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2月も終わりかぁ

本日で2月も終わり、今週からもう3月。近所の河津桜はもう終わりに近づいています。春が来ればいよいよ最後の年度がスタートしてしまう。焦る気持ちと、不安な気持ちと、寂しい気持ち。そしてその前に今年度の学年末の仕事を終わらせなければならないことに気づき、暗澹たる思い。

そんな中、伝えても伝えても何も変わらないといったあきらめの思いと、何か新しいことにチャレンジして行かなければ自分はここでストップしてしまうという大きな不安。

もっと楽しく仕事や学びを進められないだろうか。新年度に向けて、新しい自分を押し出していかなけれりば、自分自身もつぶれてしまう感じがする。

以上、2017年2月末日の正直な思い。

関心・意欲・態度の評価

子安潤さんのブログに刺激されての投稿です。
http://koyasu.jugem.jp/?eid=4627

「新学習指導要領」(案)に、めざす資質・能力について、総則に以下のように記述してあります。

(1) 知識及び技能が習得されるようにすること。
(2) 思考力,判断力,表現力等を育成すること。 
(3) 学びに向かう力,人間性等を涵養すること。

ついに、日本の国は、子どもの『人間性』を、国家が評価する(評価しようとする)国になってしまったようです。

子安さんによると、関心・意欲・態度の評価の方がまだ抑制的にみえないこともないが、まだこれを批判した論文を見たことがない、ということです。

関心意欲態度の評価については、現場では、提出物のチェック,忘れ物の回数,私語の有無,授業態度,挙手の回数等々で評価しているのが一般的。

こう書いてみても、つっこみどころ満載なのですが、現場は、後ろめたい、つらい気持ちを抱えながら、評価し続けています。

どうして関心意欲態度についての評価が問題になりにくいのかを考えてみました。

おそらく、私も含めた現場人には、子どもの関心意欲態度を重視したいという思いが強くあるからだと。評価することじたいの問題や難しさを感じながらも、そのことを大切にしたい思いが強いからだと。

つまり、関心意欲態度は重視したいが、それを評価しろと言われて、えっ?と思っている…、というのが現場の実情ではないでしょうか。

国家が、関心意欲態度も含めた人間性を評価することの意味と恐ろしさについて、私たちはもう少しきちんと向き合う必要があるのかもしれません。

教科担任制に慎重派です

小学校の担任の負担が異常に重すぎるので、学級担任制を問い直す意見が体制側からも、リベラル側からも、そして現場からも出てきています。簡単に言えば、教科担任制(的)なシステムに変えていこうと。しかし実は私は個人的にこの件に対して慎重派なのです。それよりも学級定数を下げることが先だと。

小学校が学級担任がほぼ全教科を指導しているのは、算数を教えていても国語的な授業になったり…、音楽の数え歌が、国語や算数の授業に発展したり、ということが小学校ではたくさんあるということ。そのことについての研究がある時期から(生活科が押し付けられてから)消えてしまいました。

小学校の、"学び現場からの合科" についてもっと研究されなければならないと考えます。生活科のような非科学的な上からの合科ではなく子どもたちの疑問から発生する学びについて。そのような実践は単に合科の問題に留まらず授業とは、義務教育とはといった根本的な問題になってくると思っています。

これだけ世間に訴えても「教員は甘い」と思われる不思議

NHKの取材によると、2015年度の20代の公立教員の精神疾患は564人にのぼりこの10年間で2倍近く増加した上に、少なくとも20人が自殺していることが分かったとのこと。

しかも、この20代の公立教員が20人も自殺していることを文部科学省は把握していないと報道。

また、「突出した世界一の長時間労働でうつ病休職者10年で3倍増の日本の教員、教員の「うつ傾向」は一般企業の2.5倍←5年連続で世界一低い日本の教育への公的支出に加え財務省が教職員3万7千人削減ねらう倒錯の日本」という記事でも教員の惨状を指摘しています。

こうした客観的資料や取材で、教員の惨状が事実としてあげられているのに、それでも世間からは、「教員は甘い」「楽をしている」と批判されることの【不思議】こそ、社会的ブラックだと言わざるを得ません。つまり、社会的につくられた惨状だと。その不思議をとく三つのキーワードは……、

一つは、日本の教育に過剰なサービスが要求されることを教育システムとして構築してしまった政策の誤り。つまり、安上がりに効率よくサービスを提供しようとしていること。そしてそのサービスへの要求は果てしないこと。

二つ目は、その上に、国の統治としての教育が強く前面に押し出され、上からの指示に応えることが優先され、子どもとのすれ違いが大きくなり、教師の仕事の困難さが高まったこと。それに対する批判が現場の教員に向けられていること。

そして三つ目は…、これ私は今まで言ってこなかったことなのですが、戦後の教員の労働運動の振り返りの弱さをあげておきます。広く国民に支持される運動になってこなかったこと。逆に攻撃の対象になっていること。

こうしている間にも若い教員の命が奪われていることを考えると、こうしたキーワード一つひとつについて、きちんと向き合っていかなければ、と思うわけです。

2月の読書は児童書も

2月の読書目標、達成しました。本日現在で、11冊。今年に入って、22冊です。

2月の特徴は、児童書を再読したこと。読み聞かせの前に、さっとおさらいをした感じの読書です。

「学び」の本は、つまみ読みなので、読了と言えるのかどうかは疑問かも……。

[再読]
児童書 ムンジャクンジュは毛虫じゃない 岡田淳
児童書 びりっかすの神様 岡田淳
児童書 カメレオンのレオン 岡田淳

[娯楽 他]
殺意を運ぶリゾート特急 西村京太郎
SAPIO 3月号 日本を騒がす宗教家7人の秘密
ゆめのすけが見た空 七色虹子 ピースウィンズジャパン
完全図解 日本幕末史 (別冊宝島 2238) 落合弘樹
成功している人はなぜ神社に行くのか? 八木龍平
コーヒーが冷めないうちに 川口俊和

[学び]
文明としての教育 山崎正和
学校教育と生活指導の創造 山本敏郎・鈴木庸裕・石井久雄


※ちなみに、一月の読書11冊は…

【仕事・研究関係】
「遊ぶヴィゴツキー」ロイス・ホルツマン 茂呂雄二訳
「生活指導」2 3月号 全国生活指導研究協議会

【学ぶ本】
「三色ボールペン情報活用術」齋藤孝 ※再読
「読書の全技術」齋藤孝
「僕らが毎日やっている最強の読み方」池上 彰/佐藤 優
「池上彰の情報力」池上彰

【その他 楽しむ本】
「弘兼流60歳からの手ぶら人生」弘兼憲史
「[実況ライブ! ]学校では教えてくれない日本史の授業」井沢元彦
「プロ野球名人たちの証言」二宮清純
「諸星大二郎の世界」コロナ・ブックス編集部
「足裏・手のひらセルフケア」監修 手島渚

出勤札

「相棒」のドラマが好きです。先日も、さっそく映画を観に行きました。

観ていてふと思ったのですが、警視庁というのは、出勤札を使っているのでしょうか?ということ。(笑)

ちなみに日本の学校は、おそらく全国的に、出勤印と、出勤札です。

出勤印の方は、最近はタイムカードに切り替えようとしている自治体も出てきました。ただ、出勤した時のみにタイムカードを使って、退勤時は使わなくて良い、といった、Y市のような悪例も出てきていることも事実です。

さて「出勤札」の方ですが、この文化はいったいどこからきたのかと……。調べてみたのですが、よくわかりませんでした。

武道の道場などで、名前が書かれた木札がぶらさがっていますが、あれが元だとしたら、日本独自の文化ということになりますが……。

きちんと叱ってくれる先生

子どもたちはどんな先生が好きなのかを調査したアンケートがある。
http://www.gakken.co.jp/kyouikusouken/whitepaper/201009/chapter1/06.html

アンケート結果によると、全体では「一緒に遊んでくれる先生」(61.0%)であり、「友だちのような先生」(70.2%)であり、「いつも近くにいてくれる先生」(73.3%)を好ましく感じているようだ。

小学生は、親しみやすく絶えず一緒に過ごしてくれる友だちのような教師を求めていると思われる。

ただ、高学年になるとその傾向は変化し、「わかりやすい授業をする先生」(1年生:33.0%→6年生:50.5%)や「きちんとしかってくれる先生」(1年生:25.0%→6年生:34.5%)、「少し離れたところで見守ってくれる先生」(1年生18.5%→6年生38.5%)を好きと回答する児童が増えている。高学年の児童になると、教師との間に少し距離ができ、徐々に先生らしい?教師を求めるようになってくるといえる。

さて、今回話題にしたいのは、「きちんとしかってくれる先生」ということ。

まず思ったのは、「叱ってほしい」のは、自分に対してなのだろうか?、それとも、悪いことをしている友達に対してなのだろうか?ということ。

おそらく両方なのだろうが、後者(悪いことをしている友達に対して)の方が強うように思われる。

たとえ自分も悪いことをしていたとしても、自分は叱られることはしていない、叱るのは教師の仕事、自分は面倒なことに関わりたくない、といった日本の子どもたちの考え方がこんなところにも表れている、というのは考え過ぎだろうか?

いずれにしても、学童や習い事・塾の生活が当たり前の時代になったとはいえ、子どもたちの生活において一番身近にいるのは学校の教師であることは間違いない。

一番身近な大人として、子どもたちの前にどう立つのかは、もう一度丁寧に考えてみることが必要だと考える。

予想通り「アクティブラーニング」という言葉が消えた

今回の学習指導要領の改訂で、私の予想通り「アクティブラーニング」という言葉が消えました。文科省は「法令上の文書にはまだ使いにくい」としていますが、要するに、現場には意味が分からなかった、ということです。

意味が分からなかった現場が悪いのか、いきなり意味が分からないことを言い出した側がわるいのかは問題にはしません。問題にしたいのは、それに振り回された私も含めた現場の主体性の無さです。

その代わりといっては正確ではないのでしょうが「主体的・対話的で深い学び」という言い方を使っています。それを教えたいのであれば、まずは現場が主体性を持たなければなりません。

小学校の英語をめぐっての授業時数の問題や、道徳の評価の問題ばかりが話題になっていますが、今回の改定の肝はなんなのかを注意深く読み取っていかなければなりません。改訂教育基本法の国家主義の精神が現場にわかりやすく出てきた、というのが私の読み方ですが、まだまだ勉強不足です。

【連続ミニエッセイ】学級崩壊(終)

●三つの記録

この連載の最終回です。

第一次、第二次、第三次、それぞれの時代に高学年を担任した時の、4,5月の時期の記録があります。

誤解のないように書いておきますが、どの学級の子どもたちも一人ひとりは素敵な子どもたちでした。ただ、集団の状況として、 "学年始め" はこのような[様相]をしめしていた、ということです。そして、どのクラスも2学期以降、とてもまとまった学級になりました。これは、私の力ではなく、子どもたちの努力や、同僚たちとの共同の結果です。

そして今も、高学年の担任たちは、全てではないにしてもこのような子どもたちの[様相]に、真摯に向き合っていることを知ってほしいのです。


[1980年代の春の記録]
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「男女の仲が悪い」「仕事を極端に嫌がる」「女子のグループ化、それにかかわるいじめ」「男子の暴力的行動、発言」「学校(教師)に対する不信感とあきらめ」。また、男女が極端に対立し、朝会の時など、Vの字に並んでしまい、まともに並べない。給食当番も男女別にやろうとする。与えられる仕事もジャンケンでその都度決めようとする。やりたくてジャンケンをするのではなく、やりたくなくてジャンケンを始める。計画性などはむろんなく、その時の運にまかせて仕事をしようとする。彼らは仕事がないことを「トクをした」ととらえる。女子は、数人の私的グループをあちらこちらに作っており、お互いに横文字の名前で呼びあっている。グループ内は閉鎖的で、交換日記で結びつき、クラスの仲間の悪口でまとまっているケースが多い。また、グループの中身は、相互規制がはたらかず、常に低いほうへ(共に何もやらない)流れる。さらに、グループ同士でメンバーの取り合いがあり、違うグループへ流れた者に対しては、かげぐち、いたずら電話、いやがらせの手紙、無視等が始まる。男子は、幼い遊びに夢中で自己規制がなく、廊下でおいかけっこやプロレスがすぐに始まる。また、弱いものに対しては「バカヤロー」等の言葉を平気であびせて嘲笑する。授業中はウケをねらった「死」を題材にした笑えないジョークを連発する。学校の行事に対しては、極端に嫌がり、不満を持ちながら取り組むものはまだよく、多くはアキラメでしかたなく参加している。教師に対しても不信感を持っており、私に対しても本音でなかなか語ろうとしない。リーダー的な子に対しては「ぶりっ子」と、あからさまに批判し、無視し、公的な仕事に関しては何でも押し付けようとする。これだけ問題がありながら、帰りの会等ではまったく発言がない。また、私から個人の問題、悩み等を班やクラス全体に提起しようとすると、翌日の通信ノートで「プライベートな問題をみんなに知らせるな」と書いてくる。
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[2000年前後の春の記録]
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5年生の後半にはすでに教師の指導が入らず、父母が心配して授業を交代で参観しながら毎日をすごす学級であったらしい。教師や仲間の発言に対してのヤジやチャカシ、あきてきたら平気で立ち歩いてしまう。さらには参観していた父母があまりのひどさに注意したところ、「ウルセー!ババー!ケーレヨ!!」と逆にどなられ、恐ろしくなってしまったと言う。担任は、最後には子どもの安易な要求をなんでも認めるしかなくなり、教室には様々なおもちゃやゲームが持ち込まれていた。教室にはゴミが散らかり、私も朝、教室に入るとすぐにゴミ拾いをする習慣がついてしまった。そして私がゴミを拾っていても、誰も手伝おうとはしなかった。とにかく話を聞かせるのに一苦労であった。ちゃかし、暴力、立ち歩きは男子が中心。一方女子はそれらの喧騒から身を守るようにあちこちに閉鎖的なグループを形成していた。そして、朝自習や休み時間にはトランプに夢中になっていた。放課後てっきり下校したものだと思い教室に入ってみると、女子が数人「こっくりさん」をやっていた。女子のグループの間ではやはり友達関係のトラブルが目立ち、無視や仲間外れの事件が毎日のように起こっていた。
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[2010年以降の春の記録]
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入学式。136名 の6年生の校歌の声はほとんど聞こえない。ニヤニヤして歌うふりをしている子、中にはとなりの子とこそこそ話をしている子もいる。教室では、自分の掃除の分担が終わった子に「他の場所を手伝って!」と言ったら「どうして?」と不思議そうな顔をされた。自分の机の上に他の人のノートが間違えて配られているとそのノートを床に捨ててしまう。板書でうっかり漢字を間違えると「その程度の知識で教師になれるんですか?」と言われた。他の子がほめられると、ヒューヒューとちゃかす。それでい、自分が逆の立場になり、我慢できなくなると突然きれたりする。他の学年の子に「おはよー」と言っても無視して通りすぎる。学校対抗の大会では、自分が参加していない限り無関心。

◎子どもたちの仲間の「見え方」
『自分と比べる対象として「見えて」いる』
・学力や運動/・ユーモアおもしろさ/・身長や体重/・泳げるor泳げない/・絵や工作、習字/・通っている塾や予定進学先/・親の学歴/・車 その他もろもろ

自分と比べる対象としての「仲間」に対して警戒と不信感を持ち、嘲笑できる機会を逃さない。ロッカーの上にあった工作が壊れると「誰かにこわされた」と言い、目立つことを嫌い、目立つ者を極端にからかう。

ちなみに、特に荒れたり,キレたりしている子は、
1.他から下位に見られている層の子。
2.トップ集団からまさに振り落とされそうになっている層の子たち。

そんな子どもたちにとって一番お手軽な「つながり方」は悪口やいじめでつながること。誰かを批判しておけばとりあえず自分は安泰ということ。そしてケータイがあればさらにお手軽。

子どもたちは、もっと真っ当につながりたい!と願っている。そんな子どもたちの苦悩を理解せず…、「思いやりを持ちましょう」と伝えてしまう教師たち。子どもたちは、そんなことはわかっているはず…それができない事情を理解してほしい!!と訴えているのでは?…

今、子どもたちに伝え、一緒に考えていきたいことは、

1.うまくつながれないで悩んでいるのは、あなただけではないということ。
2.仲間と、つながるために必要なことってなんだろう?……
-----

(完)

【連続ミニエッセイ】学級崩壊(3)

●そして今が第三次学級崩壊の時代

私は今が、第三次学級崩壊の時代だと考えています。

それは教育基本法が改悪され(2006年)、それが具体的な形として現場に降りてきてからの時代です。

国家が決めたことを一斉に一律に競争的に取り組まなければならなくなった時代。子どものことは扨置き(さておき)ながら、とりあえず上からの指示に対応しなければならない時代にあって、教師と子どもたちとの関係がどんどん悪化しています。

そしてそれは、子ども同士、保護者同士の関係においても同様です。その関係修復に追われて、学級崩壊になるケースも目立ちます。

学校は、今までの校則だけでなく、教え方まで細かく管理する学校スタンダードの中で、子どもたちを巧妙に管理し、行動規制しています。中学年まで徹底された巧妙な管理は、高学年で爆発して学級崩壊に陥るケースが多いです。

また、この時代の学級崩壊は、教師崩壊に直接つながっていることも特徴の一つです。管理職や、先輩教師からのハラスメントで、心が壊れてしまい、休職、退職に追い込まれる教師も少なくないということ。

この時代の学級崩壊問題は、ある意味、今までの中でも、最悪なパターンに陥っているのかもしれません。

(つづく)

【連続ミニエッセイ】学級崩壊(2)

●第二次学級崩壊の時代

私が「第二次学級崩壊の時代」と呼んでいるのが、学校五日制が完全実施されていく2000年前後です。

五日制や総合的な学習の時間の準備等による現場の多忙化と、子どもたちの放課後の時間が学校に奪われ、子どもたちのストレスもたまっていきました。

そして、高学年の問題と言われてきた「学級崩壊」は、二次になり、低学年の学級でも発生するようになりました。

軽度発達障害の子に振り回されて…、というのもこの時代の特徴。

また、この時期から、低学年専門、高学年専門というように、各職場で、担任する学年が固定化され、教師集団の関係がぎくしゃくし始めます。

「わたしが、この学校の学級崩壊を立て直しました」などと、名人と言われる教師が言い出したのもこの時期。そもそも、そのクラスが崩壊状態でその担任が悩んでいる時、あなたは何してたの?と言いたいです。

こうやって、職場の当事者性と同僚性は、この時期から無くなっていったのです。

(つづく)

【連続ミニエッセイ】学級崩壊(1)

●第一次学級崩壊の時代

いわゆる「学級崩壊」について、連続して書いてみます。

「エッセイ」にしたのは、企画・計画に縛られず、その日に感じたことをもっと自由に書いてみたかったからです。しかしテーマは「学級崩壊」に焦点化します。

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さて、子どもたちの「荒れ」から、「学級崩壊」という言葉が使われるようになったのはいつ頃からなのか、そして、「荒れ」と「学級崩壊」とはどう違うのか、という問題。

「学級崩壊」とは、担任と子どもたちとの関係性の崩壊です。だから、主に小学校で使う言葉です。中学校では(あまり)使わない。

極端に言うと、子どもたちが荒れていても、担任と子どもたちとの関係がつながっていることが稀にあります。そういった場合は、子どもたちの「荒れ」とは言いますが、「学級崩壊」とは言わない。

逆に言うと、子どもたちが荒れていなくても、担任と子どもたちとの関係性が崩壊していることがあります。これは「学級崩壊」と言います。管理されてシーンと静かな教室でも、物が隠されたり、かげでのいじめが広がっていたりしていて、学級崩壊であることがあります。

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私の現場感覚では、最初の「学級崩壊の時代」は、1980年代だと考えています。

まだ中学校では校内暴力が問題になっていた時代、小学校では「第一次学級崩壊時代」が来た、と考えています。

バブルの時代にあって、国民の中で公立学校そのものの価値が下がってしまった時代。ゆとり教育が叫ばれ始め、1992年には、低学年の社会科と理科が廃止され、生活科がスタート。

子どもたちは、学校や教師を、自分の夢実現をサポートしてくれる機関・人とは認めず、「弱い」指導、納得がいかない指導があると、ちゃかし、あげあしをとり、指導を拒否しました。

しかしその頃は、職員室に同僚性が残っており、学校をあげてなんとかしていこうという気概があったように思います。

注意したいのは、この頃はまだ現場では、「学級崩壊」という言葉は、(あまり)使っておらず、子どもたちの「荒れ」という言葉を、多く使っていたということです。つまり、指導拒否は子どもたちの問題であるととらえていたということ。

学級崩壊は、子どもたちの荒れの結果であると考えていたこと。

教師と子どもたちの関係がなぜ崩れたのか、教師の指導性、学校体制はどうだったのかまで、考えていなかったということかもしれません。

しかし、2000年に入ると、また様相が変わってきます。

(つづく)

【ミニ連載まとめ】

【『スクールブラック』の時代を生き抜く】

『スクールブラック』の定義
http://shiozaki.blog48.fc2.com/blog-entry-3285.html

『スクールブラック』の時代を生き抜く (1)
(1)立ち位置を決める
http://shiozaki.blog48.fc2.com/blog-entry-3286.html

『スクールブラック』の時代を生き抜く (2)
(2) 当面のしのぎ方を学ぶ
http://shiozaki.blog48.fc2.com/blog-entry-3287.html

『スクールブラック』の時代を生き抜く (ハーフタイム)
http://shiozaki.blog48.fc2.com/blog-entry-3288.html

『スクールブラック』の時代を生き抜く (3)
(3) 子どもや保護者は味方になってくれるのか?
http://shiozaki.blog48.fc2.com/blog-entry-3289.html

『スクールブラック』の時代を生き抜く (4)
(4) 「授業」をあそぶ
http://shiozaki.blog48.fc2.com/blog-entry-3290.html

『スクールブラック』の時代を生き抜く (終)
(5) 独り言は誰にも止められない
http://shiozaki.blog48.fc2.com/blog-entry-3291.html


【教師の読書術】

【ミニ連載】教師の読書術(はじめに)
http://shiozaki.blog48.fc2.com/blog-entry-3298.html

【ミニ連載】教師の読書術 いつ・どこで読むか
http://shiozaki.blog48.fc2.com/blog-entry-3299.html

【ミニ連載】教師の読書術 何を読むのか
http://shiozaki.blog48.fc2.com/blog-entry-3300.html

【ミニ連載】教師の読書術 どう読むのか
http://shiozaki.blog48.fc2.com/blog-entry-3301.html

【ミニ連載】教師の読書術 なぜ読むのか
http://shiozaki.blog48.fc2.com/blog-entry-3302.html


【学校の在り方を決定的に変えたのはいつから?】

【ミニ連載】学校の在り方を決定的に変えたのはいつから?(1)
●はじめに
http://shiozaki.blog48.fc2.com/blog-entry-3317.html

【ミニ連載】学校の在り方を決定的に変えたのはいつから?(2)
●学校と保護者との対立構造
http://shiozaki.blog48.fc2.com/blog-entry-3318.html

【ミニ連載】学校の在り方を決定的に変えたのはいつから?(3)
●1977年学習指導要領に注目
http://shiozaki.blog48.fc2.com/blog-entry-3320.html

【ミニ連載】学校の在り方を決定的に変えたのはいつから?(4)
●ゆとりまで学校が囲い込もうとしたこと
http://shiozaki.blog48.fc2.com/blog-entry-3322.html

【ミニ連載】学校の在り方を決定的に変えたのはいつから?(終)
●教育基本法改悪時代を乗り越える
http://shiozaki.blog48.fc2.com/blog-entry-3323.html


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塩崎義明(しおちゃんマン)の『公式メインブログ』です。教育問題について語ります。⇒ 管理画面

37年間千葉県の小学校で学級担任として勤務。退職後2つの大学で非常勤講師。生活指導・進路生徒指導、特別活動、発達障害と学級づくり等の講義を担当。2月、3月には小学校現場にも臨時講師として勤務。全国生活指導研究協議会常任委員。著書『教師と子どものための働き方改革』『学校珍百景』 他。黒猫大好き。

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ヨシムネ&ねね

しおちゃんマンの飼い猫、黒猫ヨシムネと ねね

ヨシムネ
ヨシムネ ♂
2005年8月生まれ。2006年8月に動物病院からしおちゃんマン家にやってきた。

ねね
ねね ♀
2008年6月生まれ。教え子(当時小6)達が公園で保護。2008年6月よりしおちゃんマン家の家族に。2017年7月28日逝去。

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