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赤白か紅白か…

運動会の赤白を、 “赤白と呼ぶのか、紅白と呼ぶのか”というお話。どうでもいいようで、どうでもよくないお話です。子どもというのはこういったことに「不思議」「変だ」を感じるのではないか?ということと、学びというのは、実はこういったところから始まるのではないか?というしおちゃんマンのこだわりです。

さて、赤白か紅白か、のお話。

赤と白がたたかうのは、源氏と平家の戦いからきていることは有名なお話です。つまり、源氏は白旗を、平家は赤旗を用いてたたかったところから対抗試合などでの、伝統的な2組の組分けを「紅白対抗」とすることが多いわけです。紅白歌合戦などもその一つの例ですね。

では源平合戦の平家のあか旗は、「赤」なのか「紅」なのか、という問題。

「日本古典文学大系・平家物語」(岩波書店、1959〜60年)によると、平家の旗は「紅旗」ではなく「赤旗」ばかり。源平合戦に由来する2組の戦いは、本来は「赤白合戦」とするべきなのです。ではなぜ赤と白の戦いを紅白対抗と呼ぶのでしょうか。

一つ目の説は、中国の考え方の影響があるという説。中国ではあか、といえば赤ではなく紅の字が多く使われるそうなのです。理由は、紅は単にあかい色を示すだけでなく、『好ましく魅力的な色』とされているからです。例えば「紅人」は人気者、寵児(ちょうじ)という意味。ご祝儀は「紅包」と呼ばれます。紅は色彩だけでなく、縁起の良さや事業の順調さをも示す、幸運の象徴のような漢字なのです。一方、赤は色としてよりも「赤脚(裸足(はだし)になる)」「赤裸裸(丸裸)」——など体を露出する意味で使うことが多いようなのです。転じて「赤貧(貧しい)」など何もない状態を指す言葉にもなるそうです。

二つ目の説は、源平合戦の故事そのものに由来する、という説です。壇ノ浦の戦いの場面にこんなくだりがあります。

 海上には赤旗あかじるしなげすて、かなぐりすてたりければ、龍田川の紅葉ばを嵐の吹ちらしたるがごとし

平家が滅んだ後、そのシンボルだった赤旗が海に散乱した様子を、紅葉の美しい色になぞらえたシーンです。紅は、5世紀ごろ日本に上陸し染料に使われた紅花(べにばな)のことも指します。とりわけ身分の高い人々が好んだ色だったそうです。

ちなみに、日章旗(国旗)の日の丸の部分も赤ではなく紅色と規定されています。日本では、紅色は単なる赤ではない、特別な意味を持つ色のようです。

しかし最近では、紅白ではなく「赤白」で対決の構図を表すケースが多いです。運動会で使う「紅白帽(こうはくぼう)」を「赤白帽(あかしろぼう)」と呼ぶことが多いです。

昭和初期に出た、当時の尋常小学校の図画工作の教師向けの手引書には、「クレヨンは第1学年、第2学年においては、赤色、青色、空色……の8色を用いる」(改正尋常小学図画の指導・1932年)と書いてあります。3年生以降でも紅色は入っていないのです。学校の現場では、紅ではなく赤が「あか」ということです。

また、紅という漢字を習う年齢が遅いことも背景にありそうです。戦後、文部省(現在の文部科学省)は小学校の学年別に習う漢字を定めた。1958年の策定当初は、赤は小学1年で習うが紅は小学校で習う漢字ではありませんでした。紅が正式に入ったのは1980年。それも6年になってようやく習う位置づけで、現在に至っています。

さらには、漢字の読み方も影響しています。紅を「あか」とする訓読みは辞書には載っていますが、国が定めた常用漢字のくくりでは外されています。つまり、子どもたちにとっては、紅組より赤組の方が最初に覚える言葉になるわけです。

海外では、中国は東西や南北対決というように方位で対抗戦を示すします。色別であっても、米国の青(民主党)対赤(共和党)、韓国の青対白など色分けは様々ですね。

さて、日本において、「紅白対抗」という、紅を使った言葉は残るのでしょうか。

以上、赤か紅か、というお話でした。

(日本経済新聞サイト 武類祥子氏のコラムを参考にしました)

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運動会で見られなくなった競技 等

最近、運動会で見られなくなった競技や風景。(あくまでも私のまわりですが)

●パン食い競争
昭和の運動会の定番でしたが、衛生面を考えてか、最近は見られなくなりました。同様の理由で敬遠されがちなのが、飴食い競争(アメ玉を粉から探し出すやつ)。

●棒倒し
小学校ではめっきり見なくなりました。大きな事故があってからだと思います。同様に、組体操も安全面において問題になってきています。

●職員競技
教師だけによる競技。最近は、それどころじゃない、といった教師の意識や、時間短縮の理由でめったにやらなくなりました。私が若い時は、校長先生や教頭先生による、仮装競争などもやったものですが。

●女子だけのダンス
男子は騎馬戦や組体操、女子は表現ダンス、といった分け方はもうされなくなりました。男女一緒に競技したり演技したりすることがほとんどです。

●地区対抗リレー
これはまだまだ残っている地域が多いのでは?しかし私のまわりではなくなりました。地区ごとに子どもの数に差があったり、逆に過熱しすぎたり、といった理由です。

●フォークダンス
林間学校などではまだやられていますが、運動会ではやっているところはほとんどなくなりました。

●入場行進
トラックを歩く入場行進がなくなりました。今は応援席から前に向かって一斉に歩いていくのが多いです。以前は、朝礼台の上に立っている校長先生に向かって、かしらー、みぎ、なんてやっていました。

●4等以降の流れ解散
3等までは並んで座っていて、4等以降はゴールしたらそのまま応援席に行く風景がなくなりました。今は、4等以降の子も、一緒に並んで座っていて、全員一斉に退場する学校が多いです。

(このシリーズ、つづくかも…)

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運動会の場所取り問題から

運動会の観戦場所や昼食場所の場所取り問題……。本校は、すぐ隣に広い公園があるので助かっているのですが、学校によってはこの場所取り問題が深刻化しているところもあります。

この場所取りでトラブルが絶えず、昼食は、 "児童は教室で、保護者は自宅に帰って"、と、別々にとる学校もあります。

この場所取りの問題の他に、飲酒問題もあります。酔っぱらってしまった保護者が、子どもたちにヤジをとばしたり、競技中に乱入したりする学校も……。

さらに喫煙問題。学校敷地内はいつでも禁煙。運動会では喫煙者のために門から出たところに喫煙場所を設ける学校もあります。にもかかわらず砂場に吸い終わったタバコがささっている…。以前、悲しい気分で掃除をした経験があります。

運動会は学校の教育的行事であるとともに、地域のお祭り的な要素をもったものです。お酒くらい良いのではないか?と考えていたのですが、もうそういった時代ではなくなってしまいました。

それどころか、学校が地域から大切にされなくなってきた、という実感があります。しかしそれは、むしろ学校に(文科省や国の政策としての学校に)責任があるのではないでしょうか。

国は学校を、その手元から、地域に返すべきだと考えています。学校は地域に大切にされるべきです。そして国はその支援にこそ力を入れてほしい。

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運動会競技それぞれの起源

つなひきについて調べたら、他の競技についても調べてみたくなりました。

今も残る種目の多くは明治30年代後半に始まっています。

“玉入れ”はバスケットボールから、“騎馬戦”は戦争ごっこから派生したようです。“障害物競走”はイギリス発祥の乗馬障害レースをアレンジしたもの。

また、最近の玉入れは、チェッコリダンスの後に玉入れして、また踊って...の繰り返しという玉入れが急増していますね。

チェッコリダンスはガーナの曲のようです。本家の歌では「チェックレ」という発音で、子どもたちが輪唱するのが一般的な遊びだそうです。チェッコリには意味はなく、日本の「せっせっせのヨイヨイヨイ」みたいな掛け声だというこてず。

ちなみに、チェッコリの始まりは、1957年のガールスカウトの世界大会の際に参加者が日本に持ち帰った、ということでした。

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つなひきの起源は神事?

運動会、3年生の団体競技は「つなひき」です。子どもたちの競技の他に、保護者のみなさんにも参加していただき、「親子お助け綱引き」も行います。そこで「つなひき」についていろいろ調べてみました。

綱引競技の起源は、世界各地で見られる様々な形での神事だと言われています。

「綱を引く」行為は、古代より、豊作を祈る行事、争いごとを鎮める手段、領土を獲得する為のものなど、儀式と信仰の行為として見られるのです。

日本でも「綱引」の神事は、五穀豊穣や吉凶を占う儀式として各地で行われており、現在も各地で様々な形の綱引が数多く行われています。有名な綱引としては、秋田県の「大曲の大綱引」、佐賀県の「呼子大綱引」、鹿児島県の「川内大綱引」、沖縄県の「与那原の大綱引」など、いずれも豊作、豊漁を占う催事として行われ、現在でも多くの地域で伝統行事として引き継がれています。

一方、神話の世界にも「綱引」は登場し、出雲風土記の「国引き」伝説などよく知られています。

遊戯・競技としては、日本ではまず、鎌倉、室町時代に入って庶民の遊戯が盛んになり、首引き、指引き、腕押しなどとともに遊戯として「綱引」が行われるようになりました。この様子は、室町時代の作品「洛中洛外図」や、名古屋城の襖絵などにその情景が描かれ、庶民の遊戯として親しまれていたものと思われます。

さらに明治以降、国内各地で行われるようになった運動会の普及とともに、体育的行事の種目として現在まで広く行われています。

※明治13年には明治天皇が、吹き上げ御所で近衛兵による「綱引」をご覧になったということが、明治天皇行幸年表に記録されているとの事です。

※近代オリンピックでは、1900年第2回パリ大会から1920年第7回アントワープ大会まで、綱引競技はアスレチック競技(陸上競技)種目に含まれていましたが、参加競技者の身体の肥大化が問題となり、第8回大会以降オリンピック競技から削除されました。

神事が運動会の競技になったのは、「つなひき」ぐらいかもしれませんね。

(公益社団法人日本綱引連盟Webサイト等々を、参考にしました)

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双葉(子葉)の役割

双葉(子葉)から、本葉が出てきたヒマワリです。(5/11)

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調べてみると、双葉(子葉)は、「葉」というよりも「タネ」だと考えた方が良いようです。タネが二つに割れたものが子葉と考えるのだそうです。

子葉にはタネが持っていたデンプンや油分、タンパク質などがそのまま入っています。生まれたばかりの魚が、おなかに大きな卵黄を抱えていますが、あれと同じように考えればわかりやすい。

また、双葉(子葉)は、葉緑体も持っているので、本葉が出るまでの間は盛んに光合成もします。

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ダンスの練習が始まった

本校の運動会は今月の30日。2学期に行っていた運動会が1学期になって2年目です。

運動会の練習で一番時間をかけるのが、ダンス演技。3年生は「嵐」の曲で踊ることになりました。ふりつけは今風の動きの速いやつ……。しおちゃんマンは残念ながらついていけません。www

運動会の練習で一番いけないのは、教師の思い通りに動かそうとして、怒鳴りながらの指導?になってしまうこと。そうならないようにしていかないと。

踊りを踊ることって、本来楽しいことのはず。そのことを忘れずに、子どもたちと一緒に楽しみたいです。

そんなことを考えていたら、懐かしい動画をみつけました。



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「集団行動」って?

運動会練習が始まった学校が多いのではないでしょうか。この時期、「集団行動の基本的動作」の指導?についていろいろ考えさせられます。集団行動ってなんだろう?なんのためにやっているのか等々……。なぜなら、私自身が集団行動を強いられるのも、そして指導?するのも嫌いだからかもしれません。

※集団行動(しゅうだんこうどう)とは各種の組織・集団が、同一の目標の下に、規律のある行動を取ることを指す。統制(集団)行動-学校体育・警察学校・軍隊入隊等の初期の授業で実施されることが多い。気をつけの姿勢、前へならえなどから始まり、人員点呼等もあり集団を目的地にまで円滑にすすめるには必要だとされる。(Wikipediaより)

集団行動について、軍事訓練のようだと批判する意見もありますが、軍隊と体育について研究の深い城丸章夫は、いわゆる「気ヲツケ、前ヘナラヘ」等々の指導は、「儀式的動作」の指導であって、こんなことばかりしていたら戦争には勝てない、と述べています。

ではどうして軍隊においてこういった指導をするのか…。それは「儀式的動作」の指導は上への『服従訓練』だとして、いわゆる戦場での軍事訓練とは別に考えるべきだとしました。

そして、軍隊には、軍国主義的軍隊と、民主的軍隊(個々の兵の自主性が基本。旧ベトナムのゲリラのようなイメージか?)とがあり、軍国主義的軍隊には服従が基本であり、リーダーの判断の誤りがその隊を全滅に導くことが多々あった、ということです。

う〜ん、これはおもしろいところに深入りしそうです。服従と自主性、体育と集団行動……、城丸先生の全集をもう少し読み進めます。

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ヒマワリの "ふたば"

プランターに撒いたヒマワリの種から、ふたば(子葉)が出ました。

5月7日に花壇に植えかえました。写真は、その時のものです。

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最近の関東地方、首都圏の小学校で、2mサイズのヒマワリを見かけなくなりました。なぜでしょうか?昔はどの小学校にも、子どもの身長をはるかに超して、子どもの顔の2倍ほどある花を咲かせたヒマワリが咲いていたものですが……。

一つは、低学年の理科がなくなって生活科になったこと。二つ目は、様々な植物を育てることになり、ヒマワリでけではなくなったこと。三つ目は、一人ひと鉢の方針もあり、子どもたちが植木鉢やプランターで植物を育てるようになり、大きなヒマワリが敬遠される傾向があること。

私の学年も(3年生)、オクラ、マリーゴールド、ホウセンカ、エダマメをプランターで育てます。ただ、2mを超すヒマワリを子どもたちが見てみたいという声もあり、花壇でヒマワリを育てています。

大きくなればいいなぁ。

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体育座り

運動会の季節になりました。(いまや運動会は秋ではなく、春の行事になりましたね)

ところで、国語辞典編纂者。『三省堂国語辞典』編集委員の飯間浩明さんという方が、ツイッターで、体育座りをなんと言うか、地域ごとに調べたことがネットで話題になっています。以下、その地図資料です。

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実はこの座り方については、我が "学校珍百景チーム" でも、あれはいったいなんなんだ?と目をつけていまして、「学校珍百景」の第一弾でも取り上げました。

学校珍百景

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調べてみてわかってきたのは、体育座りに限らず、どうやらこういった「集団行動」はドイツの軍隊からの輸入品ではないのか?という予想です。(まだ検証していません)。たとえばこの座り方から立つ時に「ヤー!」とかけ声をかける地域があるのですが、実はこの「ヤー!」というのはドイツ語の「Ja」(Yesの意味)だという説があるのです。(それが良いとか悪いとかではなく)

さて……、3.11から今日まで、緊急時の集団行動や、意思疎通、さらにはリーダーが判断することについて本気で考えられてきたのか?という疑問があります。

「指示を出す」「同時に一致して動く」とはどういう意味なのか、そしてそのために必要な指示の仕方やシステム、さらに、その時に留意しなければならないことなど、運動会で集団行動を要求する教師として、もう一度考えなければならない課題だと思っています。

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できる系男子

「できる系男子」という若者たちがいることに気づきました。以下、偏見と遊びの文章なので、真剣につっこむの無し……www。

「できる系男子」とは、

1.誰もが聞いたことのある名前の会社に就職していて、親からの仕送りがあるので、居酒屋よりもちょっと高めの店に出没。

2.飲みの席では、自分で話題をふって自分で大声で笑う、といった特徴を持つ。以降、やたらと笑い声が大きいが、涙を流すくらい笑うことはない。

3.仲間のことを出身地や、「ナンコウエ(何個上)、ナンコシタ(何個下)」という独特のイントネーションで年齢情報を持っている。

4.実は叱られることが多いのであるが、それを愚痴として漏らすことなく、「あの人は、ああいう人だから」といった上から目線で上司を語る。

5.カラオケでは、エグザイルのバラードを歌いあげる。

6.彼女や奥さんにはかなり家父長的。自分の子どもにはサービスはするが、いきなりキレることもあり。

7.仕事のスタイルやリーダーシップは、本や雑誌そのまま。ある意味、勉強?している。

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4,5月が大変なのは子どもも同様

新年度スタート時の教師の大変さについて意図的に書いてきました。しかし実は、4,5月が大変なのは子どもも同様だ、というお話です。

最近の小学校の多くは、毎年学級編成替えをするようになりました。いじめ関係が解消できなかったり、担任と保護者との関係、保護者同士のこじれた関係を一度リセットしたいという考えもあるようです。

ということで、子どももまた、教師と同じように毎年毎年新年度スタート時に「人間関係のつくりなおし」をしなければならなくなりました。

4月当初の子どもたちのテンションが異常に高かったり、逆に極端に低かったりしているのは、どこまで許されるのか・ふざけられる自分をアピール、といった距離のとり合い・さぐりあいをしていることと、様子を見定めたりしているせいです。

そこに教師は、ルールやマナーを厳しく押し付け、舐められないように上下関係を教えていこうとしているのですから、担任と子どもたちとの関係が良くなるはずがないということです。

教師と子どもたちの思いとのこうしたすれ違いは、5,6月に結果として表れてきます。

子どもたちの中に上下関係や、格差が出てきたり、教師の指導が小さなきっかけで突然何もかも入らなくなったりするのもこの時期です。

私たちは、子どもたちの思いや苦悩を知り、応答していくべきです。教師自身の「人間関係のつくりなおし」に翻弄され、自分を見失い、子どもを見失う、といった悪循環を断ち切ろうではありませんか。

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4月に何が起こったのか(2)

やっと連休になったと思ったら、グッタリしているうちにその連休も終わってしまう……、という感じですね。

さて、 "4月の学校現場が、なぜあんなに「濃く」(刺激的なことがたくさんあったように)感じた" のでしょうか?。最近の学校現場の4月に、いったい何が起こっているのでしょうか?考えてみたことを少し書いてみることにしました。

●子どものことは『さておき思想』

私は、

(1) 新年度の準備が "子どものことはさておき" 教師の「人間関係のつくりなおし」優先に進みがちなこと……、

(2) そして、「そうであってはいけない」「目の前の子どものことを優先させねば…」といった教師の良心との葛藤もあること……、

が、4月の「濃さ」と「多忙感」を生み出している、と考えてみました。

教師は職場において、毎年「人間関係のつくりなおし」をするわけですが、最近の「人間関係のつくりなおし」は、それぞれの力関係をはかったり、足並みをそろえる気遣いであったり、管理職や影響力のある同僚に対する自分の位置づくりであったり、とてもとても神経を使うので必要以上に疲れるのです。しかもそれが実践とリンクしていることに難しさがあります。

たとえば多くの学校で4月に最初の学習参観があるわけですが、その準備は、授業内容よりも教室掲示物の足並みをどうそろえるかに時間をかけてしまう……。これは、指導の問題ではなく、教師の人間関係のづくりをしているのではないか?と私はとらえています。

※学級目標はみんな違うのが当たり前だと思うのですが、それが最近では通用しない。しかもそれをどこに貼るのか、柱から何センチ…まで決めている。『みんなちがって、みんないい』という、どの学級も同じ目標を同じ場所に貼るのはおかしいだろ、ということに気づかない。それは中身の問題ではなく、保護者との関係や学年間の人間関係をはかっているという証拠ではないかと。

※しかも最近は、授業内容まで(流れまで)どのクラスもそろえましょう、みたいなことも始まっていますね。しかもしかもその内容が、教育委員会や文科省が降ろしてきた内容で。そういった例は「道徳」に多いようです。

しかし残念ながら「子どものことはさておき」のスタンスは4月だけでなくこれからもずっとずっと強いられていくのが最近の傾向。

つまり、国が決めた方針優先で、それが目の前の子どもたちや地域の実態に合っていなくても、『それはさておき』、国に言われたことを優先しなければならない……。

※私はこれを、日本の公立学校の『大日本国立学校』化と呼んでいます。

リアルな子どもたちのことはさておき、上から降りてきたことをこなさなければならないので、とてつもない多忙感があるのが最近の学校現場の特徴だと考えています。

●「調教思想」とあいかわらずの「指導の家父長思想」

こうした異常な多忙感に加えて、教師の中に『子どもたちに4月中に教え込んでおかなければならない』と、 "思い込んでいる" ことが、必要以上の「多忙感と焦り」を生み出していることが4月の特徴です。

これは、 "子どもたちが教師のいうことを効くうちに、ルールやマナーを教え込んでいくべき" といった日本の教師の中にある時期から一気に広がった姑息な『調教思想』と、 "最初に厳しくしておかないと子どもたちに舐められる" といった、あいかわらずの『指導の家父長思想』のせいだと分析しています。

さらにやっかいなのは、その調教の成果が、先に述べた、教師の人間関係のつくりなおしに大きく影響していく(ように見える)ことです。

年度当初に大切なのは、子ども1人ひとりについて「知る」ことです。そのために、「聴き取る」ことです。そしてその過程において、子どもたちと「仲良く」なることです。そしてそれを安心感と信頼関係へ、そして自治へと発展させていくことです。

ところがやっかいなことに、聴き取ることを優先すると、どうしても最初は学級がガチャガチャしているように見えてしまう。教師と子どもたちとの距離が「近すぎる」ように見えてしまう……。

しかし、学級が最初はガチャガチャしていてよいのです。それが自然。そして子どもから聴き取るためには、子どもとの距離を近くしなければ聴きとれないのでは?最近の現場の誤った価値観の中で、私たちもまたその闘いに負けしまったり、揺れてしまったりしていないでしょうか?

※一方で、私は「揺れること」も大切だと考えています。そのことについてはまた機会があれば、

私たちは、子どもの側に立って実践を構築しようとしています。そしてそのために4月にどんな出会いをしてもその後どのように指導を見通していくのかということも大切な研究の柱にしたはず……。

では、 "子どもの側に立つ" とか、 "指導の見通しを持つ" とはどういったことなのでしょうか。

少しだけ書くつもりが長くなってしまいました。今回はここらへんでやめておきます。

連休後半、ゆっくり体を休めて下さい。

4月、お疲れさまでした。


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 塩崎義明(しおちゃんマン)の公式メインブログです。教育問題について語ります。

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 37年間千葉県浦安市の小学校現場で学級担任として勤導論などを担当。全国生活指導研究協議会常任委員。黒猫大好き。

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ヨシムネ&ねね

しおちゃんマンの飼い猫、黒猫ヨシムネと ねね

ヨシムネ
ヨシムネ ♂
2005年8月生まれ。2006年8月に動物病院からしおちゃんマン家にやってきた。

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ねね ♀
2008年6月生まれ。教え子(当時小6)達が公園で保護。2008年6月よりしおちゃんマン家の家族に。2017年7月28日逝去。

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