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早く帰れる教師の背景を

自分は、勤務時間内にきちんと帰っている、と主張する人がいます。

勤務時間内に仕事を終えられるなんて、 "仕事ができる人"だなぁ…、などと評価したりもします。

遅くまで仕事をしている人を、要領の悪い人、仕事ができない人、と評価する人もいます。

それらを全て否定はしません。しかしその前に、教師個々の背景の違いに目を向けてほしい。

勤務時間内に仕事を終える人は、一学級何人の、何クラスの、何年生の担任ですか?

学年主任ですか?

週、何時間授業を持っていますか?

部活動は担当していますか?

プライベートな家庭の状況は?

エトセトラ

それらの背景を無視して、その教師が、仕事ができるとか、できないとか評価するのはおかしいのです。

そしてそもそも、我々の仕事というのは、それら個々の事情をお互いに前向きにカバーしつつ、協働していく仕事です。個々がすぐれているとか、劣っているとかいう目で見るのは間違いなのです。

教師評価時代に入って、こういった面においても、個々を評価する目になっていて残念です。

やっぱり出てしまった

国立競技場の建設現場から、自死する若者がでてしまいました。

月の超過勤務時間は、211時間だったと言います。

60時間越えが相談できるレベル、80時間越えが病院に行くレベルだとすれば、211時間がどれだけ異常な勤務だったのかがわかると思います。

やっぱり出てしまったか…、という感じです。

東京オリンピックのためだと言えば、なんでも許されると思っている最近の日本人。

何よりも、人の権利や命よりも、東京オリンピックが優先されると思い込んでいる最近の日本人。

東京オリンピックに疑問を持ったり、批判したりすると、非国民扱い並みの目で見られる最近の日本。

なにが「おもてなし」だ!!

国は会社に責任を押し付けずに、きちんと、命の責任をとってほしい。

教室整理

出勤して、教室の整理と掃除をしています。

今年は定年退職の年なので、自分の荷物も、この夏休みに整理しなければなりません。

もう使わないであろう文具や、読み終えた書籍は、他の職員にあげようかと思っています。

すると、家に持って帰るのは、ダンボールひと箱になりました。

当然、寂しい気持ちになります。

しかし今年度はまだ半分以上残っています。

子どもたちに教えておかなければならないことが山ほどある。

そのことを忘れないようにしないと。

続・「メモと議事録」

メモと議事録についてさらに書いておきます。

個人的には、公的な議事録よりも、個人のメモの方が信用できるのです。

公的な議事録は、説明責任のための記録、という意味が、どうしても強くなってしまうので、真実でないことが書かれている可能性もあると考えます。それを防ぐために、議事録というのは、本来外部の第三者がつけるべきだと。

まあ、そんな所はないわけですが、記録ということを考えるにあたって、現在ではそこまで考えなければならないのではないかと、加計問題を聞いていて思いました。

学校現場でも、子どもの記録というものがいくつかあります。そういった公的な記録も大切ですが、自分的には、リアルな教師個々のメモを大切にしたい。 "真実の授業や指導" はそこから生まれるのではないでしょうか。

「メモと議事録」

加計問題についての報道を見ていて、記録するって大切だなぁ、とあらためて思います。個人的には、記録をとることが好きで、子どもの情報や、その日にあったことを細かく記録しておくタイプです。ということで、生活指導の実践記録は、割と簡単に書けます。みなさんは、授業記録や子どもの記録はどのようにとっているのでしょうか。

一方、職員会議の議事録って、全国的にどうなっているんだろう?もっとも、なあんにも発言が出ないので、議事録をとる必要があるのか?と思ってしまう会議ばかりなのかもしれない。提案文書の添付、簡単な質問があったら、それを書いておけば、職員会議の議事録はおしまい。そんな感じでしょうか。

加計学園の件で問題になっている文書は、個人的なメモやメールです。公式な議事録は出てきません。もしかしたら、学校の職員会議と一緒で、上からの伝達ばかりなので、きちんとした議事録を作る必要がないのかもしれない。言われたことを個々が必死にメモする…、そんな感じなのかもしれません。

練習皆勤です

PTAのトリムバレーの練習……、毎週月曜日の19:00から、還暦の身体にムチ打って、練習に参加しています。夏休みにも練習があるのですが、今のところ教師では私だけ皆勤賞です。9/18日に大会があるそうです。

なんでもかんでも若い職員に任せるのは間違いだと思うし、何よりも私自身が身体を動かすのが好きなので練習に出ています。ちなみに、今年初めての参加です。最後なので、出てみようかと。

ネットをはさんでのスポーツは得意です。硬式テニスは高校時代全国にも行ってるし、大学まで続けました。教師になっても、市の代表で県民大会に出たこともあります。

しかししかし、還暦の身体に、最初はストレスを感じました。動けるはずの動作が動いてくれない。回るはずの肩が回ってくれない。

それでも、心筋梗塞経験者、腰のヘルニア持ちなのですが、かなりいい感じ。練習を重ねていくうちに、コツが少しずつわかってきています。体重をあと4キロ落とせば、いけるのではないかと。

気をつけなければならないことは、動けるようになったときの大きな怪我。

注意しなければ。

忙しくさせておけば文句は言われないという発想

教師が身体を悪くしたり、命を落としたりしています。もしかしたら教師って、予想以上に大変なことになっているのではないか……と、ようやく世間が目を向け始めました。これはもはや、教師個々の力量の問題ではない、教育行政の失敗ではないかと。

文科省・教育委員会はお役所なので、世間からの批判に敏感です。

どうして、教育がこんなになるまで放置していたのかを考えてみるに、「忙しい」「大変なんだ」と見せておけば世間からあまり文句は言われない、といった日本人的な発想があります。「大変なのに頑張っている」とみてくれるし、足りない部分は自己責任で補おう、というのが最近の日本人の発想でもあるからです。

しかし、そろそろ限界がきたようです。

早急に学級定数を引き下げ、職員の数を増やして、部活動の問題を解決し、その他、子どもの安全と成長の直結しない仕事をやめさせるべきです。

長時間労働は教育行政の失敗

教師の長時間労働がやっと問題になってきています。

ところがこれを、教師個々の「働き方」の問題にする人がいるので、話がなかなか進まない。

教師も人間の集まりなので、せっかちな人もいるし、のんびりやもいるでしょう。要領がよい人もいるし、悪い人もいる。しかしそのことと、今問題になっている「教師の長時間労働」の問題とは全く別。

自分は、超過勤務しなくてもできている、などと平気で言う人がいる。それは、あなたがやっていないことを他の人がやっているだけだということに気づいていないだけ。

教師の長時間労働は、明らかに教育行政の失敗。40人近い学級でやっているところが山のようにある。学級定数を引き下げない限り、子どもの数は減っても、学級の数と教師の数が減るだけで、教師一人当たりの指導する子どもの数は減らないのです。

部活動の問題は聖域として、文科省・学校現場が小中高体連に丸投げしてきたのが今の問題になっている……。

安全・危機管理の問題、教師評価の問題、エトセトラ…、どの取り組みも私たちを忙しくさせているだけで、子どもたちの安全や成長に直結していない。これを行政の失敗と言わずして何といえばよいのでしょうか。

身体よ!!もってくれ!!!

明日、人間ドックです。

結果が悪いのはわかっているし、その悪さに対応した通院&治療もしているつもり。

人間ドックの単なる数字の結果ではなく、毎日の教室通いに必要な基礎体力を維持できるのかの方が重要。

そのためには、体重を、あと最低5キロは落とさないといけないと思ってます。

この夏休みは、基礎体力維持のためのダイエットにはげもうかと思っています。

グループ学習をするならば

校内研究授業で、グループ学習の場面を中心に展開する授業が増えてきました。

アクティブラーニングを、まずは一人ひとりの発言機会を保障することから始めてみようという試みなのかもしれません。

しかし、いじわるな見方をすれば、40人で話し合い、意見交換をまわしていくことを回避しているのでは?とも考えてしまうのです。申し訳ない。

それはともかく…、

私の場合、グループ学習をしているのを見ると、その学習内容だけなく、そのグループの子ども同士の力関係にどうしても目が行ってしまうのです。

もっと言えば、その学習において、なぜこのグループを組んだのか、または、どのようにしてこのグループを組んだのかの方に目が行ってしまうのです。

学びというのは、一緒に学ぶ仲間によって、その効果・成果が変わってしまうと考えるからです。

子どもの実態・声を無視すると教育は形骸化する

低学年の理科と社会科が廃止され、生活科が始まった時に、文科省・教育委員会は、教師は指導するな、何もするな、ということをさかんに言っていました。しばらくして、さすがに「何もするな」はマズイと思ったのか、『指導ではなく支援しなさい』などと言い換えてきました。「指導案」も「支援案」に書き直されたのもこの時期。

しかしその時も、「指導とは何か」、「指導と支援とは具体的にどう違うのか」といったことの現場の「納得」は得られず、「評価が大切だ」などと、話題を変えてきました。「評価基準」と「評価規準」という言葉を定着させようとしたのがこの時期。

今でも、支援や評価基準・評価規準に強くこだわっている地域もありますが、私が見る限り、全体としては、どちらも形骸化しています。

支援や評価基準・評価規準というながら、一方で、上からの強引な指導とゼロトレを広げたのですから形骸化するのは当たり前。いったい何を支援し、評価しろというのか、ということです。

本日1学期終業式

3学期制の本校で、本日、1学期終業式です。

授業日数は、69日。したがって、日刊通信も69号まで発行しました。

私の場合、毎年1学期は、子どもとの関係をどう結ぶかをテーマにしています。 "なんでも話ができる関係" "安心できる空間づくり" "子ども同士の関係づくり" が今年も1学期のテーマでした。

振り返ると、失敗や、うまくいかなかったことばかりですが、子どもたちが気遣ってくれたと思っています。感謝していますし、申し訳ない気持ちです。

さあ、夏休みにしっかり学習して、2学期以降も子どもたちと向き合える身体をつくらねば……。

「追試」という言い方

そもそも「追試」とは、他人が行った実験を、あとから同様に試みることの意味です。それが学校現場では、『授業のねらいや流れをそのまま同じようにやってみること』として当たり前に使われるようになってしまいました。しかし当初は、あくまでも、実験的・研究的な意味において「追試」だったはずです。

つまり…、だれかが授業の展開について問題提起→それを研究的に追試してさらにその授業について研究を深める、といった意味だったと思うのです。

それが今では、「便利な授業例」として公開されているものを真似をしてみる、といった意味に変わってしまっていることが残念です。「学ぶ」は「真似る」からきているという意味で、真似をしてみることも "有り" だとは思いますが、それを「追試」と言ってはいけない。

ここで問題なのは、上から授業例を降ろしてきて、『追試せよ』と指示してくること。しかも、それをやったかどうか点検してくる教育委員会まである。

まずこれは、追試でも何でもありません。さらに、私が見た限り、そういった授業例?は、ほとんど面白くないし学びになっていないものばかりであること。そもそも学びというのは、子どもの実態や要求に対して、学習素材をどうぶつけていくのかに醍醐味やおもしろさがあるわけです。子どもの実態を無視して、上からの都合でつくった授業?など、意味がないのでは?意味があるとしたら、説明責任としての意味だけです。

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小学校で37年間学級担任として勤務/現在大学で教師を目指す学生に指導。/最新著書『教師と子どものための働き方改革』(学事出版)//iPhone12 Pro/Surface Laptop3/黒猫大好き/手相は両手とも「ますかけ」。

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ヨシムネ&ねね

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ヨシムネ
ヨシムネ ♂
2005年8月生まれ。2006年8月に動物病院からしおちゃんマン家にやってきた。

ねね
ねね ♀
2008年6月生まれ。教え子(当時小6)達が公園で保護。2008年6月よりしおちゃんマン家の家族に。2017年7月28日逝去。

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