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「一斉・一律・競争」の外へ ―体育座りに見る地域性―

【「学校珍百景」へようこそ】

「学校珍百景」へようこそ 第2回

◎「一斉・一律・競争」の外へ ―体育座りに見る地域性―

同じ動作や技なのに、地域によって呼び方が違うものがあります。日本の教育は「一斉・一律・競争」が基本ですので、地域によって呼び方が違う動作や技があることは、まさに「学校珍百景」と言えます。

たとえば、両膝を抱える座り方を、みなさんの地域ではどう呼んでいるでしょうか?

全国的に見ると、やはり「体育座り」という呼び名が多いようです。地域によっては「体操座り」「三角座り」「安座」、そして少数ですが「体育会座り」「箱座り」「お膝抱っこ」といった呼び方もあるようです。もしかしたらもっとあるかもしれません。最近の朝会や集会では、この「体育座り」で話を聞く学校が多いです。理由は、立ったままだと、具合が悪くなって倒れてしまう子が多いからです。体育座りは、そのまま姿勢を正すこともできるので、学校や教師にとっては都合の良い座り方なのかもしれません。

縄跳びの跳び方はどうでしょうか。あや跳びの二重跳びバージョンを「はやぶさ」と呼ぶのはある程度統一されているようですが、交差二重跳びは「つばめ」のほか、「むささび」や「ぜろせん」と呼ぶ地域もあります。交差跳びを低学年向けに「ばってん跳び」と呼ぶ地域もあるようです。

さて、先の「体育座り」を調べているときに、おもしろいことを発見しました。九州地方の一部地域では、この体育座りから立つときに、子どもたちが「ヤァー!」とかけ声をかけるというのです。さらに調べていくと、このかけ声は、どうやら他の号令に対してもかけているようです。

気合をかけているのかもしれませんが、この「ヤァー!」は、どうして九州の一部地域だけなのか、そしてその本当の意味が何なのかは謎です。

この「ヤァー!」は、ドイツ語の「Yes」にあたる「Ja」から来ているという説が私は好きです。日本の体育教育は、長らくドイツの影響を受けてきました。もしそれが残っているとしたら、なんだか深い歴史を感じさせると思いませんか。

「一斉・一律・競争」の日本の教育にあっても、地域によって呼び方や風習が違う。これは、その動作や技を「おらが地域の文化」として好意的に受け入れ、自分たちのものにしているということでしょう。

教育には、もっともっと地域性があってよいのかもしれません。


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「おはよう」強制する前に ―挨拶運動、なぜ広がった?―

【「学校珍百景」へようこそ】

「学校珍百景」へようこそ 第1回

◎「おはよう」強制する前に ―挨拶運動、なぜ広がった?―

学校ではよくあることだけど、改めて考えてみると珍妙…というようなことを、私は「学校珍百景」と呼んでいます。その背景を考えてみると、意外に深い意味があったり、新たな発見があったりします。

全国の学校で大流行する「挨拶運動」を考えてみましょう。校長先生自らが校門の前に立って、「おはようございます」と運動を推進している学校も少なくありません。そしてその成果も挙がっているようです。

では、なぜこうも「挨拶運動」が広がったのでしょうか。それは子どもが挨拶をしなくなったからだと言われます(本当は学校、教師がその権威を取り戻すためでは? という疑いを私は持っていますが)。

確かに最近の子どもは挨拶をしてくれません。教師から挨拶しても無視されることが少なくないのです。しかしこれを家庭のしつけの責任、学校の生徒指導の問題と捉えるだけでは足りないのではないか…。

挨拶を人と人との関係性の問題として考えてみたらどうでしょう。例えば、全く知らない人に挨拶はできません。逆に距離が近過ぎる仲間にも、改めて「おはようございます」とは言わないものです。つまり、自然に挨拶できるのは、それができる関係を持った相手なのです。それはかつては、日頃お世話になっている近所の大人や先輩、よく行くお店の人、そして学校の教師らでした。

子どもたちが挨拶をしなくなったのは、まさにそういった関係を失ったからではないでしょうか。それぞれの距離が遠くなり、ごく親しい仲間だけで交流する傾向が広がったのです。大人が子どもたちから奪ったのは、遊び場だけではなかったということのようです。

ある外国人の方が言っていました。「どうして日本の子どもたちは、こんなに悲しい顔をして学校に向かうの?」。確かに、登校中にうつむいている子は少なくありません。そんな子どもの空気を読まずに、一方的に「おはようございます!」とやってしまうので、彼らが目をそらすのもうなずけます。決して簡単ではありませんが、顔を合わせれば自然と口が開く、そんな関係を作りたいものです。


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声を出すものが失笑される学校現場

【教師の苦悩編】

教師の仕事のブラックさについて声をあげると、偏向した考え方だとか、できない奴の遠吠えだとか、意見しているものに対して失笑する雰囲気があります。

そういった人たちはできているのか?というとそうでもなくて、単にすり抜けるのがうまかったり、大切なことについて手を抜いていたりします。

意見するものを失笑する人たちの指導は、どうしても管理的にならざるを得ないのではないでしょうか?このブラックな仕事環境の中で大変さを感じないためには、子どもを無理やり言うことをきかせなければならないからです。「子どもにかまっている時間はない」といった状態になりがちだからです。

実は、教師の仕事環境に意見するとは、管理的な子どもの指導に対置させる教育実践を対置させることでもあるのです。

余計に大変になるのではないか?といった矛盾もはらんでいますが、子どもの笑顔を生み出す実践を優先させる「働き方」にシフトチェンジしていくことが求められていることは確かです。

「術」と「道」

【学校づくりエッセイ・論文編】

2021年春に中学で実施される新学習指導要領の本文に、保健体育で武道の選択肢として「銃剣道」が初めて明記されたことが話題になりました。

文部科学省が2月に公表した新指導要領(案)で、現行要領より「武道」に力を入れる表現が入りました。

その武道とは当時、(柔道・剣道・相撲・空手道・なぎなた・弓道・合気道・少林寺拳法)でした。銃剣道は「授業の実施率が低い」(スポーツ庁政策課学校体育室)として省かれていたのです。

ところが3月末の完成版に、なぜか銃剣道が入っていた…、といういきさつのようです。

元陸上自衛官で「ヒゲの隊長」こと自民党の佐藤正久参院議員は、

「記載はあり得るのかと文科省に聞いたらパブコメに意見を、というので、自民党議員や自衛隊OB、自分の支援者に呼びかけた」

と説明したそうです。どうやらそういった運動やはたらきかけが実ったということらしいです。さらに佐藤参院議員は

「銃剣道はスポーツで実戦向けの銃剣格闘とは違う。剣道やなぎなたも元々は相手を殺傷するためのもので、銃剣道だけ批判されるのはおかしい」

と訴えました。銃剣道連盟の鈴木健専務理事は

「批判も含め思ったより話題になり、ありがたい。銃剣道が人間形成を目的とするスポーツだと多くの人に知ってほしい」

と論争を歓迎しているそうです。

さて、歴史をさかのぼれば、剣術・柔術と呼ばれていたのが、剣道・柔道として教授要目に記載されたのは、1926年(大正15年)です。昭和元年の年でもあります。

軍の要請を受けた当時の文科省が、なぜ「武術」を「武道」に変えて教授項目に位置づけたのかをもう少し調べてみましょう。

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1913年(大正2年)の学校体操教授要目は、体操科の教科として、中学校および師範学校男子生徒には、

『撃剣及柔術ヲ加フルコトヲ得』

としました。この動きに、当時の陸軍のはたらきかけがあったことは間違いないようです。(なにか…、今の動きに似ています)

軍は、日露戦争の勝因は、「白兵主義」、格闘主義、強固な「攻撃精神」にあったと主張。

※実際は、射撃や手榴弾などの近代兵器の方が優位であったことは言うまでもありません。ただ、なぜか軍は精神主義を言い張った。

そして昨日書いたように、1926年の教授項目の改正で、剣術、柔術ではなく、柔道、剣道という言い方が学校教育の中でも公的な位置を占めるようになりました。

いったい、「術」と「道」ではどう違うのでしょうか。

そもそも「道」には、精神修養という意味が強く、それを通して日本古来の精神、とりわけ『武士道精神』を学びとり、立派な人格を作り上げるのだという主張が広がっていたようです。

しかし、当の武士たちは、武術と武士道とを区別していました。武術は技であって、武士道は道徳だからです。

そもそも、武術を練習すれば「強固ナ攻撃精神」が養われるなどという軍の発想が、道徳に対する把握の低級さを示していると言わざるを得ません。逆に、武術に対しても失礼です。

戦時中でも、剣術や柔術をよくやった人だけが勇敢だったかというと、そんなこともなく、逆に何もやっていなかった人だって勇敢だった、という話も聞きました。

当時の軍は、武術の学びを与えたのではなく、道徳としての武道を取り入れたのです。そして、そのねらいは、自己の命をも省みず、天皇のため、国のために尽くす忠君愛国の精神だったのです。

今回の学習指導要領の改訂も、おそらく同じようなねらいがあると考えられます。

「武道に積極的に取り組むことを通して、武道の伝統的な考え方を理解」することをねらいとすると言っていますが、問題は、「武道の伝統的な考え方」とは何か、ということです。

純粋に武術・武道を愛する人は、国のためでなく、あくまでも自分のために自分の技を磨いているのではないでしょうか。

行為行動の統一は国民・教師・子ども管理支配の常套手段

【学校づくりエッセイ・論文編】

行為行動の統一は国民・教師・子ども管理支配の常套手段だというお話。

たとえば、神社の参拝作法は、「2礼2拍手1礼」に一部神社を除いて統一されています。

実は江戸時代までは、日本の神社はその神社独自の作法がありました。つまり、神社によって作法が異なっていたのです。

しかし明治政府は、これらの神社における作法を、国家で一限管理をしてしまおうと考えました。

もともと地域の神社とは、天皇の神とは何の関係もなかったのです。ところが明治政府は、全国の神社を天皇の神と関連づける作業をしました。

具体的には、「神社局」・「神祇院」の統制に入らない神社は「神社」と名乗ってはいけないことになりました。(その代わりに、国や府県の公費で神社の世話をする)

その時に、拝礼の仕方も「2礼2拍手1礼」と定め、多くの神社ではそれに従わざるを得なくなったということです。

行為行動の統制は、国による統制のキーワードだと言えます。そういった意味で、今の、特別の教科道徳や学校スタンダードの動きを見ていく必要があります。

ちなみに、「2礼2拍手1礼」ではない神社は、出雲大社のほかにも、宇佐八幡、弥彦神社の4回、伊勢神宮の8回などがあります。

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出雲大社では、「2礼2拍手1礼」ではなく、「2礼4拍手1礼」です。「5月14日の例祭(大祭礼)」の時には「2礼8拍手1礼」するようです。

4拍手の4は、幸せの「し」だそうです。また、「人と神の魂」である「一霊四魂」を表現していると云われています。

「一霊四魂」とは、以下ようなの4つの「人や神の人格のこと」です。

「和」=和魂
「荒」=荒魂
「奇」=奇魂
「幸」=幸魂
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【お知らせ】2本のブログを運営しています

【お知らせ】

2本のブログを運営していますので、お知らせいたします。

▼教師の生きづらさを乗り越える blog
http://shiozaki.blog48.fc2.com/

このブログです。「ザ・教室 blog」を「教師の生きづらさ」をテーマにしたブログとして再生いたしました。

▼しおちゃんマン★ブログ
https://ameblo.jp/shiozakiy/

プライベートなことや、学校現場情報を広く記事にしていきます。

2本のブログとも、よろしくお願いいたします。

タイムカードも形骸化

【教師の苦悩編】

教師の異常な忙しさは、「忙しくて仕事をする時間がない」といった笑えないジョークが飛び交うほどである。

ここ数年、どの学校でも、月ごとの超過勤務時間計算して自己申告で報告している。

しかしその報告そのものがストレスだという声もある。

それどころか、管理職に「少なく書いて報告しろ」と文書の改竄指示が出るしまつ。

タイムカードで計算している学校もあるが、帰る時は押す必要がないと指示が出たり、自分で押した後で残って仕事をしているのが現実。

教師の忙しさは、超過勤務の報告でどうこうなるレベルではないということだし、そういったカテゴリーに当てはまらない理不尽さだともいえる。

他の忙しそうな職業の人から、なぜ教師ばかり文句を言っているのかと言われるが、それは他の職種とは違った理不尽さがあるからであろう。

超過勤務時間が医療関係者よりも上だったという調査から、その理不尽さを分析する必要がある。


新採指導員との関係

【教師の苦悩】

新採用の教師で、最初にとまどうのが、新採指導員との関係だそうです。自分がやりたい実践があっても、指導員の目を気にしてついつい引っ込めてしまう。逆に、指導員の言っていることが納得できなくてもやらなければならないこともある。

そんな指導員がずっと教室の後ろで目を光らせているのですからかなりのストレス。指導員の方たちからすると、そんなつもりはなくても、新採教師からするとそんなふうに感じていることをぜひ知ってほしいです。

それと、指導員の方たちは、学年会に出て、ぜひ学年の職員の一人として共同してほしいと思っています。しかし残念ながら、私の知る範囲では、指導員の方のほとんどは、学年の会議には参加してくれません。ゆえに、新採教師への支援・指導が学年の方針とずれてしまうこともしばしばです。

そんな新採指導員との関係がうまくいかずに、教師を辞めようとまで思い詰めている教師が一人や二人ではないのです。このような事実を、指導員さんたちはどう受け止めているのでしょうか?

ちなみに私が勤務していた地域では、新採指導員は、再任用者で、管理職を経験した人が優先的にその職に就くことになっています。ゆえに、私のようにずっと担任を続けてきた教師は再任用しても指導員には現実的にはなれないと言われました。

他の地域では、そんなことはない地域がほとんどのようで少しホッとししています。管理職経験者の方が指導の力量が高く、スキルの引き出しも多いという幻想を持っている地域は、ぜひあらためてほしいものです。

そして何よりも、指導員体制が本当に若い教師たちを励まし、その力量を高めることになっているのかの根本的な問題について考え直してほしいと思っています。

フェアという名のアンフェア2018夏

【乗り越える実践編】

きれいごとや嘘芝居で進められている教育活動を笑い飛ばそう!!

----↓ここから↓----

気遣いのためにふさがれる口

忙しさを軽減する為の忙しさ

ストレスチェックをしなければならないストレス

不登校ゼロを目指す学校の教師の不登校


仕事をためるノー残業デー

和を乱す教師のユニフォームづくり

仲間外れを生み出す「チーム〇〇」

不登校ゼロを目指す学校の教師の不登校


「<当たり前>のことを教える」<特別>の教科道徳

個性を生かすための国による道徳

良いあいさつばかりが聞こえる対話の無い関係

心を整える履き物を揃えるストレス


「仲良し」を目標とした子ども管理と個性つぶし

「解決するため」という丸め込み

「なんでも言いなさい」という脅し

「静かにしてください」という "うるささ"


授業改善のかけ声で生まれる授業崩壊

良い返事ばかりが飛び交うワカラナイ授業

<黄金の>三日間と名付けた<地獄の>調教期間


不祥事を指導する側が起こすストレスによる不祥事

不祥事を起こすな!!というパワハラ

学級崩壊立て直し請負人という<非同僚性>

【お知らせ】

【お知らせ】

ザ・教室blogは、「教師の生きづらさを乗り越える」ブログとして再生いたしました。

カタゴリーは下記の通りです。

左サイドバーの「このblogのカテゴリー」からご利用ください。

【お知らせ】】(1)New!
【はじめに】(1)
【教師の苦悩編】(3)
【乗り越える実践編】(3)New!
【実践解説編】(0)
【学校づくりエッセイ・論文編】(0)
【「学校珍百景」へようこそ】(0)


隣の芝生

【乗り越える実践編】

隣のクラスはきちんとしている…、シーンとしていて落ち着いている…。それに比べて自分のクラスはいつもざわざわしている…。


そんな思いを持ったことはありませんか?


それで、もっとちゃんとさせないと、と考えて、ついつい子どもたちを叱ってしまう。


結果、子どもたちとうまくいかなくなるといった悪循環…。


発想を変えてみましょう。


ざわざわしているように感じるのは、子どもたちが交流しているからです。


隣のクラスよりも自分のクラスの子どもたちは仲がいいんだ、と考えましょう!


実際、そうなんではありませんか?


あとは、集中するときとのメリハリをつけるだけです。

亀が暴れた

【乗り越える実践編】

B先生(当時、1年目女性)が大掃除中、子どもたちと一緒に泣きそうになっていたので、どうしたのかを尋ねると、亀を飼っていた大きな水槽を割ってしまったとのこと。

こういった場合本校では、教頭に報告して事務室に書類を提出しなければなりません。

ところがB先生、事務室のベテラン女性事務職員と相性が悪い。給料を取りにいくことを忘れて何度かみんなの前で怒鳴られていたこともありました。そこで…、

私「亀が暴れて割ったことにしなよ」
子「亀が暴れてこんな大きな水槽割るわけないでしょ」
私「そんなの、暴れてみないとわからないでしょ。みたことあるの?亀が暴れたところを」
子「ない」
私「ほれみろ」

B先生「そんなうそ、つけるわけないです」
私「うそじゃないよ。ジョークだよ。昔、これで成功したから大丈夫だよ」
B先生「絶対に無理です!」
私「だったら正直にあやまるしかないね。でも、物がこわれるのはしかたがないことだし、ましてや、ふざけていたわけじゃない。なのに、あやまる・あやまらせるの関係が存在していることのおかしさ…、それに気づかないとね」

あとで子どもが私に報告してきた。

子「Bちゃん(子どもたちはそう呼んでいる)、小さい声で『亀が暴れて』って何度も事務室でつぶやいてた」
私「事務の先生に言ってたの?」
子「ちがう、独り言で。練習してたんだと思う。」

その後、B先生がどうしたのかは残念ながらはっきりとした記憶はないのですが、『亀が暴れて』って言えたような気がするのです。そして事務の人も笑ってくれたと。その後にあやまったのかな?

ここで、今の教師の生きづらさを乗り越えるヒントが隠されています。いつか、どなたかに解説してもらう予定です。

教師でいることが "しんどい"

【教師の苦悩編】

平和を唱えること、教えることが、しんどい

やる気がないと思われるので、理不尽に忙しいことに異議を唱えることが、しんどい

きちんとさせることよりも、子どもを理解することが大切…、と主張することが、指導力がないと思われるので、しんどい。

今日までの提出書類よりも、突発的な事件に関わることを選択することが、当り前なのに、しんどい。

どう見ても意味がないと思われることを「やめよう」と言うのが、これまで無駄だとわかっていても努力してきた人のことを考えると、しんどい。

教師のしごとに夢がない。こんなことをするために教師になったんじゃない。そんな独り言をつぶやきながら、笑顔で子どもの前に立つことが、しんどい。


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塩崎義明(しおちゃんマン)の『公式メインブログ』です。教育問題について語ります。⇒ 管理画面

雑誌『生活指導』(高文研)編集長/全国生活指導研究協議会常任委員/最新著書『教師と子どものための働き方改革』(学事出版)/小学校で37年間学級担任として勤務/現在某私立大学文学部教育学科特任教授/iPhone12 Pro/Surface Laptop3/黒猫大好き/手相は両手とも「ますかけ」。

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ヨシムネ&ねね

しおちゃんマンの飼い猫、黒猫ヨシムネと ねね

ヨシムネ
ヨシムネ ♂
2005年8月生まれ。2006年8月に動物病院からしおちゃんマン家にやってきた。

ねね
ねね ♀
2008年6月生まれ。教え子(当時小6)達が公園で保護。2008年6月よりしおちゃんマン家の家族に。2017年7月28日逝去。

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