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子どもにはさわれない

今の小学校の先生は安易に子どもを抱っこしたり膝の上にのせたりすることができません。

私がかろうじて許された最後の世代でしょうか。

それでも退職する直前の時期には子どもの身体に触れないように注意されたこともあります。

「タカイタカイ」や、

手をもってグルグル回してあげることは高学年でも喜ぶのですが……。


ヨーロッパでは、子どもの身体をマッサージしたり、

意図的にふれることで安心と信頼を得るカウンセリングも研究されている

ということを聞いたことがあります。

また時代が変われば、対応が変わるのかもしれません。

(*ᴗˬᴗ)⁾⁾

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駅のホームで

反対側の駅のホームから

「しおちゃんマ〜ン」

という若い女性たちの声。

恥ずかしいのでスルーしていると

「なにかっこつけてんの?」

と言われたのでぎこちなく手を振ると

「後でLINEするねー」。

LINE?

つながってる子たちか??

そもそもあの教え子たちは誰なんだ?

と考えていたら電車が来た。

その後LINEは来なかった。

(*ᴗˬᴗ)⁾⁾

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うれしいけれど寂しい、そして心配

子どもが初めて友達の家に遊びに行ってしまった時に感じる思いは、

「うれしいけれど寂しい、そして心配」

子どもは階段を一歩一歩上がっていくように成長します。

その節目節目で

「うれしいけれど寂しい、そして心配」

をくり返すのでしょうね。

そしてそれは、大人になっても同じようにずっと。

ずっと……

(*ᴗˬᴗ)⁾⁾

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定年退職まで学級通信を毎日発行してきました

37年間毎日学級通信を発行してきました。

最初はガリ版印刷。鉄筆でロウ原紙にがりがりと文字を彫り込む作業でした。

それがやがて、ファックス印刷になり(今のファックスとは違います)、ワープロになり、パソコンになりました。

教師1年目に、最初に言われたことは「足並みをそろえろ」。

1つの学級だけ、しかも教師1年目の新米が毎日学級通信を発行するなどもってのほかでした。

それでも必死になって説明。

幸いに、理解してくれる先生がいたこともありOKが出ました。

37年間続けることができたのは

ダメ教師だった自分が唯一誇れることです。

(*ᴗˬᴗ)⁾⁾

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ゆずれないこだわりを武器にして

●学校スタンダードとは
今は、ほとんどの学校で「学校スタンダード」が設けられている。

<小学校で見られるスタンダードの例>

【学習について】
使うノートや、行頭から文字を何マス下げるかなどを、学年ごとに規定。それをすべての生徒で統一するように、教員にも指導する

【生活について】
・登校から下校まで、学校において目指すべきふるまいを、文字やイラストで明示
・授業中の机の上に置く物の、置き方を統一する

【持ち物について】
・筆箱に入れる鉛筆の種類、本数、その他文房具の種類を、例えば「赤鉛筆1本、青鉛筆1本、定規は透明なもの1つ」などと決める
・道具箱に入れるものについても同様に規定

教師むけ、子どもむけ、保護者むけに「学校スタンダード」が示されている。「スタンダード」を直訳すれば「標準」。しかしそれはいつしか最低限の約束ではなくなり「ねばならないきまり」として存在している学校が多い。そして「子どものスタンダード」は中高校では理不尽な校則となって再登場するのである。

教師むけの「授業スタンダード」は授業の流れや発問や板書の仕方など授業展開を中心にしめされたもの。目的によって使うチョークの色や板書文字のサイズ、手をあげさせ方や注意の仕方まで細かくマニュアル化されたものも存在する。それと同調主義が一緒になり教師の指導の自由を奪っていることもある。

学年の足並みをそろえる理由は、どのクラスも平等にといった理由。全校で揃えるのは、学年が変わっても子どもが不安にならないようにという配慮。

教師の指導方法を統一させるのは、若い人たちのニーズと、どの子にもどの教師も同じように教えられる事の保障が大切だからであろう。

しかし残念ながら、統一させようとすればするほど、教師の指導の差はむしろ広がり、不公平感やそれに伴う教師に対する不満が大きくなっている。

それは、世代や経験のちがう教師が同じことをしようとすると、当然差が出てくる…、と言う当たり前の理由だ。表向きだけ、見た目だけの平等は空回りするだけだという典型的な例だ。

私の経験上、個性は力量をカバーできる。

●問題はなんなのか
学校スタンダードによる問題点として、教師の実践の自由を奪うこと以上に重要なことがある。それは、同じことができない子、個性ある子をあぶり出し、排除することにつながることである。

障害のある公立小中学生のうち、通常学級に在籍しながら必要に応じて別室などで授業を受ける「通級指導」の2017年度の対象者は前年度から1万635人増の10万8946人となり過去最多を更新したことが29日、文部科学省の調査で分かった。調査を始めた1993年度から24年連続の増加で、初めて10万人を超えた。

文科省は「発達障害の認知が広まり、一人ひとりの障害に合わせて個別に指導する必要性への理解が広まっている」とみているが……、本当だろうか。

私は、子どもたち同士の中に、高度な?コミュニケーションスキルが求められ、それについていけない子、自ら降りてしまう子が増えているのではないかという疑いを持っている。

「高度なコミュニケーション」とは、空気を読みながら
 ・強い意見に同調し、
 ・時にはおちゃらけ、
 ・意図的に誰かをいじり、
 ・時には自分がいじられるように仕向け、
 ・そのために必要以上に悪ふざけができる 
  自分を演出するようなコミュニケーションである。

「学校スタンダード」に代表されるような、学校現場の、一斉・一律・競争の縛りがきつくなり、そこについていけなくなったり、身体を通して異議申し立てをしたり、自ら降りたりする子が急増しているのではないか、ということである。

●ゆずれないこだわりを一つ以上持つこと
教師が「学校スタンダード」の中で自分らしさを見失い、個性ある教師として子どもたちの前に登場できなくなってきている。そんな、没個性の時代を乗り越え、自分を見失うことなく子どもたちの前に立つためにはどうしたら良いのだろうか。

それは、教師として『これだけはゆずれない』というものを一つ以上持つことである。しおざきは、日刊通信を発行することを学生の時から心に決めていた。その実践が書かれた本に強く心を惹かれたからである。

ところが、教師になって最初に言われたことは、「足並みをそろえる」こと。ひとつの学級だけ、しかも教師一年目の新米が、毎日学級通信を発行するなどもってのほかだった。

しかし私は、それだけはゆずらなかった。それぞれが持っている教師としての武器を最大限に発揮することが子どものためになることを、当時のつたない言葉で必死になって説明した。幸い、まわりが理解してくれる先生が多かったこともあり、なんと定年するまでの37年間、日刊通信を発行し続けることができたのである。

ダメ教師だった自分が、唯一、誇れることである。

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同じであることを批判するのは勇気がいるけれど

同じであることは安心を生む。
個性を出すことには勇気がいる。
安心を得るためにきまりやマニュアルを求める。
「そんなもの必要ない」と主張することには、さらに勇気がいる。
それでも、教育においてみんな同じ方法をとること…、
とっているふりをすることについては批判的に考えている。
それを主張するのには、勇気がいるのだけれど。

「普通じゃないよね」は悪口になる。
「みんなやってないから」は、やらない言い訳になる。
「普通」は誰が決めたのか、
「みんな」とは一体誰なのかと思う。

教師にカリスマや名人先生はいらないけれど、
教師には個性あふれる名物先生は必要だ。

昔は、日本には個性ある教師であふれていた。
期末テストの問題づくりが間に合わなくて校内放送で問題を出していた美術の先生、
いつも教卓の上にあぐらをかいて授業をしていた歴史の先生、
子どもがひろってきた子犬をヒミツに教室で2,3日飼っていた先生、
みんな個性があり,みんなが大好きだった先生だ。
そして全員、授業が上手でわかりやすく、面白くてたまらなかった先生だ。
そんな先生たちが活躍できる学校現場でありたい。

脱線して授業とは関係ない話題になってしまう先生が好きだった。
子どもたちはそんな先生が困っている時には協力して助けた。
しかし最近ではそういった先生は保護者からも子どもたちからも批判されがちだ。
授業を遅れずに隣のクラスと足並みをそろえて教えるのが第一の任務になった。
せちがらい世の中になってしまった。

みんな同じことをやっていては逆に教育の質は下がる。
もともと世代も経験も、そして力量がちがうところに同じことをしようとすると
差がつくのはあたり前だからだ。

同じであることを批判するのは勇気がいる。
若い人たちに、個性ある素敵な教師になってほしいので、
勇気をふりしぼって主張する。

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脱線先生

話が脱線して

授業とは関係のない話題になってしまう先生が好きでした。

そしてそんな先生は、子どもたちからも人気がありました。

子どもたちからも人気があると、保護者からも信頼されました。

子どもたちはそんな先生が困っている時には協力してたすけたものです。


しかし最近ではそういった先生は

保護者からも子どもたちからも批判されがちです。

授業を遅れずに、わかりやすく教えるのが教師の第一の任務になりました。

せちがらい時代になってしまいました。


しかし実は、脱線先生ほど、実は授業が上手で、確実に子どもたちに学力をつけていたのではないか…、と推察しています。

授業は、メリハリと信頼関係、話題に対する興味関心がベースだと思うからです。

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外国の教師が信じられないこと

大学の外国の先生が話していたこと。

日本の教師が文句も言わずに

教室ワックスがけや消毒作業、

週60時間超えのサービス残業をしていることが

本気で信じられないとのこと。

そしてやることがたくさんある日本の教師が

子どもたちの学力を維持していることはすばらしいとも。

一方で、

こんなに身を削って働いている日本の教師が

なぜこんなに批判されているのかもよくわからないとのこと。

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仮装して本当の自分を取り戻す

ハロウィンの季節だ。

感染者数がへって、久しぶりに仮装する若者が増えるのかもしれない。

「仮装している時が本当の自分」

何年か前、ハロウィンで仮装する若者にTV局がインタビューした時の答えだ。

ということは、仮装していない日常は本当の自分ではないことになる。


自分の意思とは別に多数派に同調し、

その場にあったキャラを立てながら嘘芝居(うそしばい)をしていく日常は、

確かに本当の自分ではないのかもしれない。


多くの若者が、

生きづらさをかかえているのかもしれない。

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「みんなやってるでしょ」

「みんなやってるでしょ(だからやりなさい)」

「みんながまんしてるでしょ(あなたもがまんしなさい)」。

日本の子どもたちは、

「みんな」と同じ事をすることを

小さい頃から叩き込まれる。

大人になると逆に

『みんながやっていないこと』が求められる。

子どもの頃からその視点がもてれば

学校はもっと楽しくなったかもしれない。

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教師は子どもからこそ学ぶ

「研修」が負担になり指導がうまくいかなくなる矛盾。

教師にとって一番の「師」は子どものはず。

子どもに働きかけるからこそ逆に働きかけられる。

いうことをきいてくれなかったときになぜだろう、どうしたらいいのだろうと考える。

これが『生きた研修』。

そんな時間を削っての「研修」に疑問を感じる。


新採用の先生は、自分の学級を自習(安全のために見回りの職員配置)にして他の教師の授業をみる研修が多い。

私も「授業も見せなさい」といわれたことがある。

しかしこれ以上わかい先生の学級の自習をふやすのは大変だろうと思い、

発想をかえて、私が新採の先生の学級に行って授業をすることにした。

私の学級は音楽専科の授業にした。

確か、3年生の社会科の地図記号の授業だった。

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つながらない権利

勤務時間外の連絡を拒否する『つながらない権利』が注目されている。

学校でも勤務時間外の電話対応はしない学校が増えている。

つながること・つなげるためには、相手の権利や気遣いが必要な時代になった。

この権利を行使するためにはまだギクシャクはするかもしれない。

世界が、冷たくなったのではなく、進化したと考えたい。

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教師は敵だった

歳をとると声帯が委縮して声がかれてきます。

私もその「声がれ」に悩んでいます。

一番の治療方法は声を出すことだそうです。

色々な場で、意識して声を出すことで、最近は調子がいいです。


さて今日は、現役のころ、早朝出勤の途中での出来事。

その年に担任していた小学校3年生の男子数名が野球の早朝自主練習をしていました。

どうやら、中学生らしき男子にノックをしてもらっています……。

私に気がついた3年生が
「しおちゃんマ~ン!」
と手を振ってくれたので、私も手を振りました。

するとその中学生が、
「だれ?あれ!」
と3年生にたずねました。

3年生は、
「担任の先生!」
と答えました。

すると中学生から衝撃的なせりふが……。

「担任に手を振るって、おまえら、最悪だな!」

さあみなさん、この中学生のせりふをどのように読み取るでしょうか?

一つ目は、先生に対して、そんな態度は失礼だという意味。

もう一つは、教師なんかに手を振るな、という意味。

私は、後者の方で読み取りました。

しかし、どちらの意味でも、その中学生にとっては、これまでずっと、教師は敵だったんだ……と思ったわけです。

(*ᴗˬᴗ)⁾⁾

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塩崎義明(しおちゃんマン)の『公式メインブログ』です。教育問題について語ります。⇒ 管理画面

小学校で37年間学級担任として勤務/現在大学で教師を目指す学生に指導。/最新著書『教師と子どものための働き方改革』(学事出版)//iPhone12 Pro/Surface Laptop3/黒猫大好き/手相は両手とも「ますかけ」。

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ヨシムネ&ねね

しおちゃんマンの飼い猫、黒猫ヨシムネと ねね

ヨシムネ
ヨシムネ ♂
2005年8月生まれ。2006年8月に動物病院からしおちゃんマン家にやってきた。

ねね
ねね ♀
2008年6月生まれ。教え子(当時小6)達が公園で保護。2008年6月よりしおちゃんマン家の家族に。2017年7月28日逝去。

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