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手のひらの上でアクティブに踊る「アクティブラーニング」

教師の手のひらの上で、いくらアクティブに学んでも、国や学校が決めたゴールや答えは決まっているのだから、それが本当に「学び」と言えるのかどうかは大いに疑問。

真のアクティブラーニングとは、あらかじめ決められていたゴールや答え……、その価値そのものについて疑問を持ったり批判的に追求したりして、自分たちの学びを構築していくこと。つまり…、

道徳で、「友情」をどう教えるのかではなく、「友情」について子どもたちと一緒になって一度考え直してみることが大切ではないでしょうか。

子どもたちを、手のひらの上でどう踊らせるかばかり考えている文科省や教育委員会、その下請けの研究団体(があるとしたら)、そんなアクティブラーニングでは子どもたちに真に学ぶ力をつけていくことはできないでしょう。

教員採用試験の競争倍率低下

文部科学省がまとめた2015(平成27)年度「公立学校教員採用選考試験実施状況調査」を見てみると、教員採用試験の競争倍率が大きく低下していることがわかります。

学校種別に見ると、2015(平成27)年度採用試験の競争倍率は、小学校が3.9倍(前年度4.1倍)、中学校が7.2倍(同7.4倍)、高校が7.2倍(同7.2倍)などとなっており、特に小学校教員の競争倍率が4倍を下回るなど、低下が深刻化しています。

この現象は、教員定数に欠員が出る状況、病気で長期療養休暇や産休に入る教員の代わりがいない、といった傾向の背景と完全にリンクしています。

また、もう手いっぱいなのにもかかわらず、英語だ、道徳だ、ITだと次々に要求を上げていき、それに見合う体制を整えようとしない行政への教師の悲鳴が世間にも伝わっているとも言えます。

文科省は、自分たちの天下り先を考えている時間があったら、もっと現場の声に耳を傾け、学級定数の引き下げと、思い切った教員の増加対策を進めるべきだと思います。これは、国の危機だと思って、ぜひ実行してほしい。

教師が足りないというのは大したことじゃないの?

病気になってしまったり、産休育休に入ったりしたときの代わりの「先生」がいない……。これは全国的な傾向。

それどころか、法律で決まっている職員定数にも欠員がある都道府県もある。こういうことって、大きな事じゃないの?たいしたことじゃないの?ものすごく大事件だと思っているのは私だけ?

職員定数を増やすどころじゃないんですよ。足りないんですよ!!

結局、足りない分は、簡単に言えば、校内で一人二役やっているのです。こんな行政を進めていて、なにがいじめ撲滅だ!と言いたい。

もっと不思議なのは、この件について、現場でなんとかするのが当たり前だと考えている教育委員会があるということ。多くの地域では、申し訳ない、という思いが伝わってくるようですが、地域によっては、さらに上からふんぞり返って指示を出す始末。そんな地域は何を勘ちがいしているのでしょうか?

申し訳ないというのも厳しく言えばおかしいわけで、民間だったら役員総辞職並みの不始末だと思うのです。そこまでいかくなても、代わりの先生を出せなかった学校に直接行って、お詫びをするなり、一緒に対策を考えるなりの誠意は見せるべき。そういった問題だと思うわけです。

まあ、都道府県教育委員会も、文科省行政の下で動いているのが現実なので、なかなか独自に対策をたてることは難しいことは理解していますが、ふんぞり返って対応する地域がいまだにあることが残念です。

報道機関は、教育委員会やら組合やらに取材し、こういった実態を正確につかんで報道してほしいものです。何も問題にしないから、勘違いする教育委員会が出てくる。

アンケートでは「いじめ・迫害」はなくならない

校内の生徒指導部からのアンケートがあります。市教委からのアンケートがあります。県教委からのアンケートがあります。時々文科省からもアンケートが降りてきます。どのアンケートにも、「いじめはありませんか?」「悩んでいることはありませんか?」と尋ねてくる。

こんなにもアンケートが繰り返されているのにいじめがなくならない。どのアンケートにもいじめの事実が書かれていないのに子どもたちの自死のニュースが後を絶たない。

そして、悲しい事件が起こるたびに、「アンケートではいじめの事実はなかった」と、これもまたお決まりのこたえ。まるで、『アンケートをとっていたんだから…、できるだけのことをしたんだから、うちに責任はない』とでも言いたげだ。

もしかしたら…、こんなに同じようなアンケートが現場に降りてくるのは、それぞれの部署の説明責任のためなのか?……。いじめ・迫害対策の、縦割り行政の弊害。

いじめ・迫害の問題を本当に解決したいのなら、まずは、子どもを守らなければならない教師と子どもたちの関係の風通しを良くすること。教師が子ども一人ひとりの表情の変化に心を砕くことができる物理的な環境を整えること。

学級定数を30人に引き下げ(現行40人)、教師の数を思い切って増やすこと。

それでは逆に子どもたちが大人に監視されるのではないか?管理が厳しくなるのではないか?という心配をするのであれば、もうこれ以上教師を上から管理し、競争させないこと。子どもの心に寄り添える目が持てる環境に教師を置くこと。

そして教師は、学校や地域の大人たちと共同で、子どもたちに安心と安全、居場所とやりがいの空間を保障し、創造していくこと。

もう、責任逃れのための行政はこりごりです。

子どもたちの命が消えていくことを、もっと危機感をもって取り組んでいかなければならないのではないでしょうか。

『特別(の)教科 道徳』

ずっとひっかかっていて、気になって色々な人たちに聞いて回ったこともあるのですが、みんな、どうしてそんなことを気にするのか?と怪訝な顔をされるのが、「特別の教科 道徳」の「特別の」の「の」です。

普通、「特別」に続く助詞としては「な」です。「特別な教科 道徳」だったらわかるのですが、どうして文科省は「特別の」にしたのか。そこに、今回の道徳に対する文科省のメッセージが隠されているのではないかと。

まず、文科省は何をもって今回の道徳を「特別」だと考えているのか、ということ。一つは、教科として指導しなさいと言いつつも、一方で系統性のある「教科」ではないことを自ら認めているということ。だから「特別」。

二つ目は、他の教科の上位に位置づくという「特別」。たとえば、国語の物語の指導についても、道徳的価値を大切にしながら指導するように指示。他の教科でも同様に常に道徳的価値を指導しながら教科指導を進めるようになっています。

こう考えてみると、この「特別」というのは、ことさら「特別」なんだな、と思うわけです。道徳の教科化は、他の教科指導の在り方をも変えてしまうほどの「特別」なわけです。

そう考えて、この助詞「の」の使い方を考えてみると、単に「道徳」を説明するための助詞「の」ではなく、「特別」であることをことさら強調するための助詞「の」であることがわかってきます。

つまり、「格別(の)」「とっておき(の)」の使い方の「の」と同じ使い方であるということです。「特別(な)」では弱い、ということです。

さて今回の「特別(の)」が、現場において本当に「特別」になれるのかどうか……。戦後育まれてきた多様な価値観、自由と権利、平和と民主主義…、そして国が自らが進めてきた競争主義・自己責任主義で育ってきた子どもたちの価値観。そこにどこまでこの「特別」が通用するのか。

現場が逆に、手玉に取られたり、失笑されたりするような「特別」にならないように、私たちは、注意深く、批判的、かつ前向きに向き合っていかなければならないのだと思います。くれぐれも、無批判に受け入れるだけ、振り回されるだけにならないように。

個に押し付け、評価することの危険性

たとえば、思いやりを持つことは個人の問題として評価できるものでしょうか。表面上は、思いやりを持たない言動のように見えて、実はそうではなかったという場面の方が人生には多々あります。

たとえば、席をゆずら(れ)ないことを否定的に見るだけでよいのでしょうか。もしかしたらその人は体調を崩していてゆずりたくてもゆずれないかもしれない…、そういった見方ができることこそ、大切なのではないでしょうか。

道徳的価値を個人の問題・課題として考えると、全てが自己責任になってしまう危険性があります。個人をそこまで追い込んでいる、社会問題や文化の問題には目が向かなくなる。

友情をオールマイティーな全肯定的な価値としてのみでとらえてよいのでしょうか。時には、友情をめぐって、別な仲間を裏切らざるをえなかったり、時には社会のルールをやぶることさえある。だから文学が生まれるともいえる……。

人としての価値は紹介しても良いが、個に上辺だけ押し付け、評価してはならないと思うのです。

現場の苦悩にも目を向けた時に見えてくるものがある

17日、松山市の野本記念病院にて、入院患者や職員がインフルエンザに集団感染し、入院していた51歳の男性のほか、99歳と88歳の女性の計3人が亡くなった…、という記事を読みました。

記事によると……、感染はいずれもインフルエンザA型。病院は未発症者に対してタミフルなどの予防投与をしたが、ほぼ満室状態だったため、感染を確認した当初から隔離しなかったそうです。

この記事を読んで、まず不思議だったのは、病院というのは、院内感染の拡大を防ぐために、隔離するためのベッド数は事前に確保していないの?ということ。

素人考えでは、確保しているものだと考えるのですが、現場ではなかなかそうはいかない事情があるのかもしれません。そこに、現場の人たちの苦悩があるのではないでしょうか。(事情があったにしても、亡くなった方がいるのですし、個人的には疑問が残っています。)

実は、教育現場にも同様なことがたくさんあります。

世間から見ると、当たり前だと思えることをやっていなかったり、準備されていなかったりするので、 "それはおかしい!" と考える……。

しかし実は、現場はそのことは十分承知で、「上」に準備してほしいと要求しつつ、一方でそれをカバーするために様々な工夫をし続ける。しかしなかなかカバーしきれないことが起こってくる。

たとえば…、教師が足りない、なんてことは本来あってはならないことなのですが、それが平気で放置されていることもそのうちの一つ。産休に入る先生の代わりが教育委員会で確保されていなくて、しかたなく管理職が臨時で担任をやっている、などという話は、最近あちこちでよく聞く話です。

さらに理不尽なことは……、カバーしきれないことを、現場や職員の責任や質の問題にされてしまうこと。

「上」は現場に理不尽なことを押し付けておきながら、責任や謝罪は現場にさせる、といったパターンはどこでも同じなのかもしれません。

残念なことです。

【ミニ連載】教師の読書術 なぜ読むのか

さて、いよいよ最後の章です。

考えてみると、教師に限らず読書は大切なわけで……、ゆえにここでは、教師にとって読書がなぜ必要なのか…、私の個人的な考えを書いてみたいと思います。

まず、教師の仕事について、思いつくままに書いてみます。


(1) 教師は、多様な生き方を支援し、その人生を励ます。同時に、子どもたち自身も、他者の多様な生き方を尊重するべきであることを教える。

(2) 教師は、子どもたちに、様々な夢をプレゼンする。そのための知識と情報を持っている。

(3) 教師は、子どもたちに、多様な社会の見方、そしてその社会を見るための「学び方」を教える。

(5) 教師は、自分が意識していなくても、自分自身の生き方を、子どもたちに示すことになる。

エトセトラ……


このように書きだしていくと、教師に必要なものは、多様な物の見方と幅広い知識、それでいて芯のある思想性と、夢を与える生き方が必要だということがあらためてわかってきます。

そしてそのためには、読書が不可欠だと考えているわけです。

読書をすれば、そのような教師になれる、というわけでは、もちろんありませんが、読書をしていかないと、そのような生き方にはつながっていかないことだけは確かなようです。

しかししかし…、読書は本来楽しいことのはず。

もっと気楽に本に向き合っていくことも大切なのかもしれません。


(ミニ連載「教師の読書術」おわり)

【ミニ連載】教師の読書術 どう読むのか

ストーリーな本は、当然最初から精読。いわゆる一回読み。二回読むことはありません。

ただし、つまらなかったらスパッと途中でもやめる。そういった理由で、こういった本は、できるだけ図書館で。

学ぶ本は、概要把握読み(大雑把読み、目次読みといった速読)をしてから、興味のある箇所、読まなければならない箇所を精読。つまり、場合によっては、読まない場所、精読しない場所がある本も出てきます。

精読は、私の場合、「三色ボールペン書き込み読み」です。

大切だと思う個所は、赤線。まあまあ大切だと思う箇所に、青線。おもしろい箇所に、緑で囲み。これは、斎藤孝先生方式です。

感想は、印象に残った本、みんなに伝えたいと思った本については、Twitterでつぶやいてみようかと、検討中です。

【ミニ連載】教師の読書術 何を読むのか

私は、教師であろうとなかろうと、何の仕事をしていようと、どんな本を読んでも良い……、読みたい本から読めばよい、という考えです。

一応私は、大雑把に、次のように分類しています。


〇楽しむ本
 小説やミステリー、話題になっている本。

〇学ぶ本
 教育関連本、話題になっている学べる本、学ばなければならない本。

〇その他
 漫画、雑誌も含む。


学ぶ本は書店で(ネットでも)買うことにしています。理由は、私の場合、学ぶために本に直接書き込むからです。それで、同じ本を複数回、買ったこともあります。

楽しむ本やその他の本は、できるだけ図書館です。これはお金の関係と……、この歳になると、身の回りの物を増やしたくないという思いがあるからです。できれば、全て自分のお金で購入した方が良いのかもしれません。ご検討ください。

どんな本が話題になっているのかの情報は、新聞、電車の中刷り、ネット、などから得ています。学ぶための本は、ネット検索が多いです。

もちろん書店も歩き回りますが、最近、なかなか書店では私が読みたい本が見つからないのが悩みです。


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【ミニ連載】教師の読書術 いつ・どこで読むか

教師が本を読まなくなってしまった……。いや、教師の生活の中に、読書の時間を組み入れるのは不可能な時代になってしまったのではないかと思われるくらい、最近の教師の生活はハードです。

早朝から出勤し、帰宅は(自宅に到着するのは)平均して20:00。

そこから夕食を済ませ、家でも翌日の準備や持ち帰りの仕事。

それが終わるのが、23:00頃で、そのまま就寝。そしてまた翌日早朝から出勤。

お子さんがいる場合は、もっとハードになる……。

それが、ずっとずっと続くわけです。

そこに、読書の時間をどうやって入れていくのか、ということが最初に乗り越えなければならない、大きな大きな壁です。

しかしそれでも……、その壁がどんなに高くても、私たちには読書が必要だと思っています。そのことについては、<結論>の章であらためて考えてみたいと思います。

さて、時間をどうつくるのか……。


(1) 寝る前の一時間

ちなみに、ここでいう「読書」は日常化をテーマにしています。土日や、長期休業に読めばいいのですが(実際に多くの教員はそうしているのだと思いますが)、そういった読書とはちょっと違います。

ちなみに、日常化の方向を考えていかないと、土日や長期休業も、読書には目が向いていかないのが現実ではないでしょうか。

そこで、「寝る前の一時間」という時間帯を提案してみたいと思います。

寝る前だと脳がさえてしまって、熟睡できなくなるのであれば、別な一時間でも良いと思います。ただその時も、 "〇〇(前のor後の)一時間" という風に、〇〇前のといった言葉を使って時間帯を決めておくことが習慣化の第一歩かな、と。

大切なことは、意図的に、わかりやすい、続けることができる時間帯を、意図的に作ることだと思っています。

(2) スマホの時間

電車の中で、読書をしている人は、めったに見かけなくなりました。その代わりに手にしているのがスマホです。

そこで思いついたのが、このスマホにかける時間を読書に使えないか、ということ。

具体的には、まずは通勤の電車内。

そして電車内でなくても、スマホを手にしている時間。それを読書する時間に代えてみたらどうでしょうか。

(3) これを機会に、自分自身の生活リズムを見直してみる。

最後に、何よりも教師の生活がこんなことで良いのか?という見直しをすることです。

仕事を家に持ち帰るのが当たり前の生活。

公私のメリハリがつかない生活。

公私どころか、「公」の仕事さえもまともにできないような異常な多忙化。

学級定数を引き下げ、教員を増やすことを、あきらめずに、声を出し続けるべきだと思うのですが、いかがでしょうか。

部活動の問題も、そういった声によって、ようやく文科省が重い腰をあげたのですから。

【ミニ連載】教師の読書術(はじめに)

教師が本を読まなく(読めなく)なってしまった……。

子どもには読書をすることの大切さを説きながら、自分自身は……。

そこで今回は、教師の読書術についてミニ連載をしてみることにしました。

考えてみると…、教師の読書の必要性について、あらためて考えることはありませんでした。当たり前だと思っていたからかもしれません。ゆえに、そのことをあらためて語ろうとすると、うまく言葉が見つからない……。

なぜ読書が必要なのか、まずはそのことを考えなくてはならないようです。

つまりこのミニ連載は、自分自身の学びそのものだと考えることにしました。名人先生やカリスマ先生の読書術の記事とは違います。みなさんと一緒に考えていきたいという企画です。

よろしくお願いいたします。

※ミニ連載と言っても、その日に思いついたことを書くことになります。したがって、全体としてこまかな部分で矛盾が出てくることがあるかもしれません。全体としては主張は一貫させるつもりでいますので、そこのところはご了承ください。


【目次】←あくまでも予定

はじめに(今日の記事↑↑)

<序論>いつ・どこで読むか

<本論_1>何を読むのか

<本論_2>どう読むのか

<結論>なぜ読むのか


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小中教諭の7割、週60時間超勤務 医師や製造業上回る

朝日新聞デジタル 2017年1月14日

----↓引用ここから↓----
週に60時間以上働く小中学校の先生の割合が70~80%に上ることが、全国の公立小中学校の教諭約4500人を対象にした連合のシンクタンク「連合総研」の調査でわかった。医師や建設業、製造業など他業種より格段に高い割合だ。特に運動部の顧問の先生は出勤が早く、午前7時前に出勤する人が15%いた。文部科学省も学校現場の負担減へ対策に乗り出している。

~中略~

調査を分析した油布(ゆふ)佐和子・早稲田大大学院教授(教師論)は「『子どものために』という先生たちの善意が長時間労働をもたらし、自身の首を絞めている。私生活を犠牲にし、自ら学ぶ時間もないため、結局は教育の質の低下につながるだろう」と指摘する。
----↑ここまで↑----


ここで少しだけつっこませてもらうと、私たちが "やらされている「仕事」" のほとんどは、子どものこととは直接関わりのないことばかり。だから、必ずしも「子どもたちのために」という善意で長時間働いているわけではない…、ということ。

もう少し言えば、「子どもたちのために」という善意であれば、きついだの、理不尽だの、悲鳴をあげないでがんばれる……、まだそれくらいのプライドは残っています。

……、まあ、その "無理" もいけないのでしょうが……。


----↓引用ここから↓----
松野博一文部科学相は6日、業務改善の重点モデル地域を指定する▽部活動に休養日を設けるなど負担を減らす▽業務改善を助言するアドバイザーを派遣する――などの負担軽減策を打ち出している。
----↑ここまで↑----


私たちの長時間労働を、部活だけの問題にしてはいけません。もちろん部活動の問題は深刻ですが、私は部活動やっていませんが60時間だったら毎月超えています。

いくら言っても、学級定数を引き下げず、教師の数も増やさず、教育要求をどんどん上げていくばかり……。この上、英語や道徳を教科にしろという。こういった政策の問題から目をそらしてはいけないのだと思います。


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ヨシムネ&ねね

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ヨシムネ
ヨシムネ ♂
2005年8月生まれ。2006年8月に動物病院からしおちゃんマン家にやってきた。

ねね
ねね ♀
2008年6月生まれ。教え子(当時小6)達が公園で保護。2008年6月よりしおちゃんマン家の家族に。2017年7月28日逝去。

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