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「ステイホーム学習」で浮かび上がってきたもの

ステイホーム学習(塩崎造語:2020/04/26)が長引くにつれて下記の問題が浮かび上がってきています。

(1) 格差の問題が浮かび上がってきている(学力、生活)

(例)
 学校からプリントをダウンロードして学習するように指示が出る学校で、プリンターがない家や、そもそもネット環境がない家の問題があるのに、それは無視して、教育委員会の指示だという理由で強行しようとする学校もあります。たまらず教師が声を上げたところでは、週に一度、下駄箱にプリントを置くので、それを取りに来るようになりました。これは大学生も同じで、当然のように遠隔授業が行われる大学が多いです。しかたなく、大学のネット環境やPCを使えるようにしたが、学生が大学に集まらねばならないといった矛盾も出てきています。

(2) 家庭内の問題(虐待や理不尽な差別が…)

 暴力的虐待や、両親共働きで、保育園、学童に預けるといった環境がなく、家で放置されている乳幼児や低学年の子どももいるようです。また、新型コロナに感染した人が身近にいたり、医療従事者への差別も広がっています。問題は、ステイホームによって、そういった問題が見えてこなくなっているということです。

(3) 学校の役割(今後どうする?)

 今後、子どもたちの学力保障はもちろん、生活を守ること、人権を守ることがもっと議論されなければなりません。学校に子どもが集まらなくなったことで、そういった問題がさらに自己責任化され、格差や差別の問題がどんどん大きくなってきていることが心配です。




zoom会議(授業)はホストの役割が重要

zoomを使って会議を重ねています。ホストをやってもらっている方の流し方が見事なので、今のところうまくいっています。

ただ、自分がホスト役になった時に、うまく議論をまわせる自信は、まだありません。

オンライン会議(授業)の議論も集団的の教育力に依拠してまわしていきたいと考えています。

その時の留意点を……、リアル授業でも同様なことが言えるので整理してみました。

大切なことは、

◎指名する時に、意図をもつ。

◎返す時に、意図をもつ。

◎集団の中に次のリーダーをつくることを見通す。

それは、

・内容を深める為に
・内容を広げる為に
・発言者をつなげる為に
・次の学びや行動を見通す為

以上のことを進めるために、子ども一人ひとりのことを理解しておく必要があるんだろうな、と。




タイムラグに慣れてきた "やりとり"

 テレビのコメンテーターがスタジオに来ないで、別室や自宅からコメントする番組が増えています。そこでの会話には、やはり微妙なタイムラグがあります。

 驚いたのは、ここ数日で、コメンテーターたちがその微妙なタイムラグに慣れてきて、相手の話が終わるまでじっくり待つ、という気遣いが見られるようになってきたということです。

 しかし、素早いボケやつっこみで、一斉に笑う、と言った場面は遠隔コメンテーターからは見られなくなりました。少し間が相手から笑わなければならないので、苦笑するといった形の笑いになってきたのです。

 対話と笑いの関係について詳しくはわかりませんが、対話と指導については、教育に関わっている私としては考えなければならないと自覚しています。

 教育的ツッコミについて、簡単に整理しておきましょう。

▽教育的意味

(1) 子どもの発言を深めて豊かにする。

(2) 子どもの発言を集団に広げる。

(3) 前向きな「笑い」に変換して集団のトーンを明るくする。


▼具体的な行為
素早くかぶせる
じっと間をあける
ナルホドと頷く
その他


 「タイムラグ時代」の対話と指導について、けっこう真剣に考えている今日この頃です。




みんなでやるとできるようになるということ~集団の教育力~

学校が始まりません。5月7日以降もスタートするかどうかわからない……。

4月に1年生になった、我が孫もまだ学級の仲間と顔を合わせていないのです。

学校から出された課題を毎日少しずつやっていますが、あれが「勉強」だとは思えないし、なかなか身につかない……。

生活リズムを維持するのも難しいようです。どうしても夜更かししてしまう…、

当然朝も遅く起きてしまう……。

勉強が身につくかどうかも心配ですが、生活全般にわたって、身につけるべきことが身につかないことの方が心配です。

学校には、一人では身につかないけれどみんなで一緒にやっているうちにできるようになることがたくさんあるということです。

いや…、学習(生活)のほとんどは、集団の中で生活することで身につくことばかりではないでしょうか。

ネアンデルタール人が滅んで、ホモサピエンスが生き残った違いは、ネアンデルタール人は家族集団で生活していたことに対して、ホモサピエンスは家族を超えた集団で生活していたからだそうです。そのことによって、武器を始めとする道具を進化させることができたのです。

学校再開できるための環境を一日も早く作ることと、その後の教育的フォロー(集団生活の成立)の準備をしておかなければなりませんね。これはけっこう大変です。




明日から、いよいよ第一回目の「遠隔授業」

明日から都留文科大学の私の授業がスタートします。

ただし、オンラインを利用した遠隔授業です。

生活指導論と、教育実践論の二つの授業ですが、2教科とも、

1.テキスト資料を読んでもらう。
2.その内容について質疑応答をする。
3.最後に簡単なコメント提出。

というスタイルにしました。

今一番の不安は、

大学のシステムの中に、ちゃんと資料を置くことができているのか……、

学生さんたちは私が置いた資料がちゃんと読めるのか……、

質疑応答をする掲示板機能は動くのか、

課題提出の設定はあれでよかったのか……、

つまり、私が大学のシステムをちゃんと利用できているのか、ということです。


もう一つの不安が、

多くの大学の先生は同じようなパターンで行うと思うのですが、最後の課題・コメント提出が履修している全教科で毎日毎日繰り返されると、学生はまいってしまうのではないか?という心配です。

ということで、私の場合の最後のコメントは、「一文以上」として、簡単なコメントしか要求せず、初夏の最後に長めの小論文を書いてもらい、評価したいと考えています。

くわしくは、履修した学生さんに、オンライン上で連絡します。

さあ、今年度がようやく始まるぞ!!

----------
都留文科大学
生活指導論・進路生徒指導論
教育実践学論・教育実践学概論
を履修されている皆さんへ

[資料管理]に置いてある資料を一読ください。
[掲示板]で質疑応答ができます。(授業時間内にお願いします)
そして[課題管理]のコメント用紙に今回の授業(資料)についてコメントし、提出してください。
簡単な感想で結構です。内容について評価はしません。提出したことを「評価」します。




"オンライン授業について" 書き続けた記事一覧

このブログで "オンライン授業について" 書き続けた記事一覧

課題が次第に明らかになっていくのがわかって、一覧にするとおもしろい。

▼自宅で会議するスキル
https://shiozaki.blog.fc2.com/blog-entry-4748.html

▼顔が見えればいいのか?という問題
https://shiozaki.blog.fc2.com/blog-entry-4749.html

▼カメラに向かって話すこと
https://shiozaki.blog.fc2.com/blog-entry-4752.html

▼メディア授業の問題点
https://shiozaki.blog.fc2.com/blog-entry-4753.html

▼マイクに向かって一人でしゃべる
https://shiozaki.blog.fc2.com/blog-entry-4756.html

▼学習的交わりの軽視&放棄
https://shiozaki.blog.fc2.com/blog-entry-4758.html

▼on-line授業における微妙なタイムラグと指導について
https://shiozaki.blog.fc2.com/blog-entry-4765.html

▼on-line授業をすれば学力が保障できるという錯覚
https://shiozaki.blog.fc2.com/blog-entry-4766.html

▼相変わらずの "やってます" ポーズを乗り越える
https://shiozaki.blog.fc2.com/blog-entry-4769.html

▼休校時代の権利ある学びと生活
https://shiozaki.blog.fc2.com/blog-entry-4770.html

▼成立しているように見えて成立していない
https://shiozaki.blog.fc2.com/blog-entry-4771.html

▼まだリアル授業には及ばない
https://shiozaki.blog.fc2.com/blog-entry-4772.html

▼双方向型オンライン授業の課題~「集団の教育力」が発生しづらい~
https://shiozaki.blog.fc2.com/blog-entry-4773.html




双方向型オンライン授業の課題~「集団の教育力」が発生しづらい~

 私も大学の講義で遠隔授業としてオンラインを利用し、テキスト資料を提起したり、動画視聴をお願いしたりしています。また新型コロナ問題が沈静化した後でも "学びにオンラインをどう利用していくのか" は、大切なテーマだと考えています。

 私がオンライン授業に対して批判的な記事を書き続けているのは、今後大切なツールになると考えているからです。「オンライン授業はする必要がない」という主張ではありません。誤解のないようにお願いしたいと思います。


 さて…、教育関連企業の発信する動画は "楽しい「番組」ではあるけれど『授業ではない』" と主張してきました。それは、「間」を大切にした視聴者(子どもたち)との "やりとり" を想定していないからです。

 Web会議ツールを利用した。双方向型の授業であれば "やりとり" メインなので、動画配信型の授業の課題をクリアーできるのではないかという意見があります。しかし、オンライン授業は、双方向型であっても「集団の教育力」が発生しづらいので課題が多いと考えています。

 ではここでいう "「集団の教育力」が発生しづらい" とはどういったことでしょう。そのことにかかわって三点、問題提起をしておきたいと考えています。


 一つ目は、オンラインは「教師や成員が感じる力関係」や、そこから生まれるいわゆる「空気」とよばれているものを感じにくい、ということです。(それが発生しているのかもわからない。発生していてもわかりにくい。)

 リアル授業では口数が少なかった学生が、オンライン授業で急に饒舌になったという話をききました。これは逆に言えば、リアルでは感じられていた「空気」をオンライン上では感じていないということだと思います。

 私たちは、学級集団づくりにおいても授業においても、集団のトーンや影響力、力関係に視点をあてて、それを組み替えたり、支援したりケアーしたり……、いわゆる「指導」してきました。

 授業でも同じで、そういった教育活動の中で、子どもたちは教師の「指導」やその背景にある社会に批判的に介入し、さらに学びを要求したり広げたり、自分で切り拓く力を持つようになることを見通していました。オンラインでは、そのとっかかりとしての集団のトーンや影響力、力関係が見えてこないということです。


 二つ目が、オンラインでの教育活動は、関係性の発展が薄い、ということです。

 たとえば……、私たちが、働きかけるものが働きかけられる、という時に、それは一対一だけの関係だけでなく、極めて集団的に成立するものだと考えています。

 教師がAさんに働きかける行為が、集団にとって何らかの影響を広げて、それが教師に返ってくるということが、私の場合は多かったです。そしてそれは、そもそもAさんに働きかけたことで集団からも働きかけられたのだと考えています。

 オンラインの教育活動は、双方向型であっても、そういった広がりや発展性が薄いと考えます。理由は、オンラインはシステム的に一本釣りの竿がホストから複数投げ入れられているだけで、竿と竿の関係性が薄いということです。

( ̄‐ ̄)。oO(竿と竿の関係性があるのかもしれないけれどそれは海の中で見えない。)


 三つ目は極めて、具体的なことですが、オンラインでは「独り言が拾えない」という面があり、リアルな授業が展開できないということです。しおちゃんマン流に言えば、『嘘芝居』的な授業になる、ということです。

 オンライン授業は、わかっているふり、良い子のふり……、そういった教育活動が展開される危険性があるということです。それは「独り言が拾えない」からだと表現しました。


 このように考えてみると、双方向型の "やりとり" での留意点として、「○○さんらしい見方・考え方だが、これに対してわたしは~」といった、成員同士の関係をつくる応答に心がけることが大切になってくることがわかります。

 また、成員同士の関係をつくりやすいように、グループ会議を多用したり、子どもたちの側からのプレゼンテーションを共同で作成する、といったことも考えられます。


 オンライン教育は "教室を超える" といった強みがあります。場合によっては、世界に拓かれます。学ぶ権利と自由、平和をベースにした、世界に広がる(つながる)「学び」をつくっていくチャンスであるとも言えるのです。




散歩を始めました

早朝(でもないけど)、ウォーキングをすることにしました。

マスクをして、人との距離を5mおいて……、

ただ、歩いた場所は。人が少なくて、その心配はありませんでした。

目にとまった草花たちや風景を写真におさめました。

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まだリアル授業には及ばない

ベネッセは、全学年、全教科、全単元についての動画を本気で作るつもりのようです。
https://benesse.jp/

どの動画授業も楽しいのですが、あれは "「番組」であって『授業』ではない" と思いました。

『授業』(指導)というのは、子どもとの "やりとり" があって成立するものだからです。

その "やりとり" を成立させるためのリアル授業を超える(並ぶ)機能を、まだオンライン授業は手にしていません。

▼成立しているように見えて成立していない
https://shiozaki.blog.fc2.com/blog-entry-4771.html

私も、大学の授業を遠隔で進めるように指示されて、テキスト資料を提起ししたり、パワーポイントで動画を作って視聴をしてもらったりする授業を準備しました。

( ̄‐ ̄)。oO(私の授業は100人レベルなのでWeb会議型は無理だと判断しました。しかしそれもいずれできるようになるでしょう。)

テキスト資料にしても、動画視聴型にしても、学生さんたちとの "やりとり" を取り入れるようにしています。

しかし、まだ機能的に、私との一対一のコミュニケーションになりがちになることが予想されます。また、リアル授業がもっている、集団の教育力(それが何かについては今回は詳しく触れません)をまだオンライン授業は手にしていないと思っています。

いや、もしかしたら、子どもたち(人間)の方がオンライン授業に合わせて思考するようになるのかもしれません。学びが、極めて個的になっていくことは間違いないです。

個的な学びが存在するのか?という問いは残しつつ。




成立しているように見えて成立していない

大学でも、小中高の学校でも、遠隔で授業を進めたり動画を配信したりする試みが進められています。(「なんでもいいから動画をつくれ」と "内容軽視・作っておけば良い" といった授業動画作成を、教育委員会から強要されている地域もあります)

私も、大学の授業では、テキスト資料提起⇒質疑応答といった遠隔授業をしたり、動画配信の授業にチャレンジしたりしています。また、研究会では、月に2~3回のオンライン会議(テレビ会議)が開かれています。この2カ月、一気にオンライン活動をすることが求められ、いろいろ考えさせられることが多いです。

その中で考えていることは、オンラインを利用した「教育」は、授業として……、指導として成立しているのか?という問題です。そういった意味で、「学びとは何か」「指導とは何か」という問題をここにきて、あらためて突き付けられているような気がします。

とりあえず言えることは "オンライン授業ができていれば学力保障ができている" と考えるのは間違いだということです。オンライン指導は “成立しているように見えて成立していない”という危険性を持つので注意が必要なのです。

( ̄‐ ̄)。oO(オンライン授業を進める必要がないと主張しているのではありません。注意深く、研究的に取り組む必要があると考えています。)

動画は "視聴者を見ることができない" といった決定的な問題があることを忘れてはなりません。視聴者がやる気がなくても、居眠りをしていても、席を立っても、平気で話し続けなければなりません。

( ̄‐ ̄)。oO(動画作成の時に、声のトーンを変えたり、表情を作ったりしていて、むなしくなることもあります。)

Web会議でも、顔が見えているからリアルな話し合いができている…、と安易に考えてはなりません。顔が見えないメール会議の方が、場合によってはリアルな話し合いができる場合もあります。そして、Web会議の宿命的な “微妙なタイムラグ” は、話題を深め、相互の信頼関係をつくることを邪魔します。

さらには、画面を通しては空気(トーン、雰囲気)が読み取れません。そんな中で、一人ひとりを配慮するアンテナが働かないことが多いのです。

亡くなられた、志村けんさんは、舞台では本番同様の “力が入った稽古”はしないそうです。稽古ではすべてのチェックはするが所詮は稽古。本番の舞台とは、観客との「間」があって初めて完成するものだからだそうです。

授業や指導もそういった面があります。教師だけの一方的な情報伝達、子ども同士の交わらない意見発表、それでは授業は完成しません。教師と子ども、子ども同士の「間」があって、初めて完成するものではないでしょうか。

生活指導では事実をベースにしたリアルさが求められます。相互の信頼関係をベースにして、子どもに寄り添い、心をひらき合い、そこに "働きかけるものが働きかけられるといった関係" も生まれ、そしてその指導が、周囲(集団)へのメッセージにもなっていることがあります。

「オンライン指導」の反対語は「対面指導」ではなく、「リアル指導」だと思っています。一気に広がっている教育のオンライン化について、その指導を成立させるために、批判的に検討し、研究を深めていく必要がある時代です。




休校時代の権利ある学びと生活

臨時休校時代……、いや、もはや「臨時」ではない『休校時代』に直面するとは考えてもいませんでした。

今回の件で、学びの意味はもちろん、学校と子どもたちとの関係、子ども同士の関係も大きく変わる気がしてなりません。

国は、学校を通した "教育管理" ができなくなりました。あわてて、遠隔で授業をしなさいとか動画を配信しなさいとか言っていますが、想定外の事態に、その方針が定まっていません。

その間に、学校は相対化され、情報発信機関の単なる一つになりました。場合によっては学校からの情報(授業)は生活・進路には必要ないと判断する子どもも増えてくるかもしれません。

今後、国が教育による管理・支配をどのように手を変えていくのかに注意深く見ながら、休校時代の権利ある学びと生活について考えていきたいと思います。




相変わらずの "やってます" ポーズを乗り越える

学校のホームページから何らかの動画を配信するように教育委員会から要求されている地域が増えてきました。

学年ごとの授業を配信している学校もあるようです。

何を配信すればよいのか教育委員会に質問すると "何でもいいからとにかく配信してほしい" という答えが返ってきて、あきれたということです。その教育委員会としては、とにかく "やってますポーズ" をとりたいだけのようです。

しかし…、まあこれは、各学校の発信の自由が保障されたととらえれば良いのです。

因みに動画は、コメントは受け付けられますが、双方向型ではないと考えています。

それよりも、動画同士をつないでいく、といったスタンスで作ってみればよいのではないかと考えています。

動画同士がつながるのでもよいし、その動画がきっかけに、学びや行動が広がるというイメージです。

具体的なスキルは、正直言ってわからないのですが、そこは詳しい人たちにお任せしたいと思います。




国・自治体、世間は、教育・学校にどんな「顔」を向けたのか

 新型コロナウィルス問題が発生してから今まで、国や自治体、そして世間は、教育・学校にどんな「顔」を向けたのか、そして私たちはそれに対してどんな「表情」で返したのかを丁寧に記録しておかなければなりません。

 それは、この件がおさまり、新たな学校を起ち上げようとするときに、必ず必要になってくることだからです。
 
 要請された臨時休校は保護者の仕事を奪うことにつながることに気づきました。そして世間は子どもを預ける場所の保障を学校に求めました。その結果、臨時休校しながら、何十人の子どもたちを学校で預かるといった矛盾が生まれました。
 
 休校が長引き、学力低下の責任を負うことを恐れた国・文科省は、遠隔授業(主にオンライン授業)をすることを求めました。ところが、今まで、学校のネット環境整備を怠ったきた結果として、それが可能な学校はほんの一部だけでした。そしてオンライン授業さえしておけば責任を果たせたという錯覚も生まれています。
 
 教師のテレワークは、なかなか認められませんでした。不眠不休で頑張る医療関係者に対して申し訳ない気持ちと、家庭で進める課題づくりやオンライン授業動画づくり等々、何だかんだで忙しいからです。

⇒ 本当に忙しかったのだろうか。「忙しさが必要」だったのではないだろうか。

⇒ ここにきてやっと正規採用者から "順に" テレワークが認められてきました。
 
 教師たちは、国や自治体首長の指示にした従うことだけで精いっぱいで、非常時の学校の在り方について声を出す者は少なかったです。そして多くの教師はどんなに振り回されても、理不尽な働き方を強いられても、国や自治体の要求に必死に応えようと努力していました。

 学校に…、教師や子どもたちに、自由と自治はありませんでした。学ぶ権利も、それを指導する自由は存在したのでしょうか。「うちの学校(地域)から、新しいことを発信しよう」といったエネルギーはあったのでしょうか。
 
 いつのまにか私たちは、魂を抜かれていたのではないかと心配しています。
 



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ヨシムネ&ねね

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ヨシムネ
ヨシムネ ♂
2005年8月生まれ。2006年8月に動物病院からしおちゃんマン家にやってきた。

ねね
ねね ♀
2008年6月生まれ。教え子(当時小6)達が公園で保護。2008年6月よりしおちゃんマン家の家族に。2017年7月28日逝去。

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