2018/10/31
指導虐待[塩崎造語2018年1月2日]
学校が "指導" と称して行動や言葉を統一させたり、一斉に行動することを強いたりすることは「虐待」になるのではないか?と考えています。これを『指導虐待』と呼ぶことにしたことを今年の1月に述べました。[塩崎造語 2018年1月2日]
体罰はもちろん、暴言を浴びせり、侮辱したり、冷酷、冷淡な接し方をしたりすることは虐待です。だとしたら今、日本の学校で「指導」と称して学校による子どもへの虐待が行われていないでしょうか。
一斉行動を強い、できた時には「アメ」を与え、逆にそこから少しでも外れると強く叱責したり冷たく突き放したりして「できるように」させる…。そして何度繰り返してもできない子には、保護者の責任にしたり発達の「障害」だと勝手に診断したりする……。
因みに虐待を受けた子は、自己肯定感が低く、愛着障害を引き起こして衝動的・過敏行動的・反抗的・破壊的な行動が見られ、情愛・表現能力・自尊心・相手に対する尊敬心・責任感などの欠如があるとされています。さらには、虚言癖や自傷行為も……
こうした虐待が、集団的に引き起こされたらどうなるのかという問題です。まさに「学級崩壊」の要素と一致するのです。小学校中学年まで「きちんとさせてきた」学年が、高学年になって荒れる傾向が全国的にあるのですが、それはこうした学校の「教育どころか、調教をも超えた『指導虐待』」が原因だと考えているのです。
子どもに優しいこと、意見を聞くことを「甘い指導」だとか、「力量がない教師の行為」などと評価する時代をそろそろ終わりにしましょう。今、子どもたちに求められているのは、教師や仲間たちとの『安心と信頼の関係』だと思うのです。