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憐れむような目で……


あわれ・む〔あはれむ〕【哀れむ/×憐れむ】 の解説
[動マ五(四)]
1 かわいそうに思う。不憫 (ふびん) に思う。「―・むようなまなざし」
2 賞美する。めでる。あわれぶ。
「花をもてあそび、鳥を―・まずといふ事なし」〈後拾遺・序〉



今回使用するのは、「1」の意味です。

少し前までは、教師をしていると伝えると、嫌悪の目で見られ、批判的な言葉を浴びせられたものです。

ところが最近は、憐れむような目で見られます。

「最近は教師は大変なんでしょ」と。

  いやいや、ずっと前から大変でした。

「親戚に教師をやっている者がいて……」

  少し前までは、絶対にそんな情報は言ってくれなかったのに……

こういった傾向を、やっと理解してもらえたとして、一歩前に進めたと評価するのか、それとも後ろ向きな見方として受け止めるのか微妙です。

いずれにしろ、教師が批判されるのも、憐れむ目で見られるのも、その教師個人の責任ではないということです。

むしろ…、こんな厳しい環境の中でも一定の教育水準を守っている日本の教師の指導力、力量は、大げさでなく、世界に誇れるものだと考えています。


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本日山梨で「道徳」をテーマに講座

本日29日、14:00から山梨・甲府の県立青少年センターで「道徳」をテーマに講座をします。

『しおちゃんマン講座全国ツアー第9弾』ということになります。

お近くの方はお気軽にご参加ください。参加費はワンコイン、学生はなんと300円です。

しおちゃんマンは、特別の教科道徳に批判的なスタンスをとってきました。

生活指導をしているのだからあらためて教科としての道徳などやる必要はない、という立場です。

そんな私が『道徳をどう指導するか』でこれまでにも官制研修も含めて、何度も講座を依頼されるのが不思議です。

道徳をテーマにした講座にどうして自分など呼ぶのかを以前聞いたことがあります。

すると、
道徳の授業がつまらない」
「子どもがのってこない」
「教師もすっきりしない」
ということ。文科省の立場での研修を繰り返してもうまくいかないということ。

これはどうやら、特別の教科道徳そのものに、文科省側の講師では指摘できない教科指導としての致命的欠陥があるのであって、それをズバリ言ってしまうしおちゃんマンを講師に呼ぼうということらしいのです。

そんなにハードルを高くされると困るのですが……。

特別の教科道徳の問題点は、
1)嘘芝居
2)国が決めた日本人像の押し付け
3)以上に向けて素直に努力できる良い子主義 
です。

世界的・普遍的な道徳の価値は、人権・平和・民主主義です。

あらゆる場面で…、場合によっては今利用している教科書教材を読み込んで、この普遍的価値を子どもたちに教えたいものです。


日本の教師は子どもの声をスルーするほど冷たくないはず

最近、授業の流れ、発問まで統一させようとする動きがあります。しかしそれは無理なことであり、ありえないことです。なぜなら、授業は子どもの反応も含めて「授業」だからです。

学級・子どもによってその反応が違うのは当たり前であり、違う反応を生み出す授業こそ考えさせる授業です。統一しようとする授業は、その流れや形式にこだわってしまい目の前の子どもの声にかまっていられなくなります。

いやそもそも…、授業の流れを統一させてているつもりのようですが、実は統一などできていないのです。どのクラスも同じように指導しているなどというのは偽善です。教師は子どもの声にしっかりと向き合っているはずです。そこまで日本の教師は冷たくないということです。

何でもかんでも統一させようとすることは、そこについていけない子や、ついていこうとしない子をあぶりだし、排除することにつながっていることの自覚が必要であることを肝に銘じるべきです。


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再掲載:義理と人情の落とし穴

芸人さんたちが、反社会的な団体と関係を持ったことが連日報道されています。

日本人と道徳の問題を考えるうえで、関連した記事を再掲載します。

----↓ここから↓----
日本人は "義理人情" を、人間関係を円滑にするもの、集団生活をしていく上での重要な「道徳」として大切にしています。私も意識します。しかしこの "義理人情" にも注意しなければならない落とし穴がある、というお話。

調べてみると、「義理人情」は、そもそも封建社会で発達した身分制のための道徳で、次の二つの特質を持っています。

一つは、公的・組織的な関係を、私的・個人的な関係に還元しまうということ。選挙で、公約や公的道徳よりも、選挙民個人との私的な関係を優先させてしまうのが日本人。だから松島問題や小渕問題が出てくる……。

二つ目は…、「義理人情」はそもそも、下の者が上のものに従う義務・忠義、そして人情とで成り立っています。しかし逆に、上のものが下の者に対する "道徳的義務" が不在であるという特質があるということ。だから人情が突然パワハラに変質したりする事例が多いのです。

仲間を大切にすることは大切です。しかし一方で、義理人情が正義よりも上にあったり、暴力的関係やブラックな関係(権利を認めない関係)を生み出してはいけないということだと思います。

★★★★★
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義理と人情を 秤にかけりゃ
義理が重たい 男の世界
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とあるように、「義理人情 」は、4文字セットではなくて、「 義理 」vs「 人情 」の対立を表した言葉ではないか、というご意見をいただきました。つまり、○○と仲が良いという人情と●●には世話になった(から恩を返さなければならない、○○を切ることになっても)という義理との板ばさみです。唐獅子牡丹の世界の人たちは義理が重たいということらしいです。欧米では「義理」に対応することばはないという説もあり。欧米では近いのは契約だがこれは等量返済、義理はどこまで行けば義理を果たしたことになるか未定、ということです。

愛知のY先生、ありがとうございました。勉強になります。

つくられた美談が増える可能性あり

東京オリンピックに向けての動きの中で、つくられた美談が増え、道徳や生(徒)指導で利用されるのではないかと懸念しています。

実は、日本は過去に何度もそういったことを繰り返しているのです。

死んでもラッパを離さなかった木口小平(日清戦争)、船内に残った部下を探しているうちに敵弾に倒れた軍神広瀬中佐(日露戦争)、敵陣を突破して爆死した爆弾三勇士(上海事変)、戦意高揚を目指した時の政府は、死をも怖れず任務を遂行したたくさんの勇者の物語を作り上げました。

戦争だけではありません。テニスの「やわらかなボール」の清水選手の話は作られた話であることは有名ですし、イチロー選手の話もいくつか紹介されていますが、本人の確認が必要です。

八村選手や久保選手、大谷選手など、世界の超一流レベルの選手についても、まずは本人の人権を守ることを前提にして応援したいものです。

ところで……、伝記物語というのは、文学界の中で、どんな位置づけと評価がされているんだろう?

ちょっと興味を持ちました。

(*ᴗˬᴗ)⁾⁾


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「安心」は子どもの自立を促す

「安心」は子どもの自立を促す、というお話。

いつでも帰って来いと言ってくれる家族の元にはあまり帰らないものです。

さだまさしさんの「案山子」を久しぶりに聴いてそんな事を思いました。

甘えることと甘やかすことは別に考えた方が良いのです。

甘やかしはワガママを生み出すけれど、甘えは「安心感」を与えます。

子どもたちに安心できる自立の基地が必要です。

そこは自立への基地でもあり、シェルターでもあります。

今の学校に…、教室に、地域に、家庭に、そんな自立の基地があるでしょうか?


今週末29日(土)山梨講座

今週の土曜日、
◆◇しおちゃんマン講座全国ツアー◆◇
第9弾 山梨です。

道徳について考えます。

お近くの方はご参加ください。

yamanashi2019.jpg

子どもは「できない」のが『普通』

『普通』だの『目安』だのにどうしてもこだわってしまうのが日本人。そこであえて『普通』という言葉を使うならば、子どもは「できない」のが『普通』であって、できることが普通ではないということです。

にもかかわらず、できない子ども、やろうとしない子どもを『普通ではない』と評価して厳しく指導するのが今の学校現場。何か…、逆転現象が起きていないでしょうか。

低学年向けの「るっぺどうしたの」という道徳教材があります。

おさるのるっぺが主人公。「わがまま」で言うことを聞かないキャラクター。「朝一人で起きられない」。「靴のかかとをふみながら登校する」。それを友だちに注意されると、留め具を止めていなかったランドセルから文房具を路上に落としてしまう。砂場の砂をクラスメートに投げてしまう。

文科省からの授業展開例では、るっぺの悪いところはどこかだの、るっぺのようにならないようにするための手立てや工夫を子どもたちに問うことになっています。
https://ironna.jp/article/10882

るっぺのような子は、普通ではなくて問題のある子であるという前提にたっての授業展開を指示しているわけです。

るっぺのような子がいること、るっぺのようなことをしてしまうこともあることは、『普通』であると考えた時にやっとるっぺに寄り添うことができるのであって、それは低学年の子どもに道徳教材として提示する前に、教師の指導課題としてまずは考えるべきではないでしょうか。

子どもは「できない」ことが『普通』であるという考えに立ってみると、少し現場や同僚、子どもたちの見方が変わってくると思います。

現場の風が乾いている

 現場の数値主義、見栄え主義は指導の内実を見失います。アンケートをとるとで数値を出すことが目的化し、何のためにアンケートをとったのかがわからなくなっていたり、一斉全員挙手・全員発言・一斉全員の見栄えの良い授業ばかり目指して、その中身が伴っていなかったりのケースが多すぎます。

 姿勢の悪い子どもを叱らない教師を批判する前に、どうして叱らないのか尋ねてみればいい。そこから教育観の交流が生まれ、その教師が今、何を大切にしているのかを理解できたりします。そんな対話も最近はなかなか生まれていない。

 見栄え出来栄えばかり見ていて、人と人との交流やそこから生まれるストーリーもない学校現場に、人間が育つのでしょうか。現場の風が乾いているような気がしてなりません。砂漠化し、人が住みにくくなっているような気がしてならないのです。

 教育にリアルを取り戻しましょう。嘘芝居づくりとその演出ばかりしているのは、もはや人を育てる教育ではありません。

学生にお願いするのなら……

 発達の凸凹を持った子どもの支援に市町村単位で支援員を配置する学校が多いのですが、ご存知のように待機教師不足。自治体によっては、教育学部の学生にボランティアという形で依頼するところもあります。ところがこの働かせ方が理不尽だという声があちこちであがっています。

 発達の凸凹を持った子どもの支援で大切なことは「その子理解」。その子がどんな特性を持っているのか、十分理解しておかなければ十分な支援ができないのです。そこでその子がどんな特性を持っているのか尋ねると、学生には個人情報を教えることはできないという学校が多い。だったら学生にお願いするな!!と言いたい。

 管理職や担任は、子どもの特性を教えずに、とにかく「暴れたら押さえてくれ」と言うだけの依頼は、まずその子が気の毒だ。二次障害を引き起こすだけだと思うのだがどうだろう。今の日本の学校の、くさいものには蓋をする、トラブルを回避してとにかく丸く収めるといった方向性は子どもを傷つけるだけだと思うのです。


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日本のスポーツする環境は進歩しているのか?

大坂選手、錦織選手、久保選手、大谷選手、八村選手……、様々な競技で、日本から世界に通用する選手がたくさん出てきているように見えます。しかし、部活動中心の日本のスポーツ文化は発展しているとは思えないのです。

因みに上記の選手で日本の部活動で活躍したのは大谷選手と八村選手ですが、大谷選手の部活動は高校だけ。中学生の時はクラブチームでした。八村選手は高校卒業後、アメリカに渡っています。世界に通用する選手になるためには、部活動から距離を置かなければならないことは誰もが知っていることなのです。

また、世界に通用する選手になるためではなく、多くの国民が権利としてのスポーツを楽しむ環境を保障しなければなりません。国は、学校や学校外に、子どもたちや若者が、スポーツを楽しめる環境を保障しなければならないのです。

しかし日本の部活動(主に運動部や音楽部)は、子どもたちの権利としてあるのではなく、学校のため、地域のために取り組まれている学校はないでしょうか?学校によっては、生徒集めのために取り組んでいるところもあるのではないでしょうか。

国や学校のために子どもがいたり育てたりするのではなくて、子どものために国や学校があるのです。そのためには、子どもの権利を最優先にした教育課程と指導環境整備を進めなければなりません。

教師の自己犠牲による部活動では、子どもたちの権利を奪うばかりではなく、日本のスポーツ文化は永遠に進歩発展しないでしょう。

指導どころではない?

今学校現場は、言い訳と「やってます」という形だけの証拠づくりに追われていて、指導どころではないのではないかと心配しています。

その中で、不正とハラスメントが当たり前のようにあり、ほとんどの教師はその事に無自覚なのも心配です。

授業時数や超過勤務時間は、操作されることなく正確に報告されているのでしょうか?

学力テストで、不正が行われていないでしょうか?

そのうちあらゆる不正に対する告発があり、公教育は大きなダメージを受けるかもしれません。

そんな中で、不登校いじめ問題の取り組み、仲間から排除され、教室に入れない子どもへの寄り添いと支援、今まさにメインの教育課題にしなければならないことが二の次になっていないでしょうか。

大阪のいじめ放置が問題になりましたが、指導が二の次になっている現実は、全国に広がっているのではないかと気になっています。

明日、浦安で講座

明日、午前中は千葉大学で授業。

その足で、浦安に向かいます。

◆◇しおちゃんマン講座全国ツアー第8弾◆◇
です。

浦教研学級経営部会の、現職の先生方対象の講座です。

場所も、以前勤務したことのある小学校なので楽しみです。

内容は、
どの子も楽しく生き生きと生活できる教室を目指して
をテーマにしました。

一斉・一律、そして競争の激しい学校現場になり、個性ある子どもたちが排除されたり、自らコミュニケーションから降りてしまうような現実があります。

どんな個性もリスペクトし合えるような学級集団づくりを目指した実践の話をしてこようかと思っています。

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塩崎義明(しおちゃんマン)の『公式メインブログ』です。教育問題について語ります。⇒ 管理画面

小学校で37年間学級担任として勤務/現在大学で教師を目指す学生に指導。/最新著書『教師と子どものための働き方改革』(学事出版)//iPhone12 Pro/Surface Laptop3/黒猫大好き/手相は両手とも「ますかけ」。

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ヨシムネ&ねね

しおちゃんマンの飼い猫、黒猫ヨシムネと ねね

ヨシムネ
ヨシムネ ♂
2005年8月生まれ。2006年8月に動物病院からしおちゃんマン家にやってきた。

ねね
ねね ♀
2008年6月生まれ。教え子(当時小6)達が公園で保護。2008年6月よりしおちゃんマン家の家族に。2017年7月28日逝去。

【しおちゃんマンの本!】
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