●異年齢遊び集団の中での知恵
かつて地域には、異年齢の遊び集団がありました。つまり、年齢の違う者が一緒になって同じ遊びをしていたということです。
しかし、同じ遊びをするということは、そこに当然ハンディが生まれてきます。逃げる、追うの走力が備わってなければならない鬼遊びであれば、幼い子どもたちは簡単に捕まってしまいます。これではせっかくの楽しい遊びも面白くなくなってしまいます。遊び自体が成立しなくなる危険も出てきます。そんな中で子どもたちが考え出したシステムが「ミソッカス」制度です。
「ミソッカス」とは、たとえば走力、体力の劣る小さな子どもは、全員の了解によって「ミソッカス」とし、一緒に遊ぶけれど捕まっても鬼にならないようにしたり、わざと見逃したりする「制度」です。
注目すべきは、この制度が、日本全国に共通に広がっていた、ということです。
「ミソッカス」制度が、全国に共通に存在していた証拠として、地方によって様々な呼び方がある、ということがあげられます。
アブラボウズ(長野)、オマメ(岡山)、オミソ(神奈川)、カス(和歌山)、カズノコ(富山)、コヌカ(岐阜)、ダゴ(静岡)、ボウヤ(群馬)、
ハンパ(大阪)、ミッキ、ミッキョ、ミッチョ(兵庫)、などが知られています。そしてさらに、地域によってその呼び名に若干の違いもあるようです。みなさんの地方、地域ではどんな呼び方をしていたでしょうか。
●蔑称ではなく「つながる」ための知恵
「ミソッカス」とは、味噌の「滓」ですから、いらないもの、臭いものという意味で、一見蔑称のように聞こえます。また、そのルールも、一人前に扱ってもらえないのですから、差別的な制度のように見えるのです。しかし意味はまったく逆であったということを私たちは知らなければなりません。
つまり、当時の子どもたちは、「ミソッカス」の子をつくることで、その子を排除するのではなく、仲間として受け入れていたということです。
また、「ミソッカス」のルールと対象になる子を決めるのは、遊び集団の年長者やガキ大将だったはずです。ところが、誰が対象でどんなルールを適用するのかは、はっきりと確認されたり、その子に言い渡したりはしなかったような気がするのです。つまり極めてあいまいだったと思います。そこにも当時の子どもたちの、幼い子どもたちに対する優しさと、気遣いが伝わってくるような気がするのです。
ちなみに、「アートーデー」(後でなら……)という遊びの断り方についても、当時の子どもたちの優しさと気遣いが感じられるのです。「ムリー」(無理)と冷たく断ることはしなかったということです。
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