FC2ブログ

教師を指導すること?

教師の「指導」について、その教師(を)指導するということは、どういうことなんだろう?というお話。

たとえば、管理職が教諭を指導する、ベテラン教師が若手を指導する、教育委員会の指導主事が教師を指導する…、こういったことは、何がどうなって成り立つのか、ということです。

これは、「指導とは何か」の問題でもあります。

結論から述べると、教師の「指導」を指導する場合、リアルな子どもの実態や事情を知らなければ成り立たない、ということです。

つまり…、あの教師はなぜあんな言葉を発したのだろう?と考えるとき、必ずその背景にその子どもの事情や、その子とその教師の関係性がある、ということです。それを見ずに、ああでもないこうでもないと、指導?するのは間違いだと考えています。

そこで私の場合、どうしても若手の「指導」について、何かひとこと言わなければならない時は、子どもの事情や様子をまず聞くことにしています。そうすると、「ああ、だからあのような指導になったんだ」と納得できることが多いのです。

子どものことを何も知らず、いや、知ろうともせず、上から物申すことは、指導にはならないのです。結局、「何も知らないくせに」と腹の中でつぶやかれておわりです。

実は、教師の指導の背景には、子どもとの事もありますが、学年や学校の力関係にも大いに影響されることも付け加えておきます。そのことについてはまた後日。

ショックだけどありそうなお話

ショッキングな話を聞きました。でも、今の学校現場では、大いにありそうなお話です。いや、似たような話はたくさんあるのではないでしょうか。

成績トップクラスの子が身内の不幸の為に学力テストの日に欠席したそうです。

すると管理職が、「あの子が学力テストを受けないのは本校にとって痛い、連れて来い」と発言したそうです。

……、もはや日本の学校は人を教える場所ではないな、と思いました。いや…、おそらく自分も、そんな中で、多くの子どもたちを傷つけているに違いない、と。

そんな日本の学校で、「道徳教育が大切」などと言う資格があるのだろうか。そんな嘘っぱちは、誰よりも子どもたちが一番はじめに見破るだろうなと思っています。

日本の子どもたちにお願いしたい。学校によって権利を奪われているのなら、大いに怒りを持って意見表明をしてほしいと。

〈力芸〉と〈競闘遊戯会〉

『世界の不思議』、日本の運動会について調べてみようと思いました。

理由は、最近の教育の極端な右傾化(教育勅語問題等々…)の中で、運動会もまたその『空気や力』に利用されることのないようにしたいと思ったからです。

それは、盲目的な精神主義、出来栄え最優先のための強制的指導と訓練主義な運動会を賛美することに批判的でなければならないということでもあります。

----------
さて、日本の運動会の起源は、1868年に幕府の横須賀製鉄所において技術者・職工らによって行われたものが最初であるとする説もありますが、一般的には、1874年海軍兵学校でイギリス人教官指導のもとに開かれた〈競闘遊戯会〉とされています。提案したのは、明治政府が招いた英国の軍事顧問団。

その時は徒競走や棒高跳び、三段跳びに加え、二人三脚、肩車競走、豚追い競走等。18種目だったそうです。

かなり軍事教練的で、たとえば海軍兵学寮での「障害物競走」「綱引き」は兵隊の俊敏さや体力を鍛えるのが目的でした。「障害物競走」は前線を駆け抜ける訓練。「綱引き」は重い大砲を挽くためのものという説も。玉入れも、手榴弾とかを投げる訓練だったとか?

「騎馬戦」「棒倒し」は自由民権運動の「圧政棒倒し」「政権争奪騎馬戦」が原点ですが、当時の運動会が、軍事的、政治的な背景をもとにして生まれ、運用されていたことは事実のようです。

しかもこの運動会は、日本人の教師・学生の自発的な動きとして開かれたものではなく、審判も教師として来ていたイギリス海軍の将校や下士官が行っていました。ゆえにこのイギリス人がいなくなると自然になくなってしまいました。

----------
一方その4年後の、1878年に札幌農学校(北海道大学の源流)で〈力芸会〉が開かれました。この「少年よ大志を抱け」で有名な札幌農学校の運動会の方が日本の運動会のルーツだという説もあります。

クラーク氏は札幌農学校で専門の学問を教えただけでなく、体操やスポーツも教えました。戸外の様々な運動を奨励し、雪中の長距離遠足なども実施しました。

彼がまいた種は、彼が去った翌年にわが国最初の、日本人の手による運動会として開花したということのようです。

場所は札幌市北一条通りであり、第1回遊戯会(1878年)と名付け、実施される種目を「力芸」とよびました。

ちなみに第1回遊戯会の種目には、100ヤード走、200ヤード走、四分の一マイル走、半マイル走、一マイル走、走り幅跳び、走り高跳び、棒高跳び、バンマー投げなど、今日の陸上競技種目の他に、二人三脚、竹馬競争、提灯競争、カエル飛び競争、じゃがいも拾い競争、食菓競争(パン食い競争のルーツ)等々、レクレーション的な競技が採用されていることが注目されます。

なぜ最初の遊戯会にレク的な種目が入っていたのかというと、クラーク氏の教えは、学校・学生は地域の中の一員としてあって、共に生活する者としていることが大切であったからです。

----------
「軍事的鍛錬」「富国強兵」を謳い、政治的な背景の中で生まれた〈競闘遊戯会〉。

一方、学校・学生は地域の中の一員としてあって、共に生活する者としていることが大切であると謳った〈力芸〉。

現在の運動会も、〈力芸〉の意義をもう一度見直し、大切にしたいと願うのは私だけでしょうか。


<参考>
城丸章夫『スポーツの夜明け』

(*ᴗˬᴗ)⁾⁾


----------
教育論・教育問題(ブログ村人気ランキング)はこちら(^-^☆

教育問題・教育論(人気ブログランキング)はこちら(^-^☆

2つのバナーを1日1回ポチッとヨロシク!
ブログランキング・にほんブログ村へ 

政府は結局

政府は結局、

どこかで大震災が起きようと、

原発が壊れて放射能が広がろうと、

ミサイルがどこかの都市に落ちようと、

拉致被害者の家族が返してほしいと願っていようと、

築地市場の関係者が早く結論を出してほしいと願っていようと、

子どもを預ける保育園が見つからないと、多くの家族が困っていようと、

アメリカの軍事基地は困ると声をからして叫んでいようと、

ブラックな労働で若者が命を落としていようと、

……、見捨てるんだな、と。


政府は結局、

日本の名前を世界に広げてくれた人だけを

日本に多大な利益をあげてくれた企業だけを

持ち上げるんだろうな、と。


苦しんでいる者の口を塞ぎ、

意見を言うものを逮捕するぞと脅し、

いったいこの国は誰が幸せなのだろうか、と。


私たち小市民は、

束の間に訪れた小さな小さな安息と幸せを

大切に、大切に、生きているのです。

教育はいったい誰のもの?

義務教育の「義務」とは、二重の意味があると考えます。

一つは、子どもを出席させる義務。もう一つは、子どもが学ぶにたる社会的条件(校舎・設備・教師・学資等)を国家や社会が整える義務です。この二つの義務が整って、はじめて義務教育ということができるのです。

そういった意味で、学級定数を他の先進国と言われている国なみに引き下げず、教師にブラックな労働を強いている今日の日本の教育体制は、義務教育として成立していないと考えます。

また、不登校の子どもの保護者に対して、義務教育違反だというようなことを言う "権力者" が時々いますが、とんでもない間違いだということです。そして「不登校ゼロ」を目標にして学校に連れてくるのは、義務教育をしているのではなく、一方的な強制教育だと言えます。

教育はいったい誰のものなのでしょうか。

戦前は、「教育勅語」に見られるように天皇陛下のものでした。今はどうでしょうか?確かに、一部の者に、天皇陛下のものに戻そうという人たちもいるようです。最近、そういった人たちが権力を握っていることもまた事実。しかし、憲法では明らかに、学校は、教育は、私たちのものなのです。

それが、天皇陛下のものではなくても、オカミのものになってしまっていないでしょうか。

教師は、免許更新法や評価制度により、オカミのもとにおかれました。学習内容・方法も、オカミの作った学習指導要領が絶対的な基準になり、教科書もそれに沿っていなければ採用されません。

学校の数も、教師の数も、使ってみたい教科書も、我々国民の要求は無視され、オカミの都合で決められています。

教育を、学校を、さらにオカミの支配下におくことを強化しようとするのではなく、そろそろ国民の声を聞かなければなりません。義務教育としての義務を果たさなければなりません。

とりあえず、教師の数を増やして教師がまともに授業ができるようにしましょう。そして、子どもの数が極端に少ない地方の学校にこそ教育予算を増やして、少ない児童数でも充実した教育がなされるようなシステムを作り上げましょう。

そして、それぞれの地方の実情に合ったカリキュラムを、教師や地域の人々が、独自で作成することもできるようにするべきです。

日本の教育は、義務教育としての完成はまだまだのようです。

学校は面倒でやっかいな存在

聞いたところによると、

今の時代の保護者にとって学校は、夢をかなえるのには不十分で、むしろ邪魔。かといってそこでのおつきあいに気を遣わないと地域で生きていけない。つまり学校は面倒でやっかいな存在らしい。

かといって、1990年代の頃のように、学校・教師に対して敵対しているわけではない。自分の子どもがトラブルに巻き込まれない限り、笑顔で接することのできる存在でもあるらしい。

学習参観では、自分の子ども中心に参観するのはいつの時代でも同じ。かつては授業内容についてクレームをつけることもあったが、最近ではそういったこともなく、学校の授業についてあまり関心がない。

学校に対しての一番の関心・要求は、子どもの安全。学力向上や夢への道筋は、学校の外で見つける。学校は、安全であればよい。

いやいや、ちょっと待ってよ。本当にそうなのか?

最近の学校は、やけに権威的。保護者や子どもたちは、それを負担に感じ、時にはおびえているように思えて仕方がないのです。

次々と出してくる学校からの要求に、ついていくことだけで精一杯。ついていけないと、学校から家庭ごと叱責されたり、地域から排除されるような気がして仕方がない。

公的機関が、国民・市民に、上からモノを言う時代は、歴史的にあまり良い時代であったとは言えないのです。

「術」と「道」(下)

1913年(大正2年)の学校体操教授要目は、体操科の教科として、中学校および師範学校男子生徒には、

『撃剣及柔術ヲ加フルコトヲ得』

としました。この動きに、当時の陸軍のはたらきかけがあったことは間違いないようです。(なにか…、今の動きに似ています)

軍は、日露戦争の勝因は、「白兵主義」、格闘主義、強固な「攻撃精神」にあったと主張。

※実際は、射撃や手榴弾などの近代兵器の方が優位であったことは言うまでもありません。ただ、なぜか軍は精神主義を言い張った。

そして昨日書いたように、1926年の教授項目の改正で、剣術、柔術ではなく、柔道、剣道という言い方が学校教育の中でも公的な位置を占めるようになりました。

いったい、「術」と「道」ではどう違うのでしょうか。

そもそも「道」には、精神修養という意味が強く、それを通して日本古来の精神、とりわけ『武士道精神』を学びとり、立派な人格を作り上げるのだという主張が広がっていたようです。

しかし、当の武士たちは、武術と武士道とを区別していました。武術は技であって、武士道は道徳だからです。

そもそも、武術を練習すれば「強固ナ攻撃精神」が養われるなどという軍の発想が、道徳に対する把握の低級さを示していると言わざるを得ません。逆に、武術に対しても失礼です。

戦時中でも、剣術や柔術をよくやった人だけが勇敢だったかというと、そんなこともなく、逆に何もやっていなかった人だって勇敢だった、という話も聞きました。

当時の軍は、武術の学びを与えたのではなく、道徳としての武道を取り入れたのです。そして、そのねらいは、自己の命をも省みず、天皇のため、国のために尽くす忠君愛国の精神だったのです。

今回の学習指導要領の改訂も、おそらく同じようなねらいがあると考えられます。

「武道に積極的に取り組むことを通して、武道の伝統的な考え方を理解」することをねらいとすると言っていますが、問題は、「武道の伝統的な考え方」とは何か、ということです。

純粋に武術・武道を愛する人は、国のためでなく、あくまでも自分のために自分の技を磨いているのではないでしょうか。

「術」と「道」(上)

2021年春に中学で実施される新学習指導要領の本文に、保健体育で武道の選択肢として「銃剣道」が初めて明記されたことが話題になりました。

文部科学省が2月に公表した新指導要領(案)で、現行要領より「武道」に力を入れる表現が入りました。

その武道とは当時、(柔道・剣道・相撲・空手道・なぎなた・弓道・合気道・少林寺拳法)でした。銃剣道は「授業の実施率が低い」(スポーツ庁政策課学校体育室)として省かれていたのです。

ところが3月末の完成版に、なぜか銃剣道が入っていた…、といういきさつのようです。

元陸上自衛官で「ヒゲの隊長」こと自民党の佐藤正久参院議員は、

「記載はあり得るのかと文科省に聞いたらパブコメに意見を、というので、自民党議員や自衛隊OB、自分の支援者に呼びかけた」

と説明したそうです。どうやらそういった運動やはたらきかけが実ったということらしいです。さらに佐藤参院議員は

「銃剣道はスポーツで実戦向けの銃剣格闘とは違う。剣道やなぎなたも元々は相手を殺傷するためのもので、銃剣道だけ批判されるのはおかしい」

と訴えました。銃剣道連盟の鈴木健専務理事は

「批判も含め思ったより話題になり、ありがたい。銃剣道が人間形成を目的とするスポーツだと多くの人に知ってほしい」

と論争を歓迎しているそうです。

さて、歴史をさかのぼれば、剣術・柔術と呼ばれていたのが、剣道・柔道として教授要目に記載されたのは、1926年(大正15年)です。昭和元年の年でもあります。

軍の要請を受けた当時の文科省が、なぜ「武術」を「武道」に変えて教授項目に位置づけたのかをもう少し調べてみましょう。

(つづく)

体育・スポーツ国際憲章

2016年8月20日のNHKの番組、「おはよう日本」。その番組で、「リオ五輪 成果と課題」と題し、刈谷富士雄解説委員が、「五輪開催五つのメリット」として、具体的には次の五項目をフリップで紹介。

五輪開催の五つのメリット
(1) 国威発揚
(2) 国際的存在感
(3) 経済効果
(4) 都市開発
(5) スポーツ文化の定着

「あれ?オリンピックの意義って…、そうだっけ?」

最近マスコミで、東京世代がどうのこうのって言われていますが、彼らは国威発揚や経済効果のために利用される子どもたち、若者たちなのでしょうか?

いや、そもそも体育・スポーツをやる意味ってなんなのでしょうか?

1978年11月のユネスコ第20回総会は、「体育・スポーツ国際憲章」を定め、その第一条において、

「体育・スポーツの実践はすべての人にとって基本的権利である」

としました。

そしてその補足として、

「すべて人間は、人格の全面的発達にとって不可欠な体育・スポーツに親しむ基本的権利を持っている。肉体的・知的・道徳的能力を伸ばす自由は、教育体系および社会生活の他の側面においても保障されなければならない」

「すべての人は、自国のスポーツの伝統にしたがって、自己の身体的適応性を高め、能力水準に応じたスポーツ水準を達成するよう、体育・スポーツの十分な機会を持たねばならない。」

「学齢児童を含む若いひとびと、高齢者・身体に不自由を抱えた方が、その要求に合致した体育・スポーツプログラムにより、その人格を全面的に発達させるための特別の機会が講ぜられなければならない。」

さらにその前文について見ると、この国際憲章が、世界人権宣言を受けていることを明確に述べ、そのうえで、

「体育・スポーツは、フェアな競争、連帯と友情、相互の尊敬と理解、人間の高潔と尊厳を、完全に尊重しながら、諸国民間および個々人間の親密な交流の促進を図る」ことを協調すべきだと述べています。

体育・スポーツは、すべての人間一人ひとりの権利です。

国威発揚や国の存在感アピール、経済効果や都市開発のためにあってはならないし、人間個々は、そのために利用されてはならないことを、もう一度確認したいものです。

旭日旗(きょくじつき)

戦前の陸軍の正式のマークは、星と菊と紅日光線章の三種類でした。

サッカーチームのサポーターが応援のために利用した旭日旗(きょくじつき)が問題になりました。そこに描かれているデザインが、旧陸軍の正式マークの一つ、「紅日光線章」です。

旭日旗には、中央の日輪から四方に16本の光線が走っています。真ん中の赤い丸は日輪です。そこから四方に走っている16本の光線は、日の神の子孫である天皇の威力が八紘(八方=全世界)に及ぶことを示していると言われています。

紅日光線章が、陸軍の正式マークでしたので、それが描かれた旭日旗は、陸軍の正式な軍旗でした。旗竿の先には菊の紋章がついていて、軍隊そのものが天皇のモノであることを示していました。

さて、ここで注目すべきことがあります。それは、日の丸が軍旗として採用されなかったどころか、当時は格下のマーク・旗だったということです。

日の丸から旭日旗ができた、というのは誤りです。旭日旗の方が、日の丸よりも数段格上だったのですから。

軍旗として採用されなかった日の丸は、最近まで「国旗」とも言われず、「日の丸」とのみ言われていました。

保守側の人たちが、日の丸を国旗だと法的に決める時に、『慣習的に国旗の扱いをされてきた』と主張していたのですが、それは間違いです。日の丸は、それこそ "日の目を見ない" マークだったのです。

なぜ、日の丸は格下だったのでしょうか。いろいろな説がありますが、私は次の説が好きです。

それは、明治期の天皇家と政府とに、日の丸を扱うことにある種の躊躇があったということ。理由は、天皇家の先祖は日の神だと主張していますが、その先祖は「鏡」を自己の身代わりと指定していて、太陽礼拝を要求していなかったという説です。

さて、そんな日の丸に対して旭日旗は、やがて海軍の軍艦旗にも採用され、現在でも、陸上自衛隊で自衛隊旗、海上自衛隊で自衛艦旗として使用されています。

さあ、運動会だ

ゴールデンウィークも終わり、27日に予定されている運動会の練習に突入します。

5年生は、6年生と一緒に表現運動を行います。(最近は組体操と言ってはいけないらしい)

あとは、団体競技と、個人走です。高学年なので、応援団や、様々な係活動にも取り組みます。

運動会の指導は、とかく強い指導になりがち。若い先生方が、そのことによって子どもたちとの関係を壊してほしくない、というのが個人的な思い。

いずれにしろ、私にとって現役最後の運動会。運動会大好きのしおちゃんマンですので、やはり寂しい感じ。

最後の運動会も、子どもたちと一緒に、悩んで、楽しんで、感動できる運動会にしたいものです。

教師が物言わなくなったのはいつ頃から?

戦後民主主義を先頭に立って推し進めてきたはずの教師が、今では一番の "物言わぬ国民" になってしまったことを先日書きました。

それはいつごろからなのかなぁ?というお話。

自分の感覚的には、80年代のバブルの時代には、まだ教員は職員会議でよく発言していたように思います。

物言わなくなったのは、バブル崩壊以降かなぁ?確かにその時期、教育史的には、以下のような動きがあります。

1999年
国旗及び国歌に関する法律

2000年 
東京都 教員人事評価制度導入

学校教育法施行規則が改正で職員会議が校長の「補助機関」であるということが明確に。

2006年
教育基本法改正

2007年
教員免許更新制


特に、2000年の職員会議が校長の「補助機関」であるということが明確になったことが大きかったかも。

いくら意見を言っても、最後は校長の一声で全てが決まってしまう。いくら意見を言っても無駄…、そんなことを感じた記憶があります。

並行して、異常な多忙化が進み、モノを考える暇もなくなったというのも事実。教師が新聞や本を読む時間がないという事実は深刻だと思います。

儀式的行事(3)

学校の儀式的行事で指導する作法は、神道と仏教、欧米の軍隊の作法が入り混じったものではないのか?ということを昨日書きました。そういった意味で、特定の宗教の儀式を教えることの違反にならない…、と言い訳もできるのかも、と。

その件について、少し横道にそれます。

そもそも天皇家は、聖徳太子以来、ずっと仏教徒だったのです。四条天皇から孝明天皇までの700年間、天皇家の菩提寺は京都の泉涌寺。歴代の天皇の位牌もこの寺に納めているそうです。

また、天皇家の行事のほとんどは、仏教行事でした。しかし明治政府による神仏分離と廃仏毀釈の政策で、天皇家の行事で仏教行事として残ったのは、四方拝・元始祭、新嘗祭ぐらいのものだったとか。

しかし、そもそも神道というのは、独自の儀式形式があったわけではなく、仏教ならびに道教との習合であったということです。

天皇の即位儀式は、「高御座(たかみくら)」に登る儀式であり、天皇はこの儀式のときに、仏教の真言の儀式に基づいて「灌頂(かんじょう)」をし、印をむすび、真言を心の中で唱えつつ、高御座に登るそうです。

また、天皇の地位の象徴、鏡・剣・玉の神器をはじめ、巫女さんがふる鈴、神社の縦長の幡という旗…、これら全て道教に源泉があるとか。

つまり、国家神道における "神の子孫" である天皇家は、仏教から強い影響を受けた儀礼と、道教から強い影響を受けた儀礼とを持っているということ。

ゆえに、学校の儀式的行事の作法は特定の宗教の作法ではないので、違反にはならないというのは、厳密にいえばあたらないということです。明治政府が意図的に作った、国家神道という特定の宗教の作法なのだと。

なぜこんな面倒くさいことを言い出したのか。

それは…、教育勅語を学校現場に利用しましょう、などと言われる時代になったからです。儀式的行事もまた利用される危険があるということです。道徳だけじゃない……。

これまで、文化の範疇で、儀式的行事の作法は受け入れてきましたが、教育勅語まで持ち込まれるとなると、そうも言っていられない。

天皇を神の子孫であることをうたった「国体の本義」に基づいてつくられた教育勅語。その内容を肯定しつつの「儀式的行事」がどうなってしまうのかは、だれでもわかるということです。

(この連載 おわり)

ブログ内検索

1日1回ポチッとよろしく(*ᴗˬᴗ)⁾⁾

にほんブログ村 教育ブログへ 

しおちゃんマン★ブログ

shiochanman_2.png

塩崎義明(しおちゃんマン)の『公式メインブログ』です。教育問題について語ります。⇒ 管理画面

雑誌『生活指導』(高文研)編集長/全国生活指導研究協議会常任委員/最新著書『教師と子どものための働き方改革』(学事出版)/小学校で37年間学級担任として勤務/現在某私立大学文学部教育学科特任教授/iPhone12 Pro/Surface Laptop3/黒猫大好き/手相は両手とも「ますかけ」。

さらに詳しいProfile……

にほんブログ村
人気ブログランキング

公式サイト 塩崎義明OnlineOffice



塩崎宛メールフォーム
e-mail-send_icon_1150-80.png

全生研
しおちゃんマンツイッター
Facebook 塩崎義明
しおちゃんマン Facebookページ
Instagram YoshiakiShiozaki
しおちゃんマン YouTubeチャンネル

oshio412b9c9f-s_2.jpg

このblogのカテゴリー

月別アーカイブ

05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  04  03  02  01  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09 

ヨシムネ&ねね

しおちゃんマンの飼い猫、黒猫ヨシムネと ねね

ヨシムネ
ヨシムネ ♂
2005年8月生まれ。2006年8月に動物病院からしおちゃんマン家にやってきた。

ねね
ねね ♀
2008年6月生まれ。教え子(当時小6)達が公園で保護。2008年6月よりしおちゃんマン家の家族に。2017年7月28日逝去。

【しおちゃんマンの本!】
【最新本】






PVポイントランキングバナー

PVアクセスランキング にほんブログ村

カウンター