せになっていない……

「学力向上!」のかけ声で儲けてるのは誰だ?!
そして、それにみっともなく煽られているのは誰だ?!

新自由主義的教育改革は、
教育や子どもたちの未来、
そして教師の良心を食い物にして、
儲けようとするもの……。

学力とはなんぞや?
何のための学力?
そういったことが語られることなく
誰かが儲けるためだけの学力競争に
駆り立てられ、傷ついていく子どもたちや教員たち

誰も幸せになっていない……

運動会種目の「そもそも」

運動会って、考えてみれば不思議な行事です。どうしてあんなことするの?という種目も多いことは確か。

たとえば、玉入れ。そして最近の玉入れは、チェッコリ玉入れ。あれはいったいなんなのか気になりませんか?しおちゃんマンはそういうことが気になってしまうタチなのです。

そもそも玉入れの起源は、やっぱり軍事訓練。遠方の敵に対して的確に手榴弾を投げる訓練が起源だったようです。

そしてチェッこり玉入れは、日本では、35年ほど前にCMソングで流れたのをきかっけに小学校の先生が創作ダンスに用いるようになりました。もともとは、アフリカの民族舞踊の音楽が起源。勿論作曲者などは不明。それが、10年くらい前から玉入れに使われるようになりました。同じような物で、ビリーズブートキャンプと玉入れの組み合わせ、志村ケンと加藤茶の「ひげダンス」と玉入れの組み合わせもあるようです。

さて、大玉転がしはどうでしょうか?

大玉転がしの起源は、なんと…、日本の征夷大将軍、坂上田村麻呂が蝦夷地遠征の際に兵士の訓練に用いたのが起源とされており、その際には巨大な雪球が用いられたと伝えられているそうです。

明治時代の "ルーツ運動会" での大玉転がしは、やはり軍事訓練として重量のある荷物を集団ですばやく移動、搬送する訓練として運動会種目になったようです。

ちなみに綱引きは中国が起源とも言われていて、紀元前770年から紀元前403年ごろのやはり軍事技術。

以前にも書いたように、運動会そのものが、軍事訓練がルーツのような面があるので仕方がないことかも。

しかし、たとえルーツが軍事訓練でも、「集団で力をあわせて一つのことを完遂する」という教育的な目的で取り組んでいることは事実。

ちなみに大玉転がしも、危険だという理由で騎馬戦、棒倒しと同様に廃止する学校もあるようです。(本校では、棒倒しはありませんが、大玉転がしも騎馬戦もあります)

昨今の学級崩壊は、こういった廃止に起因する…、と指摘する教育学者も多いそうです。

大玉転がしは、安全面に十分気をつけながら、これからもずっと残していきたい種目の一つです。

挙手の仕方から考える

話し合いに挙手が採用された起源を調べてみると、なんと古代ギリシアの諸ポリスで開催された市民総会。そこでの採決で挙手が採用されています。発言するための挙手もおそらくその頃からかもしれません。

授業で挙手して発言することについては賛否両論。編著「学校珍百景」で批判的にとりあげた「ハンドサイン」についても同様。

しかし一方で、挙手する場合は手をまっすぐあげることがお行儀がよいとする価値観は、日本の学校ではどこにでもあるようです。

ところがドイツはもちろん、ヨーロッパのいくつかの国では、片手をまっすぐ上げることはいけないことなのです。理由はご承知の通りです。そこで発言する場合は、人差し指を一本立て、机に肘がついた状態で挙げるそうです。

道徳を本当に教科化するならば、人間の一つひとつの行動や価値を、子どもの権利、平和と民主主義の側から見直す作業が必要です。教科にするとはそういうことだと思っています。

運動会と出会い直す

本校では、31日(土)が運動会です。

ダンスや集団行動について、『そろっていること』『きちんと並べること』等々ばかり、口うるさく言ってしまい、運動会の意味や、体育の本来の目的が忘れられがち。

んっ?運動会の意味ってなんだ?体育の本来の意味ってなんなんだろう??

そこでまずは運動会のルーツを調べてみました。

下記は以前、日刊通信に書いた文章ですが、参考文献がよくわからなく……。

確か参考文献は城丸章夫先生の『スポーツの夜明け』だったような気がします。

-----↓ここから↓-----
一つは、明治政府が招いた英国の軍事顧問団の提案により1874年、築地の海軍兵学寮で「競闘遊戯」として行ったというもの。その時は徒競走や棒高跳び、三段跳びに加え、二人三脚、肩車競走、豚追い競走等。18種目だったそうです。

かなり軍事教練的で、たとえば海軍兵学寮での「障害物競走」「綱引き」は兵隊の俊敏さや体力を鍛えるのが目的でした。「障害物競走」は前線を駆け抜ける訓練。「綱引き」は重い大砲を挽くためのものという説も。玉入れも、手榴弾とかを投げる訓練だったとか?

一方、「騎馬戦」「棒倒し」は自由民権運動の「圧政棒倒し」「政権争奪騎馬戦」が原点だそうです。

しかしこの運動会は、日本人の教師・学生の自発的な動きとして開かれたものではなく、審判も教師として来ていたイギリス海軍の将校や下士官が行っていました。ゆえにこのイギリス人がいなくなると自然になくなってしまいました。

もう一つの説は、「少年よ大志を抱け」で有名な札幌農学校の運動会がルーツだという説。

クラーク氏は札幌農学校で専門の学問を教えただけでなく、体操やスポーツも教えました。

戸外の様々な運動を奨励し、雪中の長距離遠足なども実施しました。

彼がまいた種は、彼が去った翌年にわが国最初の、日本人の手による運動会として開花したということです。

場所は札幌市北一条通りであり、第1回遊戯会(1878年)と名付け、実施される種目を「力芸」とよびました。

ちなみに第1回遊戯会の種目には、100ヤード走、200ヤード走、四分の一マイル走、半マイル走、一マイル走、走り幅跳び、走り高跳び、棒高跳び、バンマー投げなど、今日の陸上競技種目の他に、二人三脚、竹馬競争、提灯競争、カエル飛び競争、じゃがいも拾い競争、食菓競争(パン食い競争のルーツ)等々、レクレーション的な競技が採用されていることが注目されます。

なぜ最初の遊戯会にレク的な種目が入っていたのかというと、クラーク氏の教えは、学校・学生は地域の中の一員としてあって、共に生活する者としていることが大切であったからです。
-----↑ここまで↑-----

つまり運動会のルーツは、そもそも地域の人たちと共に楽しむものでもあったということなのです。学校の「教育成果」?の発表会ではないということ。

クラスの子どもたちにも、仲間と練習することの「楽しさ」、そして目標をもって共にがんばっていく「楽しさ」を体験してほしいと思っています。

体育の本来の目的については、また次の機会に。

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小学校で37年間学級担任として勤務/現在大学で教師を目指す学生に指導。/最新著書『教師と子どものための働き方改革』(学事出版)//iPhone12 Pro/Surface Laptop3/黒猫大好き/手相は両手とも「ますかけ」。

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ヨシムネ&ねね

しおちゃんマンの飼い猫、黒猫ヨシムネと ねね

ヨシムネ
ヨシムネ ♂
2005年8月生まれ。2006年8月に動物病院からしおちゃんマン家にやってきた。

ねね
ねね ♀
2008年6月生まれ。教え子(当時小6)達が公園で保護。2008年6月よりしおちゃんマン家の家族に。2017年7月28日逝去。

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