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宮沢賢治がブームらしい

宮沢賢治が静かなブームらしい。そして国語の校内研究授業で「雪わたり」をやるので、あらためて宮沢賢治について考えてみた。考えてみたら自分自身、宮沢賢治の作品をプライベートではほとんど読んでいない。

ただ教室では「雨ニモ負ケズ」は学級集団づくりの一環として全員暗礁をさせたことがある。「注文の多い料理店」は好きな作品だし図工の絵画の素材として利用したこともある。そしてもちろん「雪わたり」も何度か授業している。出会ってはいるけれどお付き合いはその時だけ、という関係だ。

私は賢治について深く研究したこともない。今この瞬間も調べてはいない。つまり出会った作品を読んでの小さな思い付きであるが……、

賢治の作品には、自然との共生、異界を感じる自らの感覚との闘いと和解…、が存在していると思える。作品には必ず不思議な空間(異界)が登場する。そしてその「異界」肯定は、現世否定と同時進行しているように見える。

そういった目で、「雪わたり」を読むと、やはり、最後に人とキツネがわかりあえた場面…、お互いに涙を流した場面をどう読むのかが重要になってくるのだろう。

つまり、その「涙」は、指導書にあるようにわかりあえた感動の涙なのか、それとも賢治自身が悟りに行きついた感動の涙なのか、つまり現世へを否定しつくした達成感なのか。または、異空間でしかわかりあえない悲しみの涙なのか、もう現世に戻れない悲しみの涙とそれに同情する者の涙なのか……。

いずれにしても、「雪わたり」に限らず賢治は作品を通して、異界との和解のメッセージを発信しているように読めるのである。

今どきの子どもたちの三つの関係

先日、今の子どもたちの関係は、

 上下関係
 嘘芝居関係
 キャラ設定競争

の、三つの関係に退化し、その中で、いじめ・迫害、差別の問題が発生していることを少しだけ書きました。その三つの関係について、もう少し考えてみましょう。

[上下関係]
これはよく理解していただけると思います。今の子どもたちは、正しいことよりも、強い力に従う傾向があります。権力・暴力主義、権威主義は、それを支えるものによって成立します。その中で、パワハラ・いじめ問題は当然発生してきます。

[嘘芝居関係]
「嘘芝居」というのは、特別の教科道徳への批判として利用したしおちゃんマンの造語。本音を隠していることをお互いに了解した上で、その関係性を保とうとすること。お互い嘘だとわかりつつ付き合うので、かげでの悪口、トラブルが発生します。今の子どもたちは、表に出るトラブルは面倒くさい、ダサい、かっこ悪いと考える傾向があり、それも「嘘芝居」の関係を生み出す原因にもなっています。そして、問題が起きても、根本的な解決には至りません。

[キャラ設定競争]
子ども・若者集団には、安心できない「安心空間」があります。そして、子ども・若者たちは、皆それを "しかたのないこと" "その中で生きていく力こそ「生きる力」" だと考えているふしがあります。その「安心空間」とは、
[1] 何でも話せる、と紹介できる仲間がいる。たとえ、その仲間に何でも話せなくても……。

[2] いじる対象がいる。または、自分がその対象になっていて、ある意味、居場所になつていることがある。

[3] その仲間集団の外部に、共通の批判対象がいる。または、いつ自分がその対象になるかわからない、という不安もある。

したがって、安心できない「安心空間」では、無理にキャラを起てたり、強い・多数の意見に合わせなければならないしんどさもあります。そして、そのキャラがたてられない者を攻撃することもあるのです。

何をしたいか…

日曜日的な話題。

4月から何をやりたいのか…、よく聞かれます。

一つは、教師になることを目指している若者や、若い教師を支援する仕事がしたい。再任用にこういった仕事がないことと、あっても「管理職経験者優先」なことが、再任用をお断りした理由。

二つ目は、今までかたくなに拒否してきた、「一人で本を執筆すること」に、もし依頼があればですが、チャレンジしたい。もう現場人ではなくなるので、チームで書くことにそんなにはこだわらない。

三つめは、ここからは、夢・妄想的な話になるのですが、ローカルなラジオでしゃべってみたい。一度、電話インタビューで出演したことがあるのですが、数分だったけど、あれはけっこう楽しかった。(笑)

ちなみに…、テレビは、絶対やだ。何度もお断りしてきた。見た目に、極端に自信がないのがその理由。写真うつりもすっごく悪い。一年生を担任した時、入学式当日に、顔を見ただけで泣かれた苦い思い出がある。(笑)

四つ目は、健康を取り戻して、トライアスロンに出たい。しかし、今の心臓では無理だと、半ばあきらめてはいるが。

最後に、やっぱり学級担任をもう一度やりたい。(涙)

いじめを件数で数えることのおかしさ

いじめの件数が増えたという報道があります。

そもそも、いじめを「件数」で数えることがおかしいと思っています。

たとえばですが…、A,B,Cの3人組の中でいじめ関係が発生したとします。しかも日によって、仲間はずれにされる子が変わっていくという、よくある状況。こういった場合、何件と数えるのでしょうか。私は一つの事例・事案と考えます。しかし、仲間外れになった回数だけ数えるという人もいます。そもそもどっちの数え方が良いよいのか、という話し合いが必要だろうか?ということです。

また…、この事例はいじめなのかいじめでないのか、という話題が出ることがあります。そんな話し合いをしている暇があったら、つらい思いをしている子をどうにかするべきです。文科省が、件数を報告しろ報告しろとうるさいので、こんな珍百景な話し合いが発生します。

いじめは、子どもたち同士の関係性の退化だと考えています。

 上下関係
 嘘芝居関係
 キャラ設定競争

そんな関係でしか結べなくなった子どもたちや若者たちとの関係性の中に、差別・迫害が発生しているのではないでしょうか。

いま私たちは、無風に見える集団の中にこそ、その関係性に目を向ける必要があるのです。

劇の台本を書いてみた

11月18日土曜日の、本校フェスティバル(学習発表会)に向けて、久しぶりに10分程度の劇の台本を書いてみた。

テーマと、いくつかのキーワードがある。

テーマは、林間学校でのキャンプファイヤー。

キーワードは、「火の神」と「元気の火」。

このテーマと、キーワードが条件で、みなさんだったら、どんな台本を作りますか?

なんとか完成して、子どもたちに提案。

幸い、ダサイだの、つまらないだのの意義もなく、受け入れてもらえた。

本番の発表が終わったら、このブログでも紹介します。

体調がよくない

体調がよくない。

気温が急に下がったことに血管が対応できていないのだと思う。

去年入院したのも、ちょうど今頃の時期だった。

今の時期、個人面談もあるし、学校フェスティバルでの学級発表準備もある。

月末には、北海道で講演もある。絶対に休めない。

この時期、特に気を付けて、冬休みまで持ち込みたい。

とりあえず病院で相談。

体調がよくないことがストレスになってさらに体調が悪くなる。

組織の運営の仕方

なんの組織でも同様なのですが、最近の組織運営は、なんでもかんでもトップダウンでやろうとするので、うまくいかなかったり、トラブルになったりしていることが多すぎます。

トップが、それぞれの事情や声を聞こうとしないので(聞くことを知らないので)、うまく進まなかったり、不満が出たりしているというパターンです。

一度でいいから、それぞれの事情を聞けばいいのに、聞こうとしないのはなぜでしようか。

一つは、権威主義が広がっていることがあります。トップがきめたことに下は黙って従うものだという権威主義。そんな組織に限って、トップは下の者の事情を知らない。

二つ目は、責任主義。これは下の者の問題もあるのですが、上が責任をとるのだから、中身は検討しなくても、うまくいかないと思うけどなんとかやってしまおう、という考え方。

三つめは、競争主義。無理難題に対して、いかにして効率よくその問題をこなしていくのかの競争が仕組まれているので、自己主義的に仕事を進めようとしてしまうこと。当然うまくいかない。

日本の組織は(もちろん学校も含む)、大丈夫だろうか…、と心配しています。

学校が珍百景に見えることの大切さ

おかげさまで、「学校珍百景」「学校珍百景2」の2冊とも、長い期間読んでいただいています。大学での授業でも利用されていると聞きました。

時事通信社で12回連載した、 "「学校珍百景」にようこそ" も2社のローカル新聞に掲載されました。

「学校珍百景」は、私の代名詞になりました。ありがとうございます。

さて、学校珍百景は、学校が当たり前だと考えていることについての異議申し立てだと言えます。だから、「そもそもなんだったのか」まだ考えることもあります。

学校の「当たり前」が今ほど問われている時代はありません。

授業中タブレットを見ている生徒を注意してそれを取り上げることは当たり前だと思っていたら、逆に生徒に暴力を受けます。

給食の完食指導、忘れ物指導は、どうするべきかも問われています。

当たり前だと考えていたこと、気がつかなかったことに、指導の角度を変えていかなければなりません。いいか・悪いかではなく、まずその事例をどう考えるのかが大切です。子どものおかれた社会・環境にも目を向けることが大切です。

そんな中で、学校が珍百景に見える力量が求められているのだと思います。

ガチャガチャはガチャガチャのままで

神奈川の坂田和子さんも言っていたと思うのですが、ガチャガチャの学級はガチャガチャのままでいいと思うし、ガチャガチャを認めたり、大切にしたりしつつ、自治や自立の指導を進めることこそ、本来の学級集団づくりの意義のはずです。

※ガチャガチャな学級とは?、ということとりあえず置いといて、読み手の皆さんのイメージのままで続けます。

無理にきちんとさせることで教師と子ども、子ども間の関係を崩したり、傷つけたりすることはいけないし、軽度発達障害をもった子が二次障害を引きおこしていることも少なくありません。さらには、3,4年生できびしつしつけた学年が、高学年になり手に負えないほどに暴れ出す事例も多いです。

最近の学級づくり論が、きちんとさせるとか、生き生きさせるとか、笑顔を生み出すとか、絆を深めるとか、まとまりをつくりだすとか、そういったことばかりに傾斜していることに危機感を感じています。

4月からのこと

お金以外の様々なことを総合的に考えて、来年度からの再任用はお断りすることにしました。先日、お断りの書類を校長に提出しました。

お金のことを考えると、県の再任用5日間勤務を受けて担任をすることが一番です。(いずれにしろ学校は変わらなければならないようですが)。しかし、もうこれ以上酷使できない体。これがお断りした一番の理由。

さらには、再任用制度への不信感…、自分が現場に再登場することについての周りへの配慮…、一年間勤務で学校づくりをすることの見通しの無さ…、外から現場を見ることの大切さ…、新たな分野にチャレンジできる夢……エトセトラ。そんなことを総合的に考えて判断しました。

さて、そうなってくると、そろそろ就活や、その手続き作業を本格化しなければなりません。

きついけど、楽しめるように動いてみたいです。

学校で逃げ場がない時は休め

教師から毎日厳しく叱責される。それは、他の子どもも震えあがるほどの恐ろしさ。親に相談して、学校に相談しても動いてくれない。いよいよ逃げ場がなくなってしまった時、あなただったらどうする?

そんなことを子どもたち(小5)と話し合ってみました。

転校する、という意見がたくさん出ました。それもできない環境だったらどうする?黙り込む子どもたち。

そんな時は、学校を休みなさい。

休むことにマイナスイメージをもつ必要はない。学校を休むこと、拒否することも立派な「教育を受ける権利」だと話しました。

そんな話をしなければならなくなった時代を恨みます。

道徳の評価は授業改革から

道徳の評価についての研修を受けました。

まず、文科省主催の小学校2年生の授業例をビデオで観て、そこから学べることをグループごとに発表するといった研修。

みせられた授業は残念ながら、「これは悪い見本?」と本気で思ってしまうほどの、教師による誘導型授業。上には異議申し立てをしない若い人たちも、さすがに苦笑い。

ここから、どうやって「多面的・多角的」に考えられたかどうかの評価をしろというのか?

どうやら……、最初から価値を決め込み(この授業では「公平」)、いかにしてそこに従順に考えられるのかを評価する、ということらしい。

文科省の言うように多面的・多角的に考えさせたいのなら、子ども同士、もっと自分の価値観をぶつけながら(「公平」に行動するにはどうしたらいいのかを)葛藤させなければならないのでは?

そんな意見を言ってみると、この授業はねらいが違う、という回答。こりゃダメだと思って、もう何も言いませんでした。

中学校実践は、「わたしのいもうと」を使った、いじめを扱った授業例の報告。

文学作品は、たとえ事実を基にして書かれたものであっても、そこから、いじめという事実をえぐり出すという作業はとても難しいと感じた。

あの作品で出てくるいじめっ子たちは、どうして「いもうと」をいじめ続けたのかがどうもはっきりしないのである。授業でも、そこにはふれていない。いや、この作品からは触れられないし、触れる必要はないのだと思った。

ゆえに、中学生たちも、いじめの非道さや残酷さについて意見するしかなくなる。どうしていじめがおこるのか、起こしてしまうのか、いじめにならないためにはどうしたらいいのか等々、これもまた葛藤させることができない。

道徳の評価を考えるのなら、授業の再検討が必要だ。

子どもの「困り感」を理解しよう

教師の叱責により子どもが自死……。

あってはならないことのはずなのに、一方で、

「給食の偏食指導もダメ…、忘れ物の指導もダメ、これでは、なんの指導もできない」

という声もあることは事実で、とても残念なことです。これはとんでもない勘違いです。そういうことではないのです。

教師の中に、子どもたちの「困り感」が理解できているでしょうか。できないことは、なんでもかんでも「努力が足りないからだ」と思い込んではいないでしょうか。

どうしても忘れ物をしてしまう子、身の回りの整理整頓がどうしてもできない子、給食の中で食べられないものがある子、どの子も、そんな自分に「困って」いるのです。だれが好き好んで忘れ物をするでしょうか。

子どもの失敗や間違いを一方的に叱責し、人格的に否定するのではなく、一緒にどうしたらいいのか考えようとする教師が少なくなってきました。そんな教師は甘い教師で、ダメな教師だと世間や…、いや最近では子どもたちまでも言い出す時代になっています。

忘れ物で困っているのは、教師ではありません。その子本人なのです。

教師は、そのことに共感しつつ、それを乗り越える方法を一緒になって考え、さらには…、実はそんなことは困ることではないことも学んでいく必要があるのかもしれません。

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ヨシムネ&ねね

しおちゃんマンの飼い猫、黒猫ヨシムネと ねね

ヨシムネ
ヨシムネ ♂
2005年8月生まれ。2006年8月に動物病院からしおちゃんマン家にやってきた。

ねね
ねね ♀
2008年6月生まれ。教え子(当時小6)達が公園で保護。2008年6月よりしおちゃんマン家の家族に。2017年7月28日逝去。

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