「あいさつができること」を学校目標にしている学校が少なくない。そして多くの学校で、子どもたちがあいさつができないことを嘆いている。
校門に、児童会・生徒会の役員や生活委員会……、学校によっては校長自らが立って、登校してくる子にあいさつをしている風景は日本の学校ではめずらしくなくなった。
そこで、「あいさつ」にまつわる三つのこと。
(1) どうして最近の子どもたちはあいさつができないのか。
そもそも最近の子どもたちが教師に対して、友達に対してあいさつをしなくなったのは、コミュニケーションをとる必要を感じなくなったからではないのか。もっと言えば、ある意味 "知らない人" だからである。大人だって、知らない人に気軽にあいさつをするのは勇気がいるはず。子どもたちならなおさらである。
したがって、機械的に「おはよーございま−す!」と言わせるのではなく、あいさつを入口としたコミュニケーションをつくりあげていくことが大切ではないだろうか。簡単に言えば、教師と子どもたち、子どもたち同士はもっと知り合いにならなければいけない、ということ。(昔の学校は教師と子どもたち、子どもたち同士がもっと近い関係にあったように感じる)
(2) 教師は子どもたちに本当の意味で「あいさつ」をしていないのではないか。
教師が子どもに対して「おはよーございます」はおかしい、教師は「おはよー」ではないのか?…、というのが愛知教育大の藤井先生の問題提起。
つまり、教師が子どもに「おはよーございます」と言うのは、 "この通りに言いなさい!" という押しつけが感じられる。つまりこれは「リピート・アフター・ミー」であって、教師から子どもへの「あいさつではない」ということ。私もその通りだと思う。
そう言われてみれば、英語のあいさつは「Hello, how are you doing?」と相手の調子を訪ねる。それに対して、相手も、「Fine!/Not bad./So-so. And you?」とかで応答する。そこから、会話が始まるのがあいさつなのだということを示唆している。
教師の「リピート・アフター・ミー」の考え方は、廊下を走らせない時に「走りません!」というのと同じである。日本の教師は、自分の言う通りに言いなさい・やってみなさい、という「リピート・アフター・ミー」が好きなようだ。
ちなみに私は、「おはよー!○○してきたか?」「おはよー!元気ないけどどうした?」と、「おはよー」のあとに一言付け加えるように心がけている。
(3) 子どもに「距離感」を教えること
距離が近い関係、親密な関係においては、逆にていねいなあいさつをしない場合がある。「よう!」で済ませてすぐに必要なコミュニケーションが始まる。
しかし、形ばかり追いかける学校教育は、こういった関係に目を向けようとはしない。「『よう!』とはなんですか!『おはよーございます』といいなさい!!」などと言ってしまう。子どもからしてみたら、「よう!」で済んでしまう関係の相手にあらためて「おはよーございます」などというのは恥ずかしくてできないし、それを強要する教師に不信感を持つ、ということになる。
しかし一方で、最近の子どもたちは、人との距離感がとれない子が増えていることも事実。いわゆる「失礼な言葉遣い」しかできない子が多いし、それではこの先、やっていけないのではないかと心配になる場合もある。子どもたちに多様な「交わり」を保障し、指導することで距離感を感じることのできる子どもたちを育てることも大切な……、今の時代求められている実践課題ではないだろうか。
<参考>「あいさつ」の教育学
http://d.hatena.ne.jp/fjhiro3/20130605/1370422191