2017/06/06
異常な忙しさから教育情勢を見て学校づくりを見通す
●学校現場の異常な忙しさ今、学校現場では、「忙しくて教材研究ができはない」から、「忙しくて授業ができない」になり、最近では「忙しくて仕事ができない」といった笑えない笑い話状態。もっと言えば、愚痴も言えぬまま体を壊したり、命を落としたりが普通に起きているブラック企業並みの状態。
そんな中、小中教諭の7割が週60時間超勤務。医師や製造業上回ることがわかってきた。しかしこの問題を、単純に「時短」の問題で解決したように見せかけるの危険。形式的な「時短」は、逆に教師に負担を強いることは明らか。同じ仕事量を短い時間でやれというのだから、余計に負担がかかるのは当たり前。
その仕事量・内容も、やれ小学校の英語だの、道徳の教科化だの、プログラミングだのと、どんどん要求が高くなってきている。
にもかかわらず、あいかわらず学級定数を引き下げようとせず、教師の数にいたっては、逆に減らしていこうとする動きもある。減らすどころか、すでにいくつかの都道府県では、教師の数が足りない、という状況も出てきているのにもかかわらず、である。
●『国家主義』と『新自由主義的なサービス教育』
教師の忙しさの原因は、『国家主義』(一斉・一律)と『新自由主義的な
サービス教育』(競争)にある。
まわりに合わせることの労力…、そして、自分だけ遅れることができないという焦りからくる多忙感。これがまず『国家主義』からくる多忙感の正体。学校スタンダード云々は、教育方法を国家が囲い込もうとする典型的な例。
そしてもう一つが……、何から何まで学校が教育サービスをいたします、という忙しさ。そして学校間競争でそのサービスを高めようとする動き。学力テスト(※1)、部活の問題しかり、見た目の評価優先の教育もその一つ。ここからくる競争的な多忙感。もちろんそこには、説明責任が発生し、教師個々の評価の問題もからんでくる(※2)。これが、『新自由主義的なサービス教育』からくる多忙感である。
国家主義と新自由主義的なサービス教育、これが合体しているのが日本の教育であり、教師の異常な忙しさの背景には、こういった政府の教育政策(※3)による。
※1 成績トップクラスの子が身内の不幸の為に学力テストの日に欠席。すると管理職が、「あの子が学力テストを受けないのは本校にとって痛い、連れて来い」と発言。競争主義は、学校現場にこういった歪みと麻痺を生み出している。(東北のある学校からの報告より)
※2 加えて、災害や事故等、学校の危機管理の問題も問われるようになり、教員は「もしもの時の対応と説明責任」にも追われることになった。また、オリンピックに向けての、学校体育への要求(部活動への要求)もあいかわらず高い。
※3 最近では、国家主義を超えた、皇国史観の教育(日本の歴史は天照大神の子孫である天皇によってつくられてきた)がはびこってきた。そこには、国民に主権はない。子どもや女性の権利などもってのほかという考え方。そんな教育は、保守の側でも否定してきた教育。今の保守でもせいぜい国家主義レベル。ところが最近それを平気で超えた、憲法違反の皇国史観的教育が顔を出してきたということ。教育勅語を利用するのはOKという内閣の閣議決定。教育勅語の朝会での朗読も問題なしという文科省副大臣の発言。もはや一線を超えてしまったと言わざるを得ない。そんな情勢の中に今、学校現場はあるという見方が大切。
●1977年改訂学習指導要領
私は、教師の今日の異常な多忙化を決定づけたのは、教育基本法改悪だと見ている。この改悪により、国のための人間づくりが前面に出され、教育内容や方法が、『一斉に一律に、しかも競争的に』取り組まねばならなくなったことが、このような異常な多忙化を生み出したことは間違いない。つまり教育のサービス的側面までも、国家が全面的に囲い込むことを宣言したのが教育基本法改悪であったとも言える。
さて、その2006年の教育基本法改悪に至るまでを考えてみる。
注目しなければならないのが、1977年改訂学習指導要領。
1977年改訂学習指導要領で、ゆとり教育が提唱され授業時数が削減。言い方を変えれば、子どもたちの『ゆとり』までも、学校が面倒をみていこうとしたということ。どうやらこの時期から、学校による、果てしないサービス提供が始まったのではないかと見る。やがて、次の学習指導要領で、低学年の社会科と理科が廃止されて生活科に、そして第二土曜日が休日になったのもこの時期。
ところで……、ゆとり教育は、教師の手抜きであった、という誤った見方がある。手抜きどころか、子どもたちの「ゆとり」まで学校が囲い込み、教育サービスを本格化させていったのだから、現場感覚としては、この時期の混乱と、わけのわからない多忙感は忘れられない。
やがて、2001年の学習指導要領で、学校五日制が完全実施され、その忙しさが平日にどっと詰め込まれる形になる。この時期、私は「第二次学級崩壊の時代」と呼んでいる。バブルの時代に公立学校への不信感が芽生えて第一次学級崩壊の時代になったのだが、第二次は、教師の忙しさといじめ問題が本格化し、再び学級崩壊が現場で話題になった時代。この頃から、職員室に当事者性と同僚性がなくなり、職員間が何かちぐはぐで、気まずい雰囲気になっていく。
一方で、1999年「国旗及び国歌に関する法律」、2000年「東京都教員人事評価制度導入」「学校教育法施行規則が改正で職員会議が校長の補助機関であるということが明確に」、2007年「教員免許更新制」という流れの中で、教師の口が塞がれることになる。どんなに追い詰められても、理不尽なことを押し付けられても、日本の教師は声を出さなくなっていった。
※4 1958年の学習指導要領で「儀式」という言葉が使われ、1977年版で「儀式的行事」という言葉が、取り立てて使われるようになる。教育サービスを加速させながら。一方で、国家主義的統治の教育も進めていたということになる。今日の極端な右傾化の始まりは、なんと「ゆとり教育」が提起された、1977年の学習指導要領にあったとも言えるのである。
●主権者教育の学校づくりを
教師の異常な多忙化の背景には、教育の全てを国家が囲い込み、教師の実践の自由・共同を奪い、子どもたちの権利を奪う日本の教育政策にあることがわかってきた。
だとしたら、そんな日本の教育政策に対抗する学校づくり実践のイメージは明らかである。
それは、子どもたちの権利を保障し、主権者教育を共同で実践することである。そんな実践を展開できる学校づくりを進めていくことが求められているのである。
そのための、キーワードを三点提起しておきたい。
(1) 教師自身が、理不尽な押し付け、切り捨てられていることに対しての怒りを覚醒させ、同僚性、当事者性を発揮する。
・仲間の怒り苦しみは自分の怒り苦しみ。もはや笑い飛ばす時代ではない。
・子どもたちの生きづらさを生み出しているものに、怒りを。
・教室でも、職員集団でも、怒りの組織を。
(2) 社会に対する、批判的学びの指導を積極的に展開する。
・特別の教科道徳を逆手にとって価値論争を。
・政策について、報道について、批判的学びを。
・学びを通して、連帯の在り方を。
(3) 国家の要請ではなく、地域に根差した学びと、それを支える子どもたちの自治の在り方をさぐる。
・地域、保護者の学校参加の在り方もさぐる。
・地域、保護者との連帯の仕方を明らかにする。
・地域、保護者とは、信頼から連帯の時代。
国家から学校を、地域に、子どもたちに取り戻す必要がある。
それが我々の学校づくりのはずである。
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