FC2ブログ

(幼)小中連携の先に何を見ているのか

あいかわらず現場には、小中連携、小中連携…と、ウルサク言われ続けているわけですが、どうしてそのことが大切なのか、何を目的とした連携なのかがなかなか見えてきません。

今のところ、進級・進学した時のギャップをなくすだの、給食当番のやり方までも統一したスタンダード作りだの、なんだそりゃ?みたいなことばかりが目立っていて、もしかしたら国もこんなことになるとは思っていなかったのかも、と。(笑)

小中連携の本当のねらいは、6・3・3制の見直しであることは、当初からわかっていたわけで、そのことが研究されないことは、国側も、現場側もマズイのではないかと。しかし大事なのはさらにその先。

つまり、なぜ6・3・3制を見直そうとしているのか、そして、国は学校体制をどのように改革していこうとしているのかを考えなければなりません。私が考えるに、どうやら『学校の複線化』が見え隠れしている。

中高一貫校、小中一貫校、633制学校、フリースクール…、といった、幼稚園保育園、フリースクールも巻き込んだ、複線化した学校体制を見ているのではないかと。

だとしたら、次に考えているのは、当然教員免許制度の見直し。このままでは、複線化した学校制度に対応できないからです。教員免許を国家免許にすることを前面に出しながら、複線化に対応した制度を押し出してくるでしょう。

小中連携と教員免許制度の見直し……、この二つをリンクさせながら考えていくべきだと思っています。

今年度もインフルエンザ流行の兆し

今年度もインフルエンザが広がってしまう季節になりました。

注射をしても、マスクをしても、うがい手洗いを続けても、どうしても広がってしまう……。

学級閉鎖になる時って、教室の座席ごとに休んでいくので、リアルにうつっていくことがわかるくらいです。

昨年度は、A、Bの両方が順に広がってしまい、2回の学級閉鎖を経験してしまいました。

三学期は期間が短い上にこんな感じでは、なんともやりきれない。なんとかならないものかと……。


<参考 政府広報オンラインより引用>

【インフルエンザから身を守る】

1)正しい手洗い

外出先から帰宅時や調理の前後、食事前などこまめに手を洗う。

2)ふだんの健康管理

インフルエンザは免疫力が弱っていると、感染しやすくなったり、感染したときに症状が重くなったりしてしまう。ふだんから、十分な睡眠とバランスのよい食事を心がけ、免疫力を高めておくこと。

3)予防接種を受ける

予防接種(ワクチン)は、インフルエンザが発症する可能性を減らし、もし発症しても重い症状になるのを防ぐ効果があると言われているが……。

※ワクチンの効果が持続する期間は一般的に5か月程度。流行するウイルスの型は毎年変わるため、毎年、接種する必要あり。

4)適度な湿度を保つ

のどの粘膜の防御機能を保つために乾燥しやすい室内では加湿器などを使って、適切な湿度(50%~60%)に。

5)人混への外出を控える

月に10冊

本校の校長が、3学期始業式で全校の子どもたちに、自分は年間100冊の本を読むことを目標にしたと話をしていました。そこで、自分も、「読むこと」の基本に立ち返ってみようと思ったしだいです。

まずは、新聞を複数紙読むことにしたことは、昨日書きました。

さて、本の方ですが、月10冊に届くか、届かないか、というところでしょうか。一番の敵は、読む時間がないこと。これは意図的に時間をつくっていくしかないです。そのためには、何かの時間を削らなければならない。

二つ目の課題は、読みたい本が必ずしも書店には置いていないこと。ネット注文すると、どうしても時間がたってしまうので、読みたい!という気持ちが変化してしまう場合があること。

次は、生活費における、書籍にまわすお金の問題。少し、流れを変えていななければ本が手に入らない。

まずは、月目標を、10冊としました。

次に、土日に、図書館通いをしてみることにしました。毎週でなくても、そこで何冊か読みたい本を見つけられるかもしれません。

あとは、新聞や中刷りで、できるだけ早く新刊本情報をつかむこと。

読んだ本を記録するアプリもスマホに入れました。目標にどこまでせまれるか楽しみです。

新聞は複数紙

毎日、新聞を複数紙読むことを自分に課しています。

私の場合、どうしても全部読もうとしてしまって、結局何も入ってこない、ということがあります。そこでとりあえず、

(1) 読み方は意識しない。とにかくざっと目を通しているうちに、自分なりの読み方を発見できるだろう。

(2) 印象に残った記事や広告は、切り取ってクリアファイルに入れておこう。

この二つだけ自分の中で決めました。

自分なりの読み方が決まったら、またここで報告します。

ちなみに今は、朝日と讀賣を読んでいます。

あと、地方紙を増やすかもしれません。

『スクールブラック』の時代を生き抜く (終)

(5) 独り言は誰にも止められない

民主的なルールと "気遣いのあるマナー" で、深い話し合いができているでしょうか。

職員会議で意見を言う者が、次のように見られていないでしょうか。

・決められたことに対していちいち反対する厄介者/・反対し、何もやらず、結局は他の人たちに仕事を押し付けている。/・職員のチームワークを乱す者。/・どうせやらなければならないことについて意見を言うのは時間の無駄。/・空気を読まない、残念な人。/・人間関係を乱す人。/・仕事ができないから文句を言っているだけ。/・意見を言う人に限って、クラスがぐちゃぐちゃ。/エトセトラ……

そんな風に見られるのが嫌で、言いたいことがあっても何も言わなくなる……。

文句を言う人たちと自分は違うことを示すたびに、意見は言わずに、かげでそういった人たちを批判したり、排除したりする……。

そんな時代が長く続きました。

しかし、今は違うと思っています。

それは、上から降りてくることが、上記のようなことを超えて、あまりにも理不尽だからです。誰かが言ってくれないか……、自分も言いたいことがたくさんある、そんなふうに変わってきたと思っています。

しかしそれでも、上からしてみれば、自分の思い通りにコトが進まないのはいい気分ではありません。自分のさらに上からのプレッシャーもあります。意見を言わせないように押さえつける管理職のみなさんがたくさんいます。

教育内容は、異議があるから深まります。これは民間でも一緒。意見を闘わせた案件のほうが、質が高まるのは当たり前。

意見を述べることはいけないことではありません。むしろ必要なこと。時間がないのは、意見を言うからではなくて、その時間を大切に保障していないからです。

「自分など、まだまだ意見を言える力量ではない」「意見を言う資格はない」と若い人たちは言うのですが、それは違う。子どもにそんな指導はしていないはず。理解を得られない意見、間違った意見を言ってしまうとしたら、それは周りが正してくれるのであって、そうやって私たちは力をつけていくのだし、子どもにもそう教えているはず。

意見を言うことをあきらめてはいけません。どうせプリントに書いてあることをやればいい、あとでそのプリントを読んでおけばいいと、職員会議で別な仕事をしている学校が増えました。そんなことは、他の職種では考えられないこと。

もし、意見は言えない雰囲気だったら、独り言を言えばいい。独り言はだれにも止められません。教育内容や案件について、独り言でいいから何らかのアクションをしていきましょう。それがこの時代を生き抜く教師として大切なことだと思っています。

(ミニ連載を終わります。読んでいただき、ありがとうございました。)

『スクールブラック』の時代を生き抜く (4)

(4) 「授業」をあそぶ

私が主張している「『授業』をあそぶ」とは、「楽しい授業」とは違います。つまり、子どもを楽しませることとは違います。

ゲーム的な要素を取り入れて、楽しんでいるうちにトレーニングされるといった、「集団あそび」的な授業・活動とも違う……。

もちろん、お笑い的な要素をたくさん取り入れるものでもありません。

上記のような授業を否定はしていません。むしろ大賛成で、私もたくさん取り入れてきています。

ただ、「『授業』をあそぶ」と言ったときに、そういった意味ではない、ということです。

「授業」をあそぶとは、私の場合、もっと挑発的で、風刺的です。隠された真実をさぐる、という意味では、発見的でもあります。

私自身の授業で思いつくのは、

▼泊原発の授業(6年生総合)
http://shiozaki.blog48.fc2.com/blog-entry-1582.html
▼猿払村(6年生総合)
http://shiozaki.blog48.fc2.com/blog-entry-1586.html

▼二義文の授業(5年生国語)
http://shiozaki.blog48.fc2.com/blog-entry-581.html

▼焼き蛤の授業(3年生)
http://shiochanman.com/report/yakihama/hamaguri.html
▼やきはまぐり屋さんの『さつまや』(3年生)
http://shiozaki.blog48.fc2.com/blog-entry-996.html

▼『我々がスポーツをする理由』(5年生道徳)
http://shiozaki.blog48.fc2.com/blog-entry-3207.html

▼エッシャーの作品から物語を書いてみる(小6国語)
http://shiochanman.com/report/escher/

▼銭湯物語(3年生社会)
http://shiochanman.com/report/sentou.html

▼「一枚の写真」の授業(中学年)
http://shiochanman.com/asahi04/asahi04.html
▼合同学校訪問の授業(中学年)
http://shiozaki.info/mt/archives/2005/01/26/index.html

★サザエさんの授業
※サザエさんの四コマ漫画で授業を遊ぶ。著作権の関係で資料なし

……、などがあげられます。

特徴としては、真実だと伝えられてきた中に実は隠された真実があったり、わかっていたようでわからなかったことがあったことに気づいたり…、といったことでしょうか。

自分の中に、反権力の発想があったり、声を封じようとする力に反発する発想があったりするのだと思います。

さらに、自分の中に、どこか「たかが学校じゃないか」という思いがあることも確か。だから、真剣に「授業」をあそぶことができるのかもしれません。そう言う意味では「されど学校」だということです。

『スクールブラック』の時代を生き抜く (3)

(3) 子どもや保護者は味方になってくれるのか?

この連載は、プロットこそ事前に準備はしておきましたが、その内容については、その日その日の思い付きで書いています。それで、多少矛盾した部分が出てくるかと思いますが、本筋は一貫していると思いますので、どうぞご理解ください。

さて、今日は、子どもたちや保護者との関係についてです。

「関係をどう結ぶか」というテーマを掲げてしまうと、書籍一冊分になってしまいます。ここでは、現状とどう向き合うかだけ、提起しておきたいと思います。

以前、子ども、保護者と、教師との関係を一言で表現してほしいと記者に問われたことがあるのですが、その時答えたことが、

「子どもは期待しているが、保護者は安心・安全を要求。教師には一般常識は要求しているが教育成果については期待していない。むしろ何もしてくれるな、余計なことをするな、というスタンス。」

と、答えたような記憶があります。

では、子どもは何を期待しているのかというと、

・話を聞いてくれること
・授業や話がおもしろいこと

が、上位で、その次に、「わかる授業」が出てくる。

逆に敬遠されることは、

×笑わせ方がわざとらしい
×やたら、熱く指導する
×授業がわからない

が、上位。

さて、もちろん私たちは、子どもの指導を通して保護者の皆さんから安心と信頼を得なければならないわけですが、まずは保護者のみなさんの子育ての厳しさに共感していこうとする姿勢が大切かと。

自分の指導がうまくいかないからと言って、それを親の子育ての責任に転嫁しないこと。むしろ、一緒に何かできないのかどうかを考えるべき。いや、何もできなくても、一緒に頭を抱えることが大切。

子どもの指導については、授業時間外での雑談を大切に。雑談を通してその子を理解していくこと。

ルールは守らせることより、作る力をつけることを。

そして、一斉授業の技を磨くこと。その中で、子ども同士のやりとりの中から "学び" を生み出すことを大切に。なお、授業をどう遊ぶかについては、次回に書きます。

最後に、毎日続けるこだわりの実践を武器にすること。私の場合、日刊通信の発行と、毎朝の読み聞かせを続けています。

『スクールブラック』の時代を生き抜く (ハーフタイム)

調べてみると、私が「学校が『ブラック企業化』している」と言い出したのは、2013年の夏のようです。

それ以前に、この言葉を使っている資料がありましたら、お知らせください。

その件について、あるメーリングリストで、次のように報告していました。そこで簡単な定義はしているようです。

----↓ここから↓----

塩崎です。

ブログやTwitterで、学校が「ブラック企業」化していると書いてみたところ、多くの反響があり、Twitterのフォロワーが一気に1000名を超えました。

▼学校が「ブラック企業」化している(2013/7/23)
http://shiozaki.blog48.fc2.com/blog-entry-2006.html

そこで、ブラックな学校の定義を考えてみました。みなさんの現場ではいかがでしょうか?

-----
[ブラックな学校]
教師を酷使・選別し、使い捨てにする学校。当然、そういった現場では、子どもの権利など守られず、保障もされない。

教師に、度を超えた長時間労働やノルマを課し(自ら課すことも含む)、耐え抜いているよう見える者だけを引き上げる。(「できる教師」という評価をする)

仕事や、指導(ここでいう「指導」とは子どもの管理・支配・洗脳)ができない、……、特に若年職員に対して、パワハラ、セクハラなどで肉体・精神を追い詰めていく。
-----

私たちもまた、いつのまにかこういったブラック化にそまり、自らを縛っていないでしょうか?

今こそ、現場での対話と、外への発信が求められていると考えています。

----↑ここまで↑----

『スクールブラック』の時代を生き抜く (2)

(2) 当面のしのぎ方を学ぶ

いくら「教育革新派」であっても、上から降りてくるものをなんでもかんでも拒否し、無視していては日常が成り立たない。革新的な思いを持ちつつ、当面生きていくためのスキルをもっていなければならない、というのが私個人の考え方。

※「教育革新派」
便宜的に使っただけ。私自身の言いたいこととマッチしているかどうかは疑問。教育において、「平和」「民主主義」「自由」「人権」を大切にし、国家のための教育ではなく、国家をつくることのできる個としての民主的人格を育てたいと願い、実践している者。

大切にしていることは、次の三つ。

(1) どのようにして仕事を効率的に進めるのか。

私が、手帳や身の回りの整理整頓にこだわるのは、上記のことと大いに関係あり。

(2) やらなければならないことではなく、やらなくていいことを見極める目。

(3) 教育へのスタンスの違いを超えた、周りへの気遣い。

この三つで、十分生き抜いていけると思っています。

ただ、一つひとつが、かなり難儀で深く、難しいことは言うまでもないのですが。

ぜひご検討ください。

『スクールブラック』の時代を生き抜く (1)

(1) 立ち位置を決める。

『スクールブラック』の時代を生き抜くための基本は、やはりjまず、 "立ち位置を決める" ということが重要。どういうことかというと……、

A. 文科省の出してくる内容には「御意!」。自分が「できる教師」になるために努力していく。(「できない」と、マイナス評価されないように、様々なごまかしも必要になってくるが……)

※「できる教師」
・仕事が早い。教室がきれい。
・子どもが落ち着いている。期待通りによく動く。(ように見える)
・授業がうまい。(ように見える)

B. まずは自分自身がやりたいことを優先させ、不要だと判断したことには「いたしません」「合わせません」。当然、集団からは、一時的に孤立。

このどちらの "立ち位置" に立つのか? ということ。

ただ、どっちも嫌だ…、というのが多数の意見(笑)。

しかし、二つのバランスをとろうとするうちに、力関係で、どうしても「A」の方に傾斜していることがほとんど。世間で、カリスマだの、名人だの言われている教師の本を読んでみても、基本的に「A」のために書かれている本がよく売れている。

また、スクールブラック化するのは、教師皆が競争的に「A」の立ち位置に立とうとするから。(立つように強いられるから)

ちなみに私自身は、若い時は、過激に「B」。

そして、自分がやりたいことは、 "子どもの側に立つことだ" と頑なに信じて、上から降りてくるものについては、全て拒否。

当然孤立することになったが、もっと問題だったことは、頑なに信じていた "自分がやりたかったこと" が、必ずしも子どもの側に立っていないことがあったこと。つまり自分自身の実践の批判的検討ができていなかったこと。

また。教育の基本である「協働・共同」「職場の同僚性・当事者性」を軽視していたので、自分の学級の子どもにだけ(保護者にだけ)支持されていても、結果的にその学校の子どもたちは育たないし、教育そのものも大きく変わることはなかった、ということ……。

今の立ち位置は。

C. 上からやらされることを周りに理解を得られるように批判的に検討。そして、職場の同僚性・当事者性を大切にしながら実践を組み立てていく。実践の軸は、子どもの権利とそれを指導するための教師の実践の自由と権利。

『スクールブラック』の定義

学校の教師の働き方を指して、「学校がブラック企業化している」という言い方をかなり以前、私がこのブログでしたところ、いつのまにか評論家やマスコミが使い始めてしまいました。

しかし、誰が最初に使ったか、などということを問題にはしません。重要なことは、みんなが同時にそう思った、ということ。

ここで、再び、『スクールブラック(の時代)』という言葉を提起しておきます。、この言葉を最初に使った責任として、今度はちゃんと定義しておきます。

◆『スクールブラック』とは、

(1) 教師の仕事量と仕事時間が、教育の成果として表れない。そもそも、容量オーバーしているその仕事量は、教育の成果を目的とされていないからだ。ゆえに教師に達成感がない。

(2) 教育の成果を目的としていない仕事量と仕事時間に追われて、本来の教育の成果が出せないことは教師個人の資質の問題とされてしまう。ゆえに、 "こんなにがんばっているのに排除の対象になってしまう"、といった理不尽な思いだけが残る。

(3) 『できる教師』は、仕事が早くて教室がきれい、子どもが落ち着いている等々、見た目を評価されるので、その見た目をカバーするために子どもが切り捨てられる。当然子どもとうまくいかなくなり、保護者からの信頼関係も崩壊する。

(4) 教師個々が競争させられているが、教育の仕事の特徴上、何をもって競争させられているのかわからないという声が当然上がってくる。そんな中で、負け組だと評価されることもあるので、、教師間の同僚性、当事者性がどんどんなくなっていく。

(5) 教師個々には、自分の働いている学校現場が「ブラック」であるという自覚が無く、そこについていけない自分が悪いと思い込まされている。


『サークル』という発想を大切に

日本の子どもたちが何かスポーツをやろうとすれば、部活動でやるか、民間のクラブチームでやるか、という選択肢があります。しかしスポーツというのは、そもそも苦手な子でもやる権利があります。そこで第三の選択肢を大切にしたい、というお話です。

第三の選択肢というのは、『サークル』という発想。スポーツに限らず、趣味や、やりたいことで一致した仲間が集まり、どこの組織にも束縛されず、資金面も含めて、自分たちで運営していくという発想をもっと保障して広げた方がいい、と。

自分は中学校から高校まで「部活動」、大学では「体育会」でスポーツをしてきた人間なので、サークルや同好会という発想にどうしても馴染めなくて、どこか、上から見ていることがありました。今は、それを大いに反省したいと思っています。

東京オリンピックに向けて選手育成が前面に出され、純粋にスポーツを楽しみたいと願う人々が下に見られるといったことが絶対にあってはなりません。一方、選手育成は選手育成として、国がしっかりと援助しながら(管理・支配ではなく)、頑張ってほしい。もちろん応援しています。

「この仕事が好き」と言えること

六年生を送る会の演技シナリオ案を、1月3日に作りました。本日6日に学年で検討します。

3日から仕事をしているということは、結局は、この仕事が好きなんだなと思うわけです。この時代に教師をやっていて、なんだかんだ言っても「この仕事が好き」と言えることは、とても幸せだということかもしれません。

考えてみるに、教師という仕事は、「この仕事が好き」と言える割合が高いのではないかと思うわけです。

こんなに苦しくても、あんなに理不尽なことがたくさんあっても、日本の教師が文句ひとつ言わずに、淡々と仕事を進めているのは、教師が「この仕事」を…、そして「子どもと一緒にいること」が、好きなんだと……。

いや、好きだとは言えなくても、この仕事で自分が生かすことができるという気持ちが強かったのだと…、だからこの仕事を選んだのだと。

そんな若者たちの思いがよく分かるので、無念のうちに病気になったり、仕事を辞めていったりする仲間を見るのがとてもつらいのです。

何か、突破口があるはずです。この底なし沼のような苦しさから抜け出せる方法、底なし沼を感じなくてもすむ方法が見つかりさえすれば、日本の教育はグンッと伸びるはずです。

なにしろ、教育を良くしたいという、日本の教師の素直で誠実な思いは、とてつもなく強いからです。

ブログ内検索

1日1回ポチッとよろしく(*ᴗˬᴗ)⁾⁾

にほんブログ村 教育ブログへ 

しおちゃんマン★ブログ

shiochanman_2.png

塩崎義明(しおちゃんマン)の『公式メインブログ』です。教育問題について語ります。⇒ 管理画面

雑誌『生活指導』(高文研)編集長/全国生活指導研究協議会常任委員/最新著書『教師と子どものための働き方改革』(学事出版)/小学校で37年間学級担任として勤務/現在某私立大学文学部教育学科特任教授/iPhone12 Pro/Surface Laptop3/黒猫大好き/手相は両手とも「ますかけ」。

さらに詳しいProfile……

にほんブログ村
人気ブログランキング

公式サイト 塩崎義明OnlineOffice



塩崎宛メールフォーム
e-mail-send_icon_1150-80.png

全生研
しおちゃんマンツイッター
Facebook 塩崎義明
しおちゃんマン Facebookページ
Instagram YoshiakiShiozaki
しおちゃんマン YouTubeチャンネル

oshio412b9c9f-s_2.jpg

このblogのカテゴリー

月別アーカイブ

05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  04  03  02  01  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09 

ヨシムネ&ねね

しおちゃんマンの飼い猫、黒猫ヨシムネと ねね

ヨシムネ
ヨシムネ ♂
2005年8月生まれ。2006年8月に動物病院からしおちゃんマン家にやってきた。

ねね
ねね ♀
2008年6月生まれ。教え子(当時小6)達が公園で保護。2008年6月よりしおちゃんマン家の家族に。2017年7月28日逝去。

【しおちゃんマンの本!】
【最新本】






PVポイントランキングバナー

PVアクセスランキング にほんブログ村

カウンター