教師の多忙化について論じた卒論を読んでいます。多くのデーターを元に丁寧に書かれていて感心しました。
付け加えるとしたら、
多忙化は仕事の多さ、教師の人手不足だけではなく、
自分のやりたいことを我慢して、横並びで仕事をしなければならないという「追い詰められ感」と
「問題を起こさないための準備」の多忙化もあることを付け加えておきたいと思います。
そしてそれは国のどんな政策によって生まれてきたのかも考えてみてほしいのです。
整理してみましょう。
教師の多忙化は「国のための人づくり政策」(一斉に一律に)と、
「責任回避主義」の二つにあると考えています。
つまり、
みんな同じように教育しなければならないという「追い詰められ感」と、
責任をかぶらないようにするための証明作業が
今日の異常な教師の多忙化を生み出していると考えられます。
そして残念ながらそこに子どもファーストの教育はありません。
さて私は、1977年学習指導要領の時から始まり、
2006年教育基本法改訂の流れの中で発生したと考えています。
1977年改訂学習指導要領で、ゆとり教育が提唱され授業時数が削減されました。言い方を変えれば、子どもたちの『ゆとり』までも、学校が面倒をみていこうとしたということになります。
どうやらこの時期から、学校による、果てしないサービス提供が始まったのではないかと見ています。
やがて、次の学習指導要領で、低学年の社会科と理科が廃止されて生活科に、
そして第二土曜日が休日になったのもこの時期。
ところで……、ゆとり教育は、教師の手抜きであった、という誤った見方があります。
手抜きどころか、子どもたちの「ゆとり」まで学校が囲い込み、教育サービスを本格化させていったのですから、
現場感覚としては、この時期の混乱と、わけのわからない多忙感は忘れられません。
やがて、2001年の学習指導要領で、学校五日制が完全実施され、
その忙しさが平日にどっと詰め込まれる形になります。
この時期、私は「第二次学級崩壊の時代」と呼んでいます。
バブルの時代に公立学校への不信感が芽生えて第一次学級崩壊の時代になったのですが、
この第二次は、
教師の忙しさといじめ問題が本格化し、
再び学級崩壊が現場で話題になった時代です。
また、
この頃から、職員室に当事者性と同僚性がなくなり、職員間が何かちぐはぐで、気まずい雰囲気になっていきました。
一方で、1999年「国旗及び国歌に関する法律」、2000年「東京都教員人事評価制度導入」され、
学校教育法施行規則が改正で職員会議が校長の補助機関であるということが明確になりました、
さらには、
2007年「教員免許更新制」という流れの中で、教師の口が塞がれることになりました。
どんなに追い詰められても、理不尽なことを押し付けられても、日本の教師は声を出さなくなっていったのです。
やがて、教育基本法が改訂され、国のための人づくりが強調されました。
多様化が大事だと口では言いながら、みんな同じように動かなければ不安になる子どもたちを育ててしまっている日本の教師達。そのことについては、また別の機会に述べてみたいと思います。
今日はここまでということで。
では。
(*ᴗˬᴗ)⁾⁾
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