2021/09/21
足並みを揃えることの功罪
今の日本の学校教育の中身と仕組みは、残念ながら多様性を認める社会に対応したものであるとは思えない。理不尽な校則問題は相変わらず、学校スタンダードと銘打って指導方法や子どもの行動を統一させる学校現場……。統一性を見せるのではなく、違いを大切にした教育にどう転換していくのかが大切だ。教育実践はもっと多様であって良い。どの教師も同じように指導しなければならない傾向はますます強くなっているのが残念。教師も「違いから学ぶ」ことが大切。そこから自分のオリジナルを生み出していくといった『高め合い』は学校を活性化させる。教師は実践の自由を取り戻し自分流にこだわるべきだ。
「足並みをそろえる」というのは本来良い意味で使われるはずだが教育活動においては若い人たちの実践力を伸ばすことにつながらないどころか苦しめることになるので注意が必要だ。足並みをそろえると同時に、見えない競争があることに注意。同じことをすれば、ベテランが上手であることは当たり前……。
教育活動で形式的に足並みを揃えることは教育の質を落としかねない。足並みを揃える理由は違った学級経営をすると子どもたちや保護者が不安になり不公平感が生まれるからだという。日刊の学級通信もやめるように言われたがこれだけは譲らず。おかげさまで37年間、日刊通信を発行し続けることができた。
私が若い頃は「先輩教師の技を盗め」と言われた。そしてまずは真似をして自分なりにアレンジしろと。そういった意味で教師の仕事は技を持った職人に近かった。今は盗めではなく「そろえろ」と言われる。横並びで同じことをしておけば文句を言われないと....。教師が職人ではなく単なる公務員になった。
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