2014/07/22
排除の不安を利用した管理・コントロール
日本には「そろっている(同じである)と美しい」という文化があるようです。学校生活も同様です。しかしここで気をつけなければならないのは、 "そろえる文化" は排除の不安を生み出すということ。みんなと同じでなければ "置いてきぼり" にされるのではないか。 "村八分" にされるのではないか、 "居場所がなくなるのではないか" という不安が子どもたちや保護者のみなさんに最近特に強くなっています。
子どもたちや保護者のみなさんにこうした傾向が強くなったのは、学校制度がその不安を利用して管理・コントロールしていこうとしているからだと思います
一方、学校や職員も、実は "そろえる管理" に、間違えた方向で向かっているようです。下駄箱の靴の向きをそろえるのは、とりやすいからであって、全員の向きをそろえるのが目的ではないはず。
挨拶をするのは、コミュニケーションのスタートとしてとらえるべきであって、全員ができる・できない、する・しないで評価して良いのか?という問題も同様。見栄えや行動を「一糸乱れぬ」という目的で管理・コントロールしてはいけない……。
最近では、傘の柄の向きまで一糸乱れずにそろえる学校も出てきました。目的がよくわかりません。職員の日常的なユニフォームをそろえる学校まで出てきた。目的はなんなのでしょうか?
「くつがそろっていると気持ちがいい」「まっすぐに机が並んでいると気分がいい」「そろっている歌声は誰が聴いても心地よい」「クラスの心がそろうとみんなが幸せな気持ちになる」…、気持ちがよかったり心地よかったり、幸せな気分になっているのはいったいだれだ?ということです。