二〇十三年の夏、私はブログで『学校がブラック企業化している』と書きました。
"仕事ができないほど忙しい" と表現できるように、およそそれは教師の仕事ではないと思われることのために、夜遅くまでの勤務を強いられ、同僚や知り合いにも、精神的疾患や亡くなる人まで出始めた時期でした。
当時、民間企業で『ブラック企業』という言葉が流行り出したので、それになぞらえて『学校がブラック企業化している』と表現したのです。
それがいつしか『学校ブラック』という言葉に名詞化され、教師の仕事の大変さを表す言葉として共有できる言葉として使われるようになりました。
今も日本の教師たちの苦悩の声が聞こえてきます。
医療関係、建設業も上回る超過勤務時間。
目に見える成果を期待されて強要されるPDCAサイクル
あいかわらず理不尽な『学校スタンダード』
パワハラにセクハラ
職員間のいじめ迫害、そして排除
最近では「教師が抵抗できない」ことをテーマにした「対教師暴力」や、教室での教師の言動がネットに流出して拡散し、批判される『スクールレコーダー』現象も起きてきています。
そのような中、子どもたちの命が次々と失われています。
誘拐殺人
地震によるブロック塀の事故死
熱中症死
そしていじめ迫害と自死
被虐待死……。
短い期間に、これだけ多様な原因で子どもの命が奪われる時代は過去にあったでしょうか。
そしてこれらの事案は、大人の環境整備やケア、教員の増値などの教育環境の整備により、防ぐことができることばかりです。
このように考えていくと、『学校ブラック』というのは、教師を苦しめることばかりではなく、子どもたちの命を奪うことにつながっていることを私たちは自覚しなければならないのです。
私たちに大きな壁となって立ちはだかる「学校ブラック」の壁をどう乗り越えるのかを新年度のテーマにすることに決めました。