2018/08/24
「おはよう」強制する前に ―挨拶運動、なぜ広がった?―
【「学校珍百景」へようこそ】「学校珍百景」へようこそ 第1回
◎「おはよう」強制する前に ―挨拶運動、なぜ広がった?―
学校ではよくあることだけど、改めて考えてみると珍妙…というようなことを、私は「学校珍百景」と呼んでいます。その背景を考えてみると、意外に深い意味があったり、新たな発見があったりします。
全国の学校で大流行する「挨拶運動」を考えてみましょう。校長先生自らが校門の前に立って、「おはようございます」と運動を推進している学校も少なくありません。そしてその成果も挙がっているようです。
では、なぜこうも「挨拶運動」が広がったのでしょうか。それは子どもが挨拶をしなくなったからだと言われます(本当は学校、教師がその権威を取り戻すためでは? という疑いを私は持っていますが)。
確かに最近の子どもは挨拶をしてくれません。教師から挨拶しても無視されることが少なくないのです。しかしこれを家庭のしつけの責任、学校の生徒指導の問題と捉えるだけでは足りないのではないか…。
挨拶を人と人との関係性の問題として考えてみたらどうでしょう。例えば、全く知らない人に挨拶はできません。逆に距離が近過ぎる仲間にも、改めて「おはようございます」とは言わないものです。つまり、自然に挨拶できるのは、それができる関係を持った相手なのです。それはかつては、日頃お世話になっている近所の大人や先輩、よく行くお店の人、そして学校の教師らでした。
子どもたちが挨拶をしなくなったのは、まさにそういった関係を失ったからではないでしょうか。それぞれの距離が遠くなり、ごく親しい仲間だけで交流する傾向が広がったのです。大人が子どもたちから奪ったのは、遊び場だけではなかったということのようです。
ある外国人の方が言っていました。「どうして日本の子どもたちは、こんなに悲しい顔をして学校に向かうの?」。確かに、登校中にうつむいている子は少なくありません。そんな子どもの空気を読まずに、一方的に「おはようございます!」とやってしまうので、彼らが目をそらすのもうなずけます。決して簡単ではありませんが、顔を合わせれば自然と口が開く、そんな関係を作りたいものです。
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