2017/05/31
「学校珍百景」の発生について
「学校珍百景」の意味を考えるパート2です。書籍「学校珍百景2」の、「はじめに」では、学校珍百景の発生について以下のように書いています。
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一つ目は、見た目や形ばかりの「良い子モデル」「良い教育」が前面に出されるようになったこと。そしてそれは、わざとらしさく見えたり、誰もが「意味がない」とわかっていてもそれを推し進めざるを得ない現実が「珍百景」になっているケース。
二つ目は、「お上」が決めたことを、子どもたちや地域のリアルな現実を無視して強引に現場に降ろし、しかもそれを、どの教師にも統一してやらせようとするので、そこに無理が生じて発生する「珍百景」やハラスメント。
三つ目は、学力テストに代表される“競争の土俵”に、学校丸ごと乗っかり、そこで発生する、様々な笑えない「珍百景」。
お気づきにように、こういったことはもはや「珍百景」などとのんきなことを言っていられない非常事態であるとも言えます。現場には、教師にとっても、子どもたちにとっても、理不尽な嵐が吹き荒れているのではないでしょうか。
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この頃から、日本の教育には、一斉・一律の国家主義的な側面と、競争を強いるな新自由主義的な側面があることを私は感じていたということです。
それが、学校あるあるとは別な、新たな珍百景を生み出すことになっているということです。