教師が本を読まなくなってしまった……。いや、教師の生活の中に、読書の時間を組み入れるのは不可能な時代になってしまったのではないかと思われるくらい、最近の教師の生活はハードです。
早朝から出勤し、帰宅は(自宅に到着するのは)平均して20:00。
そこから夕食を済ませ、家でも翌日の準備や持ち帰りの仕事。
それが終わるのが、23:00頃で、そのまま就寝。そしてまた翌日早朝から出勤。
お子さんがいる場合は、もっとハードになる……。
それが、ずっとずっと続くわけです。
そこに、読書の時間をどうやって入れていくのか、ということが最初に乗り越えなければならない、大きな大きな壁です。
しかしそれでも……、その壁がどんなに高くても、私たちには読書が必要だと思っています。そのことについては、<結論>の章であらためて考えてみたいと思います。
さて、時間をどうつくるのか……。
(1) 寝る前の一時間
ちなみに、ここでいう「読書」は日常化をテーマにしています。土日や、長期休業に読めばいいのですが(実際に多くの教員はそうしているのだと思いますが)、そういった読書とはちょっと違います。
ちなみに、日常化の方向を考えていかないと、土日や長期休業も、読書には目が向いていかないのが現実ではないでしょうか。
そこで、「寝る前の一時間」という時間帯を提案してみたいと思います。
寝る前だと脳がさえてしまって、熟睡できなくなるのであれば、別な一時間でも良いと思います。ただその時も、 "〇〇(前のor後の)一時間" という風に、〇〇前のといった言葉を使って時間帯を決めておくことが習慣化の第一歩かな、と。
大切なことは、意図的に、わかりやすい、続けることができる時間帯を、意図的に作ることだと思っています。
(2) スマホの時間
電車の中で、読書をしている人は、めったに見かけなくなりました。その代わりに手にしているのがスマホです。
そこで思いついたのが、このスマホにかける時間を読書に使えないか、ということ。
具体的には、まずは通勤の電車内。
そして電車内でなくても、スマホを手にしている時間。それを読書する時間に代えてみたらどうでしょうか。
(3) これを機会に、自分自身の生活リズムを見直してみる。
最後に、何よりも教師の生活がこんなことで良いのか?という見直しをすることです。
仕事を家に持ち帰るのが当たり前の生活。
公私のメリハリがつかない生活。
公私どころか、「公」の仕事さえもまともにできないような異常な多忙化。
学級定数を引き下げ、教員を増やすことを、あきらめずに、声を出し続けるべきだと思うのですが、いかがでしょうか。
部活動の問題も、そういった声によって、ようやく文科省が重い腰をあげたのですから。