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日本の学校の「掃除」文化

【「学校珍百景」へようこそ】

欧米の学校では専門の清掃員が学校の掃除をするのが一般的です。子どもが掃除をする日本の学校の「清掃活動」は、世界的にみると「学校珍百景」なのかもしれません。

子どもが学校を掃除する国は、日本を初めとするアジアの仏教国、または仏教的伝統をもつ国々です。これらの諸国では、掃除を人間修行の重要な方法とみなす仏教的掃除観がその背景をなしています。すなわち、掃除は単に身辺を清潔にするだけでなく「心の掃除」に通じるものをもっている、としています。

また、わが国の掃除は穢(けがれ)や不浄を忌む神道の清浄感にも深く根ざしていて、学校掃除の背景には、神道の影響もみられるようです。

さて、そんな日本の清掃活動学校については、清潔な習慣の育成、公共心の育成、健康の増進、勤労の体験など、教育としてすばらしい取り組みだとする人と、逆に、児童労働・虐待になりかねないと懸念する人、学校は掃除よりも勉強の場所であると主張する人もあり、賛否両論あることも事実です。

さて、そんな日本の「清掃活動」には、地域によって様々な特徴があるようです。

福島県いわき市では、清掃時に子どもたちが「ひざあて」をつけます。地元の方たちにとっては、全国みんな「ひざあて」をするものだと思っていたようなのですが、これはどうやら、いわき市だけのようです。宮崎県では、ほぼ全域中学校の女子は清掃着なる、かっぽう着を着るそうです。服装だけでなく、かけ声をかけてぞうきんがけをする学校や、逆に、いっさい黙って行う、いわゆる「黙働」の学校もあります。

最近では、両手を前に出して行う「ぞうきんがけ」が禁止されている地域が増えてきています。理由は、顔面を強打したり、歯を折ったりの怪我をするからです。こういった地域では、「ワイパーふき」で床をふいています。

こうして続いてきた日本の学校の掃除ですが、子どもたちの生活スタイルの変化、大人の学校に対する価値観の変化、それらを総合的にもう一度見直して、子どもが掃除することについて、教育的に構成し直してみても良い時代なのかもしれません。

参考 『沖原豊著『学校掃除』(1965・学事出版)』

こうして続いてきた日本の学校の掃除ですが、子どもたちの生活スタイルの変化、大人の学校に対する価値観の変化、それらを総合的にもう一度見直して、子どもが掃除することについて、教育的に構成し直してみても良い時代なのかもしれません。

「子どもたちが雑巾をしぼれない」という実態が言われて久しく、長い箒や塵取りを使う家も少なくなり掃除機が全てのごみを吸い取ってくれます。そして今ではそれらをロボットがやり始める「掃除新時代」です。このような時代にあって、学校の掃除はどのように変化していくのでしょうか。


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08/30のツイートまとめ

y_shiozaki

『「鬼遊び」を教育的にアレンジしたものを「鬼あそび」と呼ぶことにします(2)』⇒ https://t.co/fLAT7oeTeP #アメブロ @ameba_officialさんから
08-30 00:02

おはよー☀️😃❗今日は昨日のテニスで体が痛いのでメンテナンス。まずは整骨院でマッサージ。
08-30 09:40

各地で学校が再開されていて、ボチボチと講師の依頼が来ています。9月の土曜日は29日しか空いていません。土曜日をご希望の団体はお早めにお願いします。講師依頼の詳細はこちらです。https://t.co/QvMs9NDxbu
08-30 11:25

1年生の道徳「二わのことり」の原作をさがしていて、「久保喬自選作品集 第3巻」に載っているらしいことまでつきとめた。明日、図書館に行って検索してもらおう。
08-30 15:05

RT @ChibaZoo: さーてと、今朝も一風呂浴びるか〜!(飼一)#chibazoo https://t.co/cSYJliz4E1
08-30 16:22

なんだこれ?本気か??文科省:教員勤務時間、年間で管理 休み期間は上限下げ - 毎日新聞 https://t.co/Jno8vcLoKo
08-30 16:25

非行克服支援センター2018年夏の電話無料相談https://t.co/qyDKU2ft7o
08-30 20:12

「上履き」文化の背景

【「学校珍百景」へようこそ】

日本の学校の「上履き」は、世界の中でも「珍百景」と言えます。

室内で靴を脱ぐ習慣は、韓国や台湾をはじめ、東アジアや東南アジア、トルコなどにもあります。しかし、学校で上履を利用する国、いわゆる「二足制」が存在する国は日本だけなのです。

では、なぜ日本の学校は「二足制」にこだわっているのでしょうか。

日本の学校が上履きを利用するようになった理由は、雨の多い日本、そして校舎が和風から洋風になった当時の道路事情から、外靴のまま校舎に入るのはさすがにはばかられたのではないでしょうか。衛生面や危険性についても考えたのかもしれません。

そしてもう一つ、上履きがあると学校にとって都合のいいことがあったのではないかと考えています。

日本の学校において規律ある態度を達成するために効果のあった取り組みとして必ずあがってくるのが「あいさつの指導」「早寝早起き朝ごはんの指導」「清掃指導」「時間を守る指導」そしてこの「はきものをそろえる指導」なのです。

つまり、上履きがあるから揃えさせるのではなく、上履きが存在することが生徒指導にとってとても都合が良い、という見方もできるのです。

こだわりのある学校では、下駄箱の靴の入れ方は「つま先を向こう側に向けて入れること」、なかには「靴のかかとは下駄箱のふちから5ミリ空ける」などというきまりをつくっている学校もあります。

学校の下駄箱の靴がふちから5ミリにきれいに揃っていることを「美しい」「規律ある学校」と感じるかどうかは意見が分かれるところだと思います。

しかしこのように、学校が上履きを生徒指導に利用してきたことは事実です。

さて、日本の子どもたちと教師に「上履き」と聞いて、何を連想するか、ということを尋ねたことがあります。

一番多い答えは、子どもたちは「週末に持ち帰ることが面倒くさい」。教師は「靴隠し」。

あまりいいイメージを持っていないことがわかって、せっかくの日本独自の学校文化なのに残念な気持ちがしました。

上履きを「管理」として利用するのではなく「文化」として見直してみると、また違った見方ができるかもしれません。


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子どもとおとなの関係

【学校づくりエッセイ・論文編】

教育・子育ての現場において、子どもとおとなの関係はどのようになってしまっているのでしょうか。

一つ目は、対教師との関係です。子どもたちの側から見た教師は、自分を学力競争に追い込みながら、一方でそれを自己責任として放置し、切り捨てるおとなとして存在していないでしょうか。また、拘束の多い学校生活において、子どもを管理しなければならない責任と、逆に子どもの側に立ちたいという思いとの間で揺れ動く教師に対して、一番長い時間に接するおとなとしてすでにあいそをつかしているのではないでしょうか。

二つ目は保護者と子どもの関係です。経済的・時間的にゆとりのない家庭生活において、乳・幼児期以来、親の十分な保護に恵まれず、親や他者に基本的信頼感を持てないでいて、学校生活においてもあらゆる場面で他者とトラブルを起こしたりパニックを起こしたりする子が増えていないでしょうか。

三つ目は、地域とのおとなとの関係です。地域のつながり・共同がなくなったと言われてすでに久しく、今では、自分を監視するおとなとしての存在、子育ての「でき」を評価する存在として地域のおとなが存在していないでしょうか。

以上のような子どもたちとおとなの「不信」や「追い込まれ」の関係を、教育に関わる立場でどのようにとらえ、実践していくのかが問われているのだと思います。重い重い課題です。

「学校スタンダード」のもう一つの側面

【学校づくりエッセイ・論文編】

今まで私は、学校スタンダードの正体は、教師や子どもの管理支配のために、国が行為行動を統一することだと考えていました。
http://shiozaki.blog48.fc2.com/blog-entry-3636.html

しかしそれは一つの側面にすぎず、もう一つの側面があることを学びました。

「第3期教育振興基本計画」(答申)<2018/3/8>は教育を国の投資的事業として、数値を伴う成果をがいっそう求めるようになりました。

そのために学校現場・教師の指導に「PDCAサイクル」を徹底させようとしています。

そのことにより、教師の指導がより窮屈なものになることは言うまでもありません。

PDCAサイクルの「A」はact(目標・ゴール)。そのためのステップを「学校のスタンダート」とし、そこで出た成果を、(サイクルなので)次への成果へとつなぎます。

このような現場では、不登校や発達の凸凹のある子は、当然排除・切り捨てられることになります。

そんな中で、良心的な教師ほど苦しむことになります。

一人ひとりの発達や思いに共感し、仲間関係の中で子どもたちを育てていこうとする教師ほど苦悩が大きくなるのです。

しかしこのことは言い換えれば、子どもの側に立った指導を展開しようとしている証であるとも言えるのです。

私たちは苦悩にこそ胸を張らなければなりません。

教育は数値では測れないこと、測ってはいけないことを自信をもって主張しましょう。

そしてそんな教師にこそ、子どもたちや保護者は信頼を寄せてくれることに確信を持とうではありませんか。

魂は売らないけれど貸してもいい

【学校づくりエッセイ・論文編】

「学校スタンダード」で教師の指導スタイルや学校のきまりを決めて、子どもに同一行動を強いる学校が増えてきています。

同一行動を強いるということは違った行動を許さないということです。こういった発想が、発達の凸凹のある子や個性ある子どもたちを無意識に "課題"扱いし、排除していることにそろそろ気がついてほしいです。

ただ、その学校の決まりや空気に合わせることも一つの方法です。 "魂は売らないけれど貸してもいい"、という生き方を私自身してきました。それが共同と連帯を生み出すキーワードだと。遠回りしてもやむを得ないと。
( ´艸`)『面従腹背』

ところが不思議なことに、そういった教師のスタンスは(スタンスだけでも)子どもに通じるのです。だから、やむをえず同一行動を強いることになっても子どもたちからは理解してもらえるので大丈夫。敗北ではないと考えています。

 「プール開き」のお清め

【「学校珍百景」へようこそ】

水泳指導の最初の「プール開き」で、“塩" でお清めをした地域も多いのではないでしょうか。低学年の子どもたちの中には、プールが塩辛くなってしまうことを心配する子や、プールの水を海の水に変えるおまじないだと思っている子もいます。

今回の「学校珍百景」は、このプール開きでの塩のお清めについてから考えてみましょう。

さて、安全を祈願する「プール開き」でのお清めの儀式は、塩だけでなく、お酒も使われることもあり、学校によっては、神主さんを呼んで本格的にお払いをする所もあります。

塩がどうしてお清めとして使われるのかというと、神道では、海が、罪やけがれを浄化する場として考えられてきたからです。したがって、海からとれる塩も神聖なもので、万物を清める浄化力があると信じられてきたからです。

ちなみに、仏教には「塩で清める」といったことはしません。にもかかわらず、仏教のお葬式でも「塩で清める」習慣があるのは、神仏習合的を自然に受け入れた日本人らしい発想なのかもしれません。

「プール開き」では、塩のお清めの他にもテープカットやくす玉を割る学校もあります。テープカットはヨーロッパからの文化。リボンにはさみを入れるのは、何かを "解放" するか、または "開く" ことを意味していたようです。今ではそれが、「未来を開く」「災いを断ち切る」という意味があると、子どもたちには指導しました。

くす玉も西洋からだと思っていたら、これは漢字で「薬玉」と書いて、中国で魔よけのおまじないとして使われていたものが日本に伝わったようです。

子どもたちに、それぞれの行為の意味を教えたり、調べさせたりすると、とても興味をもって取り組んだり、意欲的にその役割を果たしたりします。

このように、日本の学校の儀式には、「プール開き」一つとっても、いろいろな国の文化や風習が集まっています。他国の宗教や文化も抵抗なく受け入れ、日本的にアレンジしていくことは、学校でも自然に行われてきたということだと思います。


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非教育的な取り組みから離脱しよう

【学校づくりエッセイ・論文編】

先に言葉を言ってからお辞儀をしろ(語先後礼)だの、相手の話は頷きながら聞けだの、行為行動を「道徳」や「学校スタンダード」「校則」などで決めるのは非教育的だ、というお話。

行為行動を統一するのは、一つは心を支配するため。

もう一つは、成果をあげるのにこいかにして効率的に進めるかの視点。

前者「国家主義」。後者「新自由主義」。

子どもたちの思いに行為の統一で蓋をして、思いや願いを聞こうとしない非教育的な行為。

子ども同士の意見の対立を避ける傾向、良いところを言い合う(ホメ合う)等の取り組みも、逆の意味で非教育的。

トラブルに向き合うことも大切な教育。

トラブルを回避ばかりしていると、子どもの中にブラックな「裏文化」が発生し、陰口、いじめ、見えない迫害が発生する危険もある。

教師の指導の統一もリアルではないという意味で非教育的。

昔は指導案通りに授業を流すことにこだわることは批判されたもの。その場に応じた修正力こそ求められた。

今はいかに指導案通りに、マニュアル通りに進めることばかり考えて、子どもをその枠の中に無理やり押し込もうとしている。

今大切な教育は、子どものリアルな現実に大人や教師が真摯に向き合うこと。

統一や成果ばかりを見ようとしないこと。

きれいごとの嘘芝居はやめて、個々の教師の思いを本気で子どもたちにぶつけてみること。

学校現場のパワハラ(2014年8月19日)

【教師の苦悩編】

以下、4年前の投稿です。(2014年8月19日)

もうこの頃からパワハラ問題は起こっていました。

----↓ここから↓----
管理職や主任から、正座させられて叱られただの、物を投げられて怒鳴られただのの話を頻繁に聞くようになりました。

学校現場のパワハラやセクハラの話が最近目立ってきたのは何故なのでしょうか。しかも、かなりひどい形で出てきています。

一つは、教員の指導について管理職や主任が責任をとらなければならなくなるシステムが確立してしまったことです。権限を与えられるということは、逆に言えば責任をとらなければならないということ……。

二つ目は、思うように動かそうと、「強い指導」をさせようとすればするほど、荒れや不登校など、様々な問題が噴出してしまうと言うことです。また、その「強い指導」に対置させる自治の指導のスキルを管理職や教員で持っている者が少ないと言うこともあります。

三つ目は、パワハラやセクハラについて、まわりが許さなくなってきているということ。ただしこのケースは少ないのでは?ほとんどは、我慢している……。

何よりも大きな問題は、黙って正座させられて、 "したくもない指導" 、 "してはいけないと考えている指導" を強要されている担任に、子どもをまかせる気になるか?ということです。

つまり、こういったことに異議申し立てをするのも、子どもや保護者との信頼関係を結ぶのに大切なことだということです。


再掲載:教え込み丸め込む道徳は『嘘芝居』(2017年8月26日)

【学校づくりエッセイ・論文編】

昨年の今頃投稿した記事です。

この時に『嘘芝居』という言葉を使い始めました。

----↓ここから↓----
最近続々と、特別の教科道徳の授業をどう展開するかの研修や書籍が出てきていますが、どれを聞いても、読んでも、おかしな話ばかりです。

そもそも物語から価値を見つけるのは誰なのか、という根本的な問題に誰も触れていない。それは当然読み手です。それを、国や教師が勝手に価値を決めつけ、そして押し付け、丸め込むといったことばかりです。

そしてどうしても意見が別れたり、子どもが納得しない場合は、「どちらでも良い」という、ずるい答えを用意しているという周到さ。もともと、どちらでもいいのです。読み手によって、感じる価値は違って当然なのですから。

実は、子どもはそんなことはわかっていますので、上手に合わせてくれていることが多いのです。子どもは陰で、「今日は少しだけ本音言っちゃおかな」と話していることにも気づいていない。いや、知っていながら、一緒に『嘘芝居』を展開している。

『嘘芝居』…、これですね。 "特別の教科道徳の物語を使った指導を表す言葉" は。しおちゃんマンの造語ということで、登録いたします。
----↑ここまで↑----


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★2018年秋の全生研セミナー

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!神奈川大会での集団づくりの成果を確認し、岐阜大会につなげよう!!

!今、求められる生活指導について理論的に深めよう!!

□日時 2018年11月10日(土)午後1時から6時

□会場 大阪教育大学天王寺キャンパス(大阪市)

※JR天王寺駅、地下鉄天王寺駅、近鉄大阪阿部野橋駅下車、徒歩約10分。JR寺田町駅下車、徒歩5分

□参加費(会場費&資料代として):1000円

□日程・内容
12:30~受付開始

1:00~1:10 全体での開会集会

1:10~3:30 レポートの全体分析会【小中別会場】

※後日、決定したレポートをお知らせいたします。

3:30~4:00 休憩

4:00~5:45 生活指導講座・実践レポート分析会

【生活指導講座】

(1) 今日の子どもと生活指導と集団づくりの課題(仮題)

(2) 「学校スタンダード化」の中でもしたたかに生きる(仮題)

【実践レポート分析会】

1 特別支援教育
2 小学校(1~3年)
3 小学校(4~6年)
4 中学校
5 学校づくり

4:45~6:00 全体での閉会集会

子どもの笑顔をモチベーションに

【学校づくりエッセイ・論文編】

もしかしたら教師は今、何をモチベーションにして仕事をすればよいのか、わからなくなっているのではないか?というお話。

子どもを教師の言うとおりに動かしたり静かにさせたりすることをモチベーションにしている教師が増えてきていないでしょうか。それでは疲れるだけ。次への意欲にはならないのではないかと思うわけです。だから教師はいつも疲れている。

多くの教師たちが子どもを思い通りに動かすことや静かにさせることばかりに目を向けるようになったのは、それを評価している「上」やまわりの責任です。

「子どもの笑顔を見ること」がモチベーションにしてみたらどうでしょうか。子どもの笑顔を見ることなんか「甘い」という見方が一方であることを承知しながらも。

子どもの笑顔は、できるようになった時、わからなかったことがわかった時、そして、安心できる場所、自分を出せる場所が見つかった時に見られます。だとしたら教師は何をするべきかということだと思っています。

学校現場の『嘘芝居』

『嘘芝居』とは、できていないこと、本当はそうは思っていないことを了解しつつ、できているふりをしたり、きれいごとを言ったりすること。その『嘘』を暴いてしまうと、関係性が壊れたり、責任が問われたりするので、だれもそれを指摘しようとしない。今のその日本の学校はそんな『嘘芝居』を打つことに必死だ。

たとえば小学校の英語の時間。英語を指導する資格を持っていない担任が指導を強いられている。そんな指導が成立しているわけがないのに、ちゃんとやっていますという『嘘芝居』。

たとえば超過勤務。帰宅のタイムカードを押してから仕事をしなければならない現実。 “勤務時間を守っています” という『嘘芝居』。

上手に『嘘芝居』を打つために、教育をPDCAサイクル化し、『スタンダード』でマニュアル化していく。『嘘芝居』の邪魔をする指導が難しい子どもたちはゼロトレで排除され、切り捨てられていく。そんな現場の中で、良心的な教師ほど苦悩が大きくなっていく。

『嘘芝居』は悲劇であり、喜劇でもある。『嘘芝居』を打つことに苦悩するのではなく、喜劇だとして客観的に笑い飛ばし、乗り越えていくことができるはず。『嘘芝居』でなく、リアルな現実に向き合い、それを改革していく教師の共同が求められているはず。

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ヨシムネ&ねね

しおちゃんマンの飼い猫、黒猫ヨシムネと ねね

ヨシムネ
ヨシムネ ♂
2005年8月生まれ。2006年8月に動物病院からしおちゃんマン家にやってきた。

ねね
ねね ♀
2008年6月生まれ。教え子(当時小6)達が公園で保護。2008年6月よりしおちゃんマン家の家族に。2017年7月28日逝去。

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