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せめて、人のために頭を抱えることのできる教師に

できる教師ではありません。

オーラもありません。

人としても、未熟です。

そんな自分が教師になって、

せめて、子どものために頭を抱えて悩むことのできる教師になりたいと……。



子どもに何もしてあげられないと涙して、

保護者には期待していないと陰口を言われ、

管理職からは、相手にもされず、

同僚からはけむたがれる



評価されなくてもいいのです。

嫌われているかもしれません。

言いたいことは言いますから。

そんな自分が教師になって、

せめて、同僚のために頭を抱えて悩むことのできる教師になりたいと……。

【ミニ連載】学校の在り方を決定的に変えたのはいつから?(終)

学校の在り方が変わり始めたのが1977年学習指導要領。

その時に提起されたゆとり教育は、その後、学力低下問題や、その他多くの教育問題の原因だと決めつけられ、2010年の学習指導要領で脱ゆとり教育が提起されました。

教師の教育サービスはそのままに、さらに学力を上げることが提起され、教師の多忙化は二重三重に異常化されました。

その異常な多忙化を決定的にしたのが、2008年の教育基本法改訂でした。

学校の在り方が変わり始めたのが1977年学習指導要領だとしたに、決定的に変えたのは教育基本法改訂だと言えます。

この改定で、国をつくる人づくりではなく、国に貢献する人づくりが前面に出されました。

学校現場では、子どものことは扨置き(さておき)、とりあえず上からの指示に対応しなければならなくなりました。

教育は、全国一斉に、一律に、しかも競争的に取り組まれます。

教師は個々に評価され、上からの指示通りに動か(け)ない教師は「ダメ教師」として評価され、職員室の雰囲気もどんどん悪化していきました。

この時期に話題になった「第三次学級崩壊」の時代は、教師個々の力量の問題だと評価されることが特徴でもあります。

そして…、この異常な多忙化の上に、さらに英語教育、特別の教科道徳の問題、プログラミング等々、あらたな教育要求が提起されています、

また、担任だけでは指導しきれない課題を抱えている子が増えているにもかかわらず、教師を増やすどころか、欠員状態が全国に広がっています。

そして、こうした問題は、戦後繰り返されてきたように、教師の質の問題だと決めつけられ、学校の複線化を契機に、教員免許法の大改正を考えているというのが私の予想です。

大きな改正をする前に、教育関連の不祥事を繰り返し報道するのが常。

文科省の天下り問題や、児童ポルノの事件、担任不信を原因とした中学生の自死の事件……。

この先、何が報道され、教育がどのように向かうのかが不安です。

さて、こうした大きな流れの中に、私たち現場はどのように向き合うべきなのでしょうか。

一つは、現場の中に当事者性、同僚性を取り戻すことです。

二つ目が、教育内容・方法の自由を取り戻すことです。子どもたちを目の前にした現場発の実践を数多く提起していくことです。

そして三つ目が、地域に目を向けて、保護者との連携を強めることです。

この三つのことについては、また機会がありましたら、ミニ連載で書いてみます。

(学校の在り方を決定的に変えたのはいつから? おわり)

【ミニ連載】学校の在り方を決定的に変えたのはいつから?(4)

学校の在り方が変わり、教師の多忙化が本格化したのは、どうやら1977年改訂学習指導要領のときであったのではないか、というのが私の考え。

1977年の学習指導用利用と言えば、ゆとり教育が最初に提起され、現場では、教科指導を行わない「ゆとりの時間」が開始されました。

やがて、次の学習指導要領で、低学年の社会科と理科が廃止されて生活科に、そして第二土曜日が休日になったのもこの時期。

ところで……、ゆとり教育は、教師の手抜きであった、という誤った見方があります。

手抜きどころか、子どもたちの「ゆとり」まで学校が囲い込み、教育サービスを本格化させていったのですから、現場感覚としては、この時期の混乱と、わけのわからない多忙感は忘れられません。

やがて、2001年の学習指導要領で、学校五日制が完全実施され、その忙しさが平日にどっと詰め込まれる形になりました。

この時期、私は「第二次学級崩壊の時代」と呼んでいます。バブルの時代に公立学校への不信感が芽生えて第一次学級崩壊の時代になりましたが、第二次は、教師の忙しさといじめ問題が本格化し、再び学級崩壊が現場で話題になった時代です。

この頃から、職員室に当事者性と同僚性がなくなり、学校自体が何かちぐはぐで、気まずい雰囲気になっていったのもこの時期。

そしてやがて、教育基本法が改悪され、教師の多忙化は異常化していきます。

次回をまとめの記事にするつもりです。

(つづく)

給食への思い

子どもの貧困問題とともに、またまた "給食の在り方論争" (国費投入無償論、所得別支援論、民間支援論、等々)がわきあがりつつあります。

私自身は、低学年の頃に脱脂粉乳を経験し、教師になったことで、人生のランチの多くは給食の人生でした。ということで、給食についての話題はどうしても気になります。

本市の小中学校の給食はセンター方式です。そして私が教師になった頃(1980年代)は、給食費は担任が集金していました。

当時も、なかなか払ってくれない家庭があって、管理職からは、早く集めろと言われ、追い詰められて、借金をして自腹で払っていた教師がいました。結局、その教師は退職しなければならなかった……。それほど理不尽だった担任による給食費の集金。

やがて、銀行振込にはなりましたが、そのチェック・確認は各学校の教頭が担うことに。複数の銀行から送られてくる通知やセンターから送られてくる未納の連絡で、精神的に病んでしまった教頭もいました。

今も、給食費未納の問題は続いていますが、こういった問題が起こるのは、そもそも給食の意味をいまだにはっきりさせていないからだと思っています。

人権保障なのか、食育教育なのか、教育サービスなのか…、多様な意味があると言われたらそれまでですが、担任の役割と共に、もっと明確にする方向で議論した方がいいと思つています。

個人的には、国費投入の方向が良いとは思いつつ、子どもたちの残飯の量の多さを目の当たりにすると、いろいろ考えてしまいます。

【ミニ連載】学校の在り方を決定的に変えたのはいつから?(3)

すすめられて、山崎正和氏の『文明としての教育』を読んでいます。私などよりずっとずっと前から、教育のサービス化について言及されていました。

山崎氏によると、教育とは国家の統治行為である面と、もう一つ、個人の自己実現をしていく営みを助けるサービスの面とがあるそうです。

サービスとしての教育は、本来、民営化したり、外部に委ねても良いのですが、国家が世界に向けて開かれている限り、国家の教育からサービス的な側面を切り離すことができないということでした。

では、教育のサービス的側面までも、国家が全面的に囲い込んだのは(囲い込もうとしたのは)いつからか、ということになります。その瞬間、学校は『おらが学校』から、本格的に『国家立学校』になろうとし、教師の異常な多忙化が始まったことになります。

ちなみに、私が教師になった35,6年前はまだ、首都圏の学校でも、放課後、校庭で教師が子どもたちと遊んでいました。(1981年度)

まだ、異常な多忙化、とまではいっていなかったということです。しかし、その直後から急に忙しくなった……。

実は、1977年改訂学習指導要領の実施が始まったのが、私が教師になった頃。

ゆとり教育が提唱され、授業時数が削減。言い方を変えれば、子どもたちの『ゆとり』までも、学校が面倒をみていこうとしたということ。

どうやら、この時期に学校の在り方が決定的に変わったのではないかという気がするのです。そしてこの時期から、学校による、果てしないサービス提供が始まったのではないかと。

ちなみにこの時期、バブルの時代になり、第一次学級崩壊の時代が到来したことも忘れてはなりません。

とすると、1977年改訂学習指導要領について、今だからこそ学びなおしていく必要があるかも、です。

(つづく)

洋式トイレの普及率

ここでちょっとブレイクタイム。千葉県の公立小中学校の洋式トイレ普及率が市町村ごとに出されました。しかも、普及率が高い順に。(讀賣新聞2017.2.7)

浦安市は、74.6%で第二位。一見、都市部が高いのかと思うのですがそうではなく、船橋市などは、30.2%と、下から四番目になっています。

ちなみに私は、洋式トイレ絶対派ではありません。腸が長い日本人に対して、必ずしも洋式が良いわけではないそうなのです。また、足腰の筋力やバランスが、逆に弱くなったり悪くなったりしてきていることも最近話題になっています。

大切なことは、地域の実態に合った生活スタイルに合わせることに、学校が(市町村が)お金を使おうとしているのか、ということだと思います。

政令指定都市でありながら、いまだにエアコンを入れようとしない千葉市の普及率は、43.2%です。

そういう話(記事)なのだ……、と受け止めました。

【ミニ連載】学校の在り方を決定的に変えたのはいつから?(2)

学校が一方的な教育サービス提供機関になってしまったことで、学校と保護者との対立構造ができてしまいました。

サービスというのは、自らは関わらず提供者に一任し、満足できなければ苦情が言える関係だからです。

そしてそのことが、さらに教師を忙しくさせたというお話です。

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たとえばこんな例はどうでしょうか。

今の子どもたちは雑巾がしぼれないわけですが、これを学校で教えるわけです。つまり、「ぞうきんのしぼり方」の指導は昔は必要なかったのですが、今は必要だということです。

こういった事案が、今の子どもたちには山ほどある。昔は、45人学級でもやっていたんだから、今でも40人でいけるだろ、というのは、こういったことで成立しないということです。昔の子どもと今の子どもは、まったく違う。

そんなことは、家庭で教えるべき、学校でいちいち教えようとするから、教師が忙しくなる、という声がありますが、これもまた少し違う。

雑巾がしぼれないと給食の台の上もふけないし掃除もできない。いわゆる、学校生活ができなくなるわけですから、学校で教えないわけにはいかない。トイレの使い方にしても同様。

家庭でやればよい、という意見については、家庭は子どもがどんなことができてどんなことができていないのか、意外とわからないのです。それは伝えていない学校の責任かもしれません。

ということは、学校と家庭との風通しをよくすれば、ほんの少し学校の忙しさは改善される可能性がある、ということです。

お互いが背を向け、場合によっては批判しあっているような関係では、教師の多忙化解消も、家庭の子育ても、うまくいかないということです。

※学校の在り方を決定的に変えたのはいつからなのか、今、いろいろな本を読んで勉強中。もう少々お待ちください。

(つづく)

【ミニ連載】学校の在り方を決定的に変えたのはいつから?(1)

今回のミニ連載は、事前に企画せず、思いつくままに連載していくものです。また、連続して連載せず、このテーマについて思いついた日に書いてみようと思っています。テーマは、最近やっと話題になってきた、教師の長時間労働について。

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さて…、小中教諭の7割が週60時間超勤務。医師や製造業上回ることがわかりました。しかしこの問題を、単純に「時短」の問題で解決したように見せかけるのは反対ですし、危険だと考えています。

形式的な「時短」は、逆に教師に負担を強いることは明らか。同じ仕事量を短い時間でやれというのですから、余計に負担がかかるのは当たり前。

その仕事量も、やれ小学校の英語だの、道徳の評価だの、プログラミングだのと、どんどん要求が高くなっています。にもかかわらず、あいかわらず学級定数を引き下げようとせず、教師の数にいたっては、逆に減らしていこうとする動きもあります。

※いや、減らすどころか、すでにいくつかの都道府県では、教師の数が足りない、という状況も出てきている。。

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自分は、教師の今日の異常な多忙化は、一つは、教育基本法改悪が多忙化を加速させたと見ています。

忙しくて教材研究ができはない、から、忙しくて授業ができない、になり、最近では、忙しくて仕事ができない、といった笑えない笑い話状態。

子どものことは「扨置き(さておき)」、とりあえず上から降りてきたことに対応しなければならないことの「多忙感」。本当は、目の前の子どものことに集中したいのにそれができないことのストレスははかりしれません。

教育基本法の改悪により、国のための人間作りが前面に出され、教育内容や方法が、『一斉に一律に、そしして競争的に取り組まねばならなくなった』ことが、このような異常な多忙化を生み出したのです。

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もう一つは、 "学校が、『おらが町の学校』から、一方的に教育サービスを提供する機関として変質してからだ" と見ています。サービスですから、要求はどんどん高くなるのは当たり前。責任問題にも必要以上に気を遣って、説明責任の準備も怠りなくしていかなければならなくなりました。

※加えて、東日本大震災を大きなきっかけにして、学校の危機管理の問題も問われるようになった。オリンピックに向けての、学校体育への要求(部活動への要求)もあいかわらず高い。

※学校が『おらが町の学校』ではなくなったことは、運動会の練習を騒音だとして苦情の電話を入れたりするようになったこと等でもわかる。

では、学校が『おらが町の学校』から、一方的な「教育サービス機関」へと変質したのは、何がきっかけだったのでしょうか。

(つづけるように学びます)

学校が自分たちのものではなくなった

運動会を練習している音や声がうるさいと、学校に苦情が来る問題についてはすでにみなさんご存知の話題。最近では、校外学習で場所に見学に行くと、態度が悪い、ウルサイと、[学校に]苦情が来ます。

今回は、クレームすることが良いとか悪いとか、最近の子どもはマナーがなってない、とかの話ではなくて、学校と地域、市民国民とが、どうしてそんな関係になってしまったのか、というお話。

ちなみに、こんなクレームがなかった時代はあったのでしょうか。あったのです。運動会の「騒音」?も、ほほえましく受け止め、校外での子どもたちの態度についてはその場であたたかく、かつ厳しく声かけをして教師の苦労をねぎらってくれた時代はあったのです。

学校と地域、市民国民がそうではない、痛い関係になってしまったのは、教育が共同ではなく、一方的な教育サービスになってからです。オラが町の学校から、個々に教育サービスを提供する公共機関になってからです。

学校が自分たちのものではなくなってしまった。このことは、それぞれの関係を悪くするだけでなく、教師の異常な多忙化も生み出していったということでもあります。この視点から教師の忙しさを考えていくと、見えてくるものがあります。解決策もあるはずです。

地域発が途絶えて運動に格差が…、そして多忙化

跳び箱、鉄棒、マット運動に続いて、縄跳びができない子が増えてきています。

日本の子どもたちの体力は上がってきているはず…、そしてスポーツでも若い選手がどんどん出てきているはずなのに、現場感覚としては、 "縄跳びがほとんどできない" 。

この、数字と現場感覚とのズレは、おそらく、格差に原因があるのだろうと…。

つまり、一握りのすごく優秀な子どもたちと(縄跳びのことだけではなくて)、そうではないその他大勢の子どもたち…、日本の国が、なにからなにまでそんな図式になっているのではないかと思うわけです。

実は、地域によっては、私の提起に首を傾げる地域もあるかもしれません。つまり、「うちの学校の子どもたちは、どの子も縄跳びができるよ」と。

これを、地域格差と言います。

学校や地域で意図的に取り組んでいる場所では、当然縄跳びができる、ということ。たとえば、学校が体育を研究している学校だと、業間休みを休みとしないで、一斉に指導するので、できるようになる、ということ。

もう一つは、地域丸ごと縄跳びが遊び文化として根付いている地域も、少なくはなりましたが、まだまだあるということです。

しかし、少なくとも、私が勤務するような、学区丸ごとアスファフルトのような地域は、ブレボーがうまい子はいても、縄跳びはなかなかうまくなりません。

いずれにしろ、縄跳び等の運動は、体育の時間だけで上手になりません。生活の中に入り込んでいないとなかなか上手にならない運動です。

子どもたちの『遊び力』『生活力』『文化力』は、そもそも "地域発" でした。地域で育ててきた子どもたちの力は、学校の勉学に生かされたり、反映されたりしてきたはず。それが今は、その流れが逆になっている。

今は、学校発で、地域に広げていこうとするパターンが多いです。ここにも、学校の多忙化の原因があります。

教師の長時間労働の問題

教師の長時間労働がやっと話題になりつつあります。子どもたちのためにも、それはそれでとても大切なことだと思います。

しかしそれが、部活動だけの問題になったり(部活動の指導の在り方に課題があることは事実です)、早く帰ればよいといった、時短の問題だけになったりしていることが少し気になっています。つまり、仕事の中身の検討になかなかならない。

お金の計算等々、どう見ても教師の仕事ではない事や、担任だけでは指導しきれない大きな課題を抱えた子が増えている問題、英語指導や道徳の評価、ITのスキル、こういった教師の今のリアルな問題に目を向けて検討しないで、働く時間を短くしよう、と呼びかけられても戸惑うばかりです。

時短をメインにしていくなら、とりあえず教師の数を思い切って増やすしかない。それもやらずに、時短、時短。現場は、もっと苦しくなるだけです。

教師に元気を注入しよう

自分が教師である、ということは、まず不信感を持たれている、という私の主張に、若い人たちから、共感、そして、やっぱり、というがっかり感をいただきました。感じてはいたけれど、そこには触れたくなかった、ということだと思います。

しかしそれは逆に、それでも日常の多くの時間は、教師に任せるしかない、だからもっとしっかりしてほしい、という祈りにも似た保護者の願いでもあるのだと考えています。

日本の教師は本当にがんばっています。子どもたちに、うざい、きえろ、カスと罵られようとも、保護者に、あなたには任せられないと批判されようとも、毎日おそくまで学校に残り、子どもたち一人ひとりのノートに返事を書いている。

そして、がんばればがんばるほど信頼が遠のいていく、といった痛い実感。自分がいけない、自分の力が足りないと思いつつ、それを振り返る余裕もなく、毎日の忙しさの中で流されていくことへの不安。

教室での評価と、職員室での評価。という二重のきつい視線の中でストレスを抱え、相談する仲間もみつからず、プライベートは物理的に喪失し、生きていくことの喜びを、子どもたちの笑顔だけに求める毎日。

どうか、そんな日本の若い教師のみなさんを応援してほしいのです。

そして現場では、ぜひ、当事者性、同僚性を発揮して、自分も含めて、元気を注入していこうではありませんか。

教師として認めてもらうために ←「」や()、!や?を使わずに句読点だけで書いてみた

ほめる、とは評価することなのですが、それ以前に、ほめる、ほめられる関係が成立していないとマズイのではないか、というお話です。関係ができていなくて、やたらほめようとしても、おまえなんかにほめられる筋合いはない、何様だ、と批判されるのは必至ですから。

考えてみると、ほめる位置、というのは、ほんの少し上に位置しなくてはなりません。下からほめる場合もありますが、これは、敬愛、尊敬、といった感覚で、いわゆる教育的にほめる、こととは少し違う。

くりかえしますが、教師が、ほめる、といった場合、子どもたちよりもほんの少し上に位置していなければなりません。まずは、それを良しとするか、または、それを自覚しているのか、という問題があります。

少し上に位置する、ということは、逆に言うと、子どもたちが教師を自分たちの上に位置することを認めている、ということでもあります。子どもたちが教師を教師として認めている、信頼している、そういった関係がないと、ほめることはとても危険だと考えています。

いや、最近の教師は、自分が教師であるだけで、子どもたちや保護者は自分を教師として認めている、信用している、と思い込んでいるのではないか、と心配しています。むしろ逆だと。まずは、教師であることの不信感を拭い去る作業をしなければならないのだと。

では、子どもたちに教師として認めてもらうためにはどうしたらいいのか、ということになります。それは、

子どもたちの事実・事情に向き合い、受け止め、その事実・事情の中で生きている子どもを、リスペクト、することだと考えているのです。

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塩崎義明(しおちゃんマン)の『公式メインブログ』です。教育問題について語ります。⇒ 管理画面

雑誌『生活指導』(高文研)編集長/全国生活指導研究協議会常任委員/最新著書『教師と子どものための働き方改革』(学事出版)/小学校で37年間学級担任として勤務/現在某私立大学文学部教育学科特任教授/iPhone12 Pro/Surface Laptop3/黒猫大好き/手相は両手とも「ますかけ」。

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ヨシムネ&ねね

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ヨシムネ
ヨシムネ ♂
2005年8月生まれ。2006年8月に動物病院からしおちゃんマン家にやってきた。

ねね
ねね ♀
2008年6月生まれ。教え子(当時小6)達が公園で保護。2008年6月よりしおちゃんマン家の家族に。2017年7月28日逝去。

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