2015/11/30
悼む心
電車の人身事故に出くわしたことがあります。一番前の車両に乗っていて、ホームに入る時に急ブレーキがかかり、ドンッという音がしました。
あわててホームを見てみると、みんな驚いた顔で立ち尽くしていたので、誰かが線路に飛び込んだか、あるいは落ちたことがすぐにわかりました。
一番前の車両なので、運転手の様子がわかります。すごくあわてていて、手元にあった電話機で何やら叫んでいました。
やがて車内放送で、人身事故があったことが伝えられましたが、その声が震えていたことがとてもリアルな感じがして、おそらく一つの命が失われてしまったことについて、とてもつらくて悲しくなりました。
そして、一番前の車両にいるのが嫌だったので、後ろの車両に移動したのですが、なぜか多くの人たちとすれ違いました。そして手にはスマホが……。
まさかと思って振り返ってみると、前に移動していった人たちは、運転席の向こう側を、競うようにスマホで写真を写していたのです。
ホームに降りても同様な光景が山のようにありました。
少し時間がたち、その事故についてネットで調べてみました。どのような人が亡くなったのか知ることでご冥福をお祈りしたかったからです。なにしろ、すぐ目の前で亡くなったのですから。
しかし、ネットで人身事故を調べてみてびっくり。
目をそむけたくなるような他の事故の写真が(実際は見ていないのですが。おそらくそのような写真が)満載なのです。
自分が遭遇した事故でも、多くの人がスマホ片手に写真を撮っていたことを思い出しました。おそらくそのような経緯ででネットに掲載されているのでしょう。中には、新聞社やテレビ作成会社が高く買い取ることもあるとか……。まさに「一億総パパラッチ化」なのだと思いました。
何か間違っていないか?と思いました。
確かに、情報が素早く正確に伝わり、犯罪などでは犯人逮捕につながる情報もあるでしょう。
しかし、しつこいようですが、何か間違えていないか。何か私たちは失っていないか。
日本人には、悼む心を失ってしまったのだと思います。いや、正確に言うと、悼み合う関係を失ってしまったと言えるのかもしれません。
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