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「不安と投げやり」「不信と傷つき」の荒野にいる高学年の子どもたち

一 高学年は「競争」の "最後の戦場"

今の子どもたちは幼児期から競争がスタートする。スイミングやサッカー等のスポーツはもちろん、ピアノやバイオリン、そして学習関連の習い事……。それらが二~三歳からスタートできるように準備されている。

しかし、実際には早くからスタートできる家庭とそうでない家庭があることも事実であり、スタート時からその格差は広がっている。

この競争は "必ずしも幸せに結びつかない「幻想の競争」である" ということを保護者はなんとなく気づいている。それでも子どもたちの「勝利」を信じて(願って)子どもたちをスタートラインにつけるのである。

子どもを幼児期から競争のスタートラインにつける保護者の思いは、まずは子の幸せを願う愛情がある。しかし一方で、「競争に勝利できるか、逆に敗者になるかは『自己責任』である」といった「新自由主義」の考え方の「あおりとおびやかされ」がある。この「あおりとおびやかし教育政策」に追い立てられるかのように競争に参加し、生きづらさを抱え込まされているのが今の日本の子育て・教育状況であると言える。

ちなみに、今の子どもたちは、仲間の失敗や間違いを許さない傾向と、一方で自分を責める傾向が強いのは、自己責任を強いられてきたからなのかもしれない。

さて、幼児期から、可能な限り「子育て競争」に経済的にもつぎ込んできた幻想のレースも、小学校高学年で、ある程度結果が見えてくる。

スポーツの習い事を続けてきた子も、自分の実力を目に見える形で突きつけられ、どんなに努力しても自分は上にはいけないこと、勝てない仲間がいる事に気づくことになる。そしてその中で自分を見失い、荒れることもある。

学力も同様で、自分の「学力」を仲間と比較してみることになり、自分の「学力」のレベルはこの程度....と自分を評価しつつ、一方で、将来に対する大きな不安とあきらめ、中には投げやりな態度をとる子も出てくる。これは、高校進学という具体的な第一のゴールが見えてくる中学校二年生あたりまで続く。

そして中学校二年生で「第一次競争」は一段落する。子どもたちは競争の結果がどうであれ、ほっと一息つくのである。そういった意味で、小学校高学年の時期が「最後の戦場」であると同時に、子どもたちが一番不安におののく時期であると言える。

私たちは、子どもたちのこうした幻想のレースの真実を知り、その不安と苦悩に並走することが求められている。それは答えを出す対応ではなく、一緒になって頭を抱えられる関係であり、呼びかけて応答の関係であるとも言えるのである。

二 「高度?」なコミュニケーションからあぶり出される子どもたち

通級指導とは、子どもの自立を目指し、障害による困難を改善・克服するため、一人一人の状況に応じた指導を行うことを言う。この通級指導を利用している子や、特別支援学級に在籍する子が急増している。通級指導を利用する子は二0一七年調査でついに十万九千人にも及び、その後も増え続けているのだ。このことをどうとらえれば良いのだろうか?文科省は認知が広まったことと、個別な対応や特別な支援に理解が広がった……、と前向きに評価しているが、果たしてそれだけなのだろうか。

私は、通級に通う子どもが急増の背景には二000年前後からの「一斉・一律・競争」の教育の中で、それに適応できない子どもたちが「あぶりださされた」疑いをどうしても持たざるを得ないのである。

学校は、学校生活の細かな所作や生活態度を統一徹底させ、教師は、教育成果を見える形で出すように求められる中で、個性ある子どもたち、特性を持つ子どもたちが「あぶりだされた」のではないかと危惧しているのである。

さらに学校は、一斉・一律に行動、生活できない子を問題視し、マウントをとるような強い指導で調教しようとするので、発達の特性を持つ子が二次障害を引き起こし、反抗的・暴力的になっている事例も少なくない。

また、子どもたち同士の中にも、私が「嘘芝居コミュニケーション」と呼んでいる "高度なコミュニケーションスキル" が求められるようになり、それについていけない子ども……、ついていこうとしない子どもが、排除されているのではないか、とも見ている。
 
「嘘芝居コミュニケーション」とは、

・関係を保つために、互いに本音でないことを了解しつつ付き合い
・強い意見に同調し
・時にはおちゃらけ、
・意図的に誰かをいじり、時には自分がいじられるように仕向け、
・そのために必要以上に悪ふざけができる自分を演出するコミュニケーションである。

そんなコミュニケーション世界についていけない子……、必要としない子があぶり出されているような気がしてならないのである。

三 教室の中にシェルターを……、そしてやがて立ち上がる

幼児期から "自己責任レース" に参加させられ、やがて現実を突きつけられる高学年の子どもたち。

学校の理不尽な管理と、過度な気遣いが必要な仲間関係の中で傷つき、生きづらさを感じている高学年の子どもたち。

まさに高学年の子どもたちは "「不安と投げやり」「不信と傷つき」の荒野" にいる。そんな高学年の子どもたちの実践テーマを提起してみる。。

[安心と信頼関係はお互いの理解を深める]
子どもたちは身体的にも精神的にも守られなければならない。特に今の学校現場のように競争と排除が押し寄せてくる中で身を守ることは必須である。まずは、教師が子どもたちと安心と信頼の関係づくりにつとめよう。

「ロビー活動」を積極的に進めよう。
「個人ノート」を多用し、一人ひとりとじっくり語り合おう。

そしてその過程で子ども理解を深め、出会い直しを何度でもしていこう。

また、同じ生きづらさを抱えた仲間の存在を知らせることも大切。そういった仲間と、学級内クラブやボランティア活動など、時には学級を超えた仲間づくりや行動提起をすることも考えられる。

それらの活動の中で、自分とは違った仲間が自分と同じ生きづらさを感じながら生きていることを知るだろう。そして自分と違ったものを持っている仲間こそリスペクト出来ることに気付くであろう。

[点数で競う学習に対峙する「学び」を]
社会に課題や問題をみつける目と、それに対する「学び」の指導が大切だ。子どもたちが自ら立ち上がるためにはこの「学び」が原動力となる。その「学び」とは、点数で競う学習に対峙する「学び」である。その「学び」の必要に気づくためには、次の三つがキーワードだ。

1.情報に批判的に関わること
2.自分とは違った意見こそに耳を傾けて議論を深めること
3.学びから、行動することへの見通しを持つこと

[学校を変えるルートの再生]
自分たちの生活に直結している学校生活を変えることができるルートの確保、または再生が必要だ。具体的には児童会の利用と再生の道筋をもう一度見直してみよう。子どもたちの声が反映され、要求が実現されるような児童会の「カタチ」を今の時代にあった組織の仕方で見直してみよう。

[教師の共同とヘルプできる力]
教育活動は実は共同作業である。小学校では学級担任制であるので、ついついそのことを忘れてしまう。共同というのはなんでもかんでも足並みをそろえることではない。一緒になって子どもの成長のストーリーに関わり、科学的な分析と指導のアイデアと知恵を出し合い共に実践していくことである。そして困った時、悩んだ時にはヘルプできる関係と力を持つことである。ヘルプする力は教師にとって大切な力量の一つである。

[保護者と和解して連帯する]
教師と保護者は和解しなければ連携・連帯はできない。お互いが持っている不信感を消すためにお互いの生きづらさを知る必要がある。同じ生きづらさの中で生きていることに気づく必要がある。そのためには自分の弱さやつらさを出し合えるような対話と空間が必要だ。

SNSの時代、不可能ではない。

(*ᴗˬᴗ)⁾⁾

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SNSのお話 スタエフ(1)

最近、SNSの中でTwitterの次に時間をさいているのが、スタンドFMです。
https://stand.fm/channels/608fc92426f6f56b24a2850c

収録を始めた時に自分のあまりの棒読みのひどさに驚き、

文章を読むのはやめて、キーワードメモを見て話すようにしたり、それでもうまくいかなくてまた文章原稿に戻したり、いまだに試行錯誤しています。

しかしこういった試行錯誤を通して、教師の話し方について考え始めたり、教師は、問答トークをしていることを発見したりして自分の仕事にも役立っています。

いつになったらこの棒読みから脱出できるのかはわかりませんが、引き続き、試行錯誤してみたいと思います。

ここ数日、ライブにも挑戦しています。しかし参加していただけるのは2,3名。まだコメントをもらったこともありません。

原因は、私の話題の振り方にあることは分かっているのですが、どのように話題をふればいいのかこれもまた試行錯誤しています。つまり今度は、交流トークについて考え始めています。

新しいことにチャレンジすると、色々考えることが増えて、勉強にもなるし、それがとても楽しいです。

(*ᴗˬᴗ)⁾⁾

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SNSのお話 Twitter(2)

今日は、数あるSNSの中で、どうしてTwitterにこだわっているのか、というお話です。

理由は、

(1) Twitterは本音と言葉の距離が近い
(2) 自己リプにより発想法的な使い方もできる
(3) 140文字限定の中でメッセージを込めることが楽しい
(4) 目に留めてもらうための工夫が奥が深い

やればやるほど、楽しさの発見ができるツールのような気がします。

私のツイートは、学校教育分野です。教育雑談系と言ってもいいと思います。

日本の教育の課題を、あくまでも現場目線で、難しいことは抜きにして、ツイートすることを心がけています。

しかし、教育にかかわることに興味を持ってTwitterを読む人はあまりいません。

いや
教育・子育に興味があっても、その情報をTwitterに求める人は少ないのです。

また、教育分野に限らず学問的分野は、140文字のつぶやきではなかなか語りきれないということもあります。

さらには、教育分野は、ニフティーのパソコン通信の時代からそもそも荒れるのです。

多様な考え方があり、思想信条、場合によっては宗教も絡んできます。

だから、なかなか本音で意見交換が出来ないというのが本当のところです。

しかも、へそ曲がりの自分の教育論はなかなか多数の人に共感・理解してもらえないという弱みもあります。

そんな中で、いかにしてフォロワー数を増やしていくのかは、なかなか興味深いとはおもいませんか?

(*ᴗˬᴗ)⁾⁾

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SNSのお話 Twitter(1)

今日から少しSNSについて書きます。

ちなみに自分が利用しているSNSは、

Twitterをメインとしながら
ブログ
スタンドFM
クラブハウス
Instagram
Googleグループ
ライン
YouTube
※登録しているけれど最近は全く開いていないmixi

くらいでしょうか。詳しくは下記のページにまとめてあります。
https://linktr.ee/yoshiakishiozaki

今日はそのうちのTwitterについて話題にする第一回目です

Twitter歴は長くて、2009年から始めています。

当時は、日常の小さな場面を言葉をこぼすように何気なくつぶやく使い方を皆さんしていたように思います。

今何している、
どこにいる。
誰と会った。

まさに ナウを多用していた時代です。

その頃から比べると随分とTwitterの使い方が変わりました。

いや
すでにかなり前から変わっていたのに、自分は気がついていなかったというのが本当のところです。

今は、独立して起業したヒトや、何かを売ろうとする人中心に様々なスキルを使いながら、フォロワーを獲得していく、といった時代になっています。

私のようにひとりごとをつぶやいているようなツイートはなかなか読んでもらえなくなり、何よりも、タイムラインに流れることもなく、どんどんフォロワー数が減っていきました。

Twitterの使い方が変わった事に気がついたのは、クラブハウスでTwitterを扱っているルームで話を聞いたからです。

これではいけない。

Twitterは上手に使えば自分の生活に生かして行けるのではないか....、活力になるのではないかと一念発起して色々勉強させてもらっている
というのが現在です。

5月当初、3300台だったフォロワー数は、現在、3600台に伸びています。一ヶ月で300は、まだまだです。

(*ᴗˬᴗ)⁾⁾

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モノ隠しの切なさ

この時期、子どもの物が隠されたり、かげで壊されたりのトラブルが起こり、悩んでいる担任の先生が多いのではないでしょうか?

ちなみに私は不思議なセンサーを持っていて、物が隠されてもすぐにみつけてしまうし、誰がやったのかもすぐにわかってしまいます。

それは、日常的に学級地図で子ども関係を分析し、個人ノートで子ども一人一人とやりとりしているからだと思います。

さて、
子どもの物がなくなるときは(隠された・とられたという騒ぎになった時は)、地域や学年によっての違いはありますが、

1) 5割がいたずらやいじめ、子ども間のトラブル
2) 3割が自分でなくしてしまったケース
3) 2割が自作自演

というふうに考えています。

そして 3)番が最近増えてきているように感じています。

物隠しの解決や再発防止については、子どもたちの関係や、

かくされてしまった子の、集団の中での居場所を注意深く考えると同時に

一方で隠した側の心のトラブルを解決しなければなりません。

なぜこういったゆがんだ形でしかメッセージを発信できなかったのか?ということです。

自作自演であればなおさらです。

モノ隠し....

寂しくて切ない子どもたちのトラブルです。

(*ᴗˬᴗ)⁾⁾

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ミソッカスというつながり方

昭和の時代には、年齢の違う遊び集団がありました。年齢の違う者が一緒になって同じ遊びをしていたということです。

しかし、違う年齢で同じあそびをするには、例えば鬼ごっこであれば、小さい子はすぐにつかまってしまいます。

これではせっかくの楽しい遊びも面白くなくなってしまいます。遊び自体が成立しなくなる危険も出てきます。そんな中で子どもたちが考え出したシステムが「ミソッカス」という制度です。
 
「ミソッカス」というのは、たとえば走力、体力の劣る小さな子どもは、一緒に遊ぶけれど全員の了解によってつかまっても鬼にならないようにしたり、わざと見のがしたりする「制度」です。

注目すべきは、この「ミソッカス」制度は、日本全国に共通に広がっていた、ということです。

「ミソッカス」制度が、全国に共通して存在していた証拠として、地方によって様々な呼び方がある、ということがあげられます。

アブラボウズ(長野)、オマメ(岡山)、オミソ(神奈川)、カス(和歌山)、カズノコ(富山)、コヌカ(岐阜)、ダゴ(静岡)、ボウヤ(群馬)、ハンパ(大阪)、ミッキ、ミッキョ、ミッチョ(兵庫)

などが知られています。そしてさらに、地域によってその呼び名に若干の違いもあるようです。

みなさんの地方、地域ではどんな呼び方をしていたでしょうか。

「ミソッカス」という言葉は、一見蔑称のように聞こえます。

また、そのルールも、一人前に扱ってもらえないのですから、差別的な制度のようにも見えます。

しかし意味はまったく逆であったということを私たちは知らなければなりません。

つまり、当時の子どもたちは、「ミソッカス」の子をつくることで、その子を排除するのではなく、仲間として受け入れていたということです。

また、「ミソッカス」のルールと対象になる子を決めるのは、遊び集団の年長者やガキ大将だったはずです。しかし、誰が対象でどんなルールを適用するのかは、はっきりと確認されたり、その子に言い渡したりはしなかったような気がするのです。

つまり、極めてあいまいだったと思います。そこに当時の子どもたちの、幼い子どもたちに対する優しさと、気遣いが伝わってくるような気がします。

ちなみに、遊びの断り方「アートーデー」というのも、当時の子どもたちの優しさと気遣いが感じられませんか?

「ムーリー」(無理)と冷たく断ることはしなかったということです。

優しさや思いやり、そしてルールづくりは子どもたちは遊びの中で自然に学んでいたということですね。

(*ᴗˬᴗ)⁾⁾

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心を通わせるノート一冊

なんでもかんでもきちんとやらせようとする教師と、

安心と、信頼のできる仲間を求める子どもたちとの関係はどうしてもすれ違います。

そこで私が子どもたちと心を通わせることを目的として取り組んできたのが、一人ひとりとの日記でのやりとりでした。

いや日記というよりも

教師と子どもたちのコミュニケーションノート

という性格をもったノートです。

そのノートでは、教室では見せない子どもたちの顔が見えてきます。

そんなノートを読む事で子どもたちの事情もさらに知る事ができました。

子どもたちにとっては、文章力がつくことはもちろん、

自分を

もう一人の自分で見ることができるようになります。

そしてそのことは自立へと導いてくれるのです

しかし、学校現場の異常な多忙化の中で、

これらの取り組みを敬遠したいのが現実です。

でも、正解・不正解を付けるノートは見ることも大切ですが、

教師と子どもが心を通わせるノートがあっても良いのではないでしょうか。

いやこれらの指導は戦前から我々の先輩達が綴り方指導として取り組んできたものであり、

それを

忙しさを理由に無理だとか

それどころではないと言われる時代になったこと自体が問題であると考えるべきだと思います。

(*ᴗˬᴗ)⁾⁾

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雑談力をつけて多くの仲間とつながりたい

もっと雑談力をつけたい。

異種の人たちとたくさんつながりを持ちたい。

歳をとったのか……

人と会えないコロナ禍のせいなのか……

今、そんな思いを強く持っている。


具体的な取り組みとして、

音声SNSにいろいろチャレンジしている。


Twitterのスペースを開いた。

Clubhouseにルームも開いてみた。

操作が慣れていないこともあり、脇の下に汗びっしょり書きながらトークを進めた。


次は、stand.fm のライブにチャレンジ。

書き込んでくれるコメントに対応しながら雑談トークができるだろうか?

一番難しいけれど、

チャレンジしがいがある。

(*ᴗˬᴗ)⁾⁾

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保護者との行き違い

教師を目指す学生にとって不安なことは、ブラックな労働環境よりも、

実は、保護者とのトラブルの方が大きいのです。

(両者はリンクしていることはまた別の機会に書きます)

教師の精神的疾患が増えていますがその原因は

『子どもの指導や教師同士の人間関係で悩み保護者がとどめを刺す』とまで言われているほどです。

学校・教師と保護者のトラブルの原因を勝手に順位付けさせてもらうと、

1位:自分の子がいじめられたりトラブルや怪我をしたりした時の対応
2位:作品が掲載されない、リレーの選手に選ばれない等自分の子どもの「扱われ方」
3位:情報格差(うちだけ知らされていない等)
4位:子どもから耳にする他の子への対応の不満
5位:授業がわからないことや進度の遅れ
6位:ユーモアと笑顔の無い教室の雰囲気
7位:家庭に対して上から教え込むスタンス
8位:子育てにずかずかと土足で入り込んでくるスタンス
9位:休みがちな担任
10位:教師個々の納得できない教育観

しかし前にも書いたように学校・教師と保護者は、

子どものためにも和解しなければならないのです。

その方法については後日書いてみたいと思います。

(*ᴗˬᴗ)⁾⁾

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問答トーク(塩崎造語:2021/5/20)

SNSが音声で展開される時代になりました。

参加を試みていますが、いざしゃべろうとすると あたふたとしてしまい、うまくしゃべれません。やがて参加する勇気がなくなり、参加をひかえるようになってしまいました。

自分は長く教師をしてきて、子どもたちの前でたくさんたくさん話をしてきたし、今も大学で学生の前で話をしています。
全国のあちこちに呼ばれて教育実践講座もしてきました。

しゃべることには自信を持っていて、苦手意識を持ったことはありませんでした。
ところが最近になって
「自分はトークが苦手なんだ」
と、やっと気がついたということです。

不思議なのは、

それでは私がトーク力だと思っていたものは なんだったのか....、今苦手意識を持っているトークとどう違うのか、ということです。

考えるに
トークには大きく分けて2種類あるような気がします。

一つは、ラジオのパーソナリティーのように、ひとりでリスナーに伝えるトーク。このトーク力についても、stand.fm を利用するようになり、自分は棒読みでしかしゃべれないことがわかっています。

二つ目は、集団をMCとしてトークをまわすトーク力です。これは得意だと思っていたのですが、話題が得意な分野の時であっても、なかなか入っていけない自分がいることがわかっています。トークをまわすのは、もっと難しいです。

では、私が長らく子どもたちや学生の前で展開していたトークとはなんだったのか、ということです。

これを仮に「第3のトーク」と呼びます。

最初は、仕事だからあれこれ考えずに話すことができたのだと思っていました。

しかし よく考えてみると自分はそもそも話すのはあまり得意ではなかったことに気がつくのです。

あれこれ考えないことでできるようになることは考えられません。

これは、
教師としての必要なトーク力が求められたとしか考えられません。

教師として求められたトーク力...それが「問答トーク」です。

子どもたちに問いかけながら子どもの反応を待ち、それにさらに問いをかぶせていくことをくり返すのが「問答トーク」です。

極めて教育的意図を持ったトークスキルです。教師が常にこの「問答トーク」をしているわけではないのですが、自分はこれをするようになり、子どもたちと話ができるようになったのだと気が付きました。

ちなみに
教師が使う この「問答トーク」は、教師が考えている結論に意図的に導いてしまう傾向があるので注意が必要です。

「問答トーク」は、想定外の答えを子どもから引き出すことのできる問いが大切になってくることをつけ加えておきます。

さて、
自分はトークが苦手であることを自覚しました。克服してみたいと思っています。

まずは、この棒読み脱却からはじめて、トークそのもののトレーニングを意図的に始めています。

皆さんも自分の課題を見つけてそれを克服するためにチャレンジしてみませんか?

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原稿の棒読みから抜け出すために

stand.fmで、一人喋りを初めてみて、あまりの棒読みに自分でも愕然としています。

そして今でも、あいかわらずの棒読みから抜け出せずに苦しんでます

そこで、
原稿を読むのはやめて
キーワードメモだけでしゃべろうかと考えたのですが

なんか

接続詞や
助詞の使い方がおかしくなって何を言っているのかわからなくなってしまいました。

やっぱり自分は原稿があった方がいいのかもしれないと思いはじめてます。

色々ネットで調べてみると
原稿を読む派

であれば
次の4つを意識すれば良いことが書かれていました。

1、読点の位置を考える
2、間(ま)の長さを変える
3、スピード感を変える
4、声の高さを変える

さっそく試してみたいと思います。

今日も一日楽しみましょう!

ではまた。

(*ᴗˬᴗ)⁾⁾

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教師の四つの勘違い

一つ目は、
一人ぼっちはかわいそうだという勘違い。子どもだって一人になりたいこともある。ポツンとしている時にいちいち「どうしたの? 」と聞くのではなく、しばらく様子をみてからどうしても気になるのであればまずは仲の良い友達にどうしたのか聞いてみるのが良い。そして、その後は友達に任せた方が良いケースが多。

二つ目は、
みんなの前でほめると子どもはみんな喜ぶものだという勘違い。みんなの前ではほめられたくない子もいることを忘れずに。そしていつもは喜ぶ子もその日はそんな気持ちにはなれていない場合もある事も考えよう。みんなの前でほめられるということはそれほどデリケートなことであることを忘れないようにしましょう。

三つ目は、
運動会や修学旅行を教師はよく「待ちに待った〜」と表現することが多い。子どもたちはみんな楽しみにしているという勘違いである。不安な子、嫌な子がいて当然であると考えられないのは、教師の中に、子どもはこういった行事を「待ちに待つべきだ」という決めつけがあるからだと思います。

四つ目は、
あいさつは大切です。しっかり指導するべきです。しかし「あいさつができる子は非行にはしらない」というのは違います。あいさつと非行行為は別な問題です。暴◯団でもあいさつが基本ですから。挨拶は上下関係維持のためにあるのではありません。豊かなコミュニケーションの入口だと考ています。

★stand.fm
チャンネルしお~教育雑談~
https://stand.fm/channels/608fc92426f6f56b24a2850c

(*ᴗˬᴗ)⁾⁾

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教員評価制度の根本的な問題

教師の評価などというのは、

何十年たってからやっとわかることがあるもの。

あの先生は嫌いだったけど,

今思えばありがたい指導だったことなんか山ほどある。

その逆もある。

それを、毎日見てもいない管理職が

たった1年間で評価して給与に反映させる制度は根本的に間違っているし

教育活動に対する冒涜だと思う。

学校は教師の個性を発揮することを保障するべき。

忌野清志郎(いまわの きよしろう)さんの曲、

「ぼくの好きな先生」のように

職員室に寄りつかず

美術室でタバコを吸いながら一人で絵ばかり描いていて

遅刻をしてきても言葉少なく注意するだけで

「おじさん」と呼ばれているような先生が

今の学校でも生きていけるようになってほしい。

(タバコはともかく…)

(*ᴗˬᴗ)⁾⁾

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塩崎義明(しおちゃんマン)の『公式メインブログ』です。教育問題について語ります。⇒ 管理画面

小学校で37年間学級担任として勤務/現在大学で教師を目指す学生に指導。/最新著書『教師と子どものための働き方改革』(学事出版)//iPhone12 Pro/Surface Laptop3/黒猫大好き/手相は両手とも「ますかけ」。

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ヨシムネ&ねね

しおちゃんマンの飼い猫、黒猫ヨシムネと ねね

ヨシムネ
ヨシムネ ♂
2005年8月生まれ。2006年8月に動物病院からしおちゃんマン家にやってきた。

ねね
ねね ♀
2008年6月生まれ。教え子(当時小6)達が公園で保護。2008年6月よりしおちゃんマン家の家族に。2017年7月28日逝去。

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