2017/10/31
宮沢賢治がブームらしい
宮沢賢治が静かなブームらしい。そして国語の校内研究授業で「雪わたり」をやるので、あらためて宮沢賢治について考えてみた。考えてみたら自分自身、宮沢賢治の作品をプライベートではほとんど読んでいない。ただ教室では「雨ニモ負ケズ」は学級集団づくりの一環として全員暗礁をさせたことがある。「注文の多い料理店」は好きな作品だし図工の絵画の素材として利用したこともある。そしてもちろん「雪わたり」も何度か授業している。出会ってはいるけれどお付き合いはその時だけ、という関係だ。
私は賢治について深く研究したこともない。今この瞬間も調べてはいない。つまり出会った作品を読んでの小さな思い付きであるが……、
賢治の作品には、自然との共生、異界を感じる自らの感覚との闘いと和解…、が存在していると思える。作品には必ず不思議な空間(異界)が登場する。そしてその「異界」肯定は、現世否定と同時進行しているように見える。
そういった目で、「雪わたり」を読むと、やはり、最後に人とキツネがわかりあえた場面…、お互いに涙を流した場面をどう読むのかが重要になってくるのだろう。
つまり、その「涙」は、指導書にあるようにわかりあえた感動の涙なのか、それとも賢治自身が悟りに行きついた感動の涙なのか、つまり現世へを否定しつくした達成感なのか。または、異空間でしかわかりあえない悲しみの涙なのか、もう現世に戻れない悲しみの涙とそれに同情する者の涙なのか……。
いずれにしても、「雪わたり」に限らず賢治は作品を通して、異界との和解のメッセージを発信しているように読めるのである。